まだまだ掌の上なーり
「――――――プッ…………アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!」
――大爆笑。
部屋中どころかギルド全体に木霊すのではないかと心配になるほどの、呵々大笑。
笑い声の主は――ヒルダ=グレーメル。
「プッ……クッ……ご、ごめんなさい。で、でも…………ク……ッ! アッハハハハ……!!」
ついさっきまで泰然と、それでいてどこか飄々としていた女傑が、両手で腹を抱えて笑いまくっている。あまりにも場違いな声が突然過ぎて、他の者達は戸惑うばかりである。
「え、え? なんか面白いことあったの? もしかして私、見逃した?」
「知らんわい」
リナがマーシャの袖を引くが、私の方こそ聞きたいと、マーシャは思った。
(ヒルダって……こんな風に笑えるんだ……)
誰かと交渉するときに、相手を威圧するために不敵な笑みを浮かべるとこなら何度も見てきたが、こんな子供みたいに笑ったところは一度もない。
今まで知らなかったヒルダの一面。それを、出会ったばかりであっさりと引き出してしまうシキという名の少年。
表に出さない様努めつつ、マーシャの胸中は複雑であった。
そしてシキはというと、
「……………………」
鋭い眼光も、威圧感も。何一つ変わらないまま、笑い続けるヒルダを睨み付けていた。
そんな時間がたっぷり三十秒以上も続いてようやくのこと。
「ふぅ……あー、久しぶりに笑ったぁ……!」
満足そうに涙を拭って一息つくヒルダを、シキは未だ氷点下の目線で見つめている。
「……なんだかご満悦なところ悪いけどさ。こっちはかなり本気なんだよ。ヒルダさん」
心臓が凍てつきそうなほど低くなった呼気は、声色に殺意まで仄めかせている。
しかし、それを受けてなお、ヒルダはププ……! と口元をヒクつかせる。
常人なら向けられた瞬間に喉が干上がるであろう圧を向けられ、なおその態度を崩さない。
(んん?)
さすがに、何かがおかしいと。
シキは後ろの二人の表情に目を向け、怪訝に眉を顰める。
二人とも……特に、ヒルダと付き合いが長そうなマーシャが本気で驚いている。どうやらこれは演技や駆け引きの類ではなく、本当にただ馬鹿笑いをしているだけらしい。
――いやなぜに?
頭に浮かんだ疑問符に答える様に、女傑は口を開いた。
「いやあ、君の反応があまりにもあらかじめ聞いていた通りだったものだから面白くてつい。不愉快にさせちゃったのは謝るわ。これは失礼を致しました」
「あ、ああ……?」
ペコリと素直に頭を下げられても、シキは感情の置き場に困る。結局これは、どういう状況なのだろう?
と、そこで彼女の言葉に、聞き捨てならないモノを見つけた。
「いや待て待て。聞いてたって、オレがここに来る事をか? いつ、誰にだよ?」
シキは道場を飛び出した後、帝へご挨拶を済ませ、すぐに今回の交易船に乗り込んでいるのだ。事実上、最速の渡来と言っていい。
大陸にいたはずのヒルダが、彼の来訪を知る由はないはずだが……。
「あらあら、分からない?」
そこでヒルダがおもむろに机の引き出しから何かを取り出して見せると、シキの目は少しの驚きに見開かれた。
掲げられたのは、見るからに凄腕な職人の手が施されているであろう、上質な漆の艶を放つ紙筒。その装飾に施された意味を、シキはよく知っていた。
「それは……帝からの親書か! いや、アンタなら持っててもおかしくねぇのか」
「ふぅん、やっぱり知っているのね。大和の物とはいえ、一般人では一生目にすることさえ叶わない代物のはずだけれど」
通称――天上親書。世界各国の重要人物にだけ送られる"帝直筆の手紙"である。
その重要度は言うに及ばず。もしも誰かに奪われる様な事があれば、世界の勢力図が一変する事にもなりかねない。
ゆえに交易船の出発前には、船の護衛役はもちろん乗組員全員に対し、これを死守せよとの勅命が下される。
奪われたり失くしたりなど論外。うっかり中を見てしまっただけでも処刑確実な、取扱危険度無限大級な代物である。
そんなモノを机の引き出しに無造作に放り込んでいたことにも呆れるが、シキとしてはもっと気になる事があった。
紙筒の紋様はただの飾りではない。その交易物が"いつ"送られた物なのかを示す、一種の暗号としての役割も持ち合わせている。
そこから察するに――
(あれは前回の交易物……つーことはもう一年近くも前の物のはずだが、それがいま何の関係がある?)
ヒルダは手にした紙筒を、ヒラヒラと振る。
「さっきの問いの答えだけれど、仮に私が"見返りなんて要求するつもりはない"――って言ったところで、信じられる?」
「……無理だな。そんな口約束をまるっと信じるには、オレとアンタは初対面過ぎる」
厳密には一度大和ですれ違っており、お互い顔は覚えていたのだから初対面とはいえないのかもしれないが、少なくともまともに言葉を交わしたのはこれが初めてなのだ。
シキにとって、偽らざる本音である。
「うん、でしょうね。だからこそ君が無条件で信じられる、ある『御方』の言葉を借りようと思って」
挑戦的な笑みを浮かべるヒルダに、シキはなんだかとてつもなく嫌な予感がした。
そうやって笑う彼女の雰囲気が、すごく見覚えのある誰かさんにそっくりだったからである。
たとえばそう……こっちがイタズラにスッポリ引っ掛かった時とかの、かの『御方』の表情に。
「お、おいまさか……もしかして……?」
思い当たった答えは、シキの顔をものの見事に引き攣らせた。
ヒルダは紙筒を開けると、綺麗に丸められた上質な和紙を取り出し、シキの眼前へと突き付ける。
「読んでごらんなさい。それこそが、私の答えよ」
「答えって……まさかアンタ、中身読んだんじゃないだろうな?」
「それこそまさかね。仮にも最高機密な天上親書よ? 迂闊な事をして、大和と戦争だなんて望まないわ。コレに関しては、読まなくてもおおよその内容は予想できるっていうだけ。大体それは、他の誰かじゃ読めもしないのだから」
「? どういう意味だそれ?」
「言葉通りの意味。……そうね。もし貴方が問題ないと判断したなら、そこの二人にも読ませてみるといいわ。そうすれば分かるでしょう」
ヒルダがシキの後ろにいる二人の少女を見やると、一人は「見ていいの!?」とあからさまに身を乗り出し、もう一人は「少し興味あるわね」と控えめに身を乗り出した。
「マジかよ……」
前方の虎だけでも厄介なのに、後方に狼達が加わってしまった。
すっかり渋面となったシキは、眼前の紙筒を凝視する。なんだかこれを見てしまうと、もんのすごーく嫌な思いをする気がするのだが……。
嫌な予感に尻込みしているヘタレなシキ。すっかり攻守逆転したその瞬間を、ヒルダほどの百戦錬磨が見逃してくれるはずもなく。
「あらあらどうしたの? さっきは女性相手にあれだけ威嚇しておいて、"僕は手紙一つ読むのも怖いですぅー"って言うならやめてもいいけれど?」
「ぐぬぬぬ……! ん、んなワケねぇだろ楽勝じゃあああこんなモンッッ!!!」
もはや退路なし。
こんなあからさまな挑発すら聞き流せず、引ったくる様に紙筒を開け、中に入っていた手紙まで一息の内に広げた。
そこに書かれていたのは――
『やっほー! 一年後のシキよげんきいーぃ? キミの敬愛する、愛しき帝だよーーーん!』
「ぬあああああああああああああああっっっ!!?? やっぱりかあああああああああああああああ!!!!」
そしてシキは崩れ落ちた。




