第23話「叱責」
ある日曜の午後、田中邸に呼ばれた、一樹の姉の婚約相手だった村井洋介は、てっきりレイ・ルヒの警護状況について田中から詳細を聞かれるものであるとばかり思い、その状況を書き留めた報告書を携え、応接室で田中の入室を待った。
応接室は何の飾り気もなく、たった一枚の先代の肖像画が暖炉の上に立てかけられていた。
絵画にすると50号くらいのもので何の意味もなく、かえって無い方がよほど、この部屋をシンプルで趣のある空間にするであろうに・・・と洋介はこの応接室に呼ばれるたびにいつも同じことを思った。
洋介が田中邸に着いてから、およそ10分後に田中利一が応接間に入ってきた。
「待たせたね、いろいろご苦労様」
一言言うと、そのまま洋介と対面するソファーにゆっくりと体を沈めながら、天井を向いて
「ああ、そうそう・・・」
と、何か話を切り出そうと、前置きの咳払いにも似た無意味な言葉を発した。
「レイ・ルヒは無事です。ただ、怪しげな夫婦者が、どうも私の滞在中に私とレイ・ルヒを遠巻きに監視しているようでしたが、私が芦ノ湖のホテルを退去する日に同じくホテルをチェックアウトしました」
「ああ、そう・・・」
田中の反応は上の空であった。
「レイ・ルヒは、本当に東側に狙われているのでしょうか?私の警護した限りにおいては、それはほとんどありえないようです。今後の流れとして、わざわざ一国家の介在なくしても、この問題は自然淘汰、という形で解決をみる、そう思うのですが」
「君は・・・アレかね、見合いした相手に結婚断ったそうだが、何か気に入らない点でもあった?」
田中利一と夫婦同然の同居生活をする早川浩子が、コーヒー好きのご主人と洋介に、入れたてのコーヒーをサイフォンに入ったまま、カップと一緒に運んできた。
浩子は洋介に、
「お久しゅうございます」
と笑顔を見せて、すぐに部屋を出て行った。その笑顔は、最近どこかで見たような気がして、洋介はそれがどこであったのか思い出そうとしていた。
そんな様子に利一は
「何とか考え直すことはできないのですか?気立ての良いお嬢さんではあるし、私の立場も考えて。紹介相手は少々断ると困る人間でもある・・・」
言葉は柔らかいが語気は明らに、洋介に(許されんよ)という威圧感を与えていた。
「レイ・ルヒについてのお話ではなかったのですか?私の結婚については、すでに浅田良子さんに、きっぱりとお断りをいたしました。今更そのお話を・・・」
洋介が言いかけると、
「レイ・ルヒはいかんよ!君・・・ローマの休日の結末は悲しいですよ、ね、君」
「えっ?レイ・ルヒ?」
洋介はその瞬間、先ほどコーヒーを運んできた早川浩子の笑顔に似た笑顔を見た場所を思い出した。
「見張られていたのは・・・私だったのでしょうか?」
「何の話かわかりませんが、とにかく、東邦工業の・・・」
田中利一は言いかけて、言葉を変えた。
「浅田良子さんとのお話は、私がもう一度お願いし直しますから、君は私が連絡したら、彼女と会ってください。そして、結婚するのです」
「それは、ご命令でしょうか?ご希望に沿いかねるかもしれません」
「ようく考えてください。相手に何の落ち度もないにもかかわらず、一方的に婚約を破棄するなど、人間のすることではないでしょう」
確かに利一の言うとおりであった。
自分が良子との縁談を断った背景には、レイ・ルヒへの思いがあった。一目惚れであった。
「少しお時間をいただけますか?」
「構いませんよ。異国の王女様のことは忘れてください。あなたのためです」
帰り際、玄関まで送りに出た早川浩子に洋介は、
「芦ノ湖で、あなたの妹さん・・・でしょうか?たぶん。お会いしましたよ、あなたに似てお綺麗な方でした」
そう言って浩子の顔色をうかがった。
浩子は否定も肯定もせず笑顔を見せただけだった。




