第35話「姉良子の逆襲 その2」
東名、名神各高速道路を使って、大阪までの道のり約600km強を、2人を乗せた車は平均速度150キロほどのスピードで走抜けた。約4時間半。途中サービスエリアで1度休憩を挟み、その売店でお菓子や飲み物などを買い込んでの旅は、学生時代の遠足を思い
出させるような懐かしさが真一にはあった。
良子は、運転する真一に缶コーヒーを、タイミングよく渡しては、真一が飲み終わるとすぐにまた自分が缶を受けとって、良子自身が買ったジュースには口を付けずにいた。
「良子ちゃん、俺は自分で持つから、ジュース飲んでよ。」
「危ないわよ、片手でなんか運転したら・・・いいの、それほど飲みたいジュースってわけじゃないから。ビスケットが美味しいわ。私ね、練り菓子屋の娘なんだけど、ビスケットの方がずっと好きよ。栄養士の免許も持っているしね、いずれは洋菓子のお店でも出したい。」
そう言って、真一の口にビスケットを一枚、ごく自然に差し入れた。
「は、どほも・・・ふみまへん」
ビスケットは丸く意外に大きかった。真一の口の中はいっぱいになって言葉がうまく出なかったが、
「小さなお口ね・・・」
と、良子は下を向いてクスッと笑い、今度は缶コーヒーを危険の無いように手渡した。
真一は車を運転するようになってからこれまでに、助手席に女性を乗せたことなどなかった。
一樹の持つ社交的な性格とは全く異なり、巷で言うところの<奥手>で、メカニック一筋、女には
目もくれない、と言うより、どう接してよいか分からないタイプであった。
しかし、良子を助手席に乗せて初めて分かったことは、意外にも、芦ノ湖で女性と抱き合っていた村井洋介の心であった。
あの時一樹は(・・・いや、そっとしておいてやろう)と二人の様子を見守るように真一が車から降りるのを制した。
その時真一には、一樹の心が全く理解できなかった。自分の姉との婚約を反故にした男とその相手の女性に、なぜ一樹は怒りを覚えなかったのか?自分なら恨みごとの一つでも吐き捨て、ことによったら、村井にパンチを食らわせていたに違いない。
しかし、真一は今、その時の一樹の心がなんとなくわかったような気がした。それと同時に村井洋介
への憎悪も幾分薄らいだ。
大阪インターを下りると、すぐに良子は
「真ちゃん、このままここに行ってくれる?」
と、10cm四方のメモ用紙を真一にそっと手渡した。そこに書かれた場所を見て真一は
「あ、あのぉ~・・・ここは」
「そう、一樹と有里さんの居る所。慌てなくていいのよ、真ちゃんは・・・」
良子はハンドバッグからコンパクトと口紅を出して、今までとはまるで違うキッとした表情になって、その薄い唇に紅をさし始めた。
真一はその良子のきつい雰囲気に、自分の軽い言葉も、あるいは真面目な意見なども全く受け付けない、厚い壁を感じ、車を一樹と有里の宿泊するビジネスホテルに向けて走らせて行くしかないと覚悟を決めるより他なかった。
真一が駐車場に車を止めて、エンジンを切るか切らないかの間に、良子は車を降りて、外に出た。
「あ~あ・・・疲れたぁ~」
と、大きく背伸びをした良子。上下に分かれたスーツの間から見える清潔そうなシャツの白さに、真一は強烈な眩しさを感じた。
「真ちゃん、今日は私の恋人になってね。ううん、冗談じゃなくて本気でそうなってね」
「ええと・・・、それは別にかまわないけれど・・・・・」
真一には、良子がこれから一体何をしようとしているのか。それが少しずつ分かってきた。
「良子ちゃん、ひとつ聞いてもいいかな?どうしてここに来ることになったの?誰に聞いたの?」
「簡単でしょ、そんなこと。世の中にはね、探偵ってお仕事があるのよ。たくさんお金がかかったの。貯金、み~んなはたいちゃった・・・」
良子のその目は涙で潤んでいた。
「うん、いいよ、恋人になる。いや恋人にならせてください。俺の方からお願いします。しかし、」
「しかし、何?」
「うん、しかし、もしも村井さんに復讐とか、その相手の女性にそのぉ・・・」
「ばかね~、心配しないで。そんなことはしないわ」
良子は下を向いてクスッと笑った。真一の前で良子はいつもそんな風に笑うのだった。
「ただね、真ちゃん、言うだけのことは言わないといけないのよ。私30歳よ。若い子が興味本位や話の種にお見合いしたわけじゃないのよ。風采の上がらない、それほどの学歴もない男性と結婚を前提としてお見合いをしたの。好きになろうとしたのよ。どうしてか分からない。けれど、この結婚のことを調べていくうちに・・・」
良子はそこで黙った。
「調べていくうちに?」
真一が良子に聞こうとすると、駐車場のフェンスに沿って小走りに走っていく男の姿が目に入った。作業服のような物を着ていたが村井洋介であることはすぐにわかった。
「村井さんっ!」
良子は一喝、と思えるほどの強い口調で村井を呼びとめた。
村井は走っていた足の速度を緩め、声の主の方に顔を向けた。
良子は、村井の方へ足早に歩いて行った。真一はその後ろを、追いつくまでになるべく時間がかかるよう、ゆっくり歩いてついて行った。
(恋人になるんだよな?・・・俺は)
真一はゆっくり歩きながらそんな風に自分に言い聞かせていた。
村井洋介は、その女性がかつての見合い相手であることがわかるまでに多少の時間を要した。
それは、良子の顔にかつて見た穏やかな表情の影がまるでなかったからだった。
「私のこと、お忘れっ?!」
洋介ははっとして
「いえ・・・その、なぜあなたがここに?」
「そんなことはどうでもよろしいの。今のフィアンセにここまで連れて来てもらったのです」
と真一の方を振り返った。真一は少し離れた位置から洋介に軽く会釈した。
「その節は大変ご無礼をいたしました。心よりお詫び申し上げます。すみませんでした。ご結婚なさるのですか?おめでとうございます・・・」
「どうも、ありがとうございます。あなたから結婚を断られた時はショックでしたが、その後、私はあなたとのお見合いにも、結婚のお話にも、全てあることが関係していたということを突き止め驚きました。あなたもある意味、被害者でしたのね」
良子は小脇に抱えたA4程の封筒から20枚ほどの綴じられた書類を抜き出し、村井洋介にそっと渡した。
その書類に目を通し始めた洋介の肩が、所々でブルッと震えるのが二人から距離をおいた真一にもわかるほどだった。
「最初から、私と結婚などする気持ちなんかなかったのですね。それは・・・、それは人間のすることではありませんわ。あなたが今ご一緒している女性、とても重要な立場の方であることも調べてあります。あなたはその方を愛されているのですか?」
洋介は険しい表情の中からも、良子のその問いかけには、
「愛しています。ですから、このような形で逃げているのです。通報なさいますか?」
「いいえ、しません。私はあなたがその女性を心から愛しているからこそ、このような危険をおかしてまでもご一緒であることがわかればよいのです。私はあなたから愛されませんでした。しかし私もあなたを愛していたか?と問われれば、答えはノーです。お互いに縁がなかったということなのですね。でも、これで私はきっぱりとあなたのことを忘れることができます」
良子はその書類を洋介に渡したまま、その場から真一の方へ戻ろうとした。
「良子さん・・・いや、浅田さん、ありがとうございました」
良子は洋介に背を向けたまま一瞬立ち止まったが、そのまま振り返ることなく、真一と仲良く手をつないで車の方へ戻って行った。




