第34話「姉良子の逆襲 その1」
田中邸の電話が鳴った。
「はい、田中でございます。」
田中利一の同居人、早川浩子は物静かな応対の姿勢を崩さなかったが、実はその直前まで泣き崩れていた。田中の安否を心の底から心配していたのはこの浩子だけだったかもしれない。一睡もしていなかった。
「心配かけましたね・・・少ししたら戻るから、風呂お願いします」
「よくご無事で・・・」
浩子はその後の言葉が嗚咽で詰まった。
「おいおい君、そういうのは私のスタイルに合いませんよ。さっぱりと迎えてくださいよ」
田中はその実、嬉しかった。しかし浩子のそういう女臭いような態度に具体的な答えが見つからない。有里に対しても同じく、自分との関わりを踏まえたうえでの対応ができなかった。それが有里との確執を生んでいる原因でもあった。
田中は帰国後、その足で警視省に向かい、いつか一樹たちを案内した部屋に集まっていた5人ほどの金バッジ付に、ハイジャック犯の人数、年齢、特徴そして、降り立った国が一体どこであったのか、などを説明した。
「レイ・ルヒと何か関係があったのかね?」
70年配の太った男が静かに聞いた。
「偶然ではないかと思います。機内ではそのような話しは一切出ませんでした。」
田中は手短に答えた。早く自宅に戻りたかった。
「レイ・ルヒと、その、なんだったかな、君の親類の男の行方はどうなっているんだね?」
男は続けて聞いた。それには、警察関係者らしき別の男が答えた。
「依然、行方不明です。おそらく大阪ではないかと思います。」
「大阪?・・・なんで大阪なんだね、田中君、説明してくれんか?」
田中は、村井洋介の祖父母について、ここでは伏せておこうと思った。
「当初より、レイ・ルヒは大阪の仁醍王陵墓古墳を訪れることになっておりました」
やはり田中は聞かれたことに最低限の言葉で答えた。
「田中君、君も知っての通り彼女はね、お忍びで来日しているわけで、その目的は東西南北、そんな大それた問題ではなく・・・いや、とにかくレイ・ルヒを一刻も早く見つけ出してだね、帰国させてしまいたいのだよ」
男の口調は相変わらず物静かであったが、雁首そろえた他の数人の顔は一様に、困惑を隠せない、と言うよりは、田中の無事を誰一人として喜ぶ者などいない・・・部屋はそんな空気に包まれていた。
真一は、東邦工業の仲間に連絡を取り、有給申請を会社に出してくれるよう頼むと、早速、ローテリー軽に乗りこんだ。
すると、運転席の窓を、一樹の姉良子がコンコンと軽く叩いた。真一は窓を開けた。
「おでかけ?」
良子は子供のころからの幼馴染ではあるが、6つも年上で、いつも面倒をみてもらっていた。それこそ下の世話まで・・・真一には実の姉もいたが、良子は実の姉より頼れる、しかし女としても意識の対象となりえる存在だった。それゆえ、近年は話すことに
僅かながら気恥ずかしさもあった。
「少し遠出になるんですよ、プライベートなんですが」
あえて一樹のことは伏せておいた。
「そう・・・」
良子は少し考えてから、
「私も一緒に行ったらいけない?一緒にと言っても真ちゃんが行くところまで乗せて行ってくれるだけでいいのよ。それとも、一緒に行く人、いるの?」
「そんな人いませんよ、いるわけないでしょ・・・」
真一はなぜ自分がムキになってそこまで否定しているのか、わからなかったが、もしかすると良子と一緒に行きたい気持ちが心の片隅にないとは言い切れないからかもしれなかった。
しかし、大阪には一樹がいて、何やら煩瑣な出来事に巻き込まれている様子。
「俺は向こうで多少の用事があって、一緒にはいられないと思うけれど、つまり、良子さんが一人旅とか、そんな感じで行きたいのなら、行先は大阪なんだけど・・・」
「うん、大阪・・・一度行ってみたかった。乗せて行って。支度してくる」
「おばさんたちにも、俺と一緒だからって、言ってよね・・・」
良子はOKサインを出し、身支度をするため自宅に入って行った。
「傷心を癒す旅・・・か」
真一は芦ノ湖で目撃した、良子の婚約相手であった村井洋介と女との抱擁を思い出した。
良子の周りで、それ以後どのような変化があったのか、良子自身はそれによってもたらされたかも知れない婚約破棄という屈辱にどのような思いでいるのか・・・
真一が見る限りにおいて、良子の日常に大きな変化は無いように思えた。
ほどなく、2人を乗せたローテリー軽は大阪に向けて出発した。




