静寂なる攻防
「だあーっ終わったあ! 終わっちまったあ!? もうヤダ大和帰るぅぅぅぅぅ!!?」
あっさりと正体を看破され、子供の様に絶叫しながらジタバタと地面を転げまわるシキに、マーシャが半目で呆れ返る。
「こうしてると、本当にガキねコイツ……」
この醜態に、昨日の神業を放った雄姿など見る影もない。
もしかしたら昨日のあれは、朧げな意識が見せた幻だったんじゃなかろうか?
なんて、この情けない姿を見ているとそんな事さえ考えてしまう。
(それにしても……)
少し、思うところがあった。
マーシャは、ヒルダの耳元へと顔を寄せる。
「ヒルダはコイツのこと知ってんのね?」
「ええ」
「何モン?」
「ふむ……」
女傑は少し考える素振りを見せたあと。
にやり、と。
あくまで優雅に。だが、少し悪戯っ気のある笑みを浮かべた。
「知りたければ、貴女も一度大和へ行ってみるといいわ。彼は有名人だからイヤでも名前を聞くことになるわよ。もちろんその"肩書き"と一緒にね」
「……だったら今は一つだけ確認させて―――信用できるの?」
「保証するわ。こうして特殊任務の報告に立ち会わせても、問題ないくらいにはね」
「チッ! なーによそれ。あーあ、どうしたもんかと気を揉んでたこっちがバカみたいじゃない」
「んん? ……ああ。私がその子を拘束すると思って心配してたのね。それで報告を誤魔化す算段でも考えていたわけ? ふふ、それは確かにおバカさんね」
「しんぱっ!? しししてねぇわよ!!」
反射的に否定したマーシャだが、真っ赤な顔は誤魔化せない。
――A級冒険者であるこの自分と互角以上に渡りあってくる、名前と大和人という事以外、素性も良く分からない正体不明な少年。
ヒルダと顔を合わせたが最後、彼女がそんな怪しい人物をただで帰すはずがない、絶対にひと悶着あると。
最悪、この場で一戦闘あるかと身構えていたがどうやらこの少年、己が思っていたより遥かにヤバいヤツらしい。
なにせあの、敵に対しては一切容赦のないヒルダ=グレーメルが、欠片も彼の事を疑っていない。
状況だけを見れば十分怪しい人物に思えるのだが、この女傑がそこまで信を置くからにはよほど確かな背景があるのだろう。
もっともその事実はシキにとっては、あまり好ましくないもののようであったが。
「ね……ねーえシキ? ももも、もういらないんだったらそのお面……わたしが貰ってもいい? ちょぉっと使ってみたいんだけれど……?」
「………………あげりゅ」
「うっし!」
今度はいじけて"の"の字を書き始めたシキに、挙動不審だったリナがお面をもらってガッツポーズをしていた。あんなもの、一体何に使うつもりだろうか。
「シキ君。キミは自分の"肩書き"が広まってしまうのを気にしてるのよね?」
気を落とす少年を見かねてか。マーシャの記憶にある限りいつにない穏やかな口調で、ヒルダが声を掛ける。
すると顔を落としたまま、反応が返ってきた。
「ああそうだよ……」
「だったらそんなに気を落とさなくていいわ。キミの事を誰かに話したりは、決してしませんから」
ヒルダの言葉。
マーシャの見立てではその内容は、シキにとって喜ばしいもののはずだ。そして実際にそうであった。
だが……いや、だからこそだったのか。
「――――――――あん?」
シキ表情からあらゆる色が抜け落ちていく。
虚ろに染まっていく中、絞り出すように唇が動いた。
「……なあなあヒルダさん。今のってさ……どういう、つもりだ……?」
何の感情も籠もらない、乾燥した口調。曖昧な問い掛け。
マーシャとリナにはまるで意味が分からなかったが、ヒルダは返答した。
「あら、信用できないと?」
「いいや。アンタほどの人物が約束を破るとは思ってない。守れないとも、思ってない」
「じゃあ、何をそんなに気にしているのかしら?」
「とぼけんな。分かってるだろ」
「ふふ。つまり君は、私がこう続けるのを危惧しているのね?」
あえて一呼吸置き、全員の視線が集まるのを待ってからヒルダは、歌うように言った。
「"君の事は言い触らさない。その代わり帝の君に――"」
――空気が爆ぜた。
そうとしか言い様のないほどの、爆発的な変貌だった。
無色であったシキの眼光が一瞬にして尖爪のごとく研ぎ澄まされ、真っ直ぐにヒルダを突き刺している。
視線だけで人を射殺せそうな瞳が、こう語っていた。
その言葉を最後まで言い切ることは赦さない、と。
明確すぎるほどの敵意の発露。
さっきまでのふざけた様子など微塵も感じさせない、超人の気迫だった。
「――チィッ!!?」
「――わああ……!」
マーシャは免れたと油断した直後の思わぬ展開に舌を打ち。
リナは弄っていた面から視線を外し、興味深げに感嘆した。
ただ一人……ヒルダだけが姿勢の一つも崩すことなく、空気の激流を受け流している。
「あら、まだ何も具体的な事は言ってはいないのだけれど。仮に今の続きを全て言ったとして、貴方の望みを叶えたその見返りを求める……それがそんなにおかしな事かしら?」
「それがオレ個人へのものだったならな」
刃のごとく細まっていた目が、見開かれた。
「だがな、それが大和。ひいては『帝』の御上にまで及ぶとなれば話が別だ。もしもこの件をダシに、あのお方に心労を掛けるつもりってんなら――」
その先は言うまでもあるまい。何せ、彼はすでに全霊で語っていた。
肉体どころか放つ言の葉一つ一つにさえ、気が練り込まれている。今や彼の呼吸は、大山に巣くう巨大魔獣のソレよりも熱く、鋭く、獰猛で。
眼前の人間を葬ることなど造作もないと。万の言葉を並べるよりも雄弁に告げている。
「もう一度だけ問うぜヒルダ=グレーメル。アンタ、オレに貸しを作って、一体どうするつもりだ?」
「…………」
ヒルダは答えない。
両目を閉じて深くイスに沈み込む姿は、反撃の言葉を熟慮しているようにも、あるいは怖気づいてしまったようにも見えた。
「なによ…………あれ?」
マーシャの背筋を、ぞわ、と寒気が伝う。
彼女の中のヒルダはいつだって即断即決の傑物かつ怪物で、あんなどっちつかずの曖昧な態度を取るところなど初めて見た。
シキがただの子供でない事などとっくに分かっていたことだが、まさかあのヒルダをしてもこんな反応をさせるほどのものなのか。
(コイツ……!)
マーシャの中でようやく、この少年の立ち位置というものが定まってきた。邪険にしつつも、どうして無視する事ができなかったのかも。
この少年……放置しておくには、あまりにも危険すぎる!
「………………」
ヒルダはいまだ沈黙のさなか。
シキは焦れる様子はなく、かといって圧を緩めることもなく、黙って返答を待ち続ける。
無音の攻防ともいえる静寂が、無限と思えるほどの数分続いた後――
「――――――――プッ」
痛々しいほどの静寂を破ったのは。
一筋の、笑い声だった。




