第32話 取引契約書③―契約無効の裏側―
バルト商会の事務局で、ルナス商会長は、ご機嫌な様子でソファに座っていた。
その向かい側には主任が立っている。
「主任。お前、いい道具を見つけたな」
「えぇ。あのミラって子を持ち出せば、みんな何も言えなくなりますよ」
「今までは、ゴネて契約をなしにしてたけど、契約は無効だというのはスマートなやり方だよな」
「しかも、契約トラブル解決で評判のお嬢ちゃんのお墨付きですからね」
二人は顔を見合わせると、喉の奥で湿った笑い声を漏らした。
「しかも、お礼も受け取らないなんて、無欲な世間知らずのお嬢ちゃんだよな。これからも使わせてもらおう」
「そうですよね。代わりに私がもらいたかった、なんて」
その時、事務局の扉をノックする音が聞こえた。
「商会長。取引先の相手が来ましたよ」
扉を開けると、木材の取引先の男が入ってきた。
「どうも、ルナス商会長! 今回も大分お安くナラの木材をお売りいただきありがとうございます」
「いえいえ! うちの商会は安さと信用が売りですから! 今後ともよろしくお願いしますね。アハハハ!」
ルナス商会長らが高笑いをしていたそのとき、突如、廊下の奥から荒々しい足音が響いてきた。次の瞬間、勢いよく事務局の扉が開け放たれ、衛兵達が一斉に室内へ踏み込んでくる。
「ルナス商会長! 動くな! 詐欺罪でお前達を逮捕する!」
「はっ?!」
衛兵達がルナス商会長らを取り囲む。
「ちょ、ちょっと待ってください。何のことですか? 普通に取引をしていただけですよ。詐欺って何かの間違いじゃないですか?」
「その木材、本当は――オルク商会に返すべきものだろう」
ガレス衛兵長がルナス商会長に厳しい目を向けながら問いただす。
「……!」
「お前達は、オルク商会に返すべき商品をすり替えた。本来はナラの木材を返すべきところ、杉の木材を返している。その証拠はすでに警備局で押さえている!」
「いやいや! オルク商会には、ちゃんと商品を返しましたって」
「言い訳は、王宮警備局の取調室で聞くとしよう」
慌てて弁明を続けようとするルナス商会長らの腕を衛兵が無言で掴み上げる。そのまま抵抗する暇も与えずに、事務局の外へと引きずっていった。
事務局の出入り口付近で、私とルーカス様も立ち会い、成り行きを見守っていた。
そんな私達の前に、ルナス商会長らが衛兵に引きずられながらやってくる。
「お前……!」
「ルナス商会長。あなた方は最初から、契約を無効にする前提で動いていた。私たちはそれに気づいていました」
私は淡々とルナス商会長に告げる。
「なんだと? ……この平民の小娘ごときが!」
「契約は、権利を守るためのものです。隠し事をするために使った時点で、あなたたちはもう終わっているのです」
「……くそっ!」
ルナス商会長は捨て台詞を吐き、そのまま外へと連行されていった。
「えーと、それでは私はお先に……」
先ほどの取引相手の者が、こそっとその場を離れようとした。
「ちょっと待て。お前からも話を聞く」
「私は何も知りません!」
「バルト商会が、契約を無しにして木材を相手に戻した後、必ずお前達がバルト商会から木材を購入しているのは分かっているのだ。すり替えた木材を取引していたのだろう。詳しく話を聞かせてもらう」
「私は関係ない! 全部はルナス商会長が考えてやっていたことだ!」
男が騒げば騒ぐほど、衛兵が取り囲んでいく。
最終的には諦めて、ルナス商会長らと同じように、衛兵らに連行されていった。
「ルーカス。ミラさん。今回はおとり捜査にご協力していただき、ありがとうございました」
ガレス衛兵長が頭を下げる。
「いえいえ。これ以上の被害者が出なくてすむので良かったです」
「またしても、ミラのお手柄だな」
ルーカス様がそう言いながら、まるで自分のことのように嬉しそうに笑った。
「ルーカス様とガレス衛兵長が、おとり捜査を提案してくれたおかげです」
私は商会長らが連行されていった扉の外を見ながら答える。
「ミラさん。この前も言いましたが、ぜひ警備局で働きませんか? それが無理なら、相談役にでもなりませんか?」
「私は……」
ガレス衛兵長が前回よりも少し真面目なトーンで話すため、私は少し言葉を躊躇してしまった。
「ガレス衛兵長。ミラはハンコ職人です。無理です。あなたのところには渡せません。他を当たってください」
ルーカス様がガレス衛兵長をキッと睨みながら、まくし立てる。
(ルーカス様って、やっぱり子犬みたい。キャンキャン吠えて。でも相手は怖がるどころか笑っているし)
「ルーカス。束縛しすぎると、お前を逮捕しなければなくなるぞ」
「……それは……困ります」
「フッ。君は女性が苦手すぎて、女性との距離感や接し方がおかしい方向になっているから気をつけた方がいい」
「……肝に銘じます」
ルーカス様がさっきまでの勢いが嘘のように、声の張りがすっと消え、視線を床に落としている。
(キャンキャン吠えていたと思ったら、しょんぼりしてる。可哀想だけど、ちょっと可愛らしいわ)
私は、そんなルーカス様の様子を見て、つい笑みがこぼれた。
そんな私を、チラリと上目遣いで見るルーカス様は、やはり子犬のようだった。




