第30話 取引契約書①―代理人ではない者―
今日もいつものように工房で作業をしていると、少し変わった訪問客がきた。
その訪問者はハンコの注文者ではなく、相談をしたいとのことであった。
いつもは、ルーカス様が「ミラ、相談があるんだけど……」と来るのだが、今回は商会の方が直接工房にやってきたのだ。
追い返しても良かったのだが、困っているのですと開口一番に言われてしまい、私は訪問者の男二人を工房に招き入れた。
「突然すみませんね。ミラさんの噂は聞いていまして」
私は、ルナスと名乗る男にお茶を出す。一見人当たりが良さそうであるが、扉を閉めるときの音や座る時の音の立て方など、細かな動きと音には、少し横柄さが見受けられる。
「それでご用件はなんでしょうか。ちなみに、ここはハンコ工房で、私は相談を仕事にはしていないのですよ」
私はついキツく言ってしまった。
商会が何か商売で困ったことがあったときには、普通はルーカス様がいる商務部に相談をすることが多い。いくら噂を聞いたからと言って、私のところに直接来るなんて、と警戒する。
「本当に申し訳ございません。私が商会長にミラさんの噂を教えたら、直接行くって聞かなくなってしまって」
バルト商会の主任を名乗る者が、媚びるような笑みを見せながら、ルナス商会長をフォローする。
私は、心の中でため息をつきながらも、話を聞くことにした。
話を聞かない限り、帰らなそうと思ったからだ。
「実はですね、この主任の彼が、勝手に契約をしてしまったんですよ」
「勝手に?」
「えぇ。私たちは木材の仲卸の商売をしているんですけど、私の許可なく、彼が取引先から木材を大量に仕入れてしまったんですよね」
そう言うと、商会長は主任の頭を少しこづく。主任は、小さな声ですみませんと呟く。
「はぁ」
「それで、相手方に『主任が勝手にやったので取引無しにしてくれ』って言っても、聞き入れてくれないんですよ」
「契約書は結んでいたのですか?」
ルナス商会長が、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、カバンから契約書を取り出した。
「えぇ。これです。取引契約書があるんですけど、彼がね、勝手に店のハンコを使って契約してしまったんですよ」
「商会長は、その取引相手と会ったことはないんですか」
私の問いかけに、ルナス商会長は何だか嬉しげな表情をしながら答える。
「えぇ! もちろん! 私はね。取引をするときには、必ず私が契約の場に立ち会うことにしているんですよ。なのに、今回は私の知らないところでやられちゃったんですよね」
「……商会長には申し訳なく思っています」
ルナス商会長の隣で、主任が体を小さくして頭を下げている。
「ほんとに、こいつはどうしようもないですよ」
ルナス商会長はそう言いながら、またもや主任の頭を小さく小突く。
私は、やはり追い返せば良かったと心の中で悔やんだ。
ルナス商会長の主任への態度や言葉の端々に、うまく言葉に出来ないが、モヤモヤする。
(なんだろう……助けてあげたいという気持ちになれない)
「それで、私になぜ相談を?」
「ミラさんは、契約の不備を突きつけてトラブル解決をしてきたとお聞きしております。なので、今回は、彼が勝手に行った契約の無効を相手方に突きつけてほしいんです」
「それ、私じゃなくても、ご自身でやったらいかがですか?」
「いえいえ! ミラさんといえば、いまや商会の中ではちょっとした有名人ですよ。そのミラさんが言うからこそ、相手にも伝わるんですよ」
うさんくささを感じる。
言葉に出来ないと思っていたが、いま頭に浮かんでいる言葉がある。
嫌悪感。
被害者のように言っているが、まるで被害者らしさがない。
私が断ろうと思い、口を開こうとしたら、工房の扉が開いた。
「ミラ! ……ってごめん。お客様だったんだね」
「これは、これは! 商務部のルーカス様じゃありませんか!」
「え……? あぁ。あなたは確かバルト商会の……」
「そうです。いつもお世話になっております」
「バルト商会がなぜここに?」
「実はミラさんに契約トラブルの相談に乗ってもらっていたのです」
「そうなんですね」
ルーカス様がチラリと私を見る。私は小さく首を横に振る。
「……彼女に相談をするのは、基本的に私を通してください。彼女はハンコ職人なので、相談は王宮行政庁の手伝いとしてやっているだけですので」
「王宮のお墨付きってことですね! さすがです。なおさら、ミラさんには解決にご協力いただきたい!」
ルナス商会長は、ルーカス様の言っている意味が分かっていないのか、勝手に話を進めようとしている。
「すみません。今ルーカス様がおっしゃったように、直接ご相談を受けるということはしておりません。ですので……」
私が断ろうとしたところ、私の言葉をルーカス様が遮った。
「ただ、今回は契約トラブルということでしょうかね! ミラから相談内容をあとで聞かせてもらいます。協力するかどうかの回答は僕からさせてもらいます」
「ルーカス様?!」
ルーカス様が勝手に話を進める。
私がルーカス様に断るように言おうと顔を見ると、その目は何かを別の意図があるかのようであった。私はルーカス様に従うため、口を閉ざした。
「ルーカス様、ありがとうございます! ではでは、良い返事をお待ちしております。ちなみに、早ければ早いほう助かりますので、何卒どうぞお願いしますね」
ルナス商会長は、爽やかさとは正反対の笑みを浮かべて、主任の背中を小突きながら工房を出て行った。
「ルーカス様? どういうことですか? 前向きに検討すると思われてしまいましたよ?」
「ごめんね、突然決めてしまって。実は、あの商会に怪しい噂があるんだよ。だから、あの商会と接触するいい機会かなと思ってしまったんだ。驚かせて悪かったね」
「いいえ、驚きませんわ。なんか嫌な感じだなって思っていましたから」
私が、先ほどの短い時間で感じた直感は間違っていなかったようだ。
「最近、商務部に何件か相談がきていたんだ。取引をしても、難癖をつけて結局お金を返金するということがあるって」
「難癖……確かにあの商会長なら強引に言いそうですね」
「あぁ。バルト商会の取引相手は、お金を返金するけど、商品は戻ってくる。だから、損はしていないんだ。けど、契約をするときは、ルナス商会長は非常に乗り気で話をしてくるのに、いざ契約成立となってお金をもらって商品を渡すと、なんだかんだいって契約を無しにしてしまうので、気味が悪いと言うんだ」
「でも、気味が悪いというだけでは、行政庁も何も出来ないですよね」
「あぁ。意味不明な行動だけど、それだけじゃ、相談をされても何も出来ない」
ルーカス様が肩をすくめる。そして、私が差し出したお茶を一口飲む。
「けれど、この前の相談者が、戻ってきた品物がなんか違う気がするって言うんだ」
「違う物が戻されたと?」
「あぁ。でもその商品はすでに売ってしまって、手元にないそうだ」
「……何か匂いますね」
「だろ?」
「ルーカス様はどうするおつもりですか?」
「バルト商会に探りを入れようかと思っていたんだけど、相手の方から来てくれたから、この機会を利用しようかと思うんだ」
「だから、相談を受けるかも知れないようなことを言ったのですね」
「あぁ。ちょっと警備局にも事前に相談をしてみようと思う。ちなみに、バルト商会はなんて言ってきたんだい?」
私がバルト商会の相談内容を伝えた。
「契約を無効にしたい。その無効を主張するのに、ミラを使う、というわけか」
「えぇ。早く無効にしたいと急いでいるところと、主任が勝手にやってしまったという点では被害者なのに被害者らしくないんです。むしろ嬉々としているような感じがしました」
「ミラに相談をしに来る。というところも怪しいよな」
「えぇ。商会で有名人だからと言っていましたが、仮に私が知られているとすれば、よからぬ目的で利用しようとしているのではと思います」
「警備局に相談した結果、また連絡をするよ」
そう言って、ルーカス様は工房を出て行こうとしたが、歩みを止めて振り返った。
「そもそも、僕が相談をしているから、今回も巻き込まれているんだよな。ミラには迷惑かけて本当にごめん」
「ルーカス様。私は契約の不正は許せないので、協力することは何も迷惑だとは思っていません」
「本当? 僕のこと面倒くさい奴って思っていない?」
「思っていません……たぶん」
「ミラ、言い切ってくれないんだね」
ルーカス様は少し寂しそうな顔をする。
私はそんなルーカス様を見て、少し笑ってしまった。




