静かな非常事態
不安定な足板を一歩ずつ踏みしめ、ようやく階上にたどり着いた。
すっかり騒ぎになっているかと思いきや、予想だにしない静けさに迎えられる。
あんな衝撃を船上で受けたらもっとパニックになるものでは?
なんだかずっとおかしなこと続きだ。
もう水道に用はない。
むしろ水を止めたいくらいなのだが、そんな高性能な雑巾はどこにもない。
自分はそもそもアルバイトであるから、階段前の真正面に設置されたこの手洗い場以外、階上の部屋に立ち入ったことはないのだ。
しかして迷っている時間もないため、誰でもいいから人を見つけようと、とりあえず一番近くの部屋を覗く。
誰もいない。
ソファやローテーブルが置かれていることからおそらくここは休憩室だろう。
確かに今は呑気にお茶などしている場合ではない。
気を取り直してその隣の部屋を覗く。
誰もいない。
ベットが二つに机、仕切りが見える。救護室か?
確かに今安静を保ちたいのならこの船から脱出するのが一番である。
気を取り直してその向かいの部屋を覗く。
誰もいない。
やけに埃っぽい室内に棚、無造作に積まれた大量の箱。どうやらここは物置部屋。
確かにこんなところに用事があるのは雑用係かサボり魔くらいだ。
気を取り直して角の部屋を覗く。
誰もいない。時間がない。次の部屋を覗く。
誰もいない。時間がないのだ。次の部屋を覗く。
誰もいない。
随分と走り回った気がする。
気付けば最初の部屋近くまで戻ってきていた。
どこにも、誰もいなかった。もう全員甲板上まで避難したのだろうか。にしては動きが早すぎやしないか?こんなにももぬけの殻だとは。
留まっている時間はない。
人を探している間、少しずつ床に傾斜がついていくことにはもう気付いていた。船が傾き始めているのだ。
完全に船首が上を向いてしまえばバイト仲間達どころか自分まで海底に沈んでしまう。誰でもいい、誰かいないのか。
先程登って来た階段だったものの近くにある、一つ上の階に通じる梯子に足をかける。
おそらくこの階にもう人はいない。
全ての部屋を隅々まで見たわけではないが、そんなことをしなくても既に生き物の気配が感じられなかった。
きっとネズミ一匹でさえ逃げ道を求めて上に行った。
避難しようとしている人々が階下に戻ってきてくれるかは分からないが、ここに居たって意味がない。助けを呼ばないと。動悸の止まない体に鞭を打ち足に力を入れる。
瞬間、体がまるでバネ仕掛けのように、反射で振り向いた。
音がした。気がする。
確かにドアを開けて確認したはずの部屋、あそこは確か……物置部屋だ。




