三十二 バケモノ
「ねぇショージ、あの子って……」
死神が指さす。高架下の中央にぽつりと立つ、ニコニコした幼女。
「ああ。さっきのだ」
しょうじは唾をのんだ。少女のにっこりした笑顔が、どこか落ち着かない。特定できぬところから湧き上がる感情。この不安。
すると、少女は突然かがんだ。前にのめり、背中を突き上げる。
しょうじと死神は次の衝撃的なことに背筋が凍った。
女の子の背中が卵を産む女王蟻の腹のように膨れ上がり、薄く伸ばされる。中には黒い渦が巻いていて、大きな背中の袋に少女は押しつぶされそうだ。
「なんだよあれ。蛹っぽいな」
「これって……」
死神が前方の変形を観察していると、背中の袋が真っ二つに割れた。
少女の身体はもぬけの殻のようにぐったりと地面に寝て、皺くちゃになってしまった。対し、中から這い出てきたのはおおよそ三メートルの黒い豆のような形をした何か。いびつな四肢が生えていて、大きな口がいくつも着いている。
「人食獣?!そんな、地獄からは出られないはずなのに……」
死神が恐怖に満ちた表情で指をさす。死神は他人に姿が見えるようにするのを止め、瞬時に鎌を取り出した。力を込められた鎌は変化し、より鋭く、より大きくなった。
「き、気持ち悪いな……」
しょうじはホラー映画に巻き込まれているような気分だった。目の前にいる者が信じがたいという。そもそもとなりの死神以外の死神ですら見られなく、妖怪も視認できないのに、なぜこのバケモノだけは見えるのだろうか。
「こいつは人食獣だよショージ。地獄に送られた者を食べ続ける、恐ろしい奴。マジこんなところにいるのがあり得ない。嫌な予感しかしなくってギャル口調忘れちゃったし」
鎌を持ち変え、握りなおした。死神に比べ、しょうじには武器がない。スマホを投げつけるくらいだろうか。すぐに飲み込まれてしまいそうだ。
「俺はどうすれば?」
「こいつが人のいるところに出たらマジやばいよ。あとこいつらバカだからね、多分ここまで連れてきた死神がいるとうちは思ってんだよね」
「その死神をぶちのめせばいいんだな?」
「ばっかじゃないの?ショージまでバカなの?その死神がショージを殺すためにこんなことしてるに決まってんじゃん!」
「た、確かに……」
黒豆の怪物が気づけばいない。
「どこ行った?まさか人のいる方へ?!」
そんな予想は間違ってはいなかった。しょうじを数えたならば。
ヨダレが一滴、コンクリートに垂れる。ゆっくりと見上げると、太い爪で鉄の天井を掴む怪物がぶら下がって待っている。
「ショージ下がって!」
死神が鎌を頭上に掲げると、圧し掛かろうとしてきた人食獣を薙ぎ払う。死神特性の鎌はよく効くようだ。深い傷と共に黒い血液がポタポタ垂れている。死神は怪物をしょうじに近寄らせないように努力しながら、鎌で威嚇しする。
「ウルルルルル」
喉を鳴らすような音と共に、怪物の方から耳鳴りのするようなキーンと言うおとが聞こえる。
「ショージ,、しゃがんで耳塞いどいて!こいつ歯をすり合わせてどんな人間でも頭がおかしくなっちゃう音出すから!」
しょうじは説明を最後まで聞かずに耳を塞ぎ、しゃがみ込む。手を震わせながら耳に押し当てる。
「残念だったわね、デカブツ!それ死神には効かないのよ!」
死神が鎌を横に広げると、みるみると大きくなっていき、バスほどの長さになっていた。
「ふんっ!」
死神が両腕を使って鎌を振ると、怪物の中央をスパンと爆速で切り裂き、疾風とともにしょうじの頭の上まで一周回った。
怪物は音を立てずにその場で倒れ、大きな体が瞬時に灰と化した後、風に乗って飛ばされてしまった。
「もういいよーショージ」
死神が鎌を小さくし、背中に張り付けたと思うと鎌は消えていた。
「良くここらへん一帯ぶっ壊さなかったなあんなデカいので」
しょうじが立ち上がって頭のてっぺんを触る。髪の毛があるだけなのだが、風のせいでさっきの鎌が当たったような感覚で気分が悪い。
「生き物にしか当たらない鎌だからダイジョーブ!」
死神は親指をピンと上に立てる。
「それ俺も危ないじゃないか」
「でも当たってないっしょ?うちってばナイスコール!この方が便利なのよ、隣の部屋からターゲットを殺したり、ターゲットがいっぱいいるときにぶん回したり……」
「物騒だな。じゃあ例えば、ターゲットが他の人を盾にしたら?」
「うちのこと見えないように隠れてるから殺されるタイミングわかんないよ。いつも死角に隠れてるんだもん。もしそうなったなら、ミッションを受けた時点で解除するまで鎌はその人しか傷付けられないから。さっきのショージはごめんね?あの人食獣はターゲットにできないからさ」
「いいさ。あそこで死んでも、お前は仕事が達成できたってことだし」
死神はその言葉に少し驚いた顔をした。初日には自分が殺されると信じられなかった男が、今は殺されても、死神の成功を祝うというのだ。
「いいの?ショージはそれで。もしうちが気分変わって今すぐ殺したら?」
しょうじは少し警戒した。死神から逃れられない、一週間後、もうすでに後三日だ。しかし、死を受け入れてなお、生きることができないと分かっていて、体が生きたいと言っているのだ。
「良くはないさ。そもそもまだ死にたくないしな。でも思ってたのと違ったんだよ。死神ってだまぁーって人を殺す冷たくて恐ろしい奴だってさ。だからお前になら殺されても良いんじゃないかって思っちまってる。心残りだらけだけどな」
「何そのバトル漫画みたいなセリフ。おまえにならコロサレテモいーぜぇ」
死神が低い声でしょうじの真似をする。
「俺ってそんな喋り方なの?!」
「しっ!」
しょうじは突然死神に黙らされてしまった。彼女の手がしょうじの唇に当たる。早く手をどけてくれないと立っているのに立ってしまいそうだ。こいつごときに、ぐぬぬぬぬ……
死神が手を放したかと思うと、ある陰に駆け寄り、両手を合わせて空を殴った。




