第20話 新しいお客様―セレフィーナとの出会い―
「この前は、本当にありがとう」
今日は、トビアス様が、ルーカス様と私にお礼がしたいとのことで、食事に誘われた。
「ベルニエ商会が請け負っていた公共事業は、半分以上が補強の必要ありらしいな」
ルーカス様がお酒の入ったグラスを片手にしながら静かに言った。
「……事故が起こる前に発覚して良かったですわ」
「ベルニエ商会は潰れたけど、その代わり、一度廃業していたアルト商会が事業を引き継いだから、安心しました。僕のせいで、と思っていたけど。あそこは誠実に仕事をする商会ですからね」
トビアス様はそう言いながら、安堵の表情を見せる。
「お前のせいではなかったと思うけど、でも復活して良かったな」
「えぇ。本当に、ルーカス殿とミラさんのおかげです。しかも、ミラさんには危ない目にも遭わせてしまって……本当に申し訳ない」
そう言うと、トビアス様が私の方に向き、頭を下げてくる。
「いえいえ。大丈夫です。ちゃんとベルニエ商会からはアルバイト代ももらえましたし」
「ミラ。本当に心配したんだよ。もう潜入はなしだからね」
「はい。わかりました」
トビアス様が、私たちの顔を交互に見て、ニヤニヤしている。
「それにしても、あんなに女嫌いだったのに」
「なんだよ」
「ミラさんの前だと、あのルーカス殿とは思えませんね」
「そうか?」
「えぇ。とても自然です。女性が近くにいるだけで、全身から近づくなっていうトゲ出していましたからね」
そう言うと、トビアス様は楽しげにお酒のグラスを手に持つ。
ルーカス様も、お酒をぐいっと飲む。
「ルーカス様は、ハリネズミのようだったのですね」
「ミラさんの前だと、針なしネズミですよ」
「何だよ、針なしネズミって」
ルーカス様は、頬をふくらます。
「フフフ。ネズミっていうか、ハムスターみたいですね」
「そう? ……ミラは、ハムスターは好きかな?」
ルーカス様の質問の意図が分からない。
「好きでも嫌いでもないです」
なぜか、トビアス様がため息をついている。
「ルーカス殿……前途多難ですね」
そう言いながらトビアス様が手に持ったグラスを、ルーカス様のグラスにコツンと当てる。
◇
トビアス様の事件が一段落し、落ち着いた生活が戻ってきた。
「ご注文ありがとうございました」
最近、また注文が増えてきたのだ。ただ、ハンコではなく、デザインスタンプである。
そもそものきっかけは、私が伯母に手紙を送ったことに始まる。
リュゼット侯爵夫妻である伯父も伯母も、いまだに私のことをいつも気にかけてくれて、よく手紙を送ってくる。
私も元気であることを伝えるために手紙を送るのだが、デザインスタンプを押して手紙に装飾をしたら、伯母がたいそう気に入った。
伯母から
『ミラちゃん。この前の手紙の余白に押してあったスタンプ。あれ、とても素敵ね。もし良かったら、注文することできるかしら?』
との手紙が来たため、私は手紙に押せるようなデザインスタンプをいくつか作って持って、久しぶりにリュゼット侯爵家を訪れた。
「ミラちゃん! もっと頻繁に顔を見せにきてちょうだいな」
久しぶりに会った伯母は、抱きつかんばかりに喜んだ。
「叔母様。いつもお手紙だけですみません」
「ううん。いいのよ。ただ、私たちがお店にしょっちゅう行くと迷惑だろうし」
「ロイクはこの前、工房に来てくれました」
「あの子から聞いたわ。そうそう、ロイクは留学が長引きそうなの。領地の土に合う肥料の開発で忙しいみたいよ」
「ロイクなら、あの領地を変えてくれると思っています」
久しぶりの雑談に一段落がつき、私は、伯母のために彫ってきたデザインスタンプを袋から取り出した。
「伯母様。これがご注文の品です」
「まぁ! 素敵! ミラはますます腕をあげたわね!」
「ありがとうございます」
「スタンプを使いたくて、パーティーの招待状や手紙を沢山書きたくなるわ!」
伯母はお世辞ではなく、本当にいろんな方への手紙にスタンプを使ってくれたようで、伯母から聞いたという注文が入ってくるようになった。
(嬉しいけど、ハンコの注文は増えないのよね)
そうして、久しぶりの再会を終えて、またいつもの日常に戻っていたそんなある日、工房に一人のお客様がやってきた。
「いらっしゃいませ」
「……ここがスタンプを作っているところなのね」
一人の令嬢と侍女が工房に入ってきた。
その令嬢は、町娘のような装いであるが、その姿はあまりに気品に満ちている。
「あなたが、デザインスタンプを作っているの?」
「はい。たとえば、このようなスタンプを作っております」
私はいくつかのスタンプにインクをつけて紙に押してみせた。
「なるほどね……」
彼女はそう呟くと、ぶしつけなくらいに私をジロジロと見てくる。
(買う気あるのかしら……)
「ずいぶん小さいところね。貴女一人でやっているのかしら?」
「はい。私一人で作っております」
言葉遣いや立ち居振る舞いの端々から、かなり高位の貴族令嬢であることが見えてくる。
その令嬢は、木のクズで少し散らかっている床に顔をしかめ、ハンカチで鼻を覆っている。
「かなり独特な匂いがするわね」
「木の香りとインクの香りが混ざっていまして……空気入れ替えますね」
「別にいいわ。そんなに長居しないから」
彼女はそう言うと、椅子に座った。
「あなたお名前は?」
「ミラと申します」
(なんだか、面接みたいだわ)
「そう。わたくしは、セレフィーナ。ルヴァリエ公爵の長女です。ご存じかしら?」
「……お名前は存じております」
(セレフィーナ様は、マルディアス王太子の婚約者だわ! まさか、こんな方が工房に来るなんて)
「あなたが作ったスタンプが、とても素敵だという噂を聞きました」
「ありがとうございます。光栄でございます」
「わたくし、お花が好きなので、豪華なお花のデザインスタンプを10個くらい作ってくださるかしら?」
「……ご注文ありがとうございます。10個ですとお値段は……」
「お金はいくらかかっても良いわ。デザインさえ良ければね」
「承知いたしました」
「できあがったら、持ってきてちょうだい」
そう言うと、セレフィーナ様は立ち上がった。
工房を出ようとした彼女が振り返り、私に突然聞いてきた。
「ところで、ここにルーカス様がよく来ているって本当なのかしら?」
「……えぇ。たまに来ております」
「あなた、ルーカス様のニセの結婚届を見破ったのよね? 噂は聞いているわ」
「いえいえ。私は、ルーカス様が解決するお手伝いをしただけです」
「……そう。ただのお手伝いね」
セレフィーナ様は、私をじっと見る。
彼女の目線を受け止めると、何だかじっとしていられない気持ちになる。
「謙虚さは、時に自分を小さく見せて、誰にも価値が届かない、ということを覚えておきなさい」
「……!」
私が何も言えずにいると、セレフィーナ様は工房を去って行った。
(私の価値……)
私は、彼女が去って一人になったあと、彼女の言葉を頭の中で繰り返す。
目立たずに生きる、何も持たなければ奪われることもない。
工房は繁盛してほしいけれども、あまり前に出たくはない。
矛盾するように思うが、隠れて生きるのが守りだと思っていた。
(私が守っているものは……何かしら)
考えがまとまらず、頭が混乱してきた。私は、モヤモヤする頭を整理するため、さっそく作業に取りかかった。
その日は、夜遅くまで工房の灯りが消えることはなかった。




