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36

いきなり話が飛んだように思うかもしれませんが、先に言っていたクロスオーバーうんたらです。高三の時なのでかんべんしてやってください……





「ねぇ、若社長。


ちょっと旅行にでも行かない?」




―――その提案は、突然に訪れた。



ラージブリーティングファーム東京分社、事務所。


三階、社長室のソファ、テーブルをはさんで。



溜まった書類の整理にクソ真面目に取り組む秀馬に向かって、桜花は旅行情報紙『るぶぶ』を見ながら言った。



そのページには、『平家ゆかりの里、三郷温泉』とある。




「ほら、ちょちょこれ見て!この温泉なんだけどさ、マジで気持ち良さそうじゃない?


――両脇にそびえる山々を眺めながらの解放感溢れる露天風呂!美容効果も抜群で―――」




「行くのは別に構わん。が、なぜ俺を誘う?」



書類の一枚にサインをしながら秀馬。


お前の旅行の話など気にしている暇はない、とばかりに次の書類に手をつける。



「毎日顔を会わせている間柄のやつと一緒にいっても仕方ないだろう?


彼氏でもつくってそいつと行けばいい。」




何を当然のことを、と秀馬。



恐らく、目の前でポカンと口を開けて呆然としている桜花の顔は見えていないのだろう。




「いやっ、ちょ、それは…………ハァーーー!?」




当然桜花は憤慨する。彼女にしてみればこの旅行、秀馬と行かなければ何の意味もないのだ。



………今さら読者の皆様に何を隠そう。



桜花は秀馬が好きである。



好きで好きでたまらないのである。



地位と名誉、金と欲望………酒以外を全てなげうってラージに飛び込んでくるほど好きなのである。



三度の飯より秀馬が好きなのである。






それに………覚えているだろうか。



すでに彼女は、どさくさ紛れに一度告白している。


奈落ラージ乗っとり事件の時のことだ。



秀馬に「俺が好きか」と聞かれた彼女は、確かに「はい」と返事をした。



そう、肯定したはずだった、間違いなく。





ところが、どうもあのときの秀馬は「仕事人として好きか?」という問いのつもりだったらしく(そうとしか思えない。理由後述。)



その後の彼女と秀馬の仲には進展がなかった。


全くと言っていいほどである。




………そんなわけで彼女は、何とかなんとか自分の方に彼の気を向けさせるべく、


今回の事をはじめとして、色々な努力をしているのだった。



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「か、彼氏なんていないし!


てか、その、あの、だからさ!」



「何だ。」



「しゅ………若社長が来ないと意味がないっ……て言うかその………」



「意味がわからん。」





心底鬱陶しそうに秀馬。




もうすでに次の書類に手をつけている。




「……………っ!」




これだけの無興味だと、さすがの桜花も心がおれてしまう。



『るぶぶ』で半泣きになった顔を隠しながら、震える声で彼女はこう言った。




「あたしは若社長と一緒にいきたくて……その。」




明らかにさっきまでとは様子の違う声に、さすがの秀馬も顔をあげた。


肩を震わせる桜花の姿が目に写ったはずである。



………だが。




「………友達がいないと?」



「………っ!



違うわよ!バカ!」




―――何でそうなるの!


そんな思いが、彼女に『るぶぶ』を叩きつけさせた。



目に涙を溜めた、桜花の赤い顔が露になる。




ギクッ、と音の出そうなほどにうろたえる秀馬。




「な、何故泣く………?」




「この鈍感!鬼鈍感!タラシ!サラシ!


こんだけ言ってて何で気づかないのよクソ若社長!


鈍感鈍感!鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感鈍感どんかんどんかんどんかんどんかんどんかんどんかんポンカンポンカンポンカンポンカンポンカンポンカンポンカンポンカン………あれ?ポンカンってミカンの仲間だっけ?」




「ポンカンは柑橘類だが。」



「あ、そっか♪じゃあミカンの仲間で間違いないね♪


……って、違うっての!



あんたを鈍感だっていってんの、あたしは!」




「鈍感………?俺がか。」



何のことだ………?と秀馬。


そんな彼の様子に、桜花はさらにトーンをあげる。




「あんたねっ!何であたしがあんたばっかりこんなことに誘うのかわかんないの!?


そこが鈍感だってのよ!



自分が鈍感じゃないって思うんなら、


あたしが何であんたを誘ったか当ててみなさいよっ!」



「…………。」



「どうなのよ!秀……若社長!」




涙粒を飛ばすほどの桜花の気迫に、さすがの秀馬も少し真剣に考えた。



あまり桜花を怒らすと面倒なことになる………




それを知っている彼は、滝のような自問自答の末、ある仮説を導き出すことができた。


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「………道案内が必要だから?」



「………は?」



「行き方がわからんから着いて来てくれと言いたいのだろう?


………何だから電車でいくのも一興だとは思うが………」



「本気で言ってんの?それ………」



「電車は嫌いか?」




「………………。」




あぜんを通り越して呆然の桜花。



もう涙もでない。





「もう………いい。



それでいいからついてきて………」



崩れ落ちる桜花。




秋らしい、カラッとした風が吹き込む。



こうして、二人の旅行は幕を開けた。





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2



――――※――――




「本日も、JR東日本をご利用いただき、ありがとうございます。



この列車は、普通、北斗部川行きです。


次は、金日切、カネヒキリ―――」




「三郷温泉まであと4つですね!若社長?」




「………ああ。」



非電化区間、明らかに国鉄の払い下げといった感じの古風なディーゼル車が車体をごとごと揺らし、川辺りをゆっくりと進む。




「次が金日切でしょ?その次が場編利庵でしょ?そんでその次がサクセスブロッ軒――――」



「その辺でやめとけ、作者。」




えーっ、マジかよ。次はヴェンジャンスオブレ院とか考えてたのに………



と、作者が不満を漏らすのが、秀馬には何となくわかる。




車窓にはしゃぐ桜花を見ながら秀馬はため息をついた。




……温泉郷周辺というのもあって、なるほどここは確かに美しい土地であると思う。



秋らしく紅葉が赤く火照り、その落ち葉を清流とも言うべき川が、ゆるりと運んで行く。



所々に鹿やイノシシの姿も見え、そのたびに桜花が換気の声を上げる。




「ちょ、若社長!あれマジヤバイって!


オオカミっぽくね?あれ!」




「オオカミは絶滅したよ。」



肘掛けに手をあて、椅子にもたれ掛かる。




「…………。」




最初は嫌々連れてこられた秀馬だったが、たまにはこういうのも悪くないと思い始めていた。


ラージの社長になってからこっち、仕事づくめで心休まるときが無かった。



時に東京、時に四国、時に九州、時に海外………



ラージの信用回復と、奈落からの顧客の奪回のため、足を棒にして駆けずり回った。



思えば、自分ながらにあんなどん底の状態から本当によく働いたと思う。



実際、ラージ自体は、そんな彼の努力も相成って、ようやく安定の兆しが見え始めたりもしていた。




「…………。」




車窓を流れ行く紅葉の、燃えるような赤に、秀馬は心を洗われるような感覚だった。



………だいぶ疲れていたのだと思う。


洗われ得る心があるというのはつまりそういうことなのだろう。



まあ、無理もない。



あれだけ朝から晩まで駆けずり回ってきたのだと、自分の中で納得しながら、渓谷を覗き見る。




清流、という言葉がピッタリと当てはまるような川で、緩やかに流れるその透明の水の塊は



その川辺りに生う、赤く染まったイチョウの木と共に清らかさ―――いや、神々しさというべきか―――を醸し出していた。


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見るなりに人家のなきことも、ひとつの要因かもしれない。



生まれたままのような、人手を介さないありのままの自然がそこにはあって。



ただ秀馬は、そのあまりの人の気の無さゆえに、不安を覚えた。



「桜花。」



「ハイハイ?何でしょ若社長?」



「………………。



ここ、本当に宿があるんだろうな?


集落の一つもないと、何か不安に思うが…………」




―――今回の旅は、三郷温泉に行く、ということ以外さして計画はない。



というよりは桜花の意向で、そのときの状態で何もかもを決めてしまおうという、行き当たりばったりの旅を楽しもうということになっていた。


着替え以外は何も持たず、宿の予約もしていない。というか、何も調べていない。


電車の時間以外は何もわからない。




桜花にすれば、そのアバウト感がいいらしいのだが、秀馬にしてみれば不安要素でしかない。



何せ、アバウトな旅をアバウトな桜花が計画しているのである。




そんなだから、二時間ぐらい歩く、程度の覚悟はしてきたのだが………




しかし桜花は、そんな心配は露ほどもないらしく。




「だぁーいじょうぶだって!心配性だなぁ、若社長は。


もし迷っちゃってもホラ、あたしたちにはこれがある!」




そう言って彼女は、リュックの中を探って一冊の本を取り出した。



………そう、すべての始まり、『るぶぶ』である。



「………。」



「いいですか?よく聞いててくださいよ!



『年中人の出入りは少ないながら、その温泉に定評の高い温泉郷。


アポなしでも宿泊可能な旅館が何件かあり、その中でも筆頭は老舗、白神荘で、開放的な貸しきり露天風呂が特徴的―――』」



「――待て、貸しきり露天風呂とは?」



「あぁ、カップル用に作られたやつらしくて、もちろん混浴―――」



「誰と誰がカップルだと?」



「剃りゃあこの場合、あたしと秀―――」



「―――帰るぞ。」




ちょうど金日切駅についたタイミングで、秀馬は本気で降りようとしていた。



「わたたた!待ち待ち!冗談だてば!さすがにアポなしで入れたもんじゃなし!」




秀馬なら本気でやりかねない、と思ったのだろう。




桜花はほとんど瞬間移動のような形でドアの前に立ち塞がった。


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「マジで冗談。ね?」



「……………。」



発車ベルが鳴り、扉が閉まる。



窓際で名残惜しそうに金日切駅のホームを見送った秀馬は、しぶしぶ再び同じ席に座った。


ディーゼル車らしい小刻みな振動が、武骨なシートを通して体に伝わる。



「次は場編利庵、ヴァーミリアンです。」



………もうそのまんまじゃないかと作者に苦言を呈す秀馬。



―――ハヤオウよ、やりたいことはわかるがあまりにも無茶だぞ。


そう言うかのごとく。




二人はまた、しばらく無言で電車に揺れた。



別に秀馬が気まずかったから………等という理由ではない。


彼らの会話は、常に桜花主導ではじまるので、彼女が黙ってしまうと必然的に会話は発生しないのだ。



逆に言えば、気まずそうにしているのはどちらかというと桜花の方だったのかもしれない。



「…………。」



「…………。」




結局、次に桜花が口を開くまで、一区間を通過していた。





「若社長、あれ見てみてよ………!」



一両編成の車内、後ろの座席を指差し、桜花が言う。



「…………?」



ほとんど目を閉じ、眠りかけていた秀馬だったが、彼女の呼び掛けに応じてその目を開き、指の指す方をゆっくりと見た。



………見るとそこには、見たなりには若い、二人の男女がならんで座っていた。




「あれさ………女の子の方和服っぽくない?



こんなド田舎でさ。あんな格好って、



たぶんフツーの人じゃないと思うんだ、何となく。」



「和服………?」



秀馬はサングラスをはずし、目を凝らしてみてみる。



………なるほど確かに、その女の着ている服は和服であった。


白と水色の交じったような、菊の刺繍をあしらった淡い着物に、純白の帯を閉めている。


あっちを向いているので顔はよくわからないが、髪はぶっ飛んだプラチナブロンド。


何となくだが、桜花の言う通りタダ者ではないような感じがして。



「………七五三?」



「七歳に見えんの?あれが。」



素早い桜花のリターンに、秀馬は口をつぐむ。



見たなりには間違いなく高校生ぐらいだ。



幼女と言うには歳があるように見えるし、かといって成人しているようには見えない。だが、ティーンエイジャーかと問われると何となくそうとは思えない。



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繰り返すが、見たなりには高校生ぐらい。だが、その着物姿とまとう雰囲気が、よく町中で見る高校生ぐらいの子達とは一線を画していて。



確実に言えることは、七歳ではないことぐらい………



「では、桜花。



お前はなんと見た。」



そんな秀馬の問いに、桜花は「はぁ?」というような顔をして、



「いやいやいや、横にいるあの男の人の彼女に決まってんじゃん。絶対。


ホラ、見てみなよ。ひとつのマフラーで一緒に暖まってんじゃん羨ましい。



てか、あの男マジやばくね?まだ十月だってのに、マフラーにコートって。



しかも全身黒………」



「………確かにな。」




これも何となくだが、あの二人、揃いも揃って普通な人間ではなさそうだ。



和服の少女は見たまんま普通じゃないが、男は全身が黒の上に傍らにはなにか細長い木刀のようなものを控えている。



一見やーさんに見えなくもないが、これがどうしてヤーさんのイメージには全くそぐわない。



涼やかで、ただどこか暗い感じの、


一言で言うならば「クールな青年」だった。




「よくわかんないけどさ、なんか訳ありなんじゃない?あの二人。」



「なぜそう思う?」



「だって、この時期このタイミングで年の離れたカップルとか、


昼ドラなら完全に駆け落ち覚悟の――」




「たまにそのお前の逞しいまでの想像力を羨ましく思うな。」



秀馬はため息をつく。



他のカップルならそう見えなくもないのかもしれない。


だが、あの二人はどう見ても、ただただ仲むつまじい旅行客である。



昼ドラでよく見る、あのドロドロの男女感は、露ほども感じられない。



着物の少女は見たまんま幸せそうだが、黒コートの男も、笑ってこそいないものの、どこか楽しそうだ。




「もしあの二人がお前の言う通り男女の関係であるならば―――あの二人は間違いなく旅行客だな。



……あれじゃないか?海外から連れ帰った女をあちこちつれ回しているパターン……。」




「………。


……若社長も相当な妄想家だと思うけど。」



桜花がため息をつき、首を左右に振る。




その後も二人は色々妄想を続けたわけだが、どうしてもあの二人に似合った表現は出せず。



―――列車はさくせすぶろっ軒駅を立ち、ようやく二人の目的地『三郷温泉』へ。



バカみたいな妄想合戦に、やはりこれも何となくだが、張っていた気をほぐされているような気がした秀馬であった。



汽笛一声、ディーゼル車が山を上って行く。



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3


―――※―――




駅の手前で列車は減速し。



『まもなく、三郷温泉、三郷温泉。


三郷温泉を出ますと、次は恋歌に止まります。』




ワンマン運転らしいアナウンスが流れて。



席を立ち、運賃箱に500円玉を入れた秀馬は、



列車が完全に停止するのを待って、



ドアが開くと同時にホームに降り立ち、










そして、飛び込んできた風景に目を疑った。









その駅には駅舎がない。というよりは取り壊されたらしい。


ボロボロになった木片がそこらじゅうに散乱している。




駅の存在を示す駅名プレートは、赤錆びていてもはや『三郷』の字が読めず。



コンクリートで形成されたプラットホームは、所々に大きな地割れ、転落防止の柵は草むらに転落、点字ブロックはもはや凹凸がない。



雨濡れでボロボロになった時刻表がカサカサと音をたて、



無骨な掲示板にはもはや画ビョウ以外の掲示物は刺さっていない。



ベンチにはクモの巣が張っており、引っ掛かったらしい蝶の羽が無惨にも風に揺れている。



ホームの端には『ようこそ三郷温泉へ』という看板があるにはある。が、


『三郷温泉』の『三』の字が、線が一本欠落し『二郷温泉』に見えるあげく、


幻覚でも見ているのだろうか?



『永らくのご愛好ありがとうございました』という垂れ幕があるようにも思う。






「………おい。」





桜花の肩をぐわしと掴み、一気にこちらに引き寄せる秀馬。



彼女も彼女で魂を抜かれたような顔をしているが、そんなことは彼の知ったことではない。




「本当に、ここに温泉郷があるのか?」



「………えーと。」



「もう一度聞く。



本当に温泉郷があるのか?」



「……………。」




朽ちかけの駅―――なんて生半可なもんじゃない。



もう、朽ち果ているとすら言えるかもしれない。



構内は枯れ葉だらけで手入れされたようすがない。



ベンチにはホコリが被っていて相当長い間誰も座っていないよう。



発車ベルは赤茶けていて音が鳴りそうにもない。



昼というのに、電灯は点いたり消えたりを繰り返している。



リアルバイオハザード、とでも表現しておこうか。




銀河鉄道999もビックリのゴーストステーションに、



彼らの体は硬直した。


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「い、いや、でもほら!



この先行ったらひょっとしたら町があるのかも………」



「このなんの舗装もされていない雑草だらけの畦道の先にか!?



あるわけねぇだろ!んなモン!!」



「あー、出たプライスレスwww」



「ふざけるな!」



激昂する秀馬。




「そんなポンポンポンポンあたしに文句言わないでよ!


だって、だって『るぶぶ』にはちゃんとあるって書いてあったんだから!


ほら見てなよ、これを―――」



そう言って、桜花はリュックサックから一冊の本を取りだし、ページをめくった。



「ちゃんと見てなさいよ!」


必死に三郷温泉を探す桜花。だが、秀馬の目は、それとは別のところを注視していた。



そう、彼女の持つ、その『るぶぶ』の表紙面に―――






「コラ。」




「………?」




「お前………これちゃんと表紙見たか?」




「ええ、そりゃあもう!


『秘境温泉、恋人同士でいくまほろばの旅』―――」



「だとしたら………お前は相当なボンクラだ。」




普段からは考えもつかないような冷たさで、秀馬。



瞬間、桜花の顔が真っ赤になった。




「何よ!何なのよ!それだけ言うには当然なにか理由があるんでしょ―――」



「言わせてもらえば、こんなところに連れてきた時点で既にボンクラだが………」




そう言いながら秀馬は彼女の持つ『るぶぶ』を引ったくり。






「1995年版の『るるぶ』を使って旅行計画を立てたお前は、その上を遥かに行くボンクラだ。」




「( ゜Д゜)」







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五分ほど時が止まっていたのではないかと思う。



その『るぶぶ』には確かに、題字の横―――



「るぶぶ」の三文字の横に、堂々と「1995」という4つの数字を並べていた。




みるみる青くなる桜花の顔。



「つまり………この本は………



年代遅れの役立たずのただの紙切れだと………」




「そんな本を使って旅行しているお前が一番役立たずだ………!」




もう涙すら出そうになる。


冗談じゃない。



こんなところに宿があってたまるか。



線路の横に並ぶ、『廃墟』を眺めて思うことには。



こうなってくればもう旅行どころではない。



「とりあえずもう帰るぞ!?


いいな?」



桜花の反論を許すことなく、彼は間髪入れずにケータイ(iPhone6)を取り出して帰りの電車の時間を調べようとする。



が。



「…………。」




画面をみて、秀馬は言葉を失った。



タッチパネルの左上に、小さな「圏外」の赤文字が光っていたからである。



これでは調べるもクソもない。





「…………時刻表は!」




掲示板、わずか一枚生き残っていたその紙切れを、藁をもすがる思いで見る秀馬。



だが…………




「い、一日に一本だと……?」




この駅はどうやら本当に廃駅寸前だったらしく。どうやら普通電車ですら通過するらしく、



16時15分に一本停車する以外は電車は来ないことを、


その時刻表は示していた。


つまり、今乗ってきた電車が終電だったわけである。



「「…………」」





立ちすくむ桜花と秀馬は、恐らく、




この先彼らを待ち受ける、とんでもない事実に



気づいてしまった。





―――ここで一泊。





「……………。」



「……………。」



「……………?」



「……………!」



「むむむ無理無理!!



こんなところでどうやって一晩過ごすのよ!」




「俺に聞くな………お前が撒いた種だろうが!!」




二人して顔面蒼白のホームの上。


いつもはクールにかつ的確に物事を判断する秀馬であるが、



今日ばっかりは頭がぶっ飛んだ。






たぶんここに人はいない。



たぶん、野生の天国。





イノシシも出る。




シカも出る。




ネズミも出る。




下手すりゃ熊もでる―――


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―――待て待て落ち着け冷静に考えろ考えれば考えるとき。




車を呼ぼうか。



いや、ケータイは繋がらない。






次の駅まで歩こうか。




いや、歩くうちに日が暮れる。








人に泊めてもらおうか。




いや、こんなところに人の住んでいるはずもない。










『永らくのご愛好ありがとうございました』の垂れ幕の前に立ち尽くす二人。





「…………えっ?」





桜花が声を上げる。




―――何かいい考えでも思い付いたか!と、期待を込めた眼差しで秀馬は桜花を見たが………





「今日、本気でここに泊まんなきゃならないの?」







―――違った。




ひきつった笑顔で桜花。



よく見ると鳥肌が立っている。



それはそうだろう。





こんな汚い場所で一泊だなんて、普通は誰だって体験したくない。





ましてや、温泉に浸かれると思っていた矢先のことである。



それに、桜花だって仮にも女の子な訳で―――





「…………。」



腹は立っているのだが、どうして良心が咎めて彼女を責めることをよしとしない。




カタカタ震える彼女を前にして、少し冷静さを取り戻した秀馬。





―――弱った。




ここでは人類が築きあげてきた文明の結晶たちが何ら意味をなさない。




車もない。電車も来ない。ケータイも繋がらない。




「…………不味いな。」






しゃくり始めた桜花を見ながら腕を組んで先のことを考える。




さて、一体どうしたものか――――














秀馬がそんなことを思ったその時。















「珍しいの。この郷に来客とは。」







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4




――――※――――






「珍しいの。この郷に来客とは。」





弾むような喜びを含んだ声と共に、突風のような圧倒的な雰囲気が桜花と秀馬の体を駆け抜ける。




――一瞬、知床のあの神様が来たのだと思った。




あの日、信じられないことではあるが『神』という存在を確実に感じた時。




今のその感覚は、その時のそれによく似ていた。




だがすぐに、それが少し違う事に気づく。



あの時あの知床の土地神様に感じた、気高さや荒々しさは感じられず、



変わって今は、


優しく、柔らかく、暖かい感じがした。



まるで、今このときが幸せの絶頂であるかのような―――




「――――」




あの人の類い。




そのように感じた秀馬は、それを振り返ると共に絶句した。




―――なんと、さっきのプラチナブロンドの少女ではないか。



少し青みがかった着物に純白の帯は、見違えようもない。



菊花をあしらった刺繍はまさに



あの電車に一緒に乗っていたあの少女のモノで間違いない。





しかし、彼が言葉を失った理由はそれだけではなかった。




―――美しい。



その日本人離れしたエメラルド色の大きな瞳に吸い込まれそうになる。サイドテールの肩まで伸びる、プラチナブロンドの髪もよく似合う。



………いや、違う。



美しいの意味が違う。




美人には違いない。



違いないが、可愛いだとか清楚だとか、


そんな言葉で彼女を表すことこそ愚かしい。



一言で言うのなら………そう、神々しい。






いかにも神格を感じさせるその圧倒的な風格に、秀馬は言葉を失ったのだ。









「あのクソ神……じゃない。」




どうも桜花も同じように感じたらしく。(注・クソ神=知床の土地神)



まるで、生命の神秘にでも触れるかのような表情。




絶句し立ち尽くす二人の様子を見てその少女はクス、と笑い、






傍らにいる相棒とおぼしき青年―――それもまた、一緒に電車に乗っていた黒コートの青年―――に






「のう、旦那様よ。



こやつら、わらわを見て固まってしもうたぞ。



なにゆえじゃと思うーーー?」





―――ん?んん?



と、お決まりの台詞でも待つかのようにしれっと聞いた。



特徴的なサイドテールが風にしぶかれてかすかに揺れる。

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問われた青年は、今の風で少し垂れ下がってしまったマフラーを、口許で巻き直し、



それから特段考える風もなくさらっと「さあな」とだけ呟いた。





石化した秀馬と桜花の姿など実に滑稽であったはずだが、


彼はクスリとも笑わない。



大きなバッグを肩にかけ、片手をポケットにねじ込み、終始無表情のまま秀馬たちを見る。




「和服が珍しいんじゃないのか。


ド田舎だからな。ここは」




「阿呆。そこは舞雪が美しすぎるからとか可愛いからとか言わぬか。全く。



相変わらず乙女心のおの字も理解しておらぬ」



ぷうっ、と頬を膨らませる少女。



「普段はあれほど好きだの可愛いだの言うておるくせに」




「人前だバカ」



「柚希や真冬の前では平気にしておろうが」



プイッ、とそっぽを向いた少女。






「舞雪」




「………何じゃ」





「可愛い」






「おう、そうか嬉しいぞ…………って



あああああ阿呆!いいいいきなり言うでないわ!!



ど、どう反応していいのか解らぬではないか!



それに………ほれ、人前ぞ!?」




「気にしないんじゃなかったのか」




「なっ………!


いや、その、


わ、わらわは、気に、など、して、おらぬ、ぞ!


決して!」



「顔が赤いが」


「いいい言うな馬鹿旦那っっ!」






ギャーギャーと騒がしい少女と、寡黙な黒コートの青年との掛け合い漫才のような言い合いは続く。





―――なんだコレ神様のオノロケかとさらに固まってゆく秀馬。


ふと傍らの桜花を見ると、目を点にして石像になっている。






そんな彼らの、困惑した様子に気づいただろうか。





「ん、コホン。



………すまぬな。わらわとしたことが取り乱してしもうた。



―――ようこそ三郷温泉へ。


とはいってもここにはもう宿もなにもないのじゃが。


………来客などわらわらぐらいな物だと思うていたゆえ、珍しゅうて声をかけさせてもらった。」




少し寂しそうに少女。


秀馬と桜花はとりあえずどうするか個々に悩んだ結果、



「あ………ども。」と少し頭を下げることにした。



こうすれば間違いはないと思ったのだろう。




するとまあ、案の定というか少女は満足そうに微笑み、



「わらわは三郷舞雪。



この地には長く住んでいたことがある。




………訳あって身分は明かせぬが………」



と言った。


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いや、身分も何もあんた神様なんだろう?と一瞬ツッコミを入れそうになった秀馬だが、


「そうですか……」と返事するに留まった。




「うむ。まあその………色々と複雑での。



人に話すと面倒なことになるゆえ………」




―――まあ、普通はそうだろうな、と秀馬は思う。



自分達だって、もし知床の土地神様の時、


勘助のフォローがなければおそらく相当取り乱したはずだ。




「まあ、そんなこんなだ。



今は、この馬鹿旦那の嫁をやっておる。



こっちは音無霧夜。府中の近くで喫茶店などやっておるが………」



黒コートの男を指しながら、


自らを『舞雪』と名乗った少女は言う。




その舞雪に霧夜と呼ばれた青年は、秀馬たちの視線を居心地悪そうに、また、バツの悪そうに空を仰いだ。


「…………。」




「……すまぬの。こやつ、人見知りというかその………



おとなしくてな。



知った人間以外はあまり話さぬ。」




―――いや、そう言われて俺はどうすれば……と、秀馬は心の中で呟く。



確かにこの男――霧夜と呼ばれた男は、見るからに近寄るなオーラを醸している。



イケメンにはまあ、違いないのだが、親しみやすい部類のそれではなく、どこか日本刀のようなキレを感じさせる。


…………とにもかくにも、またコレは特殊な人達に捕まったもんだと嘆いた秀馬は、



しかし文字通りにも神の助けと思えるこの二人に対し。



「古川秀馬と申します。北海道のラージブリーティングファームという馬産牧場で一応社長をやってます。


こっちはその秘書で斎藤桜花。


今日はこいつの提案で、三郷温泉に旅行しに来ました。



ですが、まあその、この有り様というか。



迷ったというかその………どこに行けば宿があるのやら、そもそも宿があるのか無いのかもわからず、立ち往生していた次第でして。」




「それはその………災難じゃったな、秀馬どの、桜花どの。


ま、すでに察しはついておろうが、ここはもう三年も前に廃村になっての。


ゆえに宿と呼べる宿もない。


残念じゃが、その、桜花どのの持っている本に載っておるような温泉街は、今はもうここにはない。」





――やっぱり。


最後の希望を絶たれた秀馬の心には、諦めにも似た喪失感が流れ込む。


桜花は………必死に本を隠す。



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「まあ、もともと客足の遠い温泉だったからの。



人がいなくなるのは時間の問題じゃった。




………まあ、宿がない原因はまたそれとは別なんじゃが。




それを話始めると長くなる。」




その長い袖を揺らし、ふふ、と笑う少女。




――――いや、笑うのはいいが、なぜにそんな悲しそうに話す?




「それでもここの生活は、温泉………観光業で持っていたものでの。


その温泉が無い今、この郷に居ようなどと考える者はもうおらぬ。」




―――それゆえ多分もうこの近くには人すらおらぬじゃろうなぁ、と呟き話をくくる。






つまり、温泉が出なくなって人がいなくなったということか?


彼女の話から推測すると、何となくそんな感じがするが………



しかし、それだけで人っ子一人いなくなるというのにはやはり少し違和感がある。



話せば少し長くなる、と言っていたその話が―――恐らくは鍵になるんだろう。







まあ、それがどういったものであれ、



どうやらここには何もないということだけは確からしい。




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「やはりそうですか……



せめて、宿ぐらい決めておけばこんなことには。」



頭を抑える秀馬に、舞雪は少し不思議そうで。




「……一つ疑問なのじゃが。


何故ここが無くなった事を知らなかったのじゃ?


少し調べればすぐわかることだと思うゆえ……」




「情報なき旅をしたいとこの桜花が。


電車の乗り換え、町の名前、降りる駅、そして辛うじて何件かの宿の名前………



それ以外僕らはなにも知らずに来ました。」




敬語モードに切り替え、一人称を『僕』にした秀馬。



桜花が吐き気をもよおしているのはあえて気にしない。




「まあ………白神荘というところがいいと本に書いてあったのでそこへ向かうつもりでしたが……


町全体が潰れてしまったのでは………」




―――瞬間、舞雪の顔色が一変し。




「待て、秀馬どの。


今……白神荘と言うたか?」



言った舞雪だけでなく、何故か霧夜までが息を飲んだような顔をする。



「え?ええ、確か白神荘―――」


「――――。」




刹那的に、


ざざあ、とホームの周囲を囲むすすきの海が、さざ波を立てる。




黄金色の草原が、突如吹き荒れた風にしぶかれて大きく揺れる。



ごおっ、と秀馬の体を吹き飛ばさんばかりに吹き付ける空気の塊。




「白神荘に―――」





驚くべきことに、舞雪と霧夜は全くその風の煽りを受けていない。


まるで、透明なドームの中にいるかのように。




「―――あの白神荘にか。」



突風の中、わずかに目を開ける秀馬。



その視線の先に、舞雪。




「――――。」




泣いているじゃないか。


それも、口元に笑みを浮かべての笑い泣き。




風の殻の中に止まる舞雪の、その姿に、



彼は腹の底を突き破りそうな切なさ―――溢れんばかりの郷愁を感じた。




ただいま―――お帰り。


舞雪と風の会話のよう。




―――何となくわかる。



彼女はこの地に格別の思いを寄せていた。



大切に大切に思っていた。


………そして、土地自体も、彼女の事を好いている。



「――――」




ビリビリ、と何かが破れる音。


風にしぶかれて時刻表が吹き飛んだ音。




とうとう風は勢いを増し、目を開けていられないほどに。


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「桜花………!」



風で飛ばされぬよう、必死で彼女を抱え込む秀馬。



「……………っ!」





しばらく風は吹き続け、まぶたの裏の、暗闇の世界が続いた。



手の中の桜花の感覚と、鼓膜を揺らす風の鳴る音が、彼の感じうる感覚の全てだった。






―――その風は、いつ止んだかよくわからなかった。


必死に目をつむり、風を避け続けたからだろうか。






………全てが終わって、秀馬が目を開くと。




「驚かして………すまなかったの。


秀馬どの。」




微笑みと共に、目の前に舞雪。


しかし、その頬には明らかに涙の跡が。



「…………。」





「そなたらがここへ来、わらわらと巡り会うたは偶然ではないかもしれぬの。



成り行きとはいえ、未だ三郷の影を追うものがいたということ………



帰郷の、何よりの土産じゃな。




………わらわも、これより白神荘の跡へと向かうつもりじゃ。



あそこには……わらわの思い出がたくさん詰まっておるゆえ………




その、二回忌と言うか、な。


秀馬どの、桜花どの。」




「…………はあ。」





「ついてきてはくれぬか。



どうせ、泊まるところも無いのじゃろ?



………旅は道連れじゃからの。」






へたっ、と座り込んだ桜花に、手を差し伸べながら、


舞雪は秀馬に向かって、ふ……、と笑う。




「生憎と宿はないが、の。


まあ、野宿もさほど悪くはない。」




―――まあ、その道のプロもいるわけでな。と舞雪は霧夜を指で指して。





「…………。」






………この状況でどうやったら断れるというのだろう。



というか、断る理由もない。




………彼女達は、神の助けなのだ。


たぶん。





「世話になります。」





「よろしい。」









さっきの突風とはうってかわった、



髪を揺らす程度の心地よいそよ風が



穂の海に佇む4つの影を撫でていった。






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5



―――※―――




その道のりは、見たこともないような獣道、と言っておこうか。



道らしきものが見えなくはない……がその大半は朽ち木に塞がれたり、


曲がり木に遮られたりしてとてもじゃないがまともに歩けたものではない。



夜露か雨か、地盤が緩みぬかるんでいるくらいは当たり前。


まるで毬藻のように石に張り付く緑苔は、まるでスケートリンクのごとく足を滑らせる。




「ねぇ、ちょ、タンマ、舞雪っちっ!


もうあたしら二時間はぶっ通しで歩いてるって!」



泣きそうな声で桜花。



一端のスポーツマンであり、体力には自信があるはずの桜花だが、この二人のペースにはどうしてもついて行くのがやっと。


ま、相手が神様(舞雪)と異能者(霧夜)ともなれば仕方ないと言えば仕方ないが、


置いて行かれそうになるともなると話はまた別。



………時計を確認すると、今は午後7時過ぎといった所。



只でさえ暗く、右も左もわからないような不気味な森林なのに、


ここでもし、はぐれでもしよう物ならまあまず命はないだろう。



いつか登山家が骨を拾ってくれるのを祈ることしかできない。




「マジ、お願い、だから、



五分だけ休憩しよおぉぅ………」




ゼェ、ゼェ、と肩で息をしながら桜花。




その必死なまでの彼女の懇願に、さすがに舞雪たちも足を止め。



「………もう20分もあれば着くのじゃが。


ついてこれぬか―――」




「―――無理。」




即答の桜花。遠慮なしである。



「そうか。」



舞雪は少し考え込むような素振りを見せたあと、


霧夜と顔を見合わせ、何やらボソボソっと話し、




「ま、やむなしじゃ。


望み通り五分の休憩にする。


………ほれ、そこの丸太に腰かけるなどどうじゃ?」



「あー、ありがと助かる。



悪いね。霧夜さん、舞雪っち。」






それを言ったのとその丸太に彼女が座ったのとはほぼ同時期だった。


目にも止まらぬ早業である。




「………そこに丸太があるのが判ってて言っただろう、お前。」



ことに気づいた秀馬は、振り返ってすぐにそう言った。


行き当たりばったりな事が多い桜花だが、こういうことになると、


脳を疑うほどの抜群の計算力を発揮するから不思議である。



ただ。





「え?そうだけど?何?」





否定できない安直さ………



というか、アホさは、



やはり桜花のものに違いなかった。


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****



一行は、疲れきった桜花の様子を見かねて、倒木をベンチに小休憩をとった。



木の葉の影に隠れながらも、その顔を必死に見せてくれる満月を、ぼーっと眺めながら。






「一つ聞きたかったんだが。」




へたる桜花と、その横に腰かけた秀馬に向かって、ついさっきまで一言も発することがなかった霧夜が、



少し目線に熱を込めて言う。




「……なんでしょう?」と、秀馬。




「………ラージブリーティングファームと言うと、あのラージグループの持ち牧場か?」



「ええ………まあそうなります。」



「コスモバルクとかマイネルネオスとかの?」




「よくご存じで。


まあ、あれは正確には父の持ち馬なんですが。



今の名義で行くと……そういうことになりますね。」




「……………!」





―――目ぇ輝かせてやがる。


これはただの競馬ファンの目ではないなと秀馬は思う。




………そもそも、『ラージ』と聞いただけで『コスモ・マイネル』が浮かんでくる時点でにわかでないことは確か。


そして、『マイネル』ときて『マイネルネオス』が出るとは。





………マイネルネオスは中山グランドジャンプ(J・G1)の勝ち馬。



G1勝ち馬と聞くと聞こえがよく、


『有名な馬なんじゃないの?』とか思うかもしれないが、


中山グランドジャンプとは障害のG1である。



平地のG1と比べると、これでもかと言うほど人気が低い。



したがって、その勝ち馬もなかなか有名になりきらない。



過去には名ジャンパーと呼ばれ、有名になった馬………フジノオーやゴーカイ、顕彰馬グランドマーチスなどがいるが、


その他はというと………J・G1一勝ぐらいでは、平地のG3馬より印象が低いこともあるほどである。


まあ、マイネルネオスもどちらかというとその類いで。



が、この霧夜という青年は、そんな圧倒的に人気の高い平地のG1馬―――マイネルラヴやマイネルレコルトを差し置いて、



そんなマイナークラスのマイネルネオスを例に上げてきたのである。




「霧夜さんは競馬に興味がおありで?」




確信を胸に秀馬。


言わせてみれば、ここまで知識のある人間が、競馬と浅い関わりでしかないというのは考えられない。


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三郷温泉旅行記。


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「まあ、人並みにはな。



時たま競馬場に行くこともある。


特に府中……家が近いんだ。



最近では……そう、毎日王冠を見に行った。


勝ったのは今年のダービー馬フロンティアエンドだったが………



あれは強い。」




―――天皇賞でのザラスシュトラとの対決が楽しみだ。と霧夜。





何が人並みだバリバリの競馬通じゃないかと秀馬は思う。




フロンティアエンドは四戦四勝のダービー馬。



新馬→500万下→プリンシバルS→東京優駿と


父オルフェーヴル譲りのパワーと、短距離血統からなる母ゆずりのスピードで四連勝。


距離的な不安から菊花賞を回避し、天皇賞を目指している、三歳世代の筆頭馬なのだが。




「ザラスシュトラの次走もフロンティアエンドの次走もしっかり抑えてらっしゃるじゃないですか。


実は相当コアなファンなんでしょう?霧夜さんは。」



「……………まあ。」



―――否定しない、というかむしろ肯定する霧夜。




どうしたことか、急に親近感の沸いてきた秀馬は、


なんだか少し嬉しくなって。




「これも何かの縁でしょう、霧夜さん。



もしよかったら、これもらってください。」



といって、ポケットの財布から、


一枚カードを取り出して、渡した。




「これは?」



「ウチの所有馬、コスモスルーオフが東京大賞典を勝った時の記念のオッズカードです。


この間引退した、柴名大知騎手のサイン入りの。


週刊キャロットの限定発行品、世に10枚しか出回っていません。」




受け取った霧夜の顔が、驚愕の色に染まる。


まるでダイヤモンドか何かを頂いたような感じ。



カードの上に彫られた、『3/10』の金文字が眩しく光る。




「それを持っているのは僕の他に、僕の父とその友人、柴名さん、そして厩舎のスタッフだけです。



まあ、貴方なら希少性もわかってくださると思いますが………」




「いいのか?こんな価値のあるものを。」



相変わらず顔色は変わらないが、どことなく遠慮の走を見せる霧夜。



―――ああ、やはりわかるのか、と秀馬は思う。



東京大賞典=G1ということをちゃんと理解している風。



ついでに言えば、コスモスルーオフ=G1馬ということも。


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「いいですよ。頂いてやってください。


ウチにはまだあともう一枚ありますし。




宿なき僕達を助けてくれたお礼とでも思っていただければ。」



「野宿の対価にしては高すぎる気もするが………


これを売れば、海外でもどこにでも行けるんじゃないのか」



苦笑の霧夜。





まあ確かに、これを売れば10や20では済まないだろう。



コアなコレクターなら或いは、60とか70とか(ry



しかし、そんな霧夜に秀馬は「いやいや。」と首を降り。




「あんなところで二人で一晩過ごすことを思えば、あなた方とこうして一緒に行動できていることは、


高級リゾートにいるのと変わりませんよ。」




―――本当に助かりました。


そんな意思を強く含んで。





「渡したものの価値が……なんて気にしないでください。



金の価値なんか状況でどうにでも変わってしまうものですから。



たとえ、どれだけ設備のいいリゾートに行ったとしても、スタッフの質が悪ければ価値がない。


金を払っても悪い気しかしない。



しかし、どれだけ古い旅館でも、人の暖かさや叙情を感じられれば、


心からの感謝で金を払える。



リゾート地に払う10万と、旅館に払う1万が、払った人の感性次第で、価値としてイコールになることだってあり得ると思ってますから。



今僕は、あなた方の優しさに感謝している。



だからそのカードをあなたに譲るのは、


ただその意思表示な訳で。



額の上下は大した問題じゃないんですよ。」




―――まあ、金持ちの理論と言われれば何も言い返せませんが、と秀馬は話をくくる。





今あるもので感謝を示した。ただそれだけのこと。



秀馬からすれば、それが100円玉だろうが札束だろうが、


込められた感謝は同じな訳で。



『額の上下は大した問題じゃない』というのはつまりそういうことなのだろう。




――相手への感謝、


プライスレス。



お金で買えない価値がある。


買えるものは、マスターズカード。





「そういうことなら遠慮なく受け取っておく。



………家宝にしよう。」




ポケットからハンカチを取り出した霧夜は、大事そうにそれでカードを包み込み。


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「まあ……こんな所では出来ることも限られてくるが。


これだけの物を貰ってはな。


出来る限りのもてなしはさせてもらおうか。」



「助かります。」



微笑みの秀馬。





――――夜はまだ先が長い。




この先に、まだ何か待っているものがあるか。





……ランタンの光が地面を仄かに照らし、その木片や枯れ葉の入り交じる独特の土質を浮かび上がらせる。





「さて。



そろそろ発つかの。」





その土を、キュ、と踏み締め立ち上がった舞雪は、ランタンを手にして前へ出る。



「えーっ!!まだ早いよ!」と桜花が駄々をこねたが、秀馬の鉄拳に沈黙し。









一行は、白神荘『跡』を目指し、


歩く。





さっきまで見えていた月光は、




木の葉に隠れてすぐに見えなくなった。



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6



―――※―――



『その郷は、精一杯役目を果たした



その地に住まう人のために



その地を訪れる人のために




精一杯役目を果たしたその郷は



自らの拓いた道を走り抜けた



時に人を呼び



時に人を見送り



時に暖かさを以て



人々を見守り続けた




どれだけの心が洗われたか



どれだけの体が育まれたか



どれだけの優しさが満たされたか




どれだけの人が救われたか




精一杯役目を果たしたその郷は



今はこの瑠璃色の水底に沈む



残された我々は



いつまでもその郷の轍に


道を見いだしていてはならない



道は前にはできず


後ろにのみ作られてゆく




今度は 今度は我々が



自分達の道を


自分達で拓かねばならない




今 我々は郷に決別す



わずかに残るノスタルジアと



その郷への感謝をその胸に





三郷への愛を その胸に





―――閉村宣言―――




三郷温泉組合長 平井清』







………それは、湖の前に建てられた、大きな石碑に刻まれていた。



高さなら長身の霧夜を軽く越え、横幅は黒板の長さほどはあったではなかろうか。




筆文字で彫られたその文面と、



その郷の姿を記したと思われるモニュメントが、並ぶようにして彫り込まれていた。




雨濡れで色褪せてしまったらしい


その近くに街を写したらしい土まみれの写真も、


何枚か並べられている。




手にとってここからの眺めと比べてみると、



この湖から見える向こう岸の山と、


写真に写る山とは同じものであることがわかる。



つまるところ、その写真と今いる場所からの眺めは


同じ風景であることがわかるのだが。



写真には、湖のある場所に街があり、



逆に今のここからの眺めには写真に写っている町らしきものはなく、



代わりに深く青い、大きな湖があるだけで。








「三郷…………ダム。」







写真を見る秀馬の傍ら、その巨大な水の塊を塞き止める、巨大な建造物を見下ろしながら、


桜花が半ば呆然と呟く。





無骨なコンクリートの壁によって貯めこまれた川の水、そしてそれによって生まれる湖。






そこにあったはずの街を、


覆い隠すように満たされた―――――





「ここが三郷………じゃ。」










呟く舞雪の声は、重たい。


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「ここが………」




―――温泉が出なくなったとか、人が来なくなったからとか、


そんな理由ではなかった。


そもそも町自体が消え去っていたのである。



……いや、消え去ったという表現はあまり正しいとは言えないかもしれない。



その町は、今もこの湖のどこかに沈んでいるのだろう。



ダム建設によって、三郷町は水底に沈んだ。



当然温泉はなくなり人は来なくなり、


その結果としてここに住まわっていた人々までがこの郷を去った。




そんなだから、宿も人も家さえも、もうここには存在しない。



目の前の石碑と、月光を乱反射する水の塊がそんなことを如実に示してくれる。



「在りし日は―――の。



まこと美しき郷じゃった。」




語り、というよりは独り言という表現の方が適当かもしれない。



後ろに手を組、石碑に近づいて行く舞雪。


霧夜が黙ってそれについて行く。



「春は花に揺られ、



夏は八雲立ち、




秋は―――ほれ、見た通りに朱朱としておろう。



さすがに吉野やらの名所には遠く及ばぬが……



それでもここからの眺めは、わらわの自慢であったな。」




ふふん、と自慢げにこちらを振り返った舞雪。




「……………。」



黙ることしかできない秀馬。




そんな彼の様子に、舞雪は「まあ、見たなりの感想でよいのだ。」と呟いて、


それから碑に視線を戻し。





また一歩、また一歩とゆっくり歩みを進めた。




「………………




冬は……………




………………






………………。」




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石碑の手前まで来、足を止めた舞雪。


その碑の左側、絵のモニュメントにそっと手を当てる。




その絵には何か神社のようなものが描かれており、


そしてその風景は、



雪景色に違いがなかった。




「―――楽しかったの。



うむ。



特にあの冬は、な。




まだ白神荘があって、温泉があって、僅かながら人がいて。



………真冬がいて、柚希がいて。





それから、霧夜が来た。」




「…………舞雪さん。」






「……数奇ではあったがの。



それでも、満ち足りた一瞬であった。」




目を閉じ、モニュメントに彫りこまれた神社を指でなぞり、クスリと笑い、



そして、ゆっくりと天を仰ぐ舞雪。




秀馬には当然、『あの冬』というのがわからない。



だが、今の舞雪の表情から………その日々がいかに充実したものだったかは見てとれる。







決して賑やかとは言えず、だがその地の人間の持つ暖かさで来る者をもてなしていた。皆それで幸せだった。





――――何となくそれがわかってしまう。なぜ解るのだろう?



なぜ頭の中にありもしないイメージができてしまうのだろうか?




これすらこの地の………




いや、さっき感じた風のように





舞雪がそこにいるからこそなし得る事なのだろうか?







「土地神………か。」




秀馬のひとつの結論。




舞雪という神様は……知床の神様が知床の鎮主であったように、



三郷の鎮主であったのだろう。




だから、この土地は舞雪のことを歓迎していたし、




今も秀馬自身にこんなイメージを宿らせる。




人一倍この地を愛しているし、



人一倍この地への郷愁を抱いている。





――――なるほどそういうことか。




さすがに、今霧夜と彼女が一緒にいる理由までを察することはできないが、




彼ら彼女らが、この地で出会ったというのは間違い無さそう。




だから二人して、この辺境の地へ。






町と共に湖に沈む、二人の思い出を懐かしむため……………










ふと秀馬は、霧夜の様子を見た。



彼は、長く黒いコートを揺らして


直立不動、頑として動かず



舞雪の横で湖を眺め続けていた。









「大切な場所だったんだろうね、


二人の。」




秀馬にだけ聞こえる声で桜花が呟く。



月光が二人の姿を照らし、



まるでそこが二人だけの空間であるかのように。









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「そうだな。」




なんの違和感もなく彼女の言葉を受け入れられる。













―――舞雪と霧夜は、見上げた夜空に何を見るのだろうか。




今は無き故郷への郷愁か、



それとも降雪美しいホワイトスカイか。






だが、端から見ているだけの秀馬と勘助にはその風景がどんなものなのかはわからない。




かつての郷の美しさも、その地の人間の持つ暖かさも、


イメージだけはできても、水の底からそれを感じ取ろうとするのはどだい無理な話である。





わかること、感じられるものは



舞雪がこの郷を愛していたということ、


見守っていたということ、そして、






万感の思いで見送ったということ………







舞雪の白い着物と、霧夜の黒いコートが



強いとも弱いともとれない風に渋かれ、揺れる。





どうしてここの風景はこの二人と完璧に調和してしまうのだろう………なんてのは、野暮な質問だ。














「空……綺麗よね……



若社長。」




「ああ。」




石碑の前の二人にならい、秀馬と桜花も空を仰ぐ。



ビルの谷間からは到底見ることはできないであろう満天に広がる星空。





―――あの二人はこの空を見て、ふるさとの姿……雪景色を思い出していたのかもしれない。


だが。



桜花と秀馬が見上げたのは、都会の騒々しさから離れた都会人が、その心を洗われるように感じてしまうほどに吸い込まれそうな黒い空、



言うなれば、深く清い





“ディープスカイ”








だった。
















「ウォッカ、ダイワスカーレット。」



「天皇賞秋か?」



「うん。」



「くだらん。」



「若社長にだけは言われたくないわよ。


洒落のひとつもいったことないくせに。」



「………ふん。」




二人は少しにらみ合い、




それから笑った。


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7


―――※―――




「すまぬの。付き合わせてしもうて。



つい最近あの碑ができたと聞いてな。



是非見ておきたかったのじゃ。」



三郷ダムを後にし、再び山路を歩み始めた一行。



後で気づいたことだが、あのとき舞雪は相当泣いていたらしい。



涙のあとが何筋か頬に残っている。



なんと涙もろい神様かと秀馬は思う。あの知床の鎮主以外、神様の有り様を知らぬ彼からしてみれば、


神とはこれほどまでに人間に近いものなのだろうか、と



感心にも近い感覚を持ち合わせた。






「あの閉村宣言の時はな……


村長が号泣して号泣して上手く喋れなくての。



それに皆が感化されてしもうて、


湖に沈む前にあそこは涙の海になっての。」



はは、と笑う舞雪。


見た感じさっきとは違い、寂しさを含んで無理に笑っているのではなさそう。



よほどその村長と村民の様は、ハートフルだったに違いない。



そして、それを想像するのはあまり難しいことではなかった。




「それは……碑を建てる気にもなりますね。」



「うむ。そうじゃの。


わらわも、初め聞いたときは本当に嬉しかった。



訪れる者は居なくなっても、皆心のどこかには三郷の影を残してくれておるという何よりの証拠じゃからなぁ。」





ニコリ、と舞雪。




「そうなりますか。」




何とも形容しがたい感覚に、秀馬もまた、笑うしかなかった。





――ふるさとは遠きにありて思うもの。



どこかの詩人さんが読んだ言葉だったか。




町自体が無くなってなお、その郷愁の捌ける先を探して、三郷の人々は石碑を作った。



郷に住んでいたという証明と、守りきれなかった贖罪からなのだろう。





そしてそれは、『恐らく』三郷の土地神であった舞雪にとっては



この上ない喜びであったに違いない。







「結局……碑の設立に当たって寄付が募られたんだが。」



先頭を行く霧夜が突如口を挟む。



………どこで見つけたのか、木刀のような物で草むらを掻き分けながら。




「舞雪が是非とも協力したいと言い出してな。


アレの建立費の五割は俺の財布から出ている。」





―――ええっ、マジで?あれ結構高そうに見えたがなぁ………と秀馬は思う。




「実は結構お金持ってたりするんですか?」



彼の問いに霧夜は。





「いや………今年の万葉ステークスを覚えているか?」



「ああ、ザラスシュトラが圧勝した。」



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「そう。あの時たまたま東京競馬場にいたのだが………


あの時俺の前に並んでいた筋肉隆々の若い男が、


ザラスシュトラの単勝を100万円買い込んで1億円を当てたんだが。」



―――ああ、噂に聞いたミラクル兄さんか、と秀馬。



「何故だかは知らんがその時、あの男が俺に万札を渡してきて、



『次は 3→6→2 で来るぞ。これで買ったら相当値が張るわはははは』



とか言ってきてな。



まあ、不振な点はありすぎるにしろ、貰ったものをそのまま懐に入れるわけにもいかんから、


言われた通りにその一点に張ってみたんだが。」




「ど、どうなったの!?」



鼻の穴を膨らませて桜花。


霧夜は目の前の草を一薙ぎ、それから最後手を止めて。



「碑の後ろには寄付金額と寄付した人間の名前が彫られているが。」



「…………。」




「『音無霧夜』の横には、二千万円と書かれている筈だ。」





「「………………!」」






頭から爪先までの衝撃の稲妻だった。





二十万馬券に一万円張ったってのか、この人。



で、当たってんのか。



で、寄付したのか全額。





「あの青年が何を考えていたのかは知らん。


1億円も当てたのだからお裾分け……てな感じでも無かった。


俺だけに渡してきたんだ。


何でも『笹のキャラは今日の友』とか言ってたか。



今でもその意味はよくわからん、が、



とにかくあの男にはいつか礼を言わなければな。」





唖然としてなにも言わない秀馬と桜花のことなど気にせず、



『木刀のような物』を地面に突き刺し霧夜。



足を止め、そこに立つ木にもたれ掛かり、座る。





「………で。



そんなこんなで碑を建てる工事は始まったのだが。



もとはあそこに建てる予定じゃなかった。



ここが建設予定地だったんだ。」



湖を見下ろす小高い丘に、今、霧夜一行は立っている。



先程の碑からは大した距離ではないが、これがまあ想像に耐えない獣道で、霧夜の先導無しではたどり着けなかっただろう。




「が、ある理由からここは建設予定地から外された。


とんでもない不都合が起きたんだ。



まあ、三郷らしいといえば三郷らしいんだが………」



そして霧夜は、丘の頂上(とはいえ標高は湖抜三メートルぐらい)を指差し。



「?」



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「不思議なことに、あそこから野湯が出た。」













「………………。






(´Д`)二回目」






再び唖然の桜花、秀馬。





笑いをこらえる舞雪。




















――――どうやら桜花の『風呂に入りたい』という願いは




成就する模様である。













「露天風呂おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」







「心配しなくても一緒には入らないから鼻血を出すな。」





いつもため息をつくのは秀馬なのである。


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*****




ここは女風呂である。




神聖なる女風呂である。







が、作者は男である。




ナレーションとはいえ覗いてはいけないのである。




従って残念ながら、情景の描写ができない。





だから、桜花のスタイルがいいとか、腹筋がイイ感じに締まっているだとか、ほんのり紅い頬が色っぽいだとか、「ふぅ……気持ちいい………」だとか、よく見れば**が大きいとか




そんなことは勝手に想像してくれたまへwwwwwwwww





そして、






舞雪は神様である。





間違ってもそういうアレを想像してはならないw









バチが当たるからw









よってここからは、二人の会話を中心にお伝えしたいと思う。





なお、ガールズトークによる過激な表現は《自主規制》ものとする。





では男性諸君、準備はイイか(殴







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――※――







「ん…ふぅ。



熱いけど気持ちいい……」



湯を掌で掬い、それを肩にかけた桜花。



その白い肌に馴染むアルカリ性の柔らかい湯が、その湯気と共に幻惑な《自主規制により削除されました》



「伊達に温泉郷と呼ばれていたわけではないということじゃ。


わらわも、随分と世話になった。」



そういった舞雪は、一度顔を湯船に沈めてから立ち上が《自主規制により削除されました》、それから桜花の横に腰掛け《想像を禁ずる》。




「ん?どしたの?舞雪っち。」




「桜花は………その……大きいのう。」




「へぇっ?



何が?」




「《自主規制》がじゃ。」




羨ましげに桜花の《自主規制》を見つめる舞雪。




「ああ、これのこと?



いやいや、こんなもん大きけりゃ大きいだけ邪魔でしかないし!



秀馬に色仕掛けが効くんなら役に立つけどさー



あいつ、どれだけ見せようがくっつこうが、


なんの反応もないし。



ホントに男かね?あれ。」



呆れたように桜花。




「一つ気になっておったのだが………



おぬしらは……その。




恋人同士という訳ではないのか?」




「おぉ!?


痛いところ、いや、いいとこ突くねぇ、舞雪っち!



それがそーなんだよ。あいつさあ、この世で100人といないんじゃないかってくらいの鈍感でさぁ。



端はみーんなあたしが秀馬のことが好きだっつー事に気づいてるのにさ、



あいつだけてんで気づかないのよ。まるで無視。



ずっと果敢にアタックしてんのにさー」




「まあ、何となくわかるの。


あやつによう似た鈍感男を知っておるゆえ……」



「それ、霧夜っち?」




「いや、また別の知り合いじゃ。それも風のたよりというか。




旦那様はアレはアレでデレ屋じゃからの。


うむ。アプローチはなかなかにストレートであったな。


たしか、『俺はお前に惚れたんだ』と一言じゃったな。



今でも事あらば好きだの愛してるだのと――――」




「―――あー、羨まし。


お裾分けしてくんないかな、その言葉。あのバカ秀馬に。



あいつがあたしに言う言葉なんて、『もう終わりか』とか『残業に付き合え』とか『馬鹿野郎』とか『まったく』とか。好きだ愛してるだなんて言葉、聞いたとしても『俺は日高の生産馬を愛してる』とか『サイレンススズカのような逃げ馬が好きだ』とか。



あいつ、底無しの馬バカだからねー」




―――まあ、そこが好きなあたしが残念なんだけど。


と桜花はため息をついた。


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立ち込める湯気はゆらゆらと陽炎のように、湯船を覆い隠す。



………あれ?お陰さまでここからは声しか聞こえな(殴




「桜花は」



口を開いたのは舞雪……らしい。


まるで、恋バナに花を咲かせるようなウキウキとした声。




「最終的には秀馬とはどこまでいきたいのじゃ?



ほれ、彼氏とか同棲とか」







「―――結婚。」





おいおい即答かよ桜花。



舞雪さんビックリして言葉失ってるじゃないか。






「お、おぬし………のぼせたか?」




「いいや。頭はバリバリに冴えてるよ。うん。


まあ、体は大分と熱ってるけど。ほらほら見てよこの《自主規制により公開できません。》」




「いや、それはわかったゆえ、早く湯船にもどれ。


湯冷えして風邪を引くとよくないでの。」




「あ、こりゃ失態だわ。はっは。」




じゃぽん、と飛び込むような音がした。



どうやら桜花は無事に湯船に戻った様子で。







「それで………結婚したいと?」





「うん。」





「まだ付きおうてもおらぬのにか?」




「ま、それはいずれ……」





「他に心の許すような男はおらぬのか?」





「皆無。あは。」






「秀馬どの以外には考えられぬと?」






「そーそー。つまりそゆこと。」








「わからぬなぁ」







「何がさ」








「奴が、男前であることにはなんの異論もない。




じゃが、桜花ほどの美人が一人の男に執着する様がこう……どうしてもわからないのじゃ。



それも、恋愛上手な人間というわけでもなく


お主の好意にてんで気づかぬ鈍感男………



それでもお主は結婚までしたいと言うておるわけじゃ。


失礼を承知で聞くが、



秀馬とは、それほどまでに追う価値のある男なのか?」








「うん。あるよ。



あたしにとっちゃあ勿体ないくらいたくさん、ね。



……正直、顔なんかどーでもいい。ま、イケメンだとは思うけど。わら。




あたしさ。


大学の頃ある事件を起こし………いや起こされて、精神的に大分やられてた時期があってさー。



いや、ホント崩壊寸前だったんだよ、うん。


毎日毎日奈落ってゴミクズに後ろ追いかけ回されてさ。時々どっか連れ込まれそうになったりとかして。



脅されたから家族にもその事話せなかったりとか。」




「ふむ」





身体中の息を吐き出すかのようなため息で、相槌を打った舞雪。






―――やべ、ちょっと話重たくてナレーション挟めねぇ………



と、メイショウハヤオウ。


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「まー、その奈落って奴が実は北海道最大勢力のヤクザ集団の御曹子だったりしてさ。


口出したらホラ、何されるかわかんないじゃんか?



だから、みんなあたしが苦しんでるのは解っていても、助けの手を差しのべてくれなかったわけ。ま、仕方ないと思うけど。」




「それは…その……辛かったであろうの……」



「辛いというか、怖かったね。


どこにいても後ろに奈落がいたからあの時は。


重度のストーカーでね、ホントに。



今ですら時たまつけ回されてるぐらいだから。」




―――まあ、さすがにあの頃ほど多くないけど。と、桜花はため息をつく。


緩に風が吹き抜けることで、


湯気のその立ち込めたものが、冷たい空気に混ざり、闇に捌ける。




「でもさ」




「?」




「その時、秀馬だけが違ったんだよ。同じ馬術部の先輩だった秀馬だけが。



誰しもが怖がって声をかけなかったあたしに、


唯一声かけてくれて。




あの時、あたしが泣いて帰ってるのを偶然見かけた秀馬は、


後ろに奈落がついてきているのを承知で自分の家にあたしを引っ張りこんで話聞いてくれて。



事実を知るなり家飛び出して、着けてきていた奈落を逆に脅しにかかってくれてさ。



ああその様はもうホントに凄かったよ。うん。



こう…何てのかな。首根っこ掴み挙げて持ち上げて、玄関の傘で静動脈辺りを圧迫してたかな。奈落は死にそうな顔してた。



離れた物陰から聞いていたから会話はよく聞こえなかったけど、捨て台詞?的な最後の言葉だけはよく聞こえてね。




『一生あいつに近づかんと誓え…!


さもなくば、今ここでニセコか知床、どちらでくたばるか選ぶことだ…



わかったらその薄汚い面を二度と俺の前に見せるな!』





って。」







「どっちがヤクザだかわからんの。」



苦い笑いを含んだ舞雪。



応えるように桜花は笑う。




「グラサンの風貌もあったし、あたしもそう思った。


やべ、この人怒らせたらマジ怖えぇ……って。



けど、奈落が逃げ帰って、秀馬がこっち向いて帰ってきたとき、あいつ



あたしに向かって微笑みかけてさ。



『奈落が追ってくる限りは俺の横についていればいい。


お前が部員で俺が先輩で有る限りは、俺はお前を見捨てん』



って。グラサン外してその蒼い目で。




すげーベタな話だと思うよ。思うんだけど、その時あたしの将来は決まっちゃったんだわ。



白馬の王子さまになっちゃったわけよ、あたしの中で。」

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かかかっ、と笑う桜花。



照れ隠しの様相ではない。




「奈落は、あたしを追い回したいがために浪人して。


結局あたしが卒業するまであいつのストーカーは続いた訳なんだけど。




まー有言実行というかなんというか、その度その度に秀馬はあたし守ってくれて。


自分が見てやれないときにはSP的な人までつけてくれてね。あ、その人古川の社長の配下の人だったらしい、感謝。



で、卒業して気がついたら


あたしもう秀馬が横にいない生活が考えられなくなってて。


あ、これ好きになってたんだなぁーって本気で思った時には、もう自分を制御できなくなってた。あは。




そんでそのまま勢いで押しきってラージに入社して、秀馬の秘書について、ついでに居候まで決め込んで………



で、現在に至るわけ。




結局なんか迷惑の押し売りみたいになってるのがすげー心苦しいんだけど


でもこればっかりはどうしようもないからねー。」





―――負担を強いてる自覚はあるんだけど。



と呟いた桜花は、湯を手でひと掬い、



それから顔を洗った。








「なんとも微笑ましい話じゃの。



その………奈落とやらのつけ回しの話以外に限れば。」




相変わらずの苦笑いで舞雪。頭にのせていたタオルの方が崩れたのを気にしてか、少し自分の上方を気にしながら。




「わらわの場合は、どちらかと言うと霧夜から押してきた風だったゆえ、


桜花に助言してやることなど到底できぬが………」




そう言うと舞雪は立ち上がり、ダム湖の見える方へと移動した。




そこからは丘の下方が見えるのだが、そこには霧夜と秀馬、


男二人がいて、万が一にも誰も来ぬように見張りをしている。




彼女は、それが見える位置の意思にちょこんと腰掛け、下を見下ろしながら。




「じゃがの。ひとつ言えるとすれば………


秀馬は、桜花。



おぬしの事を大切に思うておる。



それは、紛れもない事実じゃ。




駅のホーム……あの突風の時、


あやつ、真っ先におぬしを庇いに行っておった。



我が身の安泰はそっちのけで……じゃ。



あれを見たとき、わらわはおぬしらが思い人同士であるのだと思うた。



『かれし』が『かのじょ』を守っているようにしか見えなかったゆえな。」




くくく、と噛むような笑いの舞雪。



それに対して……照れ笑いの桜花。



しかしその表情は、どこかまんざらでもなさそうで。








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「結局それはわらわの見当違いであった訳だが……



それでも、見当違いであったらば見当違いであったなりに、今思うことがある。」




ふ、と笑いかける舞雪姫様。



背後に重なる月と、そのほんのりと紅く染まった頬が、


その幻想さを際立たせる。



「それはの。




おぬしの想いは……そこらじゅうに転がっているような軽いソレとはまた違うということじゃ。



その数奇さゆえに、な。」



「………?」



「わらわにはその手の感情の種類と言うのがようわからぬ。



霧夜との出会いしかなかったゆえ。


まあ言うなれば……初恋の相手、というやつじゃろうか?」



―――ドラマの受け売りじゃがの。



と舞雪。




「しかしそれゆえ……その繋がりの強さというか、


そのようなことがよく見えてくる事もある。




………どこか、似ておると思うのじゃ。


桜花とわらわの恋愛の仕方というのが。」




「にてる?」




「そう、似ておる。




こんなことを言うのはなんじゃが、


おぬしも霧夜も中々のしつこさを持っていると思う。



わらわは、まだこの近くにすんでいた頃に一度、霧夜に『物好きはやめろ、もう来なくていい』と言ったことがあった。



心苦しかったでの。あやつがこんなところに縛られているというのが。



じゃがの。あやつ、『五月蝿い』とか言うてわらわにヘッドロックをかまして黙らせよった。



意地でも言わせぬつもりであったのじゃろ。あの時すでにあやつはわらわにぞっこんだったらしくての。ぬふふ。



結局霧夜はわらわになにも言わせぬまま、半ば強引にわらわを自分の家に連れ帰った訳じゃ。


ま、嬉しかったのじゃが。」




「へー」




「まあ、さすがに全く同じとは言えぬが桜花。


おぬしもそのようではないかの?




秀馬には散々、『もうついて来なくていいぞ』と言われておるのに、


それでもしぶとくしぶとくしがみついておるのじゃろ?



よう似ておるわ。あの馬鹿旦那のやり口に。」





石段の下方、相変わらずの黒コートをいとおしげに見つめる舞雪。



そよ風か彼女のブロンドの髪を静かになびかせる。





「秀馬は男じゃから………どう思うておるのかは、


わらわには正直なところわからん。




じゃが、ひとつ言えることがあるとすれば。












―――霧夜にああ言われたとき、



わらわは嬉しかった。









霧夜に一生ついて行こうという気にさせられた。









心の底から、奴をいとおしく思うた。」


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「―――――」












「不確実なことは言えぬ。




言葉が安っぽくなるゆえ。




………じゃが。」





―――いつの間にやらすぐそばにまで来ていた舞雪。



桜花の両頬を、優しく両手でピシャリと叩く。









「その数奇さゆえに、わらわの愛は不偏よ。




故、おぬしも諦めるでない。




必ず報われるときが来ることを、わらわが祈ってやる。




わらわらが成就して、おぬしらができぬはずがない。




秀馬は聡明な男じゃと信じておる。



奴がわらわの思う通りの男であれば必ず………






奴はおぬしを選ぶ。」





じゃぽん、と勢いよく湯に浸かり、桜花の肩に巻き付く舞雪。






「ひゃ……!ちょ、舞雪っち―――」






「じゃから、気負うな。



成り行きに任せればよい。



必ずいつか時が来る。




粘ったもの勝ちぞ?この類いの話は。





の?」








「あ……………



………………。




…………うん。」





コク、と頷いた桜花。



その口許に、仄かな笑みで。





「ん、そうじゃ。



そうして笑っておれ。



ソレが一番おぬしには似合っておるゆえなぁ。」





パァン、と桜花の背中をひと叩き、立ち上がった舞雪。




再び湖側の石段へと歩みを進める。



その細く長い脚に掻き分けられた湯が、ささあ、と音をたてる。








「―――舞雪っち」






背後に桜花の声。




振り返ると、湯に自分の顔を写して、三角座りでそれを眺める桜花。




「どうした?」






「…………ありがと。」









消え入るようなか細い声。






なんだ半泣きではないか、と気づいた桜花はふふ、と笑い











「おぬしはまこと可愛いの。ぬふふ。」













そう呟き






それからまた湯船に浸かった。







…………下の二人の会話は一向に聞こえないが、時々楽しそうな笑い声が聞こえてくる。









―――早く気づいてやるのだぞ、秀馬どの。









舞雪はそれだけを心に呟き、









それから湯船に顔を沈めた。










野湯は、優しさに包まれていた。







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8



―――※―――





―――翌日、廃墟三郷駅。



16時10分。









「いろいろと楽しかったぞ。


秀馬どの、桜花。」




再び純白菊花の着物に身を包んだ舞雪。


傍らに、来たときと同じ黒コートの霧夜を『従え』て。




「こちらこそ、貴重な体験を。」



軽く頭を下げた秀馬。




「うん。ホントありがと。


舞雪っち、霧夜っち。」




笑顔の桜花。





――時刻表通りに電車が来るとすれば、『もう一晩をここで過ごす』という舞雪たちとは、



あと三分ほどでの別れ。




まあ、この旅自体が相当数奇だったなぁ………と桜花も作者も思う。



ひょんなことから三郷に来、ひょんなことから霧夜と舞雪に出会う。




偶然というにはまあ、できすぎた邂逅だと思う。



ねぇ?メイショウハヤオウ。








ピーッ!と汽笛一声、来たときとはまた違う、真っ白な車体の旧国鉄型ディーゼルが向こうから走ってきている。




「そろそろかの。」




晴れやかに舞雪が言う。



昨日と違って、今日の夕暮れは中々に明るかった。



向こうの方から聞こえるのは、たたん、たたん、という線路の鳴る音。





そんな折。









「…………秀馬さん。」



ポケットの中を探り、霧夜が言う。




「?」




「これを。」




なにやらチケットのようなものを二枚手渡す霧夜。



―――手に取ってみてみると、そこには『喫茶 Sunday silence ヒマラヤ盛りパフェ一杯無料券』の文字。



「サンデーサイレンス?喫茶?」



覗きこんで復唱する桜花に、霧夜は頷き。





「店は府中のすぐそばにある。


東京開催の日にでも寄ってくれればいい。」




―――ガラガラだから年中予約は要らんしな、と霧夜。




「いいんですか、頂いて。」



「ああ、貰ってやってくれ。



俺からの礼のつもりだ。



さすがにあのオッズカードに匹敵する値段のものとは思えんが………」




そう言うと霧夜はその口許に巻いていたマフラーをサッと取り。




「感謝の価値は値段じゃない………



違ったかな?秀馬さん。」




はじめて見せた笑み。




含み笑いのようで、だがどこかに子供のような無邪気さも含んだような―――










「ええ。その通りですよ。」







秀馬もサングラスを外して応え、



笑った。










『まもなく一番線に、普通、


スマー・トファ・ルコン庭園美術館前行きが一両で、参ります。



危ないですから、黄色い線の内側まで…………』


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いよいよ列車はホームに近づき、線路の鳴る音も大きく乱暴なだだん、だだん、という音になり。



キイィーっというブレーキ音と共に、その純白の車体は、秀馬たちの目の前で動きを止めた。



『三郷温泉。三郷温泉です。』







「―――じゃあ、乗りますか。」



そう言って秀馬がドアに向かって足を運び出そうとしたとき。




「あー、しばし待ってはくれぬか。」




舞雪がそれを手で征し、



それから霧夜の手を引いてドアへ向かった。




「ん?どしたの?


舞雪っち。」



不思議そうに桜花。



しかし舞雪は


―――いやはや、んー、など言いながらドアの方へ霧夜の手を引き向かい。




「秀馬どの、桜花、もう少しだけそこでじっとしておれ。


写真を今―――」




と、ドアから電車に乗り込みそれから体を反転して、袂からデジカメを取りだし。





「?」






「思いで作りじゃ!ほれいくぞ!」




とカメラを構えた。






「え……えぇ!?」




慌ててポーズを取る桜花、固まる秀馬。







「いくぞ…………ハイ、チーズ!」









で。










カメラがパシャ!と音をたてたのと、






電車のドアが閉まったのはほぼ同時で。









『発車いたします、お見送りの方はホーム後方へお下がりください………』





ブウン………という音と共に、右に流れて行く車窓。
















「…………………




(´Д`)三回目」









「ぬはははは!おぬしらは二人でもう一晩ここで過ごすがよい!!



愛を育め!以上!」






去り行く電車の中から、舞雪がホームの二人に大笑いの末、叫ぶ。







―――何故か、『お見送りの方』扱いされ、



ポツリとホームに残された男女二人。







電車は毎秒ごとに小さくなり行き、


石ころサイズ………米粒サイズ………そして、最後にはトンネルに消えた。







ああ、山からこぼれた夕日が眩しい。











「…………何事?コレ」




目が点といった感じの桜花。




「俺が知るか…………」




顔面蒼白の秀馬。





カアカアとカラスが鳴き、




電車のいなくなったホームを、



冷たい風と枯れ葉が吹き抜ける。






「ひょっとして―――」




「――――ああ。」





「今度こそ本当にここで二人きり………」





「そうなるぞ」





「………




………



…………











いやぁあああああだああああああ!!!」










汚れつちまった悲しみに




今日は『舞雪』の降りわたる―――


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****




「で?どうすんの、コレ。」


――仕方なく野湯へと引き返す道中。



薄暗くなり始めた空の下、雑木林の草を踏み分けながら桜花が問う。




「わからん………」



顔をしかめる秀馬。



手には木片……枝の切れっ端を持ち、草を避けるためそれを振り回しながら。




「何がさ」




「何故、舞雪は俺らをハメる必要があった?


目的と意図がわからん」




「あー、それ、あたしも疑問っていうか。」




腕を組、立ち止まる桜花。



「お前は知ってたんじゃないのか?


理由か何か」





「へ?知らないけど



てか、何であたしが知ってると?」




「昨日一緒に風呂に入って何やら楽しそうに話していただろう?


あれで何か言っていなかったか?」





「ああ、昨日のアレね。



昨日…………」







―――あ。




昨日の舞雪の言葉を思い出す桜花。







『その数奇さゆえに、我が愛は不偏―――』




『お主らが結ばれることを祈っておるぞ―――』








―――そうか。



そういうことか。




わざわざあたしらにチャンス作ってくれたわけだ。あの人。




道理で『愛を育め』だのなんだの言ってたな、去り際に。




なるほどな。




それでか。




あの人らしいアシストってことかな―――








「………あたし、解ったわ。



…………



あの人らがあたしらだけを置いていった理由的な。」



はっとした風でもなく、ごく自然な感じに桜花。




驚いたように秀馬がこちらを振り返る。







「…………何故だ。」








「悪いけど、若社長には教えない。」




プイッ、とそっぽを向く桜花。





「女同士の秘密だから。」





「……………そうか。」





めんどくさそうに頭をひと掻き、秀馬は再び歩みを進め始めた。



深く詮索する気は毛頭無いらしく、さして怒っている様子もない。




「まあ、な。


神様の悪戯とあらば怒る気にもならん。



ことに、お前に関わっていることだ。



俺がとやかく言う必要もないだろうからな。」





―――お前の友人になった人なら、別に悪い気もしないしな、と秀馬。




然り気無く、桜花への信頼を、その言葉に盛り込んで。





「……………そか。」




どんどん前に進んで行く秀馬に、桜花は駆け足でついていく。






―――これが、秀馬。



桜花のよく知る、聡明で優しい、冷徹なようで温厚な秀馬。




『そうまでして追う価値が?』




―――残念なことにあるんだよね………


舞雪っち。




あたしは、間違いなくこの人のこんなところが好きなんだと思う。



全部、なんて嘘臭いから言わない。




天然なんだけど、鈍感なんだけど



絶対にあたしのことは大切に思ってくれているし、


信頼してもくれている。






「ねぇ、若社長。」




ふと、前をいく秀馬に声をかける桜花。




「………何だ?」





「あたしと一晩ここに二人っきりってシチュエーション、


嫌?」






――ストレートに聞いてやった。



あたしと秀馬の距離の物差しを計る、



いい機会だ。








「…………。



桜花。」






「ん?」








「この際だから言っておこう。



俺はお前をいつまでもあの家に閉じ込めるつもりはない。



俺の秘書で腐らせるつもりもない。」





――――いやいや、何でそうなるかな。






「いや、あたしが聞きたいのはそういうことじゃなくて―――」







「―――もしお前が。



他にやりたいことができただとか、好きな男ができだとか、そんなことがあって………居づらくなったときには、

遠慮なく出ていけばいいからな。



いつまでもあんなところにいる必要はない。


奈落のことは、いずれ俺が必ず何とかする。



お前ほどの女が、こんなところに縛られて動けない様が俺には―――」








――――ああもう、このバカ若社長は。






何でこんなにも鈍感で天然でデリカシーが無くて―――




「バカ秀馬っ!」






突如として、桜花が秀馬に飛びかかった。




「うおっ!?」




飛びかかられた秀馬は、その勢いから後ろに吹っ飛ぶ。




そしてそのまま後ろに雪崩れ込み………






どぼぉん!と大きな音が乾いた空気の下に響いたかと思うと、




二人は衣類もろもろあの野湯に落ちてしまっていた。



バシャバシャ、と湯の跳ねる音がして。





「な、何を―――」




「問答無用!ヘッドロック!」



霧夜が舞雪にかましたように―――



間髪入れず、その頭を思いっきり締め上げる桜花。



もちろんその下半身は、服ごと湯に浸かったまま。




「怒った!もう怒った!


あたし、もうあんたがあたしの気持ちに気づくまでは、あの家から絶対出ていかないから!」




「お前の………何のことだ?」



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「だから気づくまでは絶対言わないっ!」




―――今言っちゃえば楽になれるだろうなー、とは思う。



仮に言ったとして、拒絶されるようなこともないだろうと本当は思っている。




万事が上手く行くような気もする。





結構近いところに、手の届きそうな所に、



あたしは幸せへの鍵を持っているんだろうなあと思っている。





―――でも。







気づいてもらいたい、秀馬に。






これは100%あたしのわがまま。






ただ、ミーハー的に好きだからついてきた訳じゃないことに気づいてもらわないと


自分にとっては意味がない。







あたしの、秀馬への、



感謝、


憧憬、


敬意、


信頼、




そして何よりの好意。









無茶なこと言うかもしれないけど、



そんなあたしの思い、全部知ってもらいたい。





全部受け止めて欲しい。









全部に気づいてもらうためには…………



今は、時じゃない―――――











せっかくチャンスもらったのに………













ゴメンね、舞雪っち。










「いい加減に離せ………!」





「…………イヤ。」





「二人とも風邪引くぞ」








「別にいい」









「何考えてるんだ?お前。」






「若社長に関係ないでしょ」








「では離せ。」








「死んでも離さない。」










「………………。」








ころころころ………と蟋蟀が水際で鳴いた。





二日目の三郷の、秋の夜は、





しかし少し違った様子。









昨日は優しさに包まれていた丘上の野湯が、










今日は、淡い色の慕情が織り成す、






柔らかい恋の風が、




ゆるりと流れているようだった。









菊の季節ではあるが






桜花が七分咲きの三郷温泉である。











《三郷旅行記、完》


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おまけ



―――※―――



「ちょっとやり過ぎじゃないか?」



唖然とホームに立ち尽くす二人を窓から遠目に見ながら、霧夜が呟く。




「なんの。


あれぐらいの事がなければ桜花も報われんでな。


それに、心配せずともあの二人なら上手くやるじゃろう。」




ふっ、と含むような笑いの舞雪。



「いや、それはそうかもしれないが………



どうするんだ、怒っていたら」




「心配せずともよい。




仮に怒っておったとしても、奴らがわらわの家を知るはずもない。



ゆえに怒鳴り込まれることもない。



正真正銘これっきりじゃ。」





―――いやあ、楽しかったのぉ、と舞雪。


車窓から吹き抜ける風が爽やかに再度テールを揺らし。




しかし霧夜はどこか浮かぬ顔で舞雪を見つめている。




「どうした馬鹿旦那」




「間違いなく家の位置は知られると思うぞ」





「何故?



そ、そんなことがあるわけなかろう!


地図も住所も教えておらぬのにどうやってわらわらを見つけることが―――」





「その住所も地図も、




全部あの無料券に記載されているが」











「……………








「(´Д`)←舞雪は一回目」」






顔面蒼白の舞雪。










「それは………まことのことか?」

「ガチだ。」









血の気が顔から消え去る舞雪。










「霧夜、今すぐ店を畳め。


夜逃げするぞ」





「アホ、そんな真似ができるか」



苦笑の霧夜。





…………頭はキレるのに、どこか抜け落ちていた神様であった。





―――――――――――










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