5・故郷への想い
「ここは空気が悪い。 場所を替えないか」
女生徒たちに顔を向けるわけにはいかず、イコガはわざと空を見上げて、そう言った。
「ん、そうか?」
同じように空を見上げたアゼルを、セリは本当に鈍感な人間なのだと気づいた。
「あ、あの、じゃあ、私の家に行きませんか。
すぐ近くですので」
セリの友人であるマミナの家は飲食店である。
おっとりとしている彼女自身も有償の学校に通う裕福な家の子供なのである。
広場の近くにある彼女の両親が経営する店は、こじんまりとしているが、貴族も利用する高級店だった。
「お願いしようかな」
店の名前を聞いたイコガが頷き、マミナに従って歩き出す。
その店に親の許可なく入ることが出来ない女生徒たちは悔しそうに見送った。
個室のある店だった。
「アゼル様はイコガ先輩と、その、ご友人でしたのね」
二人を前に、マミナがほんのりと赤い顔のままで話し出す。
目の前に置かれたお茶の味は、以前イコガと飲んだものとは違う味がする。
「うん。 コーガは僕より年上だけど仲は良いんだよ」
アゼルは大きな身体とは裏腹な無邪気な声ではしゃいでいる。
その横でイコガは黙ってお茶を飲んでいた。
セリは、チラリとイコガの様子を窺う。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
セリはただ『ウエストエンド』のことが知りたかっただけなのに。
不機嫌そうなイコガの態度が気になる。
「君は早く家にもどったほうがいいだろうから」
イコガはセリに向かって早口でしゃべり始めた。
「は、はい」
「君のお祖父さんは君たちをウエストには連れて行かなかったんだね」
他の町へは連れて行ってくれたが、何故かウエストには行っていない。
「ええ。 行った記憶がありません」
行ったのがあまりにも幼い頃だったということもあり得るが、少なくとも祖父は明言せず、セリも覚えがない。
「なるほど」
しばらく目を伏せ、そして顔を上げたイコガは、ここの席にいる者を見回す。
「申し訳ないが、他の誰にも言わないと約束して欲しい」
セリはイコガの厳しい態度に息を呑んだ。
「ウエストは農業都市だ」
アゼルは当然だという風に、マミナも覚えたばかりなので頷いている。
「しかし、人口は他の都市に比べると極端に少ない。
それは何故か分かるかい?」
「いいえ」とセリは首を横に振った。
決心したようなイコガの目がセリをじっと見ている。
「ウエストは『ウエストエンド』からの防波堤なんだ」
「え、防波堤?」
セリとマミナは首を傾げる。
アゼルはもう知っているのだろう、ただ深く頷いた。
「『ウエストエンド』は魔物の土地なんだ」
「は?」
セリはただ目を丸くする。
今の世の中、魔力持ちというだけでも珍しく、魔法を日常的に使うこともない。
「あの、魔物ですか?」
それが唐突に魔物の話になるとは思わなかった。
「魔法を使う獣だ。
人間に友好的なものもいれば、そうでないものもいる」
「で、でも」
セリは驚きながらも、
「それは大昔のお話ですよね?」
と、読み漁った本の中に出て来る魔物を思い出す。
おとぎ話の中には魔物を討伐する勇者の話がいくつも出て来る。
そこでアゼルが口を開いた。
「『ウエストエンド』には今でも実在するよ。
ウエストに住む人間が少ないのは魔物の影響が少なくないからなんだ」
アゼルは、大昔の傷跡が今でも多く残っていると教えてくれた。
その魔物が他の土地へ向かわないよう『魔の渓谷』があるという。
「『ウエストエンド』は取り残された街なんだよ」
イコガの静かな声が部屋に響いた。
「で、では、『ウエストエンド』に住んでいる人間はとても少ないということですか?」
セリは素直に疑問を口にした。
「ああ、人間より魔物の数のほうが多い」
「ひっ」
マミナの顔が青くなる。
「時々、軍に討伐要請が出るくらいにね」
アゼルは親が軍部の人間なので事情は良く知っていた。
「どうして先輩は、そんな危険な場所に住んでいらっしゃるんですか?」
セリはイコガを真っすぐに見つめる。
イコガは少しも恐れる様子のないセリを不思議そうに見つめ返した。
「私の生まれ故郷だからね」
それに。
「私を必要とし、私にとっても大切な人がいる場所だから」
セリは悟る。
自分にはとても手の届かない話なのだと。
「分かりました」
先輩にとって、大切な人が住む、大切な街。
「先輩を待っている方がいらっしゃるんですね」
「ああ、その通りだ」
そう話すイコガの顔は少し微笑んでいた。
セリは目を逸らし、涙を堪える。
「無理を言ってすみませんでした」
部屋を出るために立ち上がり、深く挨拶をする。
「いや、構わない。 もういいのかい?」
アゼルは相変わらず暢気そうな声で答えた。
「はい。 ここで聞いた話は決して口外いたしません」
イコガが頷くのが見えた。
「では、失礼します」
セリが部屋を出ると、マミナが追って来た。
「ぶるぶるっ。 『ウエストエンド』って怖い所だったんだね」
マミナは、「でも、それが分かって良かった」とセリに小声で囁く。
もうこれ以上『ウエストエンド』のことは調べないほうがいいだろう。
セリは黙ったまま頷いた。
『謎』の多い先輩のことをまた一つ知ることが出来た。
必ずしも、それは良いことばかりではなかったけれど。
セリにとっては、知らないままのほうが良かったのかも知れないけれど。
家に戻るとセリは部屋にこもる。
いつものことなので、家族はあまり気にしない。
「お祖父ちゃんは知ってたのかな」
だから孫をウエストには連れて行かなかったのかもしれない。
セリは何かが心に引っかかり、眠れない夜を過ごした。
翌日からセリは何事もなかったかのように、ごく普通に過ごす。
多くの女生徒たちからは睨まれ、学校は居心地が悪い。
「やあ、セリ」
気安く話かけてくる金髪脳筋もセリにとってはうざい存在である。
「お願いですから、もう話かけないでください」
つい、そんな言葉が口から出てしまう。
「ああ、ごめん。
そうだよなあ、『ウエストエンド』のことは秘密だもんね」
アゼルとは『ウエストエンド』のことで知り合った。
彼を見ると自然とあの話を思い出してしまう。
アゼルは察しがいいのか悪いのか。
片目をつぶって口元に指を当てる脳筋同級生は、まわりからの視線をどう思っているのだろうか。
はあ、と大きく息を吐き、セリは足早にその場を去った。
セリは昔から、より複雑なもの、理解しがたいものが好きだ。
分からない事を知ろうとすることは悪いことではない。
そのおかげで学問の成績は良いので家族も注意し辛かった。
数少ない友人たちは「変な趣味だな」と呆れている。
セリは魔法学校に入学してすぐに不思議な雰囲気を持つイコガを見つけた。
彼はその名前や学校の成績以外はすべて『謎』だった。
調べようにも、友人たちからは「かっこいい」だの、「すてき」だのしか入って来ない。
いつもの好奇心で注目していたセリも、まあ、それは認めてはいた。
だけどセリの一番の興味はやはり彼の『謎』だったのだ。
「彼の『謎』は解けたのよ。 もう気にする相手じゃないわ」
自分で自分に言い聞かせる。
セリは早くイコガのことを忘れたかった。
彼が優しい声をかけてくれたのは、別にセリが特別だったわけではない。
それは分かっている。
それでもセリの中のイコガはいつまでも彼女に微笑みかける。
そして彼女は現実を思い出して、心の中で一筋、涙を零すのだ。