第1話 ハンコ職人のミラ
私、ミラは、今日も一人、自宅兼用のハンコ工房にて、小さな木に細かな模様を彫っている。
ハンコ職人になって、受けた注文はまだ1つ。それきり、仕事は来ていない。なので、いま彫っているのは名前ではなく、単なる模様だ。
(ふぅ。仕事がなくても、毎日作業をしないと、腕がなまっちゃうからね)
工房から窓の外に目をやると、すでに暗くなっている。
「え、もうこんな時間だったんだ!」
私は、大きく伸びをして、道具を片付けるために、棚の引き出しを開けた。
ふと思い出し、棚の中の小箱を広げた。そこから、木で出来たハンコを取り出す。目を細めれば、鳥に見えなくもない絵が彫られているハンコだ。
私が、小さい頃に、初めて作ったハンコ。18歳のいま、見返してみても、6歳にしては器用すぎると自画自賛してしまう。
これを作った頃、両親も私の器用さに驚き、そして、私の頭をなでてくれた。
私は、頭をそっと撫でて、両親に撫でられた懐かしい温もりを思い出した。
(ここから、私は一人で頑張っていくから……見守っててね)
◇
私の両親は侯爵であり、そうすると当然のことながら、私は侯爵令嬢であった。
とはいっても、我が侯爵家の領地は広いだけで、実る土地ではなかった。なので、通常、侯爵家には多くいるメイドも、必要最小限しかいない。
ただ、私は、それが嫌だったというわけではなかった。
「はい。味見をお願いします」
私は、父から差し出された木さじを受け取って食べる。
「うん! 合格!」
「おぉ、今日も合格いただいちゃったな」
鍋をかきまわしていた父も、木さじで一口食べる。
「……ずいぶん素朴な味だなぁ……塩、入れ忘れたか? 」
「でも、食べれるよ!」
「あら、いい匂いがするわね」
母がやってきて、夕食準備に加わる。
そして、執事と数少ないメイド達と一緒に夕食を囲む。貴族としてはかなり質素だったと思うが、私はみんなで集まって食べる時間が好きだった。
日中は、広大な領地が遊び場であった。穏やかな丘を渡る風が草を揺らし、遠くでは森がざわめき、川面が陽を弾いてきらめいていた。私は走り回っては、草や木に顔を寄せて、そのにおいを確かめる。
自然の中には、遊び道具が沢山ある。
その中でも私は、木を使って遊ぶのが好きだった。手触りや重さの違いを確かめたり、木をつなぎ合わせて人形のようにして遊んでいた。
遊びの中でも一番飽きなかったのが、地面に落ちている少し太い枝に、模様を付けることだった。最初はとがった石を使っていたが、徐々にそれでは物足りなくなった。そんな私が、初めて、小刀を握ったのは6歳だ。
「指、切らないようにしてくださいよ!」
後ろから、老執事の声が飛んでくる。
「切らないってば」
即答しながら、私は手元の木片に集中する。
小さな四角い木の板。そこに、慎重に刃を入れていく。ぎり、ぎり、と乾いた音。
「……また新しい遊びを考えてるのかい?」
父がのぞき込んできた。
「ご主人様。申し訳ございません。お嬢様がどうしてもというので、私が見ているのを条件に刃物を渡したのです」
「まぁ、ミラージュが駄々をこねたのだろう。一度やると決めたら絶対だからなぁ」
「お父様! 見て!」
削りかけの面を見せると、父は目を細めた。
まだ6歳の手だ。線は少し歪んでいるけれども、形はちゃんと意味を持っている。
「……ほう」
父が感心したような声をあげる。
私は得意げに鼻をならして、また刃を動かす。
包丁を持つのと、あまり変わらない。野菜を刻むのも、皮をむくのも、もう慣れている。だから、刃物は怖くない。怖いのは、指を切ることではなく、自分が思ったように模様が彫れないことのほうだ。
「それ、何になるの?」
柔らかい声に顔を上げると、母が扉にもたれていた。手には、まだ湿った布巾を持っている。
「もう少しだから待って! ここがこうで……ここが、こう」
説明しながら線を足す。少しだけキレイに彫れて私は小さく満足した。
「できたよ!」
ぽん、と机において、インクの代わりの炭を、ちょんとつける。紙にぎゅっと押した。
小さな印が、くっきり浮かぶ。
「ちゃんと押せるよ!」
「まぁ! 本当ね」
母はしゃがみこんで、その紙をのぞき込む。
「これは、うーん。帽子のマークかしら?」
「ちがうよ、鳥だよ! これ、うちのマーク!」
「勝手に作るんじゃないよ。侯爵家の家紋はちゃんとあるからな」
父は笑いながら、紙とスタンプを交互に見る。
老執事は、私が手を切らなかったことに、ホッとしている様子だ。
「なかなか、6歳にしては素晴らしいな。お前は天才かも知れない」
そう言いながら、父は私の頭をなでた。
「もっとたくさんつくってあげる!」
私は窓の外を見る。木はたくさんある。どこまでも。風に揺れて、葉がさざめいている。
「ねえ、お父様」
「なんだい?」
「このハンコ、売ったらお金になるの?」
父は一瞬、言葉を止めた。その横で、母は少しだけ首をかしげる。
「急にどうしたの? 何か欲しいものでもあるの?」
「ううん。でも、木がいっぱいあるから」
当たり前のように言うと、母は外を見て、ふっと笑った。
「そうね。いっぱいあるわね」
父は小さく息をつく。
「木だけは、沢山あるんだがな」
父は窓の外の木々を眺めながら、苦笑いのような息をこぼした。
「……ミラージュには不便かけているな」
「不便? わかんない。わたし毎日楽しいよ?」
老執事が、目頭を手で押さえている。
「でも、もっとお父様のお役に立ちたいの」
「……ミラージュ。ミラは元気にいるだけで、私達は十分なんだよ」
父は優しく笑いながら、頭をなでてくれた。そんな私達を母も優しい目で見守る。
そんな平穏な毎日が、「ハンコひとつ」で崩れることになるなんて――この時の私は、まだ知らなかった。
本日12時に第2話を更新予定です。




