第一次接近遭遇
……突如として顔面を左右から鷲掴みにされるという暴挙を食らったシキは、なんとなく世の理不尽について思いを馳せていた。
なぜこの世からは貧困や争いがなくならないのだろうか。
なぜ水や土、食料や鋼材……資源には限りがあるのだろうか。
そして、なぜ目の前で己の顔を両手で鷲掴みにしてくれてやがる少女は――
「ハアァ、ハアァ……ヤマトジン……! ハアァァァァァ……ヤマトジィン…………!」
今にもヨダレを垂らさんばかりのイッちゃってる表情で、こちらを嘗め回すかの様に凝視しているのだろうか――と。
(うーむ、これも資源不足がもたらす弊害なんだろか?)
だとすれば事態は深刻だ。
資源不足 =(イコール) 変態誕生!
などという新たな公式が発見されてしまう。
そうなった時のためにも、世界のお医者さまには是非とも頭の病気が治る薬を開発してもらわねばなるまい。急務だ急務。
現に、こうしていたいけな美少年が今にも身の危険を感じているのだから。
――なんてアホな事を考えながら、シキは視界に映る現実を直視しないようにしていた。だって女のヤバい顔間近でガン見するとかめっちゃ怖いし。
だっていうのに目の前の変態ときたら、ただ凝視するだけでは飽き足らず、むんず! っと鼻息が掛かる距離まで顔を近づけては「クンクンクンクンクンクンクンクン!」と発情した獣のごとく、匂いを嗅ぎまわし始めた。
当然ながらこの少女はマーシャでもなければクロでもない。間違いなく今初めて会ったばかりの、ツヤッツヤに真っ赤な他人である。
つまりは痴女だ。通り魔だ。やっちまっていいはずだ。
だが大陸初心者であるシキは、念のため確認しておくことにした。
一歩離れたところで「うっわぁ……」とドン引きしているマーシャに問い掛ける。
「まーひゃまーひゃ。(マーシャマーシャ)」
「……なによ? 健全な淑女たる私を、変態プレイに巻き込まないで欲しいんだけど」
「しゅふひょふぉみなふぁんにあやまらんふぁいふぁんめんふぁいやーほーるふぉんふぁ。ほれよひ、ほほはひひくにはひほほーいはふふさへふほほひふへほあふほは? (淑女の皆さんに謝らんかい顔面火球女。それより、この大陸には痴女行為が許される法律でもあるのか?)」
「あるわきゃないでしょそんなもん」
「おっしゃああああああああああああああああっ!!」
「――ふぎゃあああああああああああああああッ!!??」
返事を聞くやいなや、シキは即座にやった。具体的に言うと、相手の顔面を鷲掴み返してやった。
目には目を――歯には歯を――鷲掴みに鷲掴みを。変態相手に容赦なぞ無用。握りつぶしてくれる!
しかし少女は怯まない。一瞬は息を詰まらせたものの、すぐに吹き返してくる。
「いっだだだだ……! し、しまったぁ。匂いを嗅ぐのに熱中しすぎてうっかりしょうへきが……っ! で、でもぉ…………うふ、うふふふふなんのこれしきぃ……!」
しかも何故だか、ちょっと嬉しそうでさえある。
……なんだか背筋がぞわぞわしてきた。
これはあれだ。昆虫を裏っ返しにしてマジマジと足の付け根とか見てしまった時の、あの感覚に似ている。
端的に言うとすげぇキモい。
(こっわ!? コイツこっわぁ!?)
ちょっとこれは予想外と言わざるを得ない。
軽くやり返してやればおとなしく手を放すかと思っていたが、離れるどころか張り合うかの様にシキの顔を掴む指先にさらなる力が加わってゆく。
しかも――だ。
(イヅヅヅッ!!? こ、このオレにダメージだとぉぉぉ!?)
掴まれた頬骨がギリギリと軋む。たとえ岩石を叩き付けられようと、ものともしないはずの肉体が悲鳴をあげている。少女の細腕からは、まず考えられない怪力。
まず間違いない。この少女はなにか、肉体強化的な魔法を使っている!
「お、おもひれえええ……! じょうほーだよこんにゃろおおおおおお!!!」
だからといってシキも引くわけはなく、負けじと気を練り上げて少女の頬を掴みあげた。
「え!? にゃ、にゃにこのひから……!? す、すごぉぉい、おもひろいわぁ!」
それを受け。少女も一瞬驚いた顔をしたが、爛々と目を輝かせてはさらに身体を強化してやり返してくる。
傍目には見るに堪えない子供のケンカだが、実際に行われているのは意外とレベルの高い能力戦という、わけのわからない展開になってきた。
マーシャは思った。
(私いったい何を見せられてんだろう……?)
とにもかくにも。
こうなるとあとはもう、ただただ意地の張り合いである。
「ぐぬぬぅ……!」
「うぐぐぅ……!」
絶対に、こいつよりも先に手を離してなるものか――と。
「ぐむむむむぅぅ……!!」
「ふぐぐぐぐぅぅ……!!」
互いの指先に万力を込め。
「ぬぎぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃ……っ!!!」
「あががががががががァァァ……ッ!!!」
とにもかくにも引っ張っては引っ張り返す。
いい加減、どちらかのお肉が引き千切れてもおかしくはないと、見てる側が心配しそうな造形になってきた時――
バッチィィィィィィンッッッ!!!!!
限界を超えた互いの指が、互いの頬肉から離れていた。
解き放たれた頬肉は、伸ばし切ったゴムがそうなるように、自身の口内を思いっきり打ち据える。
「「イィッッタアアアアアアアアァァァァァァッッッ!?!?!?」」
なまじ強力な能力の応酬であったがために、半端な攻撃よりよっぽど威力の高い衝撃が、体の芯まで駆け巡った。
激痛のあまりバタバタと地面でのたうち回る二人に、未開生物の肉体言語でも見るかの様にしていたマーシャの冷ややかな声が降り注ぐ。
「…………………なにやっとんのアンタら……?」
しかし二人に答える余裕などなく。
ぷるぷると子鹿の様に足を震わせながら、ほぼ同時に立ち上がる。
「ぐぐぐ……く……くっくっくっ……! た、ただの変態女かと思ってれば、なかなかやるじゃねぇかお前……!」
「はあ、はあ……ふ、ふっふっふっ……あ、あなたもね……! まさか私の身体強化についてこられるとは思わなかったわ!」
そしてなぜか互いを認め合う空気になっていた!
「オレはシキ! シキ・テンリュウだ! よろしくなっ!」
「分かった! シキね! シキシキシキシキシキ…………うん! 覚えたわ! 私の名前は――――」
快活な名乗りの後、右手を差し出したシキに対し、少女は一瞬だけ目を閉じ…………何かを振り切ったかのように快活に名乗り返す。
「――――リナ! ただのリナよ! よろしくねシキっ!」
二人ががっし! と力強く握手を交わすのを見ていたマーシャは、もはや白目を剥いていた。
なんだか急激に脱力してふらつきそうになるのをこらえつつ、一つ決める。
「…………今日の夕飯は肉にしよう。サンドバッグ代わりにできそうなくらい、ガッツリとしたヤツを……」
うんまい肉は、あらゆる理解不能に対する特効薬である。
宿に戻ったら知りうる限りの肉料理をクロに注文することを、固く堅く心に誓うのであった。




