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18


(ん・・・。)



勘助はもうろうとしていた。



「・・・。」


何が起こったのか・・・




目も開けられない。


手も動かない。


足も動かない。


喋れない。




(俺、死ぬんじゃ・・・)




背中には微かに芝生の感覚。


先ほどまでの雨で湿っているようだ。



(・・・ダメだ。何もわからない。)



勘助は考えることをやめた。



(なんか、もうどうでもいい・・・


このまま・・・)



勘助の意識は再び沈んでいった。



(・・・。)



ポツッ。



勘助は頬に水を感じた。



(雨・・・?)



その雨のような水の感覚は、最初の一粒を皮切りに、


何粒も何粒も勘助の顔に落ちた。


(心地いい・・・。)



しかし、勘助がその感覚に浸ろうとしたその時、


勘助の体は何かに引きずられていった。


脇から手を通されて持ち上げられ、足を引きずった形で。



(あだ・・・!?)



ずいぶんと長い間、勘助は引きずられて、


いろんなところをぶつけられて、


さっきの芝生を感じなくなった背中が、次に物を感じたのは、ややクッション材質の、明らかに人間が作り出したものだった。



(柔らか、かい。


・・・な、んで?)


勘助は引きずられた感覚を持ちながらも、


なぜ自分のからだが移動したのか、まだわからなかった。



(もう、何でもいいや・・・)



思考を止めた勘助は、再び意識を失っていった。




・・・。




パチイィィン!




突如、勘助の頬を衝撃が走った。


勘助の意識はすぐさま呼び戻された。



(なんだぁ!?)


相変わらず体は動かない。


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人為的な力を得て、勘助の体は大きく揺れた。


(・・・!)



いったい何事・・・



バチイィン!


また頬に衝撃。



しかも、意識のもどってきたせいか、


今度は痛い。



(何が起こって―)



バチイィン!



三度目の衝撃。


(ぐわっ!)




「痛いっ!」



叫ぶと共に、勘助の体を束縛していた倦怠感は消し飛んだ。


そして、その反動で勘助の上半身は跳ね上がり、



ゴツン。



「痛っ!」


「・・・っ!」



最後の衝撃が、勘助の額を襲った。


「いてぇ・・・。」


「か、勘助さん!?


勘助さん!」


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(ん?今の声・・・)


未だにじんじんする額に手を当てた勘助は


ゆっくり目を開けた。


が、勘助の視界は何かに遮られた。


(わっ!)



最初勘助は何がいるのか見当もつかなかったが、


目の焦点が定まるにつれ、それは姿を露にした。




「秋華・・・さん?」




次の瞬間、勘助の体は再び何かに押し倒された。





(うがっ!?)




「よかった!


勘助さん・・・!」




トラックの天井とわかるそれが視界に入った。




秋華が勘助に飛び付いたのだった。



(な、何!?)



「あ、秋華さん!?どど、どしたの!?」



「もう、死んじゃったかと・・・!」



それをいい終えるか終えないか、


勘助の耳の横で秋華は


わあっ、と泣き出した。




「ちょ・・・?なっ?」


勘助は、突然色々起きすぎて再び頭が困惑したが、


とりあえず


秋華に抱きつかれている今の状況に




最高級の幸せを感じずにはいられなかった。



(・・・。)



勘助の手は自然と秋華の背中へ伸びていた。




車内は、秋華の泣き声と、


勘助の幸福に満たされていた。


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秋華はそのままの体勢で動かなかった。



勘助もまた、動こうとしなかった。



同時に勘助は、何があったかも知りたかった。



「何が・・・起きたんだ?」




すると、耳元で泣き続けていた秋華が、


すすり泣きながら精一杯言葉を絞り出した。



「・・・ひっく、丘を、


せっ、せっかく、帰って・・・来たのに、



かみ、雷が勘助さんに、勘助さんに落ちてっ・・・



回りが、焦げて・・・その中心に勘助さんがっ、



もう、もう、死んじゃったかと・・・」



いい終えた秋華は、勘助の首筋に頭を埋め、せきを切ったように再び泣き出した。



(そうか・・・じゃああの雷で時間が止まって・・・





・・・?





雷?時間が止まる?)


勘助ははっとした。


(・・・そうだ、記憶!)



「秋華さん・・・だよね?」


恐る恐る勘助が聞いた。


すると、秋華はそのままの体勢で、


「そうです………!


秋華です……。」



まるで子供のように泣き続けた。


(・・・相当・・・心配してくれたんだな・・・)



秋華を抱く手がいっそう強くなる。



(記憶も・・・あった。)



勘助の心に安堵が広がる。



勘助も秋華も、お互い雨に濡れてびしょびしょだったため、体感的には寒くてしかたがなかったが、



ベタな話、勘助の心は仄かに温かかった。



(・・・あの水滴は涙で・・・。


運んでくれたのは秋華・・・。)



勘助はそう理解し、感謝した。



「ありがとう・・・秋華さん・・・。」



そっと、囁く。



何より、自分を信じて帰ってきてくれた秋華に



勘助は再度感謝した。



秋華の泣き声が少し弱まったように思う。


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勘助は手を秋華の頭に移し、そのまま背中にかけて髪を撫で下ろそうとした。


が、丁度肩を少し過ぎたところで


勘助は手を止めた。



(・・・無い?)



「秋華さん、髪が・・・」



勘助は本気で心配した。


(一体、何があった?)



「・・・。」


その問いを聞いた秋華だったが、しばらくは動かず、


泣き止むまではそのままの体勢でいた。





・・・。


(ん・・・。)


泣きはらした顔をようやくあげた秋華は、勘助の顔のすぐ手前に自分の顔を近づけて、



涙は拭わず、それでいて微笑を浮かべて、こう言った。



「過去と一緒に、捨ててきたんです。」




勘助の心臓が早金を打つ。




「それって、ひょっとして―」





「―私、まだ生きようと思います。」



秋華はしっかりとした口取りで勘助に自分の意思を伝えた。



まだ生きたい。


道具としての自分の生き方ではなく、


純粋に人としての生き方。


秋華はそれを追ってみようと思った。




そして、


その目から

その笑みから

その言葉から



そんな意思を受け取った勘助は、


安堵のあまり、上がっていた右腕を崩れ落ちさせた。



「よかった・・・」



勘助は一度目を閉じた。



(救えた・・・


あ・・・。)




「それで・・・これからのことなんですけど・・・。」



秋華の表情が少し固くなる。




緊張のあまり勘助の呼吸は停止しかけた。




風にしぶかれて軽トラが揺れる・・・


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秋華と勘助の視線が絡み合う。





「その・・・



ある牧場が、求人募集をしているって聞いたんです・・・。」



勘助は拳を握りしめた。



「はい。」



「そこの従業員は、みんな優しくて・・・


二人だけですけど、ほんとに賑やかで・・・


私、そこで・・・父にあった気がして・・・」


(芝さんか・・・)



「私のために必死になってくれた、優しい人も・・・いました。」


秋華が少し目線をそらした。



勘助の心臓が跳ね上がる。



「その人が、言ってくれたんです。


『行くところが無ければ、うちに来てくれてもいい』


って・・・



だから・・・」



秋華の顔が、再び勘助の正面に戻る。


(・・・!)


勘助は耳元に自分の心臓を感じた。


「だか・・・ら?」



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「私を、勘助さんの牧場で働かせてください。」


(・・・!!)




「秋華さん・・・!」




車内に相当の時間、沈黙が流れた。


勘助は、待っていた答えが帰ってきたことによることで、


秋華は、その返答を待つことで、



お互いに、硬直して動かなくなった。



(・・・秋華。)


黒い瞳に吸い込まれそうになる。






(・・・勘助さん。)



秋華は、当然肯定の返事が来ると思っていた。


誘ったのは、勘助なのだから。




・・・しかし、勘助の返事は次の瞬間


秋華を凍りつかせた。



「でも・・・お断りします。」



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「えっ!?」


秋華は耳を疑った。


(何を・・・言っているの?)




勘助の表情には一点の曇りもない。


「その申し入れには応じられない、と言ったんです。」




「ど、どうしてなんですか!?


そんな・・・」



秋華の顔は自然と勘助の顔から離れていた。



「そんなことって・・・」




自分は、勘助に頼ることを教えてもらって、


新しい人生を歩めると、



思っていた。



ひょっとしたら、その間に何かを見つけられるかもしれないと



思っていた。



だから、丘を越えて



帰って来た。



・・・なのに。



「無責任ですよ・・・勘助さん・・・」


自然と目頭が熱くなる。



秋華は勘助の膝の上を立ち、助手席のドアに手をかけて



車から飛び出そうとした。



しかし、秋華がロックを外した時だった。



「焦らないで、秋華さん。


この話には続きがあります。」




勘助は、起き上がっていた。



秋華は、そのままの形を保った。


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「秋華さんが、あんなことを言ってくれてホントに嬉しかった。


勘助、感動してます・・・」


「・・・だったらなぜ?」



「正直なところ、あのままOKしたい心情でした。



が、あなたからそれを言ってもらうことには少し問題があるんです・・・」



「・・・」



「僕は、秋華さんをうちに閉じ込める気は、ありません。



もし、秋華さんが牧場の仕事に耐えられないと言うのなら、


やめてもらっても構わないと思いますし、



もし他にやりたいことが出来たなら、


うちの牧場から出ていくのも構いません。



何より、僕は秋華さんにうちで遠慮はしてほしくないんです。」



「・・・。」



秋華の手が、ロックから離れた。



「万が一うちを出ようというときに、


今秋華さんから働きたいと申し込んだのでは、


どうしても申し訳なくなるでしょ?


『自分から頼んだのに・・・』と。



秋華さんにはそういう思いをして欲しくない。



だから、僕は―」



勘助は秋華の肩を掴み、こちらに体を向けさせた。



「な、何!?」


秋華は突然の出来事に困惑している。


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「秋華さん、


うちで働いていただけませんか?」



「・・・!」



秋華はその言葉を聞いて、やっと勘助の真意を見た。


(私から頼んだら、私自身の生き方が制限されてしまう。


行動の選択ができなくなる。


・・・。


勘助さんはそれを心配して・・・)



でも・・・



「………願わくば。」



「えっ?」



「・・・絶対出ていかせないくらいのこと、言ってほしかったですけど。」


秋華は口をへの字に曲げてうつむいた。


勘助も秋華の肩から手を離す。


「………いや、本音は……まぁ。


でも、この先一緒に生活したとして、


秋華さんがずっと一緒に暮らしたいと思えるほど


俺は自分に魅力があるとは思わないし、




別にイケメンではないし、


特技があるわけでもないし、


頭も悪いし、


優柔不断だし、


他力本願だし、


口下手だし―




!?」



勘助の言葉は、突如唇を覆った細い人差し指によって、閉じさせられた。




「………?!」






勘助の動きが止まるのを確認した秋華は、


ゆっくりと……唖然とした勘助の唇から指をはなした。





「あまり、自分を蔑まないでください。


そんなに魅力のない人なら、私……」




クスッ、と笑う秋華。



「あ、はぁ・・・。」



何も考えていない返事だった。



しかし、それを聞いた秋華はにっこりと笑って、



「よし!


じゃあ決まりですね!



斎藤秋華、といいます。




特技、趣味、特にありません!




彼氏候補は一人!




ではでは、よろしくお願いしますね!」



「・・・え?


あぁ、・・・こちら、こそ。」



勘助は軽く頭を下げた。



その行動と挨拶に、アイドル時代の片鱗を見た勘助は、


(絶対に家に男は呼ばん。)


と、固く決意した。



・・・かわいいだけじゃなかった。



それなりの理由があるんだな・・・


「じゃ、勘助さん。


帰りましょっか?」



「え?」



「牧場に帰るんですよ!



このままじゃ風邪引いちゃいます!」



「・・・ん?


ああ、そうですね……じゃあ、とりあえず。」



真っ赤になった顔を正面に向け、


震える手をハンドルへ戻し、



勘助は車を動かした。


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車は反転し、山本牧場への帰路を取った。



あの丘がどんどん離れていく。



(行きの時とえらい違いだ・・・)



始めてみたときから考えても、明らかに一番幸せそうな表情を見せている秋華。


何もないのに車窓を眺めている。



(・・・俺の意見、丸め込まれたな・・・)



勘助は、あの唇の感覚を思いだし、自分の唇に手を触れた。



秋華がまさかあんなことを・・・


あのタイミングで・・・


勘助の頭のなかはそればかりだった。



(あの子は、最初の俺が思うよりも百倍くらい


可愛い・・・。



でも・・・


飲み込まれてしまいそう・・・)



秋華と仮にも同居できる!


でも、我を忘れてしまいそう・・・



勘助にはやはり、不安と期待が去来していた。




しかしそれは、行きに感じたそれとは比べ物にならないくらい楽なもので、



それも勘助には嬉しかった。



(彼氏候補、か・・・。)



まだまだこれから。



秋華が一生出ていきたくないような関係を、これから作っていけばいい。


俺がそれくらいの男になればいい。



だんだん震えの収まって行く両手でしっかりとハンドルを握り、



勘助はとりあえず安全運転を心がけた。



(最初の仕事、秋華をうちに無事に戻す!)



いつもになく丁寧な運転で、



勘助は一番最初の信号に引っ掛かった。


「焦らず、待てばいい・・・」



勘助は一人、呟いた。




「勘助さん!見て、あれ!」



突然秋華が勘助の体を引っ張った。


「いてて・・・。何?


どしたの?」



「ほら!あれ!



白いシカですよ!」



「マジ・・・!?」



車線の隣の草原を、確かにシカが走っていた。


しかもかなり大きく、


青白い光を放っている。



「あれ、なんなんですか?


奈良のよりはるかに大きいですけど・・・」



勘助には、その正体はわかっていた。


直立不動の


大きな角を持つ


その青白いシカの正体―



「たぶん、俺たちを見送ってくれてるんだな。


根は優しいけど、それだけに厳しい。



だから、非常な判断も必要なんだな・・・



あのシカは、そういうシカだよ。」







「・・・?」



秋華はキョトンとした。












信号は、「進め」を示す、


青の光を照らした。


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―山本牧場。



「ウィーヒヒヒン!」



トシローは、放牧地の北の端のある一ヶ所をぐるぐると回って走っていた。


しきりに立ち上がり、何かを伝えようとしている。



が、その時牧場には誰もいない。


なぜなら、



牧場主の山本勘助は


昨日会ったばかりの女を知床に連れていき、


連れ合いの女も当然知床にいる。


そして唯一の従業員である芝山雄一は・・・





「ヒィン、ヒィン!」


必死に何かを伝えようとするトシロー。



なぜなら、




トシローが走り回っている中心の位置には、





芝山雄一が、うつ伏せで倒れていた。






陽が、落ちようとしていた。



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