第36話 借用書再び
「はぁ……」
珍しくルーカス様がため息をついている。
「どうしたのですか?」
「……最近、商務部に、借用書トラブルの相談がすごく来ているんだ」
「借用書の?」
「あぁ。金貸し業は、一応商売の許可を得ているから、僕たち商務部の取り扱い範疇なんだよ。ただ、金貸し業から、お金を借りた覚えがはっきりしないっていう相談がくるんだ」
「はっきりしないとは? お金を借りていないとは言い切れないということですか?」
「そうなんだよ、そこがよくわからないんだ。ベアトリス侯爵夫人の時もあったよね。身に覚えもないのに借用書を作られていたっていう事件が」
「えぇ。あれは落としたハンコを勝手に使われていたというものでしたわね」
「あの時のように、借金をした覚えがないと明確に言ってくれればいいのだけど、みんな詳しく話を聞くと、曖昧になるんだ」
ルーカス様はそう言うと、理解出来ないというように瞬きをした。
「借りたかもしれない、ということですか」
「あぁ。お金のやりとりは確かにした。けど、それがお金を借りるというものではなかったと思う、とか、言うんだよ」
「借用書のサインとハンコは本人達のものなのですか?」
「それが、何かの書類にサインとハンコは押したとも言っている。それが借用書ではなかったと思うとは言っているけど」
「……確かに、少し難しそうですね」
二人の間に少しの沈黙が流れた。
お金のやりとりはしたけど借りていない。借用書は書いていないけど何かの書類は書いた。
なんだか全容がボンヤリとしている。
「今度、その借用書を見せていただくことって出来ますか?」
「……本当? いいの? また手伝ってくれるの?」
ルーカス様が、私がそう言うのを待っていました、というような雰囲気である。
ルーカス様の言うとおりになってしまったという点だけは少し気になるが、それでも借用書のトラブルと聞けば、放っておくことは出来ない。
「当然です。借用書を悪用する詐欺が一番許せません」
「……本当にありがとう。ミラには助けてもらってばかりだ」
「そんなことありません。私も助けられています」
私たちは顔を見合わせる。どちらからともなく、笑い合う。工房には優しい空気が流れていた。
◇
「失礼します」
私は、王宮行政庁の一角にある会議室に入らせてもらっていた。
ルーカス様から、相談があった借用書や関係書類を見せてもらうためだ。部外者は本来なら見ることも出来ないのだが、ルーカス様が相談者や上司たちから了解を得てくれたのだ。
「お手間おかけしてすみません」
「そんなことはない。むしろ、協力をお願いしている側なんだから、当然だ」
私は机に広げられた借用書などを眺めて、そのうちの何枚かを手に取る。
「……押印が、全て少し右に重心がかかっていますね」
「え? ……本当だ。わずかだが、インクが右側の方が多くついている」
(この押印の癖……見たことあるわ……)
「借用書の日付は、だいたい半年から1年くらいの間ですね」
「あぁ。ただ実際にこの借用書を使って取り立てが始まったのは、最近のようだ」
「何かの準備が整ったのかしら……」
「ミラ。僕も君と一緒にいろんな事件を見てきて、沢山学んできたけど。このハンコ」
「ルーカス様も気づかれましたか」
「あぁ。これは、この前のランプの事件と同じだよね。1年前の借用書なのに、ハンコのインクの滲みがない」
「えぇ。なので、ここ数ヶ月以内に押されたものだと思います」
「その点だけを突いても、借用書は偽造だったと言えるよな」
「そうですね。ただ、前回の事件とも少し違う点があります。確かに、ここ数ヶ月以内に押したハンコだと思いますが、光の反射具合。このインクは特殊なインクです。これはここ最近、ベルート商会で独占販売をしているインクです」
「またベルート商会か。偽造借用書にベルート商会が関わっている可能性は高いな」
「ええ。ただ、そのほかの点も検討しておきたいです」
そう言って私は、再度借用書をじっくりと見る。
「みなさん、借用書の下部分にサインをしていますが、借用書に書いた覚えはないけど何かの書類にはサインをした記憶がある、ということで一致しているのですか?」
「そうなんだ。相談者の共通点だ」
何名かの名前を見る。これらの者たちの領地は確か……
「ルーカス様。地図ありますか?」
「ちょっと待っていてくれ。準備してくる」
しばらくしてからルーカス様が地図を持ってきて、テーブルに広げた。
「……ルーカス様。相談者の方々の、もう一つの共通点を見つけました」
「えっ! それは何だ?」
私は広げられた地図を指で確認しながら話す。
「今回の相談者の方々、皆さん――隣国との国境沿いに領地を持っています。辺境の領主です」
「これは……単なる借金の話ではなくなってきたな……」
「一度、相談者の方々から直接お話聞くことって出来ますか?」
「もちろん。手配する」
ルーカス様がさっそく手配をして、私は数名の相談者から直接話を聞いた。
辺境の領主であり、何らかの書類にはサインとハンコを押したことがあるという共通点。それ以外にも、もう一つの共通点を見つけることが出来た。
「やはり、あの商会だったか」
「えぇ。インクから怪しいとは思いましたが、皆さんが、ベルート商会と取引をしたことがあるとは思いませんでした」
「組合の事件、ランプの事件、そして今回。ベルート商会の名前が何度も出てくるのはもう偶然とは思えないな」
「みなさん、ベルート商会との取引の際に、確認書という名前の書類にサインとハンコを押したとおっしゃっていました。確認書の内容を聞いても、あやふやでしたが、お金を受け取っていましたね」
「人によって、ベルート商会に取引相手を紹介した際のお礼としてお金を渡された者もいれば、ベルート商会の商品を保証することへのお礼としてお金を渡された者もいるな」
「ええ。紹介や商品保証のお礼に関しての確認書なんでしょうが、ちゃんと中身を読まない方々だったという、まさかの不運な共通点がありましたが」
「よく読んだ者はサインをせずに、今回のトラブルに巻き込まれなかったのかもな」
「インクから借用書の日付がおかしいこと、借用書にサインをした記憶がないこと。これだけで、ベルート商会を追い込めるか?」
「もう一つ、サインを確認したいです」
「サインを?」
「えぇ。たとえば……」
そういうと、私は1枚の借用書を取り出した。
「この方『レオポルド・カリスト侯爵様』です。けど、借用書をよく見てください」
「何か問題あるか? ……ん? よく見ると『カ』じゃないな。『ガ』になっている! ガリスト侯爵になっているな」
「しかも、レオポルドもよく見てください。『ポ』ではなく、濁点の『ボ』になっています。レオボルト・ガリストになっているのです」
「1カ所ならまだしも2カ所も、本人が間違えるか?」
「間違えないと思います。レオポルド様は、達筆とは言えない方です。だから、誰かが、別の書類に書いたサインを借用書に書き写すときに、間違えて写したのでしょう」
「ノミの市の油屋の店主みたいだな。彼の字も汚かったな」
そう言うとルーカス様は、クスリと笑った。
「でも、レオポルド様が達筆ではない、というのはなんで知っているのだ?」
「レオポルド様の領地は……レグナード家の領地と隣り合わせだったのです。それで親が、侯爵様と交流がありました」
「そうだったのか」
「父は、レオポルド様から手紙が来ると、あいつの字は読めない! 屋敷に行って面と向かって話した方が早い! と、いつもぼやいていました」
「そうか……」
少ししんみりとした空気が流れる。私は父が愚痴っていた光景を思い出す。
「その思い出が、今回役に立ったんだな。ミラの父上も事件解決の手伝いをしてくれているのかもしれないな」
私はルーカス様の言葉に、思わず涙があふれてきた。
両親のことで泣く涙はもう枯れ果てたと思っていた。けど、今の涙は悲しい涙じゃない。
両親はいつも私のそばにいて見守ってくれている。そう感じることが出来たのだ。
「ミラ! ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだ」
ルーカス様が慌てている。
「……ルーカス様に泣かされました」
「本当にごめん! どうしよう」
オロオロとするルーカス様を見て、私は思わず吹き出した。
「ルーカス様。冗談ですよ。両親を思い出したら涙が出てきちゃいましたが、悲しくはないので」
「強がっていないかい? 寂しいときは泣いていいんだよ」
「大丈夫です。だって、ルーカス様がそばにいてくれるので――寂しくないです」
「えっ……そうか。うん。そうか」
ルーカス様は、何度も満足げにうなずいている。
オロオロしていたと思ったら、喜んでいて、やっぱりルーカス様は……
「ルーカス様って……子犬みたいですね」
「それは……褒めているんだよね? ね?」




