第18話 自白書面④―ミラのピンチ―
翌日、私はベルニエ商会でいつもの仕事を終わらすと、先輩の仕事の手伝いとの名目で資料室に入った。
「……あった。あの橋の材木の注文票はこれね」
私は一人つぶやき、それを書き写した。
アルバイトも明日終わる。ある程度、成果も出てちょうど良い引き際だ。
「……何をしてる」
突然の声に驚きながら振り返る。
「誰だ? ここで何してる?」
「……私は、先週からこちらでアルバイトをしている、ミラと申します」
男は顎に手をやり、少し考える様子を見せる。
「あー。そういえば、秘書が、アルバイトが決まったと言っていたな。私は商会長のラウルだ」
「ラウル商会長様。はじめまして。明日までですが、頑張らせていただきます」
「ふむ」
私は、残りの仕事があるので、と言い、その場を去ろうとした。
ガチャ。
ラウル商会長が部屋の鍵を閉めた。
「アルバイトが、なぜ公共事業の資料を見ているんだ?」
私が棚にしまいそびれていた資料が机に広がっている。
「先輩から帳簿整理を任されていまして。過去の記録を探そうとしていたのですが、関係の無い資料でしたね。戻します」
ラウル商会長が資料を戻す私をじっと見ている。
「えーと、すみません。戻るので鍵開けますね」
私がラウル商会長の脇を通り、扉を開けようとしたとき、何かを口元に押し当てられた。
薬品のような、甘ったるい人工的な匂いが鼻を刺す。
「――っ」
頭が、ぐらりと揺れる。視界の端が滲んだ。
まずい、と理解したときにはもう遅く、私は意識を手放した。
◇
最初に感じたのは、鈍い頭痛だった。次に手首の痛み。
目を開けようとして、まぶたが酷く重いことに気づく。喉も渇いていた。
ゆっくりと息を吸う。インクや紙の匂いが鼻についた。
知らない場所だ。
その事実に、意識が一気に浮上する。はっと目を開けると、そこは薄暗い部屋だった。
最初に目に付いたのは壁際に並ぶ棚だった。整然と本や書類箱が並べられている。
埃っぽさはなく、机の上にもインク壺や書類が几帳面に置かれていた。
誰かが普段から使っている部屋ようだが、妙に生活感が薄い。
(落ち着いて。慌てなければ大丈夫よ)
床に転がされたまま、私は小さく息を吐いた。
両手は後ろで縛られており、縄はかなりきつい。手首に食い込んで痛むが、動かせないほどではなかった。
私はそっと指先を動かした。スカートの脇ポケット。深く縫い付けた内ポケットの中に、細身の小刀を忍ばせている。
相手は私が女性なのでキチンと身体検査をしなかったのか、あるいは甘く見たのか。私は小刀の柄に指先が触れたことで、少し安心する。
(いつでも彫る作業が出来るようにと持ち歩いていたのが、まさかこんな使い方で役に立つなんてね)
私はゆっくり呼吸する。耳を澄ませると、部屋の外には人の気配はない。
今しかない。
私は何度かもがくように身体をよじり、少しずつポケットから小刀を引き抜く。
落とせば終わりだ。汗で指が滑りそうになる。
息を詰めながら小刀をポケットから取り出す。金属が布を擦る小さな音が、やけに大きく聞こえた。
ようやく小刀を逆手に握ることが出来たときには、背中にじっとり汗が滲んでいた。
後ろ手のままでは角度が悪いが、小刀は私の身体の一部のようなものだ。扱いには慣れている。
何度か皮膚を浅く掠めはしたものの、刃を縄に押し込むことが出来た。
繊維が、少しずつ裂ける感触。ぎり、と縄がきしむ。
もう一度。さらに力を込める。
次の瞬間、ぶつり、と縄が切れた。
途端に両腕が前に落ちる。しびれた手首に鋭い痛みが走った。
私は軽く手首を回し、小刀を握り直して、足首の縄へ刃を当てた。
身体が自由になった私は、ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。
(ここは……商会長の仕事部屋かしら)
ドアの外に人の気配がないことを確認しつつ、私はどこから脱出しようかと部屋を見渡す。
鍵が掛かっていない窓をのぞくと、そこは2階くらいの高さだった。
下は石畳ではなく土である。
(これくらいなら、飛び降りても大丈夫だわ)
私は、静かに窓を開ける。夜気が一気に流れ込んできた。
窓の外に誰もいないのを確認して、スカートの裾を掴んで窓から飛び降りた。
「……っ!」
受け身を取りきれず、地面に転がる。肘を擦り、鈍い痛みが走った。
小さい頃は高いところから飛び降りたり登ったりするのは得意だったが、あくまで小さい頃の話だったようだ。
(いたた……小さい頃は身軽だったけど、最近はずっと机に向かって座っているだけだから、身体がなまってしまっているわ)
私は、荒い息のまま身体を起こすと、服に付いた土埃を手で払いながら、辺りを見渡す。
周りは塀で囲まれているが、大きな木が何本も生えている。
木を登れば、塀の上に行ける。
頭の中では、小さいころの自分が器用に木を登って塀の上にジャンプしている。
(……イメージトレーニングは出来たわ)
窓からの飛び降りでケガをしたのはイメージトレーニングが足りなかったせいだろう。
と、私は自分に言い聞かせる。
(門から出るのは危険だから、これしか方法はないのよ。ミラ、出来るはずよ)
私は、痛む身体を引きずりながら、意を決して木にしがみつく。とても人には見せられない恰好で、枝を掴みながら、必死に登る。
ようやく塀に飛び移れそうなところまで登ることができた。私は少し慎重に塀の上に降り立つ。
「よいしょっと!」
私が塀の上にまたがって、外に飛び降りようと下を見たところ、一人の男性が立っていた。
「ミラ?」
「ルーカス様?」
「僕、ミラを助けにきたんだけど……」
「あっ、すみません。自力で脱出が出来ちゃいました」
「……何でも出来るんだね」
「必死になれば、出来ちゃいました」
私はそう言って、軽く手を振って見せた。
「……あっ!」
私はバランスを崩して、塀から落ちてしまった。
「……ミラ。最後の詰めが甘いよ」
「ルーカス様。すみません」
塀から落ちてきた私をルーカス様が受け止めてくれた。
「これで、僕がミラを助けにきた白馬の王子様、ということでいいかな?」
「……そういうことにしておきますわ」




