そして狸はずっと笑っていた。
――面に隠された表情の下。シキの内心では、忸怩たる思いが吹き荒れていた。
(くっそぉぉ迂闊だったぁ。まさかあのヒルダ=グレーメルと、こんな簡単に出会う事になろうとは……!?)
たまにやってくる冒険者の話とかを聞く限り、彼女は普段世界各地を飛び回っていて、今はギルド長の権限も代理人に譲ったらしい――――という話だったはずなのだが、どうやらガセだったらしい。
ペラペラと得意げに語っていた冒険者の顔を思い出し、拳を握りしめる。
(あんのホラ吹き野郎ぉ……! 今度会ったら鼻に生ワサビを突っ込んでくれる!!)
とにかくヒルダ=グレーメルと面と向かって話すのはヤバい。ヤバすぎる。
理由は一つ―――彼女は己の正体を知っている可能性が非常に高い。
なぜなら何年も前に、ただ一度だけの事だが……
シキは彼女と実際に顔を合わせた事があるからだ。
一言の会話もなく。当然自己紹介などありえなかったが、それでも彼女ほどの人物がすっかり忘れているとは考え難い。
加えて、彼女のとてつもない顔の広さだ。もし彼女が各地の重鎮達と世間話ついでに一言でもシキの事を口にしようものなら、それはあっという間に世界全土に駆け巡ることになるだろう。
つまりはその時点で、身分を隠したままの悠々自適な旅路は終わりを告げるということ。まだ始まったばっかりなのに!
それだけはっ!! それだけはなんとしても避けなければならない!!!
というワケで今更ながら顔を隠さにゃならぬと、なんかすぐ近くにあった『魔法仮面堂』というお店から秒で購入してきたのが、お世辞にも格好いいとはいえないまぁるい形をした狸の面。子供のイタズラ描きのような、独特な愛嬌があって大変に可愛らしい。
しかしその可愛らしさが目の前の女傑に通じるかどうかは別問題。
そこで、いっちょ仕掛けてみる事にした。
「やー申し訳ない! 情けないことにオレってばちょー小心者でさー。アンタほどの偉人を前に真正面から向き合うのにガチガチに緊張しちまってかなわなんだ。つーわけで、こんなナリだけど許してポンポコ?」
非礼を詫びているのか煽ってるのかよくわからない事を言った。語尾に合わせてぴょこっと手を動かすのが大切です。
かの名高きヒルダに対し、この言動。
(死にたいのかしらコイツ?)
ごく普通な感想を、マーシャは抱いた。
(なんか……ちょっと……可愛いかも?)
尋常ではない感想を、リナは抱いた。
いかにも胡散臭げな被り物を付けたいかにも怪しげな少年。そんな彼を、ヒルダは鋭い視線で見つめていたが……
「まあいいでしょう。大したことでもありませんからね」
幸いな事に、それをとやかく言うほど彼女の器は小さくなかったようだ。
「お? さっすがぁ! 話が分かるぅ!」
「ところで貴方の言動、まるでガロウ=ホウテン殿にそっくりね」
「……」
シキは沈黙した。
かつて絶対零度な氷の魔洞窟を探索している際、あったかぁーいお茶を入れて保温術式を掛けていた水筒をうっかり失くしてしまい、仲間たちからものすんごい目で見られた時と同じ気分になった。
「それでは、改めて話を始めましょうか」
ヒルダが肘を付いて両手を組み、場を仕切り直す。
それを受け、その場の全員が意識を切り替えた。
「まずはマーシャ。貴女に任せていた緊急依頼の報告から聞こうかしら」
「ん? こいつらもいる前で、言っていいの?」
「構いません。責任は私が負います」
「ふーん、それじゃ結論から言うけど――――"魔力観測部からの報告は事実だった"わ」
「ふむ……『彼』の安否は?」
「直接会って話してきたわ。命に別状はないみたいだけど、完全に回復するまで十日は掛かるそうよ。今の北の森は名前だけの伽藍洞。早急に手を打つ必要があるんじゃない?」
「そう……無事とは言えないみたいだけれど、とりあえず『彼』の身に大事ないようで安心しました。十日ね? 了解、さっそく指名クエストを出しましょう」
「ヒルダ。言うまでもないと思うけど――」
「分かっています。『彼』の代わりとなると、最低でもB級以上の高ランクパーティーが二組は必要ね。人選には、よりをかけましょう」
話が掴めないシキとリナは、揃って首を傾けた。
二人の会話が不穏な内容だということくらいは分かるが、具体的に何がどうなっているのかはさっぱりである。
シキはリナの肩を突っついた。
(なあなあ……『スクランブルクエスト』って何?)
(ん-とね、確か……"国の上層部から直接依頼される、極めて緊急性の高いクエスト"――だったかしら? 私も本で読んだだけだから、詳しい事はわからないけど)
(へぇー? 大和でいうなら、帝直々の依頼みたいなモンか。そりゃあ責任重大だわな)
どうやらマーシャはそんな重要任務を単身で請け負っていたらしい。その辺、さすがはA級冒険者といったところか。
(北の森って言ってるけど、なんか知ってるか?)
(ここから北にしばらく行くと、すっっっごく大きな森があるの! たぶん、そこの事なんだろうなーって事くらいしか)
(ふーん? その森で、国家級の何かがあったって事かぁ。大変だなぁ)
(ホントにねー)
まるっきり他人事として、のほほーんと聞いていた二人。お茶でもあれば、揃って口に運んでいただろう。
そんな二人を後ろに、マーシャはため息を吐いた。
「まったく……どこぞの馬鹿がドラゴンなんてぶっ飛ばしてくれやがるから、面倒な事になったわね」
「フヘエッッッ!?!?」
突然リナが奇怪な声を出し、全員の注目を集めた。
代表して、一番近くにいたシキが聞く。
「どうした急に? アヒルの首を絞ったような声出して」
「ふぇっ!? いいいいやあなんでもない! なんでもないわよぉぉぉ!?」
「……全然なんでもない感じに見えねんですけど……」
「いいからいいから! あー……マーシャ達は、そのドラゴンをぶっ飛ばした誰かさん? をささ探してるの?」
「そりゃもちろん。下手すりゃ、北の国からの刺客の可能性があるしね」
「彼のドラゴンはこの国にとって、北国からの攻撃を防ぐ大きな護りの一つだった。たとえどんな理由があったとしても、見逃す事はできないわね」
マーシャが当然とばかりに頷くと、ヒルダもギルド長の顔となって後に続いた。
そしてどうしてかリナの顔から、滝汗が流れている。
「そそそそーなんだー? あのーちなみにー? その誰かさんを見つけたら、どど、どうするつもりなのかなー?」
「そりゃ当然――――とっ捕まえて抵抗するようならボコボコにして最悪の場合ブチ燃やすわ」
「本当に北の刺客ならとりあえず拷問に掛けて、口を割っても割らなくても最後は処刑でしょうね。もし刺客じゃなければ、まあ――――向こう半年牢屋に放り込まれるくらいで済むんじゃないかしら?」
「…………」
炎と雷の魔力が、ピリピリと空間を走っていく。
現役A級冒険者と元S級冒険者が、殺る気満々の笑みを浮かべている。
そして本当にどうしてなのか、リナは真っ青になって口を閉ざしてしまった。
まるで犯人にめちゃくちゃ心当たりがありそうな反応だなー。とシキは思ったが、他人事だと思って黙っていた。
が――
「念の為、同盟国たる大和国の交易船にも密やかに状況を伝え、有事の際の協力を要請しておきました。何かあった時には、護衛の方々を数名貸し出してもらえるそうよ。その時はよろしくね?」
「…………へ?」
なぜかヒルダが、意味ありげにこちらを見ている。
なんだか……とてつもなく、いやぁな予感がするのですが?
そしてシキの予想通り――爆弾が投下された。
「『ホウテン流・天の第一席』シキ=テンリュウ殿?」
「や、やっぱりバレてるううううううううううううううううううぅぅぅぅぅぅっっっっ!?!?」
その日、少年の絶叫がギルド内に響き渡った。
狸の面は、相変わらず愛らしく笑っていた。




