九 覗き
良くも悪くも、一日目は大して何もせずに終わる。起きたのがだいぶ昼近くだし、家を出たのも正午過ぎ。長い移動時間の後はしっかり疲れをとったほうがいいだろう。
「ここ温泉あるってよ?!」
ホテルのロビーに戻ると、温泉の自己PRポスターのようなものが壁に貼ってあるのに気がつく。
「京都温泉の歴史!」
などと書かれているが、死神はただ子供のように温泉自体にはしゃいでいるし、しょうじは新しい情報が多すぎてこんなものを読む気力がない。
「じゃあね~」
死神と男湯女湯に分かれる。
脱衣所は意外に狭い。一度に十人程度しか入れないだろう。部屋にも露天風呂がついていた気がする。そのせいかもしれない。
しょうじは全裸になり、ゆっくりと風呂場の扉を閉める。冷たい空気が全て抜けて、水気に包まれる。
どうやら露天風呂がある様だ。
先にしっかりと体を洗い、外の湯につかる。
普通、外の温泉と言えば生ぬるく、少し残念な温度かもしれないが、ここは違う。
つま先から伝わってくる熱が、水面に滑り込む足を包む。肌が焼けるような痛みと同時に、疲労が取れていくような気がする。
あんまりマッサージを受けたことのない人が、指圧に痛みを覚えながらも我慢して治療を信じるときのようだ。
足が熱さになれると、一気に膝から肩まで潜る。体全身の毛に空気の泡が付着し、膜のようなものができている。
「気持ちいい……」
しょうじは小さくため息を吐いた。
「ショージ、そっちはどーおー?」
仕切りの向こうから死神の声が聞こえる。彼女も一人の様だ。
「ちょっと熱い」
「うちも~」
「お前ちゃんと体洗ったか?」
仮にも女性な彼女にこれを聞くのは変だったかもしれないが、常識があるようでないような女だ。
「洗ったに決まってんじゃん!うちそんな馬鹿じゃないから!」
このとき、しょうじはあることに気がついた。
体を洗ったということは、死神は今、すっぴんなのではないか?あの大量のギャルメイクの下は、いったいどんな顔何だろうか。
「まてよ……今、一人だって言ってなかったか?」
死神なら、覗いても法に触れないのではないか?そう思うしょうじであった。
「仮にも死神になってからの年齢はババアなわけだし……」
ちょうど、露天風呂の竹囲いの壁の隅に、いくつか岩を積み重ねた装飾品がある。
しょうじの企みが始まる。
まず、岩の装飾品を動かせるかどうか試す。しょうじは腰にタオルを巻き、素手で踏ん張って押したり引いたりしたが、びくともしない。力が足りないのか、くっ付けてあるのか。
それらを動かすのは諦め、装飾品の上から登ることにする。覗きが居るのを分かっているのかのように、装飾品のところだけ竹の壁が高く作られているので本当は違うところに動かしたいのだが、何とかするしかない。
あたりを見渡すと、休憩用のプラスチックの椅子がある。しょうじはそれを持ち上げ、装飾品の上に置いてみる。手で下にぐっと押してみるが、やはり安定せずグラグラしてしまう。固定するものが必要だ。
そこでしょうじはいくつか桶を持ってきた。うまく隙間に押し当てることである程度椅子の安定を確保しながら高さを上げた。これでもまだ足りないだろう。
「ふう……」
死神のため息にしょうじは一瞬動きを止めた。
その後すぐにしょうじはサウナに入り、ベンチに敷いてあるタオルを全て回収する。そのタオルをせっせと結び、長いロープのようなものが完成する。
「これを引っかければ……」
しょうじはロープ上のタオルを手に持ち、椅子をよじ登る。肘掛けの上グラグラと立ち、腕を伸ばす。鞭のようにタオルを投げ、一本だけの長い竹に輪を引っかけることに成功。しょうじは引っ張り、自分のことを持ち上げた。腕全体と足を使って壁にくっ付き、竹を抑えながら壁を乗り越えようとする。その時に思わずつま先が椅子を押してしまい、桶と一緒に倒れてしまう。もう安全に戻る方法がない。
バッシャーン!
椅子と桶が水面に浮かぶ。
「ショージ?大丈夫?」
ギャルが心配している。
こちらを見ているかもしれないと思い、しょうじは手を止める。だがタオルはもう反対側から見えてしまう。見つからないことを祈る。
だが、ここで死神に答えてしまえば壁を上っていることがバレてしまうし、何も言わなければ本当に何かがあったと心配をかけてしまう。
「仕方ない。諦めるか」
そう思ってしょうじは腰に巻いていたタオルを床に落とす。その上に着地して滑らないようにしようということだ。とはいえ、岩の上だから痛い。
うまく降りられるかな……そう思っていた時。
ブチッ……!
しょうじの持っていたタオルロープが切れる。
あまりに突然なので、彼は壁を掴んでおらず、短い自由落下が始まる。
落下中、しょうじは確かに黒い影を見た。それよりも、次の瞬間に黄色い何かが超高速で通り、落下が止まる。
「ショージ、大丈夫かって聞いたのに。何よこれ!うちを覗こうとしてたってわけ?サイテー」
彼を助けたのは死神だった。彼女の顔は今まで通りで、メイクも当然残っている。何なら服まで来ていて髪も乾いてるし、風呂に入った形跡すら見えない。
だが、浴衣がとても素晴らしい。なんと言おう、死神にもプロポーションがあるのだ。
「えっ?メイクが……」
「ああこれ?ほら、死神は死んだときの見た目って言ったでしょ?うちメイクしてて死んだから絶対取れないってわけ。魔界のメイク道具の効果もあるけど、温泉ごときで取れないわよ」
「そういうことか……すまん。そしてありがとう」
「ううん。次やったらソッコー殺すかんね。てか、壁の上に死神が見えたんよ。絶対あんたが覗こうとしてるところを狙って殺そうとしたんだと思う。うちが担当してる以上、『事故』でしか殺せないしね」
死神はそういうとしょうじを離した。しょうじの身体はそのまま風呂の中に沈む。今更だが、自分のプライベートエリアを手で覆い隠した。いろんな理由で体が熱い。
風呂上りの二人は布団の敷いてある部屋に戻る。死神はまだ少し怒っているようだ。
明日には機嫌を直してくれるといいが……
二人は布団に潜り、次の日に備えてぐっすりと寝た。
「くっ、恥ずかしいし、見られなかったし、後悔だらけだ……」
しょうじは心に恥と後悔を抱えて寝返る。目の前にはしょうじに背中を見せて寝る死神が隣にいる。
「少なくとも浴衣を見られたし。聖水でもぶっかければメイク取れるか?お寺の水とか。明日やってみるか」
しょうじはもちろん明日予定のことを考えながら寝た。
一日目終了。
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