イブツ回収センター
ちらりと部屋を見渡す。
お世辞にも片付いているとはいえない室内は、それでも暗い船の中より暖かく感じる。とはいえここは何の事務所なのか。
「……ここって何してるとこなんですか?」
「イブツを集めてる」
「イブツ?」
イブツとは?
聞き馴染みのない言葉に耳を傾げていると、目の端でキラリと光を反射するものが見えた。
ナイフを構えた彼女が背後に迫る。今度こそ叫んでソファから転げ落ちた。
ローテーブルにぶつかった背中が痛い。
鈍い痛覚が悲鳴をあげる中、瞬きも許さずこちらとの距離を詰めた彼女がその刃で狙ったのは心臓……ではなく右足の脛。避ける間もなく切り裂かれる――!
「イタッ……………………くない。あれ?」
確かに切られたはず。冷たい刃が皮膚を通り抜けた感覚もあった。けれども痛みはなく、血すらでてない上に見た目じゃあなんなら切れてない。
そこにあるのはいつも通りの生白い右足。
近くでちゃんと確認しようと足を体に引き寄せようとして漸く、まともに脛が動かないことに気づいた。
「不思議だろう?切っても血は出ないし怪我もしない。切った箇所の機能だけが停止する。これがイブツだ」
「なる……ほど……?だから足動かないのか。
………それ先言ってもらえませんか?」
「言ったらアンタ切らせてくれたか?」
「いや切られたいやつなんかいないでしょ」
言い返してみると彼女はまたくすりと笑う。なんだか振り回されてばかりだ。
「他にもあるぞ。例えばさっきのでかい鯨、あれもイブツだ。私たちはホルムと呼んでる」
「鯨……?あれ鯨なんですか?白かったですけど」
「ん~……多分鯨だ。アルビノとかなんじゃないか?知らないが」
「結構適当だなぁ」
かつて資料で見た鯨とは少し違う気がするけれど、それがイブツというものなのかもしれない。
世界は広いし意外とでかい。とりあえず頷いておく。
「とにかく、この世界にあって不自然なもの。常軌を逸した異常な存在。それを私たちはイブツと呼称し、回収している」
そう告げながらナイフとは逆の手で白いboardを取り出す。何かを操作し浮き上がったホログラムをずいとこちらに突きつけてきた。
表示された光学情報体の内容は、求人広告。
『イブツ回収センター アルバイト募集』
そう銘打たれた光彩文字は深く読む前にゆらりと消え去る。
「それがここ、イブツ回収センターだ」
「…………そのまんまですね」
思わず本音が零れる。捻りの欠片も見当たらない名称だ。
「こういうのは分かりやすい方がいい。無駄に子洒落た名前を考えるのも面倒だろう?」
「はぁ。で、あなたがここの上司と」
「そういうことだ。どうだ?前よりずっといい環境だと約束しよう。今なら面接やら書類やらの小難しい手続きもなしだ」
「それあなたがやりたくないだけでしょ」
自分の言葉にあっけらかんとして笑う彼女を横目に。
さて。少し考える。
確かに彼女の言うとおり、以前より人間味のある環境であることは確かだ。
飲み差しのボトルもつけっぱなしのテレビも、人肌に飢えた今の心には寧ろプラス要素に感じる。
だがしかし慎重さを欠いてはならない、一見普通に会話できているけれど二度もナイフで切りかかってきた辺り全然まともな人じゃない。
決して、手続きなしの言葉に揺らいではいけない。
………………………………………………。
「……ちなみに待遇どんな感じになります?」
「当たり前だが、給料は都市平均額は出すぞ。住居は前のバイトが使ってた部屋あるからそこを貸してやる。場合によっては臨時ボーナスもつけよう」
「ぜひお願いします」
ボーナス、それは悪魔の響き。
こちとらまともな給料も無かったんだ。
正しい労働に正しい対価、当たり前のことがこんなにも嬉しい。
というかどう考えても人を騙してタダ働きさせる奴らよりこのお姉さんの方がまともに決まっている。
「それじゃ、契約成立だ。」
差し出された手は朝日に照らされている。
まるで希望のようなそれを掴み、床を踏みしめて立ち上がった。一縷も身動ぎできなかった足の感覚はもうすっかり戻っている。
「改めて、私はヘーゼル。ここの責任者をやっている」
凛とした声に長く立ち込めた暗雲が晴れていく。
黒く揺らめく彼女の目を真っ直ぐに見据えた。
久しぶりだった。
誰かに名乗られるのも、自分から名乗るのも。
「カシャっていいます。よろしく」




