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23



「とにかく、古川さん!勘助さんのことをアホだなんてそんな―――」


身を乗り出して熱弁を振るう秋華。


その姿はさながら『落としのチョーさん』のよう。


さすがの古川もこれには説明、弁明のしようもなくて、


「おぉ!?あ、いや、悪かった悪かった。


ま、待ってくれ!


うん、勘助ちゃんはアホじゃない。


だから、落ち着いて!な!?


俺も本気でそう思てるわけとちゃうんや!」


若干二〇歳の若者に詰められた齢六〇歳は、たじたじになって身を後ろによじらせながら叫んだ。



一瞬の沈黙。




「………紛らわしいこと言わないでください。」


秋華は乗り出していた身をゆっくりともとへ戻し、腕を組んで古川を睨み付けた。


(か、勘助ちゃん!!)


古川は救いを乞う目を勘助に向けたが、



(すみません………)


勘助は目線をそらした。



(な!頼む!何とかして!)


哀願する古川。




(…………っ!


ええぃ!)


勘助はとっさに思い付いたことをとりあえず口にした。


「で、古川さん!『アホか』の続きは?」



「……………!」


傍らの秋華の毛がよだつ。



(わっ!


か、勘助ちゃんのアホ~!)


涙目。


「つっ、つまりやな、勘助ちゃんがプロである必要はない!


自分で言うのもなんやけど、伊達に『相馬眼の古川』って呼ばれてる訳やない。


トシロー君はほんまにええ馬やから。


プロが世話しようが、アマチュアが世話しようが、そんなことは関係ない。普通にやってくれれば、おんなじことや。


要は、いかに勘助ちゃんが真心込めて育ててくれるか、や。



………そりゃあ勘助ちゃんは競馬に対する知識は薄いし、芝ちゃんとかと比べたら馬の扱いも慣れてない。


けど、相手はトシロー君やから。ほんまに賢い馬やから。


さっき俺はほんまにビックリした。


斎藤さん………もう秋ちゃんでエエか。……秋ちゃんの後ろをロンギ(馬を引くために使う紐)も付けんとトコトコついてくるの見てな。


あんなん見たことない。なついてるとかそういうもんとちゃう。


あの馬は人間の事を本気で理解できてる。自分が何をすべきか判断できてる。役目を理解できてる。

そんな馬に今の段階で何かを教え込むなんて無意味や。無意味。」



秋華に睨まれて最初駆け足だった口調も、次第にゆっくりとした力強い言葉になっていた。


古川の思い入れが切に伝わってくる。


「……………。」


秋華は、睨むことをやめた。


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あの馬に必要なんは、入厩までに必要な体と基礎的な体力、ほんで何より人間を好きになってもらうこと…………。


ただそんだけや。あとはとりあえずなんもいらん。


全部生まれもって来てるんやから。


だから勘助ちゃんは、なんも気負わんと今まで通りに世話をしてくれたらそんでええ。



あの馬には必ず愛情は伝わるはずやから。人間と同じにな。


ほんで、いっちょまえに競走馬として活躍できる年齢になったときは、うちのラージの職員が必要な事を教え込んでくれる。


それからでもなんも遅くはないんや。」


大阪人特有?の身ぶり手振りを加えて、最後は熱弁という形になった古川。



引け目を感じやすい自分を、勇気づけようとしてくれているのは痛いほどわかって、ありがたいとは思う勘助だが………



「仰ることは解りますが………


なんだか釈然としませんね。」



自分に技術を必要とされていない、というのは中々に寂しいものである。



「まー、そうかもわからんけどな。


ちょっと堪えてくれ。


今、あの馬に競馬を教えることは危険や。


多分、自分の闘争本能の赴くまんまに自分を鍛えようとするやろうな。


それが自分が強くなることに繋がるってことを知ってしまったら。


エエことのように聞こえるかもわからんけど、骨格もしっかりしてないうちから『それ』は危ないんや。怪我して競走馬になれんかったらなんの意味もないから。


だから今はゆっくり体作りに勤しんで欲しいわけよ。」



「はぁ…………」


「でもそれは、競馬を知り尽くした人間にはなかなかさせ辛いことや。あの人らは強く育てるのが仕事やから。


でも今俺が求めるのはケアフルに優しく馬を育ててやること。」


それをしやすいのは………秋ちゃんや勘助ちゃん、あんたら馬のイロハしか知らん人間なんや。



…………ていうことで、納得してもらえたかな?」




「……………なるほど。」


(自分の持つアマチュアさがかえってスキルになる、か。


そういう風に必要とされてるなら確かになんの遠慮も要らないかな。)


勘助は秋華を見る。


彼女は口をすぼめ、何かを考えている風だった。


(秋華のただただ思いやりしか持たない無垢な接し方も、生きてくるわけだ…………)





「……………



……………わかりました。


気負わず、今まで通りにやります。」


どこか吹っ切れたように勘助が言う。


「アマチュアゆえのスキル、存分に使うことにします。」


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よくよく考えれば今さら何を。


トシローのことは俺が一番よく知ってるじゃないか。


そう、言葉通り。


何も気負う必要はない。何も………



そう頭で何度も何度も繰り返し、何の気なしに、


というか考え込んだときの日本人特有の反射的に


勘助は手元にあった茶を飲み干そうとした。


(あれっ?でもさっき俺茶なんか淹れたっけか………?)



気付いたときにはもう遅かった。


ごくっ。


ぶっ!!!


「冷たっ!」



五時間前に淹れたものだった………。

勘助の口から煎茶が飛散する



「おわっ!汚いな勘助ちゃん!」



「すっ、すみま……ゲホッ!」


台拭きを手に必死でフォローする。



「あの~……………」


秋華が申し訳なさそうに二人を見る。



「あっ、待って、すぐに拭くから!


ホントにゴメン!


こんなつもりは…………」


急いでテーブルに雑巾を走らす勘助。



「いえ、それが汚いとかそういうんじゃなくて………


(それもそうなんだけど。)」




「……………?


なんや?どした?」



古川が聞くと、秋華は肩を狭めてさらに申し訳なさそうにして、



「さっきの話………


えっと、間違ってたらごめんなさい。


………私でも役に立てるってことですか?


その………こんなド素人でも。」


古川の顔をさらに遠慮がちに覗きこむ秋華。


その目線は、明らかに下からのものだった。



古川は秋華があんまりにも下手にはいってきたので「何かしたか?」と自問自答、しかし秋華の質問の内容を聞いて安堵した。



「あぁ、なんやそんなことか。



そりゃ当然やわな。


今はそういう人材を求めてるっちゅう風に言うたはずやで?


裏表はないよ。うん。」



古川の顔には、安堵にも似た笑顔が浮かんでいた。


さっきの取り乱し様を見ればまあ、そうもなるかとは納得できるが。



彼も勘助同様、秋華の期限を損なわないよう必死だったのだ。



「………まぁ、ちょうど三時間ほど前の秋ちゃんにやったら


多少抵抗はあったな。


馬を『作る』ということの目的がいまいちよう解って無かったみたいやから。


………競馬場でレースさせることすら抵抗持ってたわけやな?


うん、まぁ、そういうこともあるやろ。」



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「しゃーけど、さっきのレースで競馬の面白さも知ってくれたわけで。



競馬に懸ける人間の熱さも知ってもらえた…………かな?


ほら、大地のアレで………」



「はい、それは存分に。


馬には人が必要で、人が馬を必要とする。


何となくわかりました。


泣いてましたもん、柴名さん。


あれを見たら誰だって何かを感じちゃいます。」




――――私は何を感じたか。


あそこまで真剣になれた人がたどり着ける境地があれだと。


苦労、努力、忍耐、その先……


あれだけ耐えた人だから見られるのがG1という景色なんだろうなと。


そして、多くの競馬にかかわる人は


それを目指して、その景色を見るために日々馬と接してるんだと。


まだ競馬は一部しか知らないけど、馬が頑張るだけじゃない『人の競馬』を見ることができたなと。


「今、『柴名さんぐらい頑張る』だなんておこがましいことは言えないですけど、


いつか、いつかトシちゃんがあそこに立てるなら


私その手伝いができることは苦にはならないと思います。


だから、頑張ってみたいです。


G1でトシちゃんと喜びたいです。


ドラマを見てみたいです。


古い言い方かもしれないですけど…………」



「ハハハ、古い言い方、なぁ!


そりゃあ確かに俺ら世代の言葉やわ、うん。



確かに人間と馬のドラマはようある。


そうさな………オルフェと池沢とか、ディープブリランテと岩場とかな。


古いところで言うたら、岡場とルドルフ、田畑とテイオー、キーストンと…………


いや、止めとこう。思い出すだけで泣いちゃうからな。」



そう言いながらも、もうすでに目にはうっすらと涙が映っているように見える。


キーストン号。ダービー馬。


阪神大賞典のレース中に前足を大きく骨折する故障を発生。自身は瀕死の重傷を負いながらも、落馬し気絶した騎手のもとへ、片足を引きずりながら向かった。


日本競馬史上類を見ない、『出来事』だった。


この話に、感動という言葉は相応しくない。




「………ほんで今日のスルーオフと柴名な。


ありがちとまでは言わんけど、まあそんなに珍しくはないな。


ま、それゆえに『人馬一体』って言葉もあるんやけど。


ついでにキーストンは別やで。」


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「人馬のドラマは珍しくないってことですか?」



「いや、勘違いされたら困るで。


それぞれに出会いがあって、それを視聴者の興味を祖剃るところだけマスコミが面白おかしく報道する。


マスコミはそれが仕事やから。


そんで知名度は上がっていくんやな。


要は、報道されたところが有名な話として後世に語り継がれるんやな。


でも、馬との絆は馬の強さには比例せえへんのや。


未勝利馬だろうが条件馬だろうが、それぞれに想いがあって、それぞれに自分なりのドラマが必ずあるんやから。」



「自分なりの…………。」


トシちゃんとの絆、か。



「だから、人馬のドラマは多いんやな。


語られては消え、語られては消える。


その人の心には残り続けるけど、多くの人は忘れちまう。


つまり、人馬の絆ってのはその人の宝もんてわけや。


ま、オルフェと池沢みたいにパッと切れてもうた場合もあるけどな…………




さて、それとは対照的に滅多に出なくて永遠に語り継がれるドラマがあるんやけど、


何かわかる?」




「………………。


馬と馬…………」



「そう、大当たり!


馬と馬とのライバル関係、ほんでそっから生まれる競馬ドラマは


なっかなか消えへんな。


さっきから人も大切な競馬の一部って言い続けててこんなこと言うのもなんやけど、


あくまでも馬が主役の世界やから。



………昔はそれもいっぱいあったなぁ。


TTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)の3強時代とか、


ビワハヤヒデ(菊花賞)とウイニングチケット(ダービー)とナリタタイシン(皐月賞)の一冠づつ分けあったクラシック世代、


オグリとタマモクロスの芦毛対決、


カス様とマキバオーとワクチn(以下略)


三冠潰しの的場シャワーも好きやったなぁ………



ライバル関係、な。


これが近代日本競馬百六十年ある歴史のなかで、数えるほどしかない。


なぜか?


まず勝ち上がるっちゅうことをせにゃならん。


どこの競馬場でも、最高峰のレースに立たん限りはその状況すら生まれへんからな。



………今はSSの一強で、零細血統が勝ち上がるっちゅう事が少なくなってもうたからなぁ………



まあ、そんな最強の馬同士の戦いはやっぱり、『どっちが強い?どっちが勝つんや!?』ってワクワク感がある。


それは、いつまでも人の心に残り続けるな。




で、そんなライバル関係が身近にあるんやが………」


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「ラグフェアーとスルーオフですね!」



台拭きを見事こたつの位置から台所に投げ入れることに成功した勘助が、久々に口を挟む。


古川はその通り!とばかりに微笑む。



「あれだって、ただの未勝利戦やったらそこまで話題に上らんかったはずやで。


しゃーけど『北海優駿』ちゅう道営最高峰の舞台で、あいつらとんでもないレースをやらかした。



だから、二世対決を見たいって言う奴が出てきた………秀馬な。



一世代前に怒ったライバル関係が、子の世代にもう一度決着をつけようとする。


すごいドラマやと思わんか!?」


古川がいたずらっぽく笑う。



「俺たちがその立役者………」



感慨深そうに勘助。



「そ、そうですね!


はい、すごいです!」




秋華もこれに呼応する。


何だか胸が高鳴ってきたなぁと。


人間が元来から持つスポーツの感動への憧れが、


今まで裏の世界に生きてきた私にも帰ってきたんだなぁと。


トシローによる感動を、私も一緒に味わえる可能性があるんだなぁと。



秋華は何年かぶり、いや、生まれてはじめて心に灯をともすことができた、と思った。



「あのっ…………!




私、精一杯やります!


そりゃあ今は、知識にも乏しくてなんにもできませんけど………


トシちゃんが好きですから。


いっぱい勉強して、役に立てるようになります!」




覚悟を決めた女はなんとも凛々しい。


ただテレビの横光に照らされているだけなのに、まるで月光に照らされたかのように見える。


彼女の内からなる炎が、そうさせているのかもしれない。



その時その場に人間が百人いたとしたら、間違いなく百人が百人とも彼女の顔つきの変化に気がついたことだろう。



それほどに、彼女は凛としてしなやかで、美しかった。



そんな彼女の変化を、当然古川も察知していた。



「ふふん………。


ええ顔やな。


もう、任せるになんの不安もないわ。


よろしく頼むで、勘助ちゃん、秋ちゃん。」



古川が目の前に手を差し出す。


((……………!))


勘助と秋華は、全く同時のタイミングでその手を握り返した。



「はいっ!」


「喜んで!」


勘助の握り返したその手は暖かかった。


こたつにずっと入れていたせいもあるが、それより他の何かがあったことには間違いない。


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………………。



しばらく手を握りあっていた三者だが、


最初にそれをほどいたのは古川だった。



自分が離さないと二人が話せないことを悟ったのだろう。


手を離した古川は、


一瞬勘助の後ろに何かを見て動きを止めたが、


次第にふふっと笑いだし、



「参ったねぇ…………


ほんまに俺がもらってエエもんかな、あんなすごい馬………




もうあいつらは遺伝子レベルでライバルやな。」


そう呟いて、勘助の後ろを指差す。


その顔が「全く………」と言っているようだった。



「えっ?」


すかさず勘助と秋華が後ろを振り向く。


するとそこには―――



「ひゅひゅひゅん!」



――――真っ黒な顔が、障子からその姿を覗かせていた。


「あっ!」


秋華が裏返った声を挙げる。


「トシロー!?


どうやって出てきた!?」




「ぶふふん!」


彼の顔が少し笑って見えたのは気のせいか。


トシローは一度顔を引っ込め、再び顔を出したときには長い棒をくわえていた。


ゴロン。


木の棒が畳に落ちる。



「まさかとは思うが………


自分ではずしたのか………!?


んなアホな………!」



そこまで言って、彼はハッと思い出した。


(そういえばさっき………)



――――――――――――――


「ホンマに幸せな人生や………」


古川が呟く。



ガタッ。



ん?物音………?



――――――――――――――



「ひょっとしてあのとき………」



「ひぃんぶふっ!」


自慢気に首を上げ下げするトシロー。



さっき厩舎の前を通ったときは気が立っていたから気づかなかったか。



勘助はあっけにとられた。



「こんなことあります!?古川さん…………」



「だから賢いって言うてるやんか!


馬の知能レベルを越えてんな、もはや。


それにほら、見てみ!」


再びトシローに視線を戻した古川。


勘助も続く。




その時のトシローは、今にも駆け出しそうなくらいに鋭い眼光で、


テレビを睨み付けていた。



「ぶふーっ!」



「…………!!」


テレビにはコスモスルーオフが映し出されており、その姿を見たトシローは


闘志を全面に押し出すかのように微動だにしなかった。


(トシロー…………!)



「ひょっとしてわかるのか?


あれが誰だか…………。」



ガツッ!ガツッ!



地面を激しく蹴り上げる音がした。


「ひぃん!」



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「……………。」


勘助はもう言葉も出ない。



(遺伝子レベルのライバル………)



とんでもない話だが、どうやら既に倒すべき相手をトシローは知っているようだった。


既にその漆黒の身体にコスモスルーオフ打倒への闘志を宿し、今にもテレビに襲いかかりそう。



が、トシローは、まだ勝負の場が競馬場であると言う事実を、


自分が競走馬である知らないはず。



そこを無理させず、じっくり教えていくのが勘助の役目であると。

優しく接してやるのが秋華の役目であると。




古川の持つラージブリーティングファームの育成牧場に入厩するまでには時間がある。


その時間を、いかに有効に使ってやれるか。


そのことをこれから必死に考えてやらねばならないのだ。


気負わないのとはまた別の話。




勘助が一瞬そんな考え事をした隙――――


「がばぁっ!」



トシローは後ろ足で立ち上がり―――


どおんっ!


前足を畳の上につき、段差を登って来ようとした。


「いや、それはまずい!


トシロー!降りて!


馬房に帰るぞ!」


勘助は急いで立ち上がり、トシローの無口(頭にかける首輪のようなもの)を引っ張り、彼を厩舎へと続く廊下に引っ張り戻した。



「ぎゅひゅひゅ!」


明らかに不満そうな嘶き。



「気持ちは解るけどもう寝ろって!



………すいません、古川さん。


こいつを馬房に入れてきます!」


そう言い残し、勘助は馬房へと消えていった。



「お、おぅ、気いつけて………」


「了解です…………


うぉっ!暴れるな!こらっ!」



トシローの嘶きと共に遠くなる勘助の声。




「…………ホントに凄く賢い子なんですね、トシちゃん………」


その喧騒を見守っていた秋華がそっと呟いた。



「馬だなんて、信じられないくらい…………」




「俺もそう思てるよ。


だけど、それだけワクワクさせてくれるやんか、あの馬は。


どんな走りを見せてくれるか………」



「そう………です。


あの子は、競走馬なんですよね。」



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「まだなんか不服かいな?」


苦笑いの古川。



秋華は少し考えてから口を開いた。


「………心配じゃないかと言われれば嘘はつけないですけど………。


でも、ああやって祝福されてほしい………トシちゃんも。」



目線の先には優勝レイを首にかけて記念写真を撮るコスモスルーオフ。



なんかね。かわいいトシちゃんが、カッコいいトシちゃんになったときに


競馬が好きになれそうな気がするんだ。


だから、怖いけど、しっかりトシちゃん見守っていこうと思う。


『競走馬』としてのトシちゃんを………




「わかってくれたみたいやな。」



万面の笑みで古川が問いかける。

まるで答えを知っているかのよう。


秋華は一度全て息をはきだし、


その後大きく息を吸い込んでからはっきりとこう言った。






「はいっ!」










今度はグーを突き出してきた古川。


秋華も答えてグーを突き出す。



拳と拳でハイタッチをした二人は、


そのあと大声で笑った。












傍らで寝ている芝山の顔が、









少しばかり綻んだ。


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正に、雨降って地固まる。






目標を再確認した山本牧場スタッフたち。





秋華は結果的に、自分の居場所を見つけたことになる。




勘助も、わだかまりなく歩むことができよう。




コスモスルーオフがキューピッドになるとは、誰が想像しただろうか。







神様、できるならこのまま………











水溜まりができませんように…………









太陽が登りきるまでには、まだ時間があった。


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―――――――――――――



同刻、大井競馬場。






「――――若社長、お疲れさまでした。」



馬主席へと続く廊下を歩いていた古川秀馬に、メガネケースとタオルを持った、女秘書が近づいて行く。


年齢は二十代前半といったところ、秀馬と同じ形のサングラスをわざとずらして掛け、長い黒髪を揺らして歩く、ラインのしっかりとした美人だった。



「あぁ…………ありがとう。」



先ほど女子アナを悩殺したその口調そのままに、女秘書に礼を告げる。


しかし、女秘書の方はもう慣れているようで、気にもかけない。



「今日も素敵でしたよ?相変わらず…………」



もしこの時の彼女の台詞を文字で表現するならば、


間違いなく(爆)が付いたことだろう。


そしてそれは、あまり気分のいいものではない。



「世辞は………いい。



それより………今後の予定は。」




「もう。そうやっていっつも急かす。


当然ですけどこのあとはホテルへ帰ります。


明日は九時のフライトで北海道に帰り、社来コーポレーションの吉川様と幼駒の取引について話し合い、昼からはターザンファームと繁殖牝馬のトレードの話を………」



「もういい………大体わかった。」


そういって彼はタオルをつっけんどんに返す。


若社長と呼ばれるに至ってから、休みと呼べる休みをもらった事がない秀馬にとっては、この過密スケジュールももはや当たり前であった。



それを受け取った女秘書は深くため息をついて、



「もう…………


またそんなこと言うし。


私でもなきゃ誰もあなたの秘書なんか誰もやりたがりませんよ…………」


と、皮肉っぽく呟いた。


それにたいして古川は踵を返し、


「感謝は………してるさ」


とだけ言い残し、馬主席へと入っていった。



「―――っもう。」



そこで立ち止まった女秘書は、その場で方向を百八十度回転し、もと来た道を頬を膨らませながら帰っていった。




「そう…………感謝はしてるさ。







でなけりゃとっくの昔に親父にも見せてらぁな。



お前には俺の秘蔵っ子でいてほしいんだよ………。




斎藤…………桜花。」




前髪を掻き上げてみる。



どうやら11レースの投票が締め切られたらしい。




秀馬はふと、携帯の受信ボックスを開いた。


『未読メール 0件』


の文字が、液晶に映し出される。

彼はそのボックスの一番上、



『Re:業務連絡』


と題されたメールを開いた。



送り主は『親父』だった。


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――――――――――――――


From:親父


題名:Re業務連絡


本文:


まずはコスモスルーオフの健闘を祈る。



アグレッシブヒストリーさえなんとかなりゃあな…………



話変わるけど


俺は今北海道の山本牧場におるんやけど、そこですごい馬見つけたわ。


なんとあのラグフェアーの子や!


もう既に買うてもたわ(笑)


こんなことがあったところやし、ひょっとしたらスルーオフも勝つかもわからんな!


元担ぎは大事やで(*^□^*)




さて、こっからが本題やけど、お前に頼みがある。


今ちょっとこっちがゴタついてて、多少面倒なことになってるんや。



そんで手っ取り早く解決させたいんで、お前に手伝ってほしい。



なに、難しいことやない。


もしコスモスルーオフが勝ったら、


お前のその巧みな話術で、実現可能になった二世対決について


チャチャッとでエエからなんか話したって。



あとは俺の方で何とかするから。


じゃ、頼むで~☆ヽ(▽⌒*)



――――END――――――


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「全く…………


いつまでもこき使ってくれる…………」



秀馬は深くため息をついた。



そのメールは、自分がどのようにする作戦なのか、


というか何がおこってるかすら書かれていない、説明文としてはほぼ0点、


頼む文としても落第レベル


と秀馬は改めて思った。



二世対決が楽しみなことに嘘偽りは無いが、さすがに俺だってあそこまで冷たい視線を受けながらあんなことを言うのは


恥ずかしいもんだ………



頭に手を当て、背もたれに体を沈めながら彼は考える。



「俺でなければ………親父の息子なんか誰もやらないな。」


誰かの言葉をそのまま吐いてみる。



さっき桜花は自分に、


「私でなければ誰もあなたの秘書なんかやりたがりませんよ」


と言った。


確かにそうだろう。



が、しかし、だ。


親父の息子も多分俺にしかできないだろうと秀馬は思うのだ。



俺は無愛想なところが人に好かれず、人も寄り付かないが、


親父の破天荒さを好むような人間も、また存在しないだろう。



ベストパートナー、という言葉がある。


それは、その人の悪いところを許容しきれる人間が成るものだと彼は思う。



嫌々いいながらも、結局俺は親父の言うことを聞いてしまうし、


桜花にしても、何だかんだでよくついてきてくれている。



桜花と自分がベストパートナーあるかどうかはクエスチョンマークが付くが、


親父と俺は何だかんだでいいコンビなのではないか?


無茶苦茶言われても渋々やる俺がいて、


遠慮なく申し付けてくる親父がいる。


親父が迷惑を掛けていることを自覚しているかはかなり怪しいものがあるが、



それでも持ちつ持たれつ、うまいことやってるんだろうな、たぶん。




だってここに、親父の無茶を楽しもうとしている自分さえいるんだから……………。




その時彼はふと彼の父の顔を思いだした。



「ふふん…………」


腕を組んで目を閉じる。



今ごろ何をやってることやら…………。




秀馬は軽く睡眠を取ろうとした。だが――――



ぐぐっ。


(…………!?)


頬に激痛。


何かにつねりあげられたよう。



「痛い…………何をする。」



サングラス越しに、斎藤桜花の姿が見えた。


右手に2つカップを持ち、左手で秀馬の頬をつねりあげている。



ネイルがやたらと食い込むので、ものすごく痛い………。


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「ダメですよ、こんなところで寝ちゃあ。


もう最終レースですし、風邪引きますし。



寝るならホテルに帰ってからにしてください。

」



彼女はヤレヤレ………とぼやきながらパッと手を離す。


「ったく、何処ででも寝ちゃうんだから…………」




秀馬は、今だ生々しく残る


鷹に引っ掛かれたようなネイルの食い込んだあとをおもむろに触れながら、


「だからって………頬をつねるか………」



いつもなら、肩を叩いて普通に起こしてくれるのに。


何で今日だけこんなに乱雑な起こしかたなんだ?



そういった不満を視線に込めながら。


「いつも通りに…………適当に起こしてくれないか?


これじゃ、いくつ顔があっても足りな―――――」



秀馬がその言葉を放ったその瞬間、斎藤桜花は右手にあったカップのひとつを勢いよく秀馬の前につきだした。


当然、慣性の法則で中に入っているものは飛散する。


そして、中身は熱々のコーヒーだった。



「熱い………………!!!」



何をする!と視線を飛ばすが、


その時、桜花は悪ぶれるようすもなく、得意気に笑っていた。



「目が覚めましたか?


ついでに過去の行動からも目をさましてみては?」



斎藤桜花は終いにケタケタ笑い出した。


「桜花、貴様~っ………………!」


何をするっ!という怒声が喉から出かかったところで、それを遮ったのは桜花の反撃だった。



「怒るのは私が先ですっ!!!



あー!もう限界!さっきから聞いてりゃつっけんどんな返事をするわちょっとつねったら文句言うわ!」


「あれが………ちょっとだと?」



「うるさいっ!黙って!」



あまりの彼女の気迫に、秀馬は椅子に押し返された。


彼女の笑顔が一瞬にして真顔に変わる。


馬主席にわずかに残った人々の視線が桜花に集中するが、彼女は気にしない。


秀馬の脳は、予想外の事態に思考を停止した。


「…………えっ?」


「とぼけたって無駄です!」



「いや、とぼけてるつもりは………」



「いーえ、とぼけてるんですっ!


いえ!


そんなことはどーでもいーんです!


若社長がいかに私を適当に見てるかってことですよ!」



そう怒鳴り散らした彼女は、主馬の座るシートに備え付けられた机に、両手に持った熱々のコーヒカップをバァンと叩きつけた。


「………………っん!?」


後ろにのけ反る秀馬。


そして彼女は止まらない。


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「ちょ、ちょっと………待て。」


秀馬の必死の懇願は、無惨に即死する。



「待ちません!ぜぇったいに待ちませんっ!待つ必要がないですもん。


行きますよ、いいですか!?そもそも若社長は私が若社長のことをどういう風に考えてるか、ていうか若社長自体が私のことをどう考えてるか知らないですけど、私は少なくとも若社長に精一杯尽くしてるんですよ、ね、若社長?聞いてます!?聞いてないでしょ?そー言うところもすっごく腹立つし!もー、ホントに!私だって『お疲れさま。』とか、『ありがとう。』とか、言われてみたいですよ!?三年前私が入社してから一度でも誉めてくれたことがありましたか!?無いんです、無いんです、無いんですよ!だから前から言ってるんです!私でもなければあなたの秘書なんかやりたがらないって!私だって最近しんどいなーとか苦しいなーとか、思い始めてますよ、いいですか!?耳かっぽじって聞いてよね!こんなに私はあなたに尽くしてるにいっつもいっつもいーーーーーーーっつも『感謝はしてるさ。』とか、なに気取ってんだか知らないけど、私がそんなこと言われて嬉しいとでも思ってるんですか!?てか、思ってんなら致命傷ですよ。致命傷。女心が全く理解できてないし。私なんかね、そろそろ若社長に『好きだ。』とか、『愛してる』とか、告白もらってもいいレベルですよ、ガチで。そりゃあたまにはおしゃべりだしちょっと口うるさいかもしれないし…………………(中略)……………若干めんどくさい奴かもしれないですけど、そんなところを許容してなお私いい女でしょうよ?ね?違います?違います?返事は??また答えない~!そんなだからスミヨンが何故か早く仕掛けてオルフェが斜行してゴール前で差し切られるんですよ、全く!エルコンドルパサーがもう一回走ってるのかと思ったわよ!あーもう、全部若社長のせいですからね!!!全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!!!」




最後の『全部!!!』で酸素を使い果たした桜花はその場にしゃがみこみ、ゼェゼェと息を切らした。


中略の時間が約五分で、当然既に最終レースは終わっていた。


秀馬に、警備員からの『早く出ろ!』という視線が食い込む。



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しかし秀馬はその時、今までになかったほど一方的な攻撃と、今まで従順に来てくれていた桜花がこれほどまでにストレスを貯めていたことと、


さっき自分が気取りながらカッコつけて考えていたことが、全く持って100%の勘違いであったことに気づいたことで、



「な……………………。」


唖然としていた。


足元には椅子の手もたれに手をかけてゼェゼェと苦しむ桜花の姿。

それを眺めるうち、彼は自分がとんでもない大悪に思えてきて、



「う…………。


どう言っていいかわからんが………すまん。」



少し尻を上げて下方にいる桜花に軽く頭を下げた。


その時、その言葉と謝罪を感じ取った桜花は一瞬動きと息を止め、それから「はぁっ。」と息を吐き出し立ち上がり、


「やーっと謝った!やーっと謝った!


あーあ、長かった長かった、ほーんとに長かった。全く、その一言を聞くのに三年もかかるなんて、あーっもう!『ありがとう』が聞けるのは五年後とかになるんじゃないですか?てか、マジそれっておかしくないですか?なんでかなー、『ありがとう』ぐらいパッと言えるでしょ?ねぇ、社長?若社長?きいてますぅ?」


―――ヤバイ、また始まった。


これではいつまでたっても帰れない………。


そう感じた秀馬は、延々と喋り続ける桜花に目線を合わせつつも逃げ口実を探し、手でポケットを探ってみた。


右、なし。


左、なし。


左後ろ………なんかある。


よーし、一か八か!


「桜花…………これを見ろ!」


秀馬はそれをポケットからつきだし、桜花の話を遮った。



「ちょっとまだまだ話の途中――――!


…………なんです?これ?」


桜花はそれを手に取った。



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物は持っている秀馬からは裏面しか見えなかったが、どうやら名刺のようだった。


(頼む…………。話をそらせるなにかであってくれ。)



彼女は内容を読み上げ始めた。


「えーと、なになに?


……………。



…………ハァ。」




彼女の目が虚ろになる。



「ん?どうした?」



その時の彼女の目は、まるで人間の最底辺を見たかのようなモノであったと、


後に古川秀馬は息子に語ったという…………。



「………『あなたの居場所を提供します。また来てね。愛してる。


キャバレー………グランシャトー…………エリカより………』


……………。」


ぷちん。


欠陥の切れる音。


桜花の顔が、嘲笑に変わる。



「………………はっ?


まて…………俺はそんなところには行かないぞ!?


というか、あれっ!?」


―――――――――――――――………三時間前。


「よう、古川さん!元気だね!」


「はい。ありがとうございます。」


「どうだい?今日辺り飲みにいかないか?ほらここ……………」


―――――――――――――――


(ぬ………。あのときに渡された名刺だ………。)


記憶をよみがえらせた秀馬は慌てて弁明を始めた。



「ちょ、ちょっと待て!話がある!


つまりだな、べつにそこに行ったわけではなくて……………」



ぐしゃっ!


「ふふふ…………」


彼女の左手から音がする。



「!?」


そこには、仁王のような顔をした桜花が紙を握りつぶす様があった。


「わ…か…しゃ…ちょ…おっ?



これはいったいどういうことですか……………?」


後半につれ声は小さくなり、肩はぶるぶると震え、毛は逆立っていく。


かすかに歪んだ口許から洩れるように声がする。



秀馬は全身から汗が吹き出すような感覚に襲われた。


「いや…………違う。


それは俺が行ったのではなくて…………」



「へーっ。まだシラを切りとおすと?」



「いや、違っ……………」


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秀馬はこの時、彼女がもう一ミリたりとも自分を信用しようとしていないことを悟った。と、同時に


この行き場のない状況を自分の力ではどうにもできないことを知った。



(神…………俺ははじめて祈る。


もうなんでもいいから何とかしてくれ!


代償はなんでもかまわないから………。)



「黙ってりゃいいって話じゃないでしょ!?若社長!


ってかいつまで黙ってんのよ!


腹立つっ!」


桜花は無視されたことが相当頭に来たらしく、とうとうその手のもとにおいてあった先程のコーヒーを手にとって、それを大きく振りかぶった。


「…………何をする気だ?」


「決まってんでしょ!これでも食ら―――――」


「な!?」



大きく振り上げた紙コップがとうとう彼女の怒りによって降り下げられようとしたその時。



ブブブブッ!ブブブブッ!


♪回れまーわれメリーゴーランドもう止まーることがないように…………


携帯のバイブレーションと共に、着信音がなった。


(チャーンス!)


「待て!業務連絡だ!桜花!」


ケータイを胸ポケットから取りだし、『着信中』の文字を見せつける。


「…………あっ。」



そこはさすがに桜花も会社員。秀馬が業務連絡に出られないと会社に支障を来すと瞬時に理解し、投げつけようとした紙コップを即座に止めた。



秀馬はそれを確認するや否や即座に立ち上がり、この場を脱出すべく馬主ルームから廊下へとダッシュした。


「あっ、若社長!?」と呼び止めた桜花の言葉は当然聞かない。


生き抜くために廊下を走り抜ける。


そして、彼は喫煙ルームに逃げ込んだところで通話ボタンを押した。



「お電話感謝します。どなたでしょうか?」



彼は誠心誠意の感謝を込めて電話に出た。


しかし向こうから聞こえてきた声は…………。


『古川秀馬ラージブリーティングファーム早来場長兼社長の携帯で間違いねぇですか?』



明らかにヤーさんとおぼしき声色。電話口からもやたら高圧的な態度が目立つ。


「そうですが………そちらは?」


怒らせても何なので、下から入ってみる。



『あぁ、ワシか?ワシは社長秘書八島蘇武輪って者だけどもよぅ。』


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「社長秘書?ってことはあんたは親父の部下か?」


向こうがあまりにも偉そうなので、こちらも敬語はやめにした。


するとなぜか向こうは機嫌を悪くしたようで、電話口で舌打ちしてからこういった。



『ええか、坊主。ワシぁ今あんたよりも上の立場におる人間や。


ついさっきからワシは総会長や。口の聞き方に気を付けえよ。


お前は目下、俺は上司。』



「…………は?


…………ちょっと待て、誰が総会長(理事総会を取り仕切る人)だと?


それは俺の役職のはずだ。」



『だから口の聞き方に気ぃつけろ、な?坊主。


社長が直々に俺に打診してきたから今は俺が総・会・長。


わかるか?あぁ?』



「な、何を………言ってるんだ?」


だんだん頭が混乱してくる。



『わからねぇ奴だな、おめぇも。


社長がお前はこの役職はクビで代わりに俺にやらせたって訳だ。なんか文句あるか?』



(なっ……………!?)


徐々に自分の顔から血が抜けていくのがわかる。


そんなことがあり得てたまるか。


「親父が…………いや、社長が…………


本当にそんなこと言ったのか?」


――なんの断りもなく。


あせる秀馬をそとから心配そうに見つめる桜花。



震える足をなんとか奮い立たせ、秀馬は電話口の蘇武輪に聞いた。

イエスかノーか。真実か虚空か。

秀馬は当然そのどちらかの答えが帰ってくると思った。



が。



『お前の親父………ってことは古川の旦那の事か?



プッ………クッ………ふわっはっはっはっは!


おい坊主!なんでお前の親父がラージブリーティングファームの社長なんだ!?』



「―――――は!?



お前なに言って――――」



『お前、なんも知らねぇんだな。ガハハっ!


じゃあ教えてやるよ。


お前の親父はついさっき…………

……………………………が…………………………で……………………………を…………………!!』


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「――――――なっ!?


ま、待て!おい、それは本当か!?」



『プッ…………はあははははっ!

痛快だ痛快だ!


この期に及んで嘘なんてつくかよクソガキ!


なんなら幹部にでも確かめてみるんだな!!



地獄を見やがれ、ファッ〇!


じゃあな、小僧!


あははははっ!』



「ま、待てっ!」


ガチャ!ツーッ、ツーッ。


秀馬のまるで断末魔のような叫び声だけをそこに残して、電話は切れた。


タバコの残り火がチラチラと揺れる。


「まさか……………こんなことが…………クソっ!」



秀馬は灰皿の乗った机をバァンと叩きつけた


あり得ないことが起きた。しかも、今となってはどうしようもない。


秀馬は頭を抱えた。


「わ、若社長………?」


桜花が心底怯えたように入ってきた。


「そ、その…………私が…………原因なら…………


ごめんなさい!言い過ぎました!」



深々と頭を下げる桜花。


と、その瞬間



「来い!!」


「きゃ…………!?」


秋華の手は秀馬によって手繰り寄せられ、体ごと持っていかれたかと思うと、


気付いた時には彼女は秀馬に抱き締められる形になっていた。



「しゃ、秀馬――――!?」


心拍数が爆発する。


顔と顔がくっつくほどの距離になったとき、秀馬は彼女の耳元で囁くようにして喋り始めた。



「いいか。もうどこに耳があるかからん、こうする他に聞き耳をたてられずに話す方法がない。


が、落ち着いて聞け。」



「はっ…………んっ………


み、耳は…………」



「黙って聞け…………!


今からすぐに例の計画を実行しろ。今すぐにだ。」



「………んっ!


例の…………?まさか!」



「そうだ。早来分場のラージブリーティングファームからの独立だ。」



「!?」


秀馬は、手を介して彼女の体が跳ね上がるのを感じた。


「な、なんで今そんなこと―――」



「シっ!小さい声で話せ。」



「………………!


何が…………あったんですか!?」


桜花は最大限声を殺して尋ねた。


すると秀馬は息を吐き出し、


「…………っん!(桜花)」


もう一度息を吸い込んで、こういった。



「信じられんことだが……………」


ラージブリーティングファームが―――――――」




ーーーーーー





――――二時間前。


ラージブリーティングファーム幹部会議室。


円形に並べられたテーブルに、理事会、株主会の幹部たちが並んでいた。


皆、慎重な面持ちでこれからの成り行きについて考えているようであった。


そして、『それ』は沈黙を破った。




「蘇武輪。」


その男は手で合図した。



いつもなら古川が座るはずの社長席には、皮のの白いスーツを着た、とても痩せこけた男がどっかと座っていた。


口からは葉巻が煙を出している。


「は、それでは議題にうつります。


去る12月27日、東京ホースアソシエーションとの幼駒契約の場に措きまして、古川現社長が北海道に帰ってしまうという事象が発生いたしました。


社長秘書の証言によりますと、古川社長は、ご友人のお見舞いのためにとんぼ返りした、とのことですが、定かではありません。


また、本人からはなんの報告も受けていないため、この行為はサボタージュであると考えられます。


この事案についての売却契約の破棄による被害総額は、幼駒15頭総額2億円あまりに及びます。



………これらの被害結果をもとにいたしまして、私、八島蘇武輪は、本人不在ではありますが、不信任決議案を提出するものであります。


異論ありますか?」



八島蘇武輪は、落ち着いた口調で、なおかつ高圧的に聞いた。


理事の一人一人の後ろにはサングラスをかけた、ガッチリした体型の男が数人立っており、明らかに脅しをかけているようだった。


事実、数人は世紀末であるかのように震えていた。



「意義あり!


いきなり不信任決議(絶対効力)とはやりすぎでしょう!?


まずはしっかり事情を聴いて問責決議(効力なし)から………」


ある一人の理事が、声をあげた。

こんなことはあり得ないと。


しかし………。



ドグサッ。


八島蘇武輪の懐から、机にドスが勢いよく刺さる。


「ひっ……………」


理事は驚きのあまり後ろにひっくりがえってしまった。



「おめぇ………クビは惜しくねぇか…………?


もし俺らが勝ったらおめぇの立場なんざ一瞬でパーだぞ…………


この机のようにな…………。」


バキッ!と繊維ごと落ちたようなおとがする。



「………………!」


起き上がることすら忘れて恐怖に震える理事。


もはや抵抗するものなどいなかった。



何せ相手は八島組………


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「蘇武輪。」


再び白スーツの男が手で指示を送る。


「はっ、承知。



おい、おめぇらクズども。古川のアホの社長解任に賛成か反対か、


賛成なら手ぇ挙げろ。それ以外は今すぐ荷物まとめて出ていくんだな。


一生馬のケツでも追ってな。」



ぐぐぐっと先程差したドスで机をえぐり始めた蘇武輪。


「あぁ!?どっちだコラ!?


さっさと手ぇ挙げやがれ!」



「ひいぃっ………………!」



もはやこの状況下で抵抗するものは一人としていなかった。


満場一致の手が上がる。震えているもの、ぴしりと伸ばしているもの。



「フン、根性無しどもが!」


あざけわらうように蘇武輪が言う。



「ふふふ…………あははははっ!」


白スーツの笑い声が響く。




古川の、不信任決議案は可決された。



「じゃあ続きで聞くが………


ここにいらっしゃる八島奈落様はハーバード大学出の秀才なんだ、わかるな?


そうじゃなくてもそうなんだ。」


理事一同頷く。



「ふふふ…………」


不気味に奈落が笑う。



「ならば、そんな秀才の奈落様にこの牧場を継いでもらいたいと思わねぇか、おめぇら。


ここで手ぇ挙げねぇやつは、帰りにニセコか知床か、行きたいほうを言ってから帰れ。


八島組の者が、望み通りに連れてってやる。地獄にな!」



一同、手を挙げる。


「懸命な判断だ。おめぇらのクビは繋がったぞ!ははっ!」



蘇武輪は腹を抱えて笑い出した。


「ふふふ…………」


白スーツの男は口を押さえて笑いをこらえながら、


「古川専用」と書かれた灰皿の、古川の字の上に葉巻の吸い殻をねじ込み、



「古川くん…………これで終わりだね…………ククク………」



と呟いた。そして、ふふふという笑い声は次第に大きくなり………。



「ああっはっはっはっはっは!


ボクを怒らせたことをせいぜい後悔しなさぁい!



古川秀馬ぁっ!」







雪が吹雪に変わった。





―――――――――――――――






「ラージブリーティングファームは親父のものではなくなってしまったらしい…………」


「…………


そんな…………。」


ただでさえ秀馬の腕のなかで心臓が破裂しそうなほどなのに、さらにショックなことを聞いて、桜花は失神しそうだった。


「古川の社長は…………社長はどうなるんです!?」



「わからん。が、ひどい状況にあるんだろう。


多分まだ本人は気づいてないが………。



それより、だ。桜花。」



「くぅ………な、何………。


離れちゃダメですか?もう………」



相当苦し?そうに桜花が言う。本当ならここらが限界だが………



「廊下を………さりげなく見ろ。」



「廊下…………?」



「もうすでに監視されている。」



「!?」



桜花は目だけを移動させ、廊下を覗いてみた。すると―――



「あの………清掃員のお爺さん!?」



「声が大きい!しかもよく見ろ!


あれは変装しちゃいるが老人じゃない。」



「…………えっ!?」



「いいか、桜花、よく聞いてくれ。


今からすることは3つだ。


ひとつは分場を独立させること。

二つ目は明日の一番の便を取って、用事をすべてキャンセルすることだ。」



秀馬は極めて深刻に、勝つ慎重に話を進めた。


桜花もそれを感じとり、頷く。



「しゅ……若社長………。


3つ目は…………」



「あいつを巻くことだ。」



目線が廊下にいる清掃員を指していた。



「ど、どうやって…………」


恐る恐る桜花が聞く。



秀馬は方法を考えてみる。



仮に走り抜けたら報告されるだろうし、


何食わぬ顔で出ていったところでつけられる。


そうすると色々不味いことになるだろう。



だとすれば、だ。


うーん、奴を呆れさせるようなことを俺たちがして、奴等を自分から帰ろうとさせるのが一番だが…………。

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彼は少し返答をためらって、それからもう一度桜花を抱き寄せて、


「ひっ……………!」



「お前…………俺のこと好きか?」



「………………。



…………はぁ!?こんなときに何言って…………」



「好きか嫌いか聞いている。」



「えっ………なっ………そっ………へっ?」



訳のわからぬ展開に、桜花は戸惑いを隠せない。


が、容赦なしに秀馬は詰め寄る。



「好きか嫌いかだけ答えればいい!どっちだ!?」



「えっ………えっ?


そりゃあ………好き………ですけど…………」



(言っちゃった………


三年前からずっと温存してたのにこんなところで…………!


泣きたい…………。)



三年間溜め込んできて、いつか必ず!と思っていたことを半ば強引に告げさせられた桜花は


あまりの急展開で泣きそうになるほど。



しかし、これを気にする秀馬ではない。


「よーし、わかった。じゃあ、大丈夫だな?」



「へっ?な、何が…………



………………は?



えっ?えっ?えっ?ちょっと何?


ええっ?そ、そんなこと………


だだだダメだって!あっ!



あっ、あっ!



あああああっ!」







大井の闇が二人を包む………。


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――――――――――――――


同刻、清掃員。



『どうなってる、そっちは?』


下にある車から無線連絡が入る。


「どうって言われてもねぇ………」


彼はもう一度喫煙ルームを覗いてみた。


そこには若社長古川と、秘書斎藤桜花がいた。


ただし、異常な光景のなかで。



「俺を殴れ。」


「えっ?えっ?えっ?ちょっと………」


「だから俺を殴れって。」


「ええっ?そ、そんなこと………

だだだダメだって!」


「いいから殴れ!ほら!手を出して!こうやってやるんだ!」


男が女の手を握り、自分の頬に勢いよく当てる。


「あっ!?」



「今までの恨みを一気に俺に寄越せ!」



同じように何発も殴らせる男。


「あっ、あっ!」


どうしようもなくオロオロするだけの女。しかし、三発目で何か吹っ切れたらしく…………


「殴れって、ほら!」



「あああああっ!」



ついに女が本気モードに入ったよう。



「うわ~、酷い………」


思わず清掃員はため息をついた。


『おい?どうした!?』


無線が尋ねる。



「女が…………男をマウントしてます。ひっでえ。ボッコボコですよ、女の方はしかも泣いてます。



完全に痴話喧嘩です。」



『はぁ!?』



暫し沈黙が流れた。


『………………もういい、引き上げろ。長居は無用だ。』


あきれたような声が帰って来る。




「できればそう願いたいね。」



清掃員はそう呟くと無線のスイッチを切り、掃除用具を片付けて、エレベーターへと向かった。



廊下には、女の切ない泣き声が響く…………










「こんなことさせないでよ!バカあっ!」



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