第22話 注文書②―ミラの価値―
パーティー会場の扉が、静かに開く。
最初に気づいたのは、音でも、声でもない。気配だった。
会場は貴族達の話し声で溢れていたが、ざわりと、空気が揺れた。
そして、誰ともなく、皆が開かれた扉の方へと目を向けていた。
「ルーカス様と一緒にいるのは、誰……?」
ささやきが漏れる。答えが出ないような、もどかしい声。
先ほどと同じ場所。同じ人々。
けれど、私に向けられる視線はまるで違っていた。
ルーカス様が私の手を取り、私はゆっくりと歩み出る。
ルーカス様が用意してくれたドレス。ドレスの色が、ルーカス様の瞳と同じ青色であることが少し気にはなったものの、落ち着いたデザインであり、我ながら似合っていると思う。
貴族令嬢ではあまりいない、肩までの短い髪の毛であるが、それが今の私らしさである。
私は、背筋を伸ばし、片足を斜め後ろに引いて軽く膝を曲げ、優雅にお辞儀をする。
完璧なカーテシーである。
無意識に、身体が覚えている動き。侯爵令嬢時代にあまり夜会には出席しなかったとはいえ、叔母からは家庭教師をつけてもらって、一通りの貴族としてのマナーは学んでいる。
貴族としての人生を捨てたものの、貴族としての作法は知身についたままだった。
「……え?」
私の滑らかな動きを見た、誰かの戸惑った声。
「彼女ってさっきの?」
「……まさか」
「でも、髪の毛や顔が一緒よ……」
別の令嬢が、目を見開く。
ひそひそとしたささやきが広がる。
ようやく「気づき」が追いつく。
さっきの、平民の少女。この場にはふさわしくないと言葉にした者もいれば、内心思っていた者も少なくないだろう。
それと、目の前の存在が、繋がる。信じられないという顔。
先ほど笑っていた令嬢たちが、言葉を失っている。
ヴィオラ様は眉間にしわを寄せて、こちらを睨んでいる。
セラフィーヌ様が、扇子越しに、じっとこちらを見ている。
観察するように、そして何かを測るように。
「……やはりな」
セレフィーナ様の婚約者であるマルディアス殿下が現れた。
周囲の令息令嬢達の空気が一瞬にして変わる。
「はじめから、あの場に違和感があったのだ」
この前のベルニエ商会の事件のことを言っているのだろう。私は、静かに目を伏せながら口を開く。
「殿下。私からよろしいでしょうか」
「もちろん。話せ」
「あの時は、自己紹介に欠けているところがございました。申し訳ございません」
ベルニエ商会の悪事を暴いたあの場では、私は『平民のミラ』と名乗った。
それはウソではない。過去まで言う必要はないと思っていたからだ。
「改めまして。以前はレグナード侯爵家の長女ミラージュ、いまはハンコ職人のミラでございます」
会場がざわめく。
「侯爵令嬢……?」
「レグナード家って、確かリュゼット家が領地拡大をして消えた侯爵家じゃなかったかな」
「なるほど。肩書きと振る舞いが、かみ合っていなかったからな」
マルディアス殿下の淡々とした声。ただ、どこか楽しげな雰囲気も感じる。
「今なら納得がいく」
殿下は納得しているが、周囲の人間は追いついていないようだ。
セレフィーナ様が、ゆっくりと扇子を閉じて、私に近づく。
「……最初から、その顔を見せなさいな」
私は、セレフィーナ様の目を見ながら、わずかに微笑む。
「隠していたの? それとも……」
セレフィーナ様が、一歩、踏み出す。その視線が、まっすぐに絡む。
「私には、見せる価値もないと思っていたの?」
セレフィーナ様は試すような声音で問いかける。
私は何も答えず、ただ静かに視線を返す。
逃げずに、そらさずに。一瞬の沈黙だけだったが、十分だったようだ。
「……いまの方がいいわよ」
セレフィーナ様は微笑んだ。
「私が認めただけあるわ」
その一言で、空気が決まる。
先ほどまで、私を笑っていた者たちは、言葉を失っている。
「だから、私の友達も、あなたに依頼するのよ」
さらりとした一言だったが、それが決定打だった。
殿下の婚約者であるセレフィーナ様が認めており、彼女と親しい人間はすでに繋がりを持っている。
セレフィーナ様寄りの周囲の令嬢たちが、ほっとしたように姿勢を正す。
先ほど笑っていた者ほど、動揺を隠せない。
私の隣に立つルーカス様が、小さく笑った。
「だから、言っただろう」
誰にも聞こえないほどの声で囁く。
「君の価値は――君自身が決めるんだよ」
◇
後日、セレフィーナ様が認めた工房ということで、スタンプの注文が次々と入るようになった。
その中で――
「……私もスタンプを注文したいのですけど」
あのとき、セレフィーナ様や私を笑っていた令嬢たちも客としてやってきた。
彼女達は、おずおずとしながら注文をする。
セレフィーナ様との繋がりを持ちたいがためなのか、本当に作品に心惹かれているのかは分からない。それでも、注文が来て、作品を作れることは私としては嬉しく感じる。
それでも、嫌味の一つをわざと投げかける。
「あら。あの時の。……この工房は私に相応しい場でしょうか?」
一拍おいて、わずかに首をかしげる。
「……先日は、失礼を……」
彼女は顔を硬くしている。
「意地悪な言い方でしたわね。こういう言い方は私には向いていないようですね」
私はニコリと笑う。
「ご注文ありがとうございます。喜んでお受けいたします」




