42
神にも祈る思いで、彼は鍵を勢いよく回す。
「かかれ―――!」
しかし、エンジンの駆動音は鳴らなかった。
軽トラは沈黙したままその身を動かさない。
「くそっ………!」
軽トラに、自分の意思を伝えるため、何度も、何度も、右に鍵を回す。
しかし、その後何回やっても、エンジンは微動だにしないようで。
「何で、動かないんだっ!?」
鍵に、自分の思いをありったけぶつける。
―――秋華が危ないってんだ、俺のミスだってんだ!
ようやくあいつは、心休まる場所を俺の中に、見つけてくれたのに、
俺は、俺は――――!
「動け!」
―――あいつを一人残したのは俺のミスだ!
何で連れてこなかった?何で置いてきた?
何であんな油断をしたんだ!?
「動け!」
―――頼む、動け!動いてくれ!
またあいつを、地獄のような生活に引きずり込ませるつもりか、俺は!
………何が、何が善意の血だ!
自分の好きな女の一人も、ろくに守ってやれないようで、何が!
「動け、頼む!
いや、動くんだ!動かせる!」
―――誰のためでもない、俺のためでもない。
これは秋華一人、ただ一人のためなんだ!
命を懸けて守ると言った、一生面倒を見てやると言った、
全力で好きな、俺の、俺の…………!
この命で足りるなら、持っていけばいい!替えられるなら、喜んで替えてやる!
絶対に、康本の手に戻してなるものか!!
絶対に、奈落の思惑通りに事を運ばせてなるものか!
俺の手から話してなるものかっっ!!!
だから、だから――――
「動けええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇあああああああああああああああああああああぇぇぇああああっ!!!」
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――――無我夢中だったせいかもしれない。
その時彼は、鍵を回すことをやめ、ハンドルを思いっきり握り拳で叩きつけた。
クラクションのけたたましい音が、まるで彼の悲鳴であるかのように鳴り響き、
その山中をこだました。
危険を示すためのその警笛は、しかし今は彼の叫びを表すだけ。
耳をつんざき、車体を揺らし、
そして、森の中すらを揺らしていく。
………………何度鍵を回そうと微動だにしない軽トラに、
勘助が後悔の念を思いっきりぶつけた結果と言えるかもしれない。
もはや動かない―――そういった諦めの混じった嘆きだったかもしれない。
あるいは、本当に何も考えていなかったのかもしれない。
ともかくも、彼の放ったその一発の拳は、
科学的、物理的、そして機械学的な摂理をすべて超越して――――
奇跡を起こした。
「―――――。」
突如としてその車体を大きく左右に揺らした軽トラは、
ヴォン!とその古めかしいエンジン音を一声、再び息を吹き替えした。
ヘッドライト、テールライト共にどんよりと暗くなった雨中の道を照らし、
ワイパーがひび割れた窓ガラスの水を弾く。
「――――っ!?
動くのか!?」
ハンドルに頭を打ち付けていた頭を上げた勘助は、その中央にあるメーター表示に目を移した。
半ドアを示す小さな赤ランプ、
シートベルトの未着用を知らせる小刻みなブザー、
ガソリンの残量を示す小さな針。
それらは全て、極めて正常に作動しており、
それが軽トラの健在さを示していて―――――
「南無三…………!」
次の一瞬には、勘助はアクセルを思いっきり踏み込み、ハンドルを右にきり、Uターンし、駆け降りてきた坂を上り始めた。
もはや辛うじて動いているレベルであることは、彼にもわかっている。
これ以上走ると、その先どのような事態が起こるかは想像もつかない。
だが、止まるという選択肢は最早彼の頭に存在しない。
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速度メーターの針が右に傾いて、車が加速する度、
山頂に座り込むレクサと柴名の姿が近づいてくる。
「柴名さん!すぐ帰ります!
乗ってください!」
勘助は窓から身をのりだし、そう叫ぶと、
ちょうど彼らの真横に車を止め、
助手席のドアを開けた。
そのドアの向こうの柴名は雨粒に打たれながら必死にレクサを抱きかかえ、
レクサ自身はすでに気を失いぐったりとしている。
「レクサ………!!」
「勘助君、この子は虫の息です!
どうにかしないと、死にますよ!」
「わかってます!けど、その子は人間じゃない!
だから病院に連れていくわけにもいかない!
ウチに帰って手当てするしか手がないんです!
秋華のこともあります、急いで帰りましょう!!
それに、異変に気づけば土地神だって帰って来るかもしれません!」
「くっ…………!」
片腕でレクサを抱え、もう片腕で差し出された勘助の手をつかみ、半ば飛び込むような形で助手席に乗り込んだ柴名。
即座にドアを閉め、シートベルトを付け、再び両手でレクサを包むように抱き抱える。
「急ぎます!」
二人の安全を確認するや否や、勘助は思いっきりアクセルを踏み込んだ。
それに応えるように軽トラはほとんど、弾けると言った表現に近いほどに急加速し、
その満身創痍の車体を来た道に向けて、駆けた。
行きの時とは比べ物にならないほど、窓外の景色は高速で通りすぎる。
前が見えないほどの大雨であったが、人の通りや車の動きが皆無であったことを思えば、好都合であったと言えるかもしれない。
秋華、レクサ、
二人の女の命をのせたその軽トラは、水のカーテンとも言うべき豪雨の中をまるでそれを気にせぬかのように突き抜けていく。
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信号、速度標識、車線、ほとんどありとあらゆる交通規則を無視して突き抜けたと言えるだろう。
おおよそ壊れたトラックとは思えないようなあり得ない早さで、常識を逸したスピードで、
それは黒いアスファルトを焦がしながら走り抜けた。
――――間に合ってくれ、無事でいてくれ!
彼の命とも言える秋華、
そして、その秋華の危機を知らせてくれたレクサ。
彼女たちの身一つは、全て自分のハンドルに掛かっている。
彼女たちの未来すら、このハンドルに掛かっている……………!
その意思が強くなる度、彼のアクセルを踏む足の強さは増していく。
法廷速度など、最早気にせぬその軽トラの走りは、
勘助の執念そのものを燃料にして走る、
例えるなら………そう、
獅子のごとき物であった。
後ろタイヤが、水を大きく放射線状に巻き上げる。
――――かつて武豊は、日本史上に残る三冠馬、ディープインパクトの背中にいた感覚をこのように表現した。
『まるで飛んでいるようだった。』
彼の必死の走りは、天才ジョッキーにそこまで言わしめたのである。
状況は大分違うが、勘助にも同じようなことが言えた。
軽トラの後ろを流れるようにして広がるその水しぶきは、
その車体を飛翔させるための、
羽のようにも見えていた。
もしこの場に誰かこの軽トラを見たものがいたならば、
その走りをこう表現したかもしれない。
『まるで飛んでいるようだった』と。
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10
―――*―――
「やめて!
こ、来ないでって!」
黒スーツ四人に囲まれ、もはや万事休すとなってしまった秋華。
必死に抵抗しようと手元にあるものは何でも投げ、箒を振り回すが、
やはりか弱い女一人の力など、たかが知れていた。
「やめるんだ、秋華。
私も、手荒な真似はしたくない。」
黒スーツ二人の頭の間から、顔をのぞかせた康本は、タバコをひと噴かしして、そう言った。
その眼鏡の向こうに光る眼は、
以前と何ら変わらぬ冷酷な目。
―――「娘」たちのことなど、鉄砲玉程度にしか考えていない。
そう告げるような、凍りつくほどに切れた目。
「何が『手荒な真似はしない』よ!
さ、散々私に乱暴してきたくせに!
ろくに休息も与えずに、みんなの精神をズタズタにして、楽しんでいたくせに!
さ………最後、私を手込めにしようとしたくせに………!!」
「…………。」
「そもそも、私をあの孤児院から引き離したのだって、無理矢理だったじゃない!
私はもう十分苦しんだの、あなたのせいで!
お願い、もういいでしょう!?
私たちを放っておいて!」
「私たち、だ?」
「私はここで、勘助さんと一緒に生きていくって、
決めたの!
トシちゃんの活躍を見ながら、シューカちゃんの世話をしながら、
この牧場でゆっくり過ごしていくって………!
私の仕事は、アイドルじゃない!!ましてや、あなたの下僕みたいなことをする事でもない!
私の……………
私の仕事………
やるべきことは――――
ここで馬と一緒に生きていくことなのっっっ!!」
悲鳴にも近い叫び。
身体中から噴き出す悲しみが、全部声に乗ったかのような。
我が身の自由を訴える、人間としての本能。
それを、彼女の場合は、勘助への想いで相当に増幅したような………
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そこには黒スーツ達の知らない秋華がいた。
何事にも抵抗せず、従順に康本に従って生きていたのが、彼らの知る秋華。
「「「…………」」」
こんなことを言える女だったか?
そんな動機から、彼らは少したじろぎ。
「康本さん。どうします?この女。」
彼女の心の底からの叫びは、冷酷無慈悲であった筈の彼らに、康本の指示を仰がせるまでに至らしめた。
流石に彼女に同情するまでに至った訳ではないだろう。
だが、なんの意思も持たず、本当に人形のようだった彼女が、自らの意思を『親』である康本に伝えようとすることなど、
彼らの常識の中ではあり得ないことで。
―――こんな女になってますけど、どうしましょう?
恐らく彼ら五人の心中はそんなものだったに違いない。
『さあ、1000メートル標識を今通過!
先頭は後続を大きく引き離してザラスシュトラ!
そのリードを10馬身ほど取りまして、
緑のメンコが「あの馬」を彷彿とさせる走りで3コーナーへと向かいます!
1000メートル過ぎのタイムは58秒7!早い早い流れになりました!
今ようやく二番手ホワイトスカイが1000メートルを通過、その外それを交わしていこうというのが5番、カザハネです…………』
わぁっ………と泣き崩れた秋華。
床に手をつき、顔を伏せ、時々に嗚咽を漏らす。
―――どうにも手に負えない、といった感じの黒スーツ。
一人は手を広げて首を振り、「お手上げだ………」と呟く。
そんな彼らを見、たるそうに頭をかいてタバコの火を消した康本。
掻き分けるようにして彼女を取り囲む黒スーツを退け、
秋華のもとにしゃがみこむと、
猫を撫でるような声で彼女に語りかけ始めた。
「秋華………確かに、俺もお前に辛い思いをさせた。」
「…………?」
顔をあげる秋華。
この時点で、何かおかしな方向にことが運んでいることを、彼女は気づくべきだったかもしれない。
「仕事柄とはいえ、お前に嫌な仕事ばかりさせていた。
……逃げられても当然だな。」
ふぅ、とため息をついた康本。
その風景のあまりの異様さに、
長年彼の片腕を担ってきた黒スーツ達は、驚きを隠せない。
―――福島七夕の時は、話すら聞かずに連れて帰ったのに―――
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『先頭はザラスシュトラ、リード変わらず10馬身ほどのまま第3コーナー中間へ!
そのあと二番手以下ホワイトスカイ、カザハネ、ソングオブチェインとこの辺りは馬郡がひとかたまり、
三歳王者ダービー馬フロンティアエンドはまだ後方!
じっくりと脚をためております!』
「康本…………?」
「結局君はこんなところまで逃げてきて、
死ぬほど辛い思いもして―――
でも、ここでやっと幸せを手に入れたんだな?
あの勘助という青年と共に………」
おおよそ康本の言葉とは思えないそれに、訳もわからず、
しかしコクリと頷く秋華。
いつの間にか、彼女の涙は止まっていて。
そして、康本はさっきの態度が嘘のように優しく微笑んでいて。
「そうか、よかったな。
孤児院からこっち、
お前は苦労ばかりだったもんな。
やっと手に入れた幸せだったんだな?
本来なら俺は、父親として君を祝福してやらなければならないのに………」
唖然とする黒スーツ、
信じられないといった表情の秋華を尻目に、
ふぅ………とため息をついてゆっくり立ち上がり。
玄関戸の外に向かって歩みを進める。
「み、見逃して……くれるの?」
目の前の出来事が現実か計りかねているふうな様子すら見せる秋華はそう呟き。
「えっ………かっ……
か、帰るんですか!?
康本さん!?」
止めるわけではない、だが、明らかに異論の声を含んだ、
また、あり得ないといった表情を含んだ黒スーツ達が
口々に驚きの声を上げ。
そして、彼女と彼らは、
今にも外に出ようとしている康本の背中を呆然と見、
彼の口から次に出る言葉を、息を呑んで待った。
――――秋華は、康本の慈悲のある言葉を。
嘘か誠か、初めて普通の人間らしいことを言った、
かつてのプロデューサーの言葉を。
黒スーツ達は、それとは正反対に、
康本『らしい』、無慈悲で冷徹で、
相手のことなど全く考慮に入れない、
狂人の言葉を。
――――そして、その結末は――――
「だが、黙らせろ。
耳障りだ。」
平然と、悪魔は笑う。
そして、
退路を断つが如くドアを閉める。
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「――――!!」
秋華は、視界から色が消えるのを感じた。
再びこちらを向いた康本のその顔は、
筆舌にし難いほどに、高慢で、冷徹で、残酷で、
この世のものとは思えぬ『汚さ』で。
どこか安堵した様子すら見せる黒スーツたちが、つれて笑う。
その場の彼女以外の―――六人の悪魔たちは、
タバコで黄色く変色した歯を見せ、口元を右上に歪め、
まるでゴミクズでも見るかように、秋華を見下す。
「秋華、そろそろ勘違いは終わりにしよう。
君は、俺の道具だ。
それ以上でも、それ以下でもない。」
くはっ、と吐くように笑う康本。
地面から彼女を舐め回すかのようなその視線。
―――結局、いつもの康本だったのだ。
「は…………」
今度こそ、彼女は本当に何も出来なくなった。
手足の自由は、真っ白になった頭が、
まるで全身麻酔でもしたかのように完全にその動きを封じ。
毒矢のようにじわじわと彼女の体を蝕む、康本のその不愉快極まりない笑みだけが、
彼女の脳を支配し。
「人形だと言ってるんだ。君は。俺の。
従順な、人形だ。俺の遊びのために俺が作り上げた、人形だ。
だから………勘助とか言ったか?ここの牧場主の青年は。
あの青年が、君に、俺に、何をどう言おうが、何をしようが、
君にはなんの関係もない。
君には幸せなど一生かかっても訪れない。」
「い、いや…………」
「絶対にね。
俺の所有物である人形に、安寧なんて言葉は存在しない。
君はこれから俺に連れ去られて、またステージの上で、望みもしない歌手活動を続けさせられる。
これまで通りだ。何も変わらない。
君は、俺のために、その手その足、その身体、精神、すべてを擲ってステージで歌を歌う。
先に、言っておいてやるよ。親切だろう?」
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「いや…………!」
「嫌じゃない。嫌じゃないんだよ、秋華。
君にはそんな言葉を使う権利はない。
君がアイドルに戻るってことは、義務なんだ。義務。
わかるね?秋華。
道具が所有者のために仕事をする。これは社会の当然のルールなんだ。
当然のことなんだ。」
サッ、と康本が軽く手をあげる。
それが合図となったのか、彼の背後に一旦は下がっていた黒スーツ達は再び、
地面に倒れこんだまま起き上がることができない秋華との距離を、ゆっくりと詰めて行く。
『さあ、フロンティアエンドはどうか!?三歳王者フロンティアエンド、まだ後方三番手の位置、じっくりと脚を溜めているが、
残り600メートルを今ザラスシュトラが通過!フロンティアエンドとの差はもう30馬身ほど開いている!果たしてこれが届きますかどうか!』
「そもそも道具は意思なんて持っちゃいけない。
自分の意思で動く道具なんて、俺には必要ない。
普通のプロデューサーなら、君みたいな使えない奴は捨ててしまうんだろうが、
だが、俺は君を手放さない。」
「な、何を………!」
『先頭のザラスシュトラ、川口はまだ手綱を持ったまま!
四コーナー中間ですが、これを二番手で追うホワイトスカイはまだそこから8馬身ほど後方だ!』
「君は、この上なく美しい。
俺のコレクションの一角として実にふさわしい。金も掛かっている。
俺の最高傑作である君が苦しみながらステージでもがく姿を想像するだけで、たまらない。」
『さあ、もう直線はすぐそこ!
先頭ザラスシュトラ!
府中の大欅を、あの悲劇の秋天以来、
再び緑のメンコが大逃げで駆け抜けて行きます―――』
「君はたぶん、これからずっと、あの勘助という青年のことを思い続けながら、
ここでの夢のような生活を思いながら、
苦痛に満ちた生活をステージの上で送ることになるだろう。
だが、それがいい。ゾクゾクする。
美しいものが苦しみながら、精神をボロボロにしながら、身体を犠牲にして働く。
こんなに愉快な見世物があるか―――――」
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『その8馬身後方ホワイトスカイは大きく手が動いて、その後方集団が続々とポジションを上げていきます!
そして、フロンティアエンドもここでようやく手が動いた!』
「だから、俺は君をここから連れ去る。
………君には拒否権はない。」
長い話を、真顔で括った康本。
吸っていたタバコを、地面に落とし、その足で踏みにじる。
「ひ…………」
泥臭さの混じった煙が、彼女の顔を炙る。
真っ白な頭ながら、ほぼ本能のレベルで脚を引きずり後ろに後ずさる。
しかし刹那、後ろから脇を通して手を回され、
ガッチリと抑え込まれた彼女は、抵抗の術を失った。
右腕、左腕に一人ずつ、
両足に至るまで手が回り、
最後口を野太い指に塞がれ、
秋華はもはや何も出来なくなった。本当の意味で。
「んー!んーんー!」
「いい。いいね。その声が。
君の絶望が伝わってくる。
もっと叫んでくれ、喚いてくれ。
君がわめく度、俺は愉快になる。
そう、俺に自覚を与えてくれる。
俺が君の所有者だってことのね。」
にたあ………と笑った康本。
秋華の背筋を冷水が走って。
『フロンティアエンド、現在八番手の位置まで上がってきた!先頭はザラスシュトラ!
そのリード6馬身程度と少し縮まった!
直線を手前にして、後方に控えていた他馬がどっと押し寄せて………』
「もう一度言ってあげよう。
君は、俺の、人形だ。」
「――――!」
―――違う!そんなんじゃない!
………そう否定したくても、その口は黒スーツ達の野太い指に封じられていて。
手足の自由も全く無い。
意思を伝える手段もない。
自分が人間であることを、表現できない………!
これではまるっきり人形―――
―――違う!違う!違う!
私は人形なんかじゃない!
自分の確固たる意思を持った、私は人間………!!
道具として、生を受けた訳じゃない!
一人の人間として、生きていく権利を与えられた―――――
「ふう、………ぅっ!」
…………とにかく無我夢中、我をも忘れんと必死に暴れる秋華。
身体中に残るすべての力を、抵抗のために使い。
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だが、やはり屈強な男五人に対して抗えたものではない。
口を塞がれている分、息も苦しい。
全身の力が、酸素の低下と共に、どんどん抜けてゆく。
「―――ん!!」
頭を振り回し、何とか手をほどこうとする。が、これも何ともならず。
「おとなしくしろってんだ!このガキ!」
右足を押さえていた黒スーツが、怒鳴り散らすのがわかる。
しかし、当然秋華はその、悲しいまでにか弱い抵抗を止めない。諦めない。
彼女自身、わかっているのだ。
ここで諦めるということは、本当に、本当に人形の頃の自分に戻ってしまうということを。
またあの小さな電気仕掛けの箱の中で、精神をすり減らすだけの地獄のような生活が始まるのだということを――――
………だが、彼女のそんな必死の抵抗は、
突如として終わりを迎えた。
「もういいよ。黙らせて。」
そんな康本の一言が聞こえたかと思うと、
その直後、右足を封じていた腕の拘束が一瞬解けると同時に、
みぞおちに激しい衝撃と痛感を食らった秋華。
―――殴られた―――そう思った時には、
既に彼女から『意識』は消え去っていた。
くっ………と苦悶の呻きを残し、彼女は地面に倒れ込む。
そして、極度の酸素不足と、最後の重い一発によって、
気を失い。
………倒れこんだまま、再びその身体を動かすことはなく。
「………………。
……………ふ。
やっと静かになったね。
では、連れていこうか。」
心も凍るような冷たい笑みは、
意識を失い、深い眠りについた彼女の、
その枝のように細く、弱々しい肢体を上から下まで見回す。
「寝顔も美しい。
やはり君は―――俺の金が作り上げたコレクションの中の………最高傑作に間違いない。
見逃す?あり得ない行動だよ。秋華。」
ゆっくりとしゃがみこみ、彼女の顔をスウッ………と一撫でした康本。
微動だにしないその身体と、一点の乱れもないその顔を見て、彼は右の口角を下品に吊り上げ。
その後、彼女を取り巻く黒スーツ達に、こう命令した。
「車につれていけ。
あとはお前たちの好きにしろ。」
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『先頭のザラスシュトラは直線を向いた!
後続は未だ四コーナー中間、フロンティアエンドはまだ動かない!』
「好きに………ねぇ。」
へへ、と一人の黒スーツが笑うと、
他の黒スーツたちは彼女の四肢を乱雑に担ぎ上げ。
『先頭ザラスシュトラ!先頭ザラスシュトラ!
この天皇賞秋で、大逃げの緑のメンコが欅を回りきった!大歓声!
オールドファン達の、スズカファン達の喚起の声が飛びます!
鞍上川口まだ持ったまま、
芦毛最後のスーパーステイヤーが府中の社を突き抜けて行く!!』
そしてそのまま、玄関を出ていこうとする。
まるで糸の切れた操り人形であるかのようにぐったりとした秋華の、その頭がぐらり、ぐらりと揺れて。
『ようやくここで追い込んできたフロンティアエンド!
しかし前の方粘るホワイトスカイ、
ソングオブチェイン辺りも脚色がいいか!
しかし先頭のザラスシュトラはリードを6馬身ほど持ったまま!』
その様をみた康本が不敵にニヤリと笑い。
そうして、その冷たく汚れきった声でこう呟いた。
「人形がひとつ帰って来た―――
『残り400!先頭ザラスシュ――――』
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――――ブツン。
突如として、何かが切れる音がした。
………何か、と筆者は書いたが、
実際のところは、その場にいた誰もが気づいていたのだろうと思う。
誰しもが一度は聞いたことのある、
ノイズの混じったような、暴力的に電子機器の活動が停止する音。
そして、それは同時に、その場の雰囲気の一因を作り上げていた競馬実況をも終わらせ。
「ん?」
康本が異変に気付く。
今に玄関から出ようとしていた康本一行―――気絶している秋華以外のその場にいた人間全員が、
家の中を振り返った。
自然の中に不自然を感じた場合に、反射的に人間がとる行動である。
つまり、このときの不自然は『テレビが消えたこと』。
誰もいないはずのこの家で、突然その活動が停止されたこと。
――――しかし、玄関から確認する限りでは、
人の気配はおろか、物音ひとつない。
目に入ってくる情報は、
ただ雑然と並べられた長靴やサンダルを、上から蛍光灯が照らすだけのことである。
―――康本達が立っている所からでは、この山本牧場の生活空間……居間、和室、二階、厩舎、その他の生活基盤の部屋を確認することはできない。
そこから見えるものと言えば、
二階に上がるための階段、トイレのドア、廊下、ただそれだけ。
中を覗こうとするのであれば、
靴を脱ぎ、廊下に上がり、それを左に進んでその奥にある部屋に入る必要がある。
この時点で自分達以外の人間の存在を、この康本一行のうちの誰か一人でも疑っていたのなら、
彼らはそれを実行し、中を確認するべきであった。
が、彼らはそれをしなかった。
――――誰かいる?そうこの場の全員が感じていたにも関わらず、
『ここには老人が一人昏睡しているだけ。』その先入観から、
互いに顔を見合わせることしかしなかったのだ。
―――なぜテレビは消えた?
誰かが消したのか?
………いや、そんなはずはない。
そう考える理由は?ごく単純だ。
ここには、誰もいないのだ。
いるはずがないのだ。
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―――この家にいたのは男三人、女一人の四人。
その内、山本勘助ともと騎手の柴名大知はすでに外出し。
秋華は今自分達の手の内にあり。
そして芝山は病床に臥せったまま動けないはずだったから、実質的にここには誰もいない。
そうに違いない。
「………セルフタイマーかなにかじゃないでしょうか。」
聞きもしないのに黒スーツの一人が言う。
役目が役目ゆえに、平然を装っている様子だが、その目が微かに泳いでいる。
―――バカが、何をビビってやがる。
康本はそう心で彼らを罵倒した。
―――ここに誰もいないのは確認しただろう。
盗聴も盗撮も………ありとあらゆる手を尽くして、万全の状態で臨んだ。
……誰もいなかった。山本、柴名はすでに外に出ている。
感づく筈もない。
正真正銘、ここには誰も居ないんだ―――
「うろたえる必要はないよ。
ここには誰もいないじゃないか。
例え仮にいたとしても、秋華はもうこっちの手の内にある。このまま出ていけば何も問題ない。
違うか?」
「………いえ。」
―――ならば行け。
そう手で指示をした康本。
黒スーツ達はそのジェスチャーに互いにうなずき、
もう一度秋華の体を担ぎ直すと、少し急きながら開き戸へ向かう。
―――そうだ。それでいい。
ここを出ればこっちの勝ちだ。
運ばれて行く秋華を見ながら、康本は心のなかでほくそ笑んだ。
誰もいないし、誰も来ない。
このまま連れ出せれば―――親権はこちらにあるから―――『勝ち』なんだ。
なんの抵抗もできない秋華を、
頭を揺らし運ばれるだけの秋華を見、彼はその優越感に浸った。
―――見たか、勝ったぞ山本勘助。
秋華は決してお前のものじゃない、俺のものだ。
悔しければ力づくで奪ってみろ、
いや、それすらできまい。『これ』に気づくことができるものなど、今この世に存在しないのだから。
せいぜい、奇跡とやらにでも期待するのだな――――
そう、勘助をあざけ笑った康本。
…………当然、この時点で一つの奇跡が起こっていたことを、
彼は知るよしもない………
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手の塞がった黒スーツ達のため、
開き戸を開けようと取っ手にてをかける。
勝った。秋華は俺の人形。
「さあ、チェックメイトだ―――――」
正真正銘、勝利宣言だった。
キングをとって逃げ場なし――――の、はずだった。
しかし。
「それは早計やな、康本。」
そんな、野太いオヤジの声は、
再び盤の上に自軍のキングを返り咲かせ、
康本と黒スーツの背筋を凍結させた。
「「「――――!?」」」
刹那、今に戸を開け外に出ようとしていた彼らの背後から、
長細い棒状の物が高速で飛来し、
そしてそれは、バリン!という衝撃、破壊音と共に開き戸のガラス部分を突き破り、乱暴に突き刺さった。
今にも開かれようとしていたその戸は、その『突き刺さった何か』がつっかえになって、微動だにしなくなった。
刺さっていたのは、工具用の大きなバールだった。
「――――!!」
恐怖に顔のひきつった六人が、一斉に後ろを振り替える。
―――あるはずがない、が、現実に起こったことを、
その情景は如実に語ってくれた。
『誰もいない』はずのその廊下には―――確かに、一人の老人がその身を立たせていた。
肉は落ち、骨秀で、
その白く長い口髭は、まるで痩せこけた老山羊のように見えて。
今にも倒れてしまいそうなほどに、その目は虚ろに垂れ。
もし誰かに、これは骨格標本である、などと言われたら、
ひょっとしたら一瞬信じてしまうかもしれない、とそんな感も持ち合わせるほど。
だが、そんな風に見えてはいても、
病床に臥せっていた筈のその老人は―――まるでアスリートであるかのような雰囲気をまとって、
その血みどろの着物を翻し、
刀を手にうすらの笑みで立ち尽くしていた。
「あいにくとワシは将棋しか知らんくてな。
チェックメイト言われても、負けた気にならんねや。」
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ピチャッ、ピチャ、と髭を伝って床に血が落ちる。
口からもれ出した血だかなんだかわからないどす黒い液体が、
その笑みに最高にリアルな恐怖を付け加える。
その場にいた人間全員が――――その佇まいの恐ろしさに息を飲んだ。
――――何故、何故こいつがここに―――昨日の晩までずっと―――昏睡状態だったじゃないか―――
もはやなんの意味をもなさない過去の確認が、六人の頭の中で、ちぎれては消え、そしてまた生まれる。
「芝山………雄一………!」
「ほおぅ。
天下の康本様に顔知れてんのか。
光栄なこっちゃな。
いかにもワシは芝山雄一。」
――――ほれ、
今お前らの担いどるそいつの『父親』や。
そう言葉を噛みきるように言った芝山の顔が、
グラリと大きく歪む。
一見すると、それは『笑み』だ。
―――『笑み』なのだが、それを見た黒スーツや康本は、
まるで、怪物か何かが体の中を突き抜けていくような―――そんな感覚に苛まれた。
「父………親だと?」
本人は恐らく精一杯強がっている。
が、声の震えはそれを隠しきらない。
そして結局それは、黒スーツ達のこの老人に対する畏怖を増大させるだけで―――
「その子がワシを父親言うてるんや。
せやからワシが父親で何もおかしいことあれへん。
なんか文句あるか?」
「……………」
「それとも何か?
この期に及んでまだ自分が秋華の父親やとか寝ぼけたことぬかすんか、天才プロデューサー。
お前はこの子の父親とちゃう。
娘に手ぇ付けようとしたモンに、親父を名乗る資格なんぞ、この世のどこ探してもあれへんぞ。」
「…………あ、
あなたが………な…にを言おうが、
親権は私に―――」
「―――聞きゃあオドレ、嬢ちゃんに散々なことやらせてきたらしいやんけ。全部聞いたわ。
………オドレみたいなクズがおるからこの世の中は屋台骨から腐っていくんじゃ、わかるか?あ?
オドレのやったことは人間のやることとちゃう。
なあ。それはオドレ全部わかっとる顔やろ。自分のやったことの悪どさを全部理解しとる顔やろ?
それでシラ切り通そうとすんねやったら………いっぺんその頭かち割って、直接脳ミソに聞いたるから言うてこい。
おい、コラ、どないやねん?」
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「フン………見に覚えがな」
「じゃあさっきまで散々嬢ちゃんのことを人形やなんやと言うてたことの意味を、
ここでしっかり説明してもらおか。」
抜刀し、その鋒を康本の喉元に突きつける芝山。
康本から「ひ……」と声が上がり、
芝山の顔からは表情が消え、憎しみすら漏れ出す。
白銀の刀身を目前にして手も足も動かせない康本、
狼狽を隠せない黒スーツ、
そして、一切の感情を激怒に変えた芝山。
黒スーツら六人は、芝山の背後に鬼神を見ていた。
この男は―――死地より甦って羅刹になった。
そんな台詞が、ふと康本の頭を過り、
そしてそれは、冷たく背筋を撫でる。
「言葉も出んか?言い返せんか?
当然や、当然やわな。
オドレら自分のやってることのゲスさわかりながらそれやってんねやろ?なあ。
腐っとんな、ホンマ。
自覚あんのが一番たち悪いわ。
それが楽しいてしゃーないんやろ?そう言うてたな、さっきな。
何か?嬢ちゃんが道具や?
おう、オドレ言葉の意味解って言うてんのかソレ。
解ってへんねやったらいっぺん辞書で『人間』て引いてみいや、
誓って言うたるわ。『道具』って意味が出るわけがない。
もし、意味解って言うてんねやったら―――――」
次の瞬間、その鋒は喉元から更に突き出され。
その刃が、後ずさることすらできない康本の、首の肌にピッタリと当てられて。
「静脈飛ぶぞ。
嬢ちゃんの未来のため、ワシはお前らを殺す。」
老人は―――あの世から舞い戻った。
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ゾーリンゲンも真っ二つの日本刀―――その冷たい刃の感覚が、康本の首筋を撫でる。
芝山の憎しみが、そのわずかな震えから直接心臓に響く。
「ばっ、バカな!
あなたにそんな真似ができるわけ―――」
「無いと思うか?」
芝山の口許は、再び不適な笑みに歪む。
「殺人は犯罪だぞ!?
悪ければ死刑になる――――」
「生憎とワシはもうあと八時間の命やからな。
ハナから死刑宣告されてるようなもんや。
元々人生に誇りも栄誉もなにもないからな、死んだ後にどんだけ凶悪な犯罪履歴が付こうが………知ったこっちゃない。
何やったら、冥土の土産に人間のクズを六人ぐらい道連れにしたってもかまわんで」
「ぐっ………!!」
さらにその刀身で迫られ、後ずさるしか手がなくなった康本。
そこらじゅうに散乱した靴やらサンダルやらの類いのものに足を引っ掛け、何度も転びそうになりながらの逃避。
そんな総大将の情けない姿に、黒スーツ達がその不安から来る狼狽を、
隠しきれずにさらけ出してしまったことは言うまでもない。
「おい、そっちの兄ちゃんらもよう考えや。
そのまま嬢ちゃんを持ち上げとって頭を落とされるか、
嬢ちゃんを置いて頭を留めるか。
………この刀はよう切れるぞ。
六人の頭カチ割ってお釣りが来るほどに――な。」
そう芝山に脅され、それまでは『連れて帰る』の一択しかなかった今後の選択思に、
彼らは自然と『秋華を置いて逃げる』を追加してしまっていたのである。
根っからのヤクザであればこんなことは起こらなかっただろう、が。
あくまで彼らは、一介の芸能事務所に働く、
ただの作業員に過ぎないのだ。
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冗談みたいなことを言っているはずなのに、
目の前にいる老人のその佇まいは、
その言葉を冗談で済ませない。
その鋭く光る刃を振り上げ、いつでも殺ってやると言わんばかりに彼らを見下ろす。
―――このジジイ、ガチで俺らを殺す気………!?
「康本さん!!どうするんですかっ!?」
焦った黒スーツのひとりが言う。
―――どうする、とは聞いているが、内心は
もう早くこの女を下ろして逃げ出したい、
そんな彼の意思は、鮮明に康本の脳に響く。
―――馬鹿野郎、俺だってこんな頭のおかしい老いぼれと心中するのはゴメンだ。
泣き言を漏らす部下を横目で睨みながら、微かに震える膝を立たして、目の前に立ちふさがる老人と対峙する。
口からは血が溢れ、その白く長く伸びた髭はドス黒く染まってゆく。
血管も彫刻のように浮き上がっている。
目は血走って虚ろ、グマも深い。
着物はもはや血染めの赤。
棒のような体にぼろ布をくっつけたようなその体は、まさにカカシのソレに違いなく。
しかし、そんな姿ながら―――そんな体ながら、目の前の老人は全くその体の軸をぶれさせることなく。
仁王像であるかのように立ち尽くしている。
こんなのは狂っている―――奴は超人だとでも言うのか。
康本にとって、その老人はもはや人間ではなく、ただ一心に自分への、常識をも無視できる圧倒的な憎悪をその身を支えるエネルギーにする、
まさに化物。
「五月蝿い、構うな………!
そいつを連れて帰るという命令に変わりはない!!」
―――こちらにも譲れない事情がある………!
そう自分の身体に言い聞かせることで、やっとそんな言葉を絞り出す。
指が震え、足がガタつき、脳がこの場に立っていること自体に拒否反応を起こす。
しかし、それでも彼に宿る悪魔の部分は、
彼女を諦めるという行動をよしとしなかった。
秋華には金がかかっている。このままではその三割程度しか回収できない。大損だ、たまるか。コレクションとしての価値も捨てられない。あの美しい道具を永久に手元に在らせたい。
と、そんな風に。
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石像のごとく微動だにしない芝山を前に、
康本はその額から大粒の汗を飛ばしながら叫ぶ。
「いいか、秋華は俺の所有物だ、1も2もない!
貴様ら部下のやることは、そいつを早くワンボックスの中に放り込んでさっさとここから退散することだ!!
わかったら早く行け!」
ほとんどヒステリックといった感じに叫んだ康本。
黒スーツ達はその叫びに跳ね上がり、言葉ひとつ残さず、
その五人のうちなにもしていない一人が、
その動かないドアを開けようと、突き刺さった大きなバールを抜きにかかる。
急げ、早く!と口々に口走る、秋華を抱える四人の黒スーツは、恐怖に顔をひきつらせながら何度も後ろを―――芝山の様子を伺う。
康本は………その目を血走らせ、大きく息を荒げて肩を揺らしていた。
「それが、康本様の回答ということでよろしいんやな?」
刀の鞘を投げ捨てた芝山。
木製のそれは、同じく木でできたフローリングの上を転がり、ガランガランと音を立てる。
「ワシがなんぼ言うても、意地でも連れ去ろう言うわけやな?
ソレはつまり、
ワシに殺されても何も文句はない言うことやな?」
ひた、ひた、とその空気のような体が、血にまみれた足をゆっくりと前に進め、徐々に康本に詰め寄る。
「うるさい………!!
正義は俺にある!
親権を持つ俺が、娘である秋華を親の判断として連れ戻しに来ただけだ!!
何か問題でもあるか!?」
身構えつつ、叫ぶ康本。
そんな彼を芝山は口許の笑みで嘲る。
「開き直りよる……情けないのぉ。
つまりお前は、あくまでも社会のルールに従ってると主張するわけやな?
事ここに至って―――」
「その通りだ!
父親が俺だから、親として親権を持つ人間として、娘を連れ戻しにきた!
親として娘に危険があると判断し―――そうだ、
つまりは、体よく一年に渡って秋華を親に無断で『拉致』『監禁』した貴様らのほうがよっぽど法の範囲を逸脱して――――」




