第2話 終わりと始まり
遊びから始まった私のハンコ技術も、年齢があがるにつれて、だいぶ向上し、作ったハンコを押せば何を彫っているのかが分かってもらえるようになった。毎日ハンコを削りながら、自由にのびのびと生活していた私も、10歳になっていた。
そんなある日、両親のもとに、一人の男性が訪れた。
私は、屋敷の外で遊んでいたが、見慣れない男性が気になり、窓から中を覗いた。両親が男性に対して興奮しているような様子だった。男性は書類を見せながら、その口元は笑っている。男性がふと窓の外に目をやり、私と目が合う。
私は怖くなって、その場を走り去った。
その日の夕食は、両親の様子がいつもと違っていた。私は、それに触れてはいけないかと思い、何も言えなかった。
しかし、食後、私は我慢できなくなり、両親に尋ねた。
「お父様、お母様。様子が変だけど、どうかしたの?」
「……ミラージュ……ううん、なんでもないの」
「あぁ。……大丈夫だ。食事が終わったのなら、部屋に戻ってなさい」
「でも……」
「いいから、戻ってなさい!」
私は、今まで怒鳴ったことがない父の怒声に驚き、急いで部屋に戻った。
(どうしたんだろう……)
不安な気持ちを振り払うように、私は机に向かい、小刀を握った。
全ての感情を忘れて集中できる。私は、無心で木の板に、とりとめの無い模様を彫り続けた。
◇
「お嬢様。落ち着いて聞いてください」
次の日の夕方、老執事が言う。そういう彼の方が落ち着いていない。
両親は、朝から姿を見せていなかった。
「ご主人様と奥様が……事故にあったと連絡が来ました」
「事故?! お父様とお母様は大丈夫なの?」
老執事は苦しい表情をしている。後ろにいるメイド達はすでに泣いている。
彼らの表情を見て、私は最悪な結果だろうと一瞬にして分かった。
「……お嬢様。申し訳ございません……ご主人様達は……お亡くなりになりました」
「……」
私は、老執事の言葉が耳に届くも、現実味がなかった。夢の中にいるようで、そこからのことは、思い出そうとしても霧がかかったような感じである。
気づいたときには、私は、王都に住む伯父一家の屋敷で生活をしていた。両親の葬儀も終わり、執事やメイド達の新しい職場の斡旋も含め、諸々の手続きは、伯父が行ってくれていた。
あとから聞いた話だが、両親のところに来ていた男性は、借金取りだったそうだ。
自宅からは、男が置いていった両親の借用書が見つかり、その借入金額は、領地を全て売らなければ支払えない金額だった。
ただ、その借用書は――ニセものだったそうだ。
ハンコは勝手に作られたものであり、じっくり見れば侯爵家のハンコではないことが分かるものであったが、両親は突然の出来事にパニックとなってしまったらしい。
身に覚えがなくても日々の領地経営の中で何らかの書類にはサインをしたことはあったのだろう。社交もあまりせず、人を疑うことを知らなかった両親は、知らない間に借用書にサインをしてしまったのかもしれない等と思い込んでしまったかもしれない。
男が来てから一晩経ち、両親は、改めて詳しく話を聞くために借金取りのところに向かおうとしたそうだ。そして、馬車を急がせていた最中、雨のぬかるみに車輪が取られて馬車が横転してしまったというのだ。
その借金取りの男は逃げてしまったようだが、借用書が偽物であることがすぐに分かったため、領地は取り上げられずに残った。いまは、伯父が、私が18歳になるまで領地経営を代行してくれている。
◇
「ミラ。一緒にお茶でもしよう!」
「ロイク。ありがとう」
従兄のロイクが声をかけてくれた。
最初は部屋に閉じこもっていた私を、伯父一家は、見守り寄り添ってくれた。特にロイクは、同い年であるが、本当の兄のように、優しく、そして明るく接してくれたので、私も元気を取り戻すことが出来た。
「ミラ。またハンコを彫っていたのかい?」
「えぇ。これを彫っていると落ち着くの」
私はいつものように、小刀を握り木の板に模様を彫っている。
そんな私の様子を見ながら、ロイクは近くの椅子に座る。
「ところで、ミラは、本当に貴族学園に通わなくていいのか?」
「えぇ。田舎で自由に育っていた私には、マナーとか人脈とかを学ぶ貴族学園はどうしても合わないから。専門アカデミーだと、経済学も学べるし、ハンコとか工芸も学べるし。それに、なんせ自由でしょ」
「確かに、貴族学園よりアカデミーの方が自由だろうね。しかも、ミラならアカデミーの入学試験も難なく突破できるだろうしね」
「簡単に受かるとは思ってないわ。でも、専門アカデミーの入学試験では、実技が重要視されるらしいの」
そう言うと、私は、木の板に彫っていた模様をロイクに見せる。
真っ直ぐに何本にも引かれた縦の線。そしてその線をまたぐように、緩やかな弧を描く曲線が美しく彫られている。
「正確さや再現性、実用力とかを評価されるらしいのだけど、大分練習しているから、実技は大丈夫かなって思っているわ」
「いつ見ても、ミラの彫刻は繊細で正確だよな。確かにこれなら、実技試験は合格だな」
ロイクは、私が彫った木の板を手に取り、じっと見る。
「ミラが決めたことだから応援するけど……でも一緒に、貴族学園に登下校したかったなぁ」
「でも、ロイクは、あの彼女が、これからは毎朝迎えに来るでしょ?」
「そうらしいね。友人が出来るまで心細いから一緒に登校して欲しいって言われたけど……最近なんか付き合いづらいんだよね。昔はもっとサバサバしていて、楽しかったんだけどなぁ」
「それは、二人とも、もう15歳になったからじゃないの? 小さい頃とは違うわ」
「まぁ、そうなんだろうけどね……」
ロイクが話している『彼女』とは、彼の幼なじみのカトリーヌである。彼女は伯爵令嬢とはいえ、その財は侮れない。私とは土台が違う。
私も彼女とは何度か会ったことがあるが、サバサバという印象の真逆にいる感じだった。
(たぶん、ロイクのことが好きなのよね)
おそらく、私のことを、ロイクのそばに突然現れた邪魔者と思っているのだろう。会った当初からトゲトゲしい彼女の態度が物語っていた。そんな態度は5年経った今でも変わらない。
もっとも、カトリーヌはロイクの婚約者というわけではなかった。ロイクとしては、そんな彼女の想いを知ってか知らずか、単なる幼なじみ以上の感情はなさそうだった。
そんな彼女がいるというのも、私が貴族学園に通うのを敬遠した理由の一つにもなっている。私が学園でロイクと一緒にいたら、何をされるものか……そんなことに気持ちをすり減らすのは無駄としか言いようがない。
(あんな態度すればするほど、ロイクが離れていくのに。せっかく顔は可愛いのにもったいないわ)
◇
その後、16歳となった私は、晴れて専門アカデミーに合格して、通っていた。
専門アカデミーは、貴族も平民も関係なく通うことが出来る学校だ。派閥も、貴族特有の腹の探り合いもない。とても自由……というか、お互い無関心といったところか。
私は、思う存分に創作活動をしつつ、学問を学ぶという、充実した学生生活を送っていた。
屋敷の前などで、たまにロイクに会いに来たカトリーヌと会うこともあった。
彼女は、私を見かけると、飽きもせずに嫌味を言ってくる。
「ごきげんよう。あら、貴族学園とそちらの学校では、挨拶が違ったかしら」
「……こんにちわ」
「いまはその色が流行っているのかしら? 貴族学園とはアカデミーは流行り物も違うのね」
カトリーヌは私の洋服を見ながら、フフッと笑う。
「別に流行ってないですよ。汚れても目立たない色を選んで来ているだけなので」
「まぁ! ごめんなさい。薄汚れた色が流行っているのかと勘違いしたわ!」
一つ一つは小さい嫌味だけれど、会って口を開くたびに、言われるのも嫌になる。
この人が、昔はサバサバというのが信じられない。
そんなことがありつつも、彼女との遭遇を抜かせば、私は毎日楽しく生活を送っていた。
本日21時に第3話更新予定です。




