第33話「無鉄砲」
「こういうことになると、必ずいつも父の出番なのね、命令されて行くのではなく、自分から行くの。今回もそうなんだわ、きっと。何しろ戦争から戻っても、相変わらず菊のご紋とは縁が切れない立場の人らしいわ・・・可哀そうな人生ね。」
有里が一樹の部屋に来てそんなことを言った。
「しかし、驚いたね。真一に問い合わせたけれど、やはり君のお父さんに間違いないようだ」
一樹も有里もテレビの中継を観てはいたが、喫茶店のテレビ画面は小さく、有里がかろうじて
その人物が自分の父親、田中利一であることを確認したのである。
「生きて帰って来るかしら?」
有里はそう言って、溜息をついたが、どこかに不敵な笑のようなものを浮かべたのを一樹は見逃さなかった。
「君、今ちょっと笑わなかったか?」
「笑った?私が?笑ったかもしれないわね・・・」
「・・・」
「浅田君はさぁ、自分のお父さんと話さない日って、今までどのくらいあった?」
「ウチは君も知っているように、練り菓子屋だろ?だから、学校から帰っても、父さん、いや父も母も仕事場にいたし、俺も手伝ったから、修学旅行とか、そんな時くらいかな?言葉を交わさないなんてのは。まあ、そんなに多くは話さないけれど、ほとんど今でも毎日少なくとも一言二言は話すよな」
「私はね、前にも言ったように、父と会ったのは成人した後で、それまでは父はいない、って言われてきたの。警察官になってから初めてその存在が明らかになって、その後は仕事のパートナーみたいになってしまったでしょ?父親という気持ちにはなれないのよ。上司とか命令を下す人・・・それだけよ。父親らしい言葉なんか一度も掛けてもらったことはないの。
これからも、父と娘の関係にはならないわ」
一樹は途中で買った日本酒の瓶詰を飲みながら、有里の話を聞いているしかなかった。
「私にも、お酒飲ませて・・・」
有里は一樹に甘えたような声で言った。有里のそういう態度を観たのは初めてだった。
「あ、ああ・・・もう1本あるから・・・」
「いいわ、その浅田君の飲みかけで・・・」
「あ、ああ・・・一口飲んじゃったけど、いいかい?」
「いいわ、一緒に飲みましょうよ、お祝いよ」
「お祝い?それはどうもなあ。君のお父さんの無事が・・・つまり・・・」
「大丈夫よ、簡単に死ぬような人じゃないんだから。頭がよくてえ、権力があってえ、女に優しくてえ、そして・・・無鉄砲!」
有里はそんなことを口走りながら、グビリと日本酒を一口飲んだ。
「ああ~、美味しい。本当に日本酒って美味しい!」
実に旨そうに飲む有里を見て、一樹は哀れ以外の感情を抱き得なかった。
数時間後テレビ報道は、一斉に、ハイジャックされた飛行機と田中利一の、無事帰還を報道していた。
有里は飲んだ日本酒と疲れから、眠ってしまっていたが、一樹はあえて有里を起こさず、そのまま自分が有里の部屋に移動し夜を明かした。
翌早朝、同じホテルに泊まっていたレイ・ルヒと村井洋介は早々にチェックアウトした。
9時すぎに目覚めた有里は、自分の部屋と勘違いし、着替えを始めようとして、はじめてそこが一樹の部屋であることに気づいた、そのとたん、ドアがノックされた。
「ちょ、ちょっと待って・・・浅田君?」
「ああ、荷物を、君の荷物を持ってきたよ。ドアの前に置いておくから着替えたら部屋に来てくれ」
「うん、ごめんね、サンキュ」
20分後、着替えが済むと、有里は軽く化粧をし髪を整え一樹がいる自分の部屋に戻った。
「眠れたかい?」
「知らないうちに気を失ったって感じよ、へへ・・・ごめんね」
「夕べ、お父さんが無事帰国したようだよ、良かったね。すぐに起こそうと思ったが」
「うん、帰ってくるとは思ってた。無鉄砲だけれど、計算高い人だから」
「それから・・・いや、まあいい」
一樹はそれより、有里にあることを報告すべきかどうか迷っていた。
「何?(まあいいや)って」
「うん、とりあえず食事に行こう」
「変なの。でも、いいわ。父も帰って来たし、私も一安心だから」
「やはり、心配してたんやな、親子やなぁ・・・」
一樹のまったく板に付かない大阪弁に有里は笑いながら
「大阪弁?何かしっくりこないわね、浅田君」
そんな風に言った。
早朝一樹は目覚めのコーヒーをホテルの自動販売機に買いに行った。
その折、缶コーヒーを機械の受け口から取り出して部屋に戻る村井洋介の姿を見たそれは、いつものような5秒前の光景だった。
なぜすぐに、自分はそのことを有里に報告しなかったのか。一樹にはわかっていた。
もうレイ・ルヒと村井洋介のことはどうでもよかったのだ。
レイ・ルヒは巷で密かに噂されているような要人ではない。東西問題などと言うが、そのようなものは果たして実際どこかの国によって解決するものであろうか・・・
そんなことはないのではないか。むしろ、この一連の動きの中には、違う目的を含んだ日本内部の問題が存在するのではないのか。
戦後のベビーブームに生まれた一樹たちの世代は、例えば中学校の1学年が1クラス50人で9クラス450人、と言うまったくどの個人も個性など尊重されない、それぞれが集団に埋もれた世代であった。その中で祖国を愛する若者たちの存在、あるいは祖国を捨て、ハイジャックまでして、他国に理想を求める集団・・・
祖国とは何かなのか・・・
一樹はその時陰に隠れ、レイ・ルヒと村井洋介の乗ったタクシーのナンバーをひかえた。
しかし、それを有里に伝えることはなかった。




