第15話 自白書面①―見てはいけないもの―
今日もいつものように工房にルーカス様がやってきた。
ただ、今日は一人ではない。
「ミラ。急に来てごめん」
「ルーカス様はいつも急ですよ」
「そ、そっか。ところで、今日は、行政庁の公共事業部で働いている後輩を連れてきたんだ」
「ルーカス殿から、いつも聞いています……。トビアスと申します」
「はじめまして。ミラと申します」
トビアスと名乗る男性は、顔色が悪く、覇気がなかった。
「何かあったのですか?」
「……ええ」
「トビアス、僕から説明してもいいかい?」
「いや、大丈夫です。僕から説明をします」
私は、工房の玄関に、準備中の立て札をかけた。
そして、二人にお茶を出す。茶葉の香りが工房に広がるころ、トビアス様は小さく息を吐いた。それが合図だったこのように、静かに相談が始まった。
◇
その日、トビアスは仕事帰りに酒場に寄り、一人で飲んでいた。
一人だったせいか、たまっていた仕事が一区切りついたせいか、いつもより少し酔っ払ってしまった。
(こんな道あったっけ?)
自宅への帰り道、いつもは通らない道を見つけた。
酔いもあり、トビアスはそこを進むことにした。
道は入り組んでおり、目当ての店がなければ普通は通らないだろう。
何度か角を曲がったところに、他とは少し趣が違う店があった。
知らなければ通り過ぎるだけの外観。派手な看板はなく、控えめに掲げられた店名だけが、かえって敷居の高さを感じさせる。
(なんだか高級そうなお店だなぁ。隠れ家的な感じだな)
トビアスが何気なく、窓から店の中を覗いてみた。
中は、小さな店で、カウンターが見える。カウンターには男性が2名座っている。
(なんか、あの後ろ姿見たことあるなぁ)
トビアスは、もっと見えないかなと思い、窓にさらに近づいた。
ガシャン!
トビアスは酔っていたこともあり、足下の植木鉢に気づかなかった。
店の中のカウンターにいた二人が、音に気づいて窓の方を向いた。
トビアスは、一人と目があった。
(あれは……上司のグレイン殿だ!)
トビアスは知っている顔に一瞬、顔がほころびかけた。
しかし、上司の顔が、いつも見知っているものとは異なっていた。
恐ろしい表情をしていたため、トビアスは挨拶もせずに、そのまま走って逃げ出してしまった。
一緒にいた人も、見たことがある。
トビアスは気になったが、走っていたため気持ち悪くなり、考えることが出来なくなった。
そして、息を切らしながら、自宅に帰り、そのまま倒れるように眠りについた。
翌日、職場に行ったところ、トビアスは上司のグレインから呼び出された。
「トビアス。ちょっといいか?」
「あ、はい」
「……昨日、見たよな」
「え? いや、まぁ。すみません、酔っ払っていて、よく覚えていないです」
「目が合ったよな?」
「えーと、そうですね。そうだった気がします」
グレインの顔がいつも以上に厳しく、トビアスは内心かなり動揺した。
「昨日のこと、誰にも言うなよ」
「え? あぁ、もちろん。誰にも言いませんよ」
「……」
グレインの沈黙は威圧感があり、怖くなったトビアスはおそるおそる口を開いた。
「あの……なんかマズイのでしょうか? 誰にも言うな、だなんて」
「もういい。とにかく忘れろ」
その日はそれで話が終わった。
……と思っていた。
それからも、仕事中に、上司がたまに、じーっとトビアスを見ている様子だった。
トビアスは、居心地の悪さを覚え始めていた。
「忘れろ……か」
トビアスは、小さくつぶやいて、書類に目を落とす。
先日のことは、なかったことにしろ――そう言われたのは確かだ。けれど、あの言い方はお願いではなかった。
机の上の書類に視線を滑らせる。
橋の補修に関する追加工事の見積書。いつもと変わらない、はずの紙。
なのに、妙に気になる。
商会の名前を見た瞬間、胸の奥に引っかかりが残った。
どこかで見た。いや、見たことがあるどころではない。
あのとき、店の中で上司と一緒にいた男。
あの男は、ここに記載されている『ベルニエ商会』の代表の男に似ていた。
「いや、人違いだろう……」
そう言い聞かせて、ページをめくる。数字に意識を向ければ、余計なことは忘れられる。
いつも通り、そうやって処理をするはずだった。
だが……
(……追加工事が必要、か)
ベルニエ商会が申請した追加工事の見積もり金額は、極端には高くない。
しかし、以前、別の橋の補強工事を請け負った他の商会のときは、そもそも追加工事は発生しなかった。
追加工事の承認は上司が行っているので、必要な工事だったのだろう。補強工事をしていく中で、想定以上の損傷を見つけたのかもしれない。
ただ、何かが引っかかる。
再度、商会名を見る。
「ベルニエ商会……」
胸の奥の違和感は消えないまま、じわりと広がっていく。
そのときだった。
「その案件は、もういい」
低い声に顔を上げる。
いつの間にか、上司のグレインがすぐそばに立っていた。
「あ……はい。ですが、まだ確認が――」
「私が見た」
言葉を遮るように、短く告げられる。
そのまま書類を手に取り、ぱらりと一度だけ目を通すと、迷いなく印を押した。
承認のしるしだ。
あまりにも、あっさりと。
「次の案件に移れ」
「……はい」
トビアスは、返事はした。だが、視線は自然とその書類に戻る。
「もういい」という言葉が、頭の中で繰り返される。忘れろと言われた夜。
そして、ろくに確認もされずに通された書類。偶然にしては、できすぎている。
トビアスは、消化できない思いを抱えたまま、他の案件に取りかかった。




