14
静内から知床まで三時間くらいで行けると思ってた時期が僕にもありました……
浦河に住みはじめて知りましたね。襟裳ですら一時間かかると。
リメイクしたら襟裳岬にしてやる。何もない春にしてやる………
ーーーーー
「気持ちいい・・・」
安っぽい材質の布団ではあるが、
寝心地がすごくいい。
勘助に貸して貰った勘助の母のパジャマに着替えた秋華は、
社員寮二階の一番端、もともと女性の使っていたと思われる部屋で休んでいた。
というのも、そこらじゅうに
『ペン・ジュンジュン』
という韓国のスターらしき人物のグッズが並べられていたからだ。
これが一昔前の韓流ブームと言われるものならば、ここを女性の部屋と考えるのはごく自然である。
秋華は寝返りを打った。
目は瞑るものの、眠りにつけない。
まず、ここがどこだかすらわからない。
どうやって来たかもわからない。
覚えているのは、あの冷徹な顔のプロデューサーの―
「・・・!!」
秋華は布団を頭から被った。
思い出したくない。
思い出したら、
ここで自分は自分でなくなってしまう気がする。
だから、今は我慢。
私は、知床に行くまでは自分を守りとおさなければならない。
絶対に・・・。
胸が苦しくなった秋華は、その苦しさを涙に変えて外へ出した。
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・・・さっきの人、とても親切だった。
平然を装うのがすごく辛かった。
何回も「助けて」とすがりたくなった。
でも私は今一人・・・。
友達もいない。
家族もいない。
身寄りも・・・無い。
当然、友達だと思っていた人間には片っ端から電話を掛けた。
誰かこの胸のうちを察してくれる人がいないか。
探し続けた。
しかし、皆が返す言葉は決まって
「バカなことは考えるな」
・・・。
秋華の胸のうちは状況が落ち着くごとに苦しくなっていった。
やっぱり涙は・・・止まらなかった。
今は午前五時。
あと、二十時間後の辛抱・・・。
秋華は考えを巡らせてる内、
いつの間にか眠っていた。
向こうからは、包丁の音が聞こえる・・・
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・・・
コンコン。
「・・・。」
コンコン。
「秋華さん?」
ん・・・。あ、あの人の声・・・。
秋華は布団を顔から上げた。
「・・・はい。」
「入っても大丈夫ですか?」
「え、・・・どうぞ。」
秋華はすぐさま体を起こした。
「じゃあ、失礼しますね。」
ギイィ・・・。
戸を押し開けて入ってきたのは、
昨日の人だけではなかった。
60過ぎのおじいさんがいる。
「気分はどうですか?
その・・・風邪とかは・・・。」
「あ、ええ、大丈夫・・・」
「そりゃあ良かった!
[昨日の人]は、
なんとも、本当に喜んでいるようである。
昨日彼が言っていた
「世話好き」
というのは、本当なのだろう。
「あの・・・昨日は何から何まで・・・」
秋華は申し訳なさそうに昨日の人に頭を下げた。
すると、彼は少し笑い、
「いや、ほんと気にしないで!
なんというか、ある種、
世話するのが仕事なんですよ。代々。」
と、冗談混じりってな感じで気さくそうに話しかけたが、
秋華には、何が可笑しいのかこの時はわからなかった。
昨日の人は
「あれ、ウケない・・・」
と言っておじいちゃんの方を向いたが、
そのおじいちゃんは
「今のんを、難波グランド花月でやったらボッコボコやで。」
と、にやついている。
すると[昨日の人]は
「無念・・・」
とか言ってうなだれた。
それを見ておじいちゃんが笑う。
なんとも陽気な人たちだなと秋華は思った。
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「ほら~、そっちの嬢ちゃんどうしていいかわからんって顔してるやんか~!」
そのおじいちゃんが、[昨日の人]をちゃかすように言う。
すると[昨日の人]は慌て、
「あわわわわ、すみません、
今のは忘れてください!」
と、恥ずかしそうに謝ってきた。
全ては秋華の関わっていない話で、何を言っていいものかもわからず、
秋華は、とりあえず
「い、いえ・・・」
と言うにとどまった。
それでも秋華は、何年ぶりかにこんな楽しげな人間の姿を見たような気がした。
だから、嬉しかった。
「そっ、そうだ秋華さん、
腹減ったでしょう!?
あの、お粥作ったんですけど、食べませんか?」
[昨日の人]がフォローに必死な様が見えて、ちょっとだけ笑えたが、
秋華は実際1日何も食べていなかったため、お腹もすいていて
「た、食べますっ!」
と、昨日の人が持っている鍋の中のお粥を覗き込みながら答えた。
「じゃあ、どうぞ。
滅多に作らないので味は保証できませんが・・・」
苦笑いした昨日の人は木製のスプーンと、粥の入ったお椀の載ったお膳を秋華の膝においた。
鍋のなかに広がる銀世界は、
秋華の食欲を刺激するには十分でだった。
「いただきます。」
あまりに腹がすいていた秋華はスプーンをとるなりすぐに粥を口のなかに運んだが、
粥は当然―
「あ、熱いから気を付け・・・」
「熱っ!」
舌のなかを火傷してしまった。
「あつぅ・・・」
「あらら、大丈夫ですか?
芝さん水ある!?」
「あるで、ほらこれ!」
「秋華さん、これどうぞ!」
昨日の人はお茶の入った湯飲みを渡してきた。
「す、すみません・・・」
舌がヒリヒリするので、とりあえず秋華はそれを飲み干した。
そのお茶、すごく旨いのである。
「美味しい・・・」
「え?」
昨日の人は「なんで?」といった感じだが、それを聞いて喜んだのはおじいちゃんだった。
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「せやろ~。
それな、来客用に買うてきた京都の本場のお茶やねんで~!」
「はぁ・・・」
なるほどね。
「あの・・・ありがとうございます。
すごく、美味しいです。」
微笑を浮かべた秋華は、そのおじいちゃんに、軽く会釈した。
すると、おじいちゃんは
「そーかそーか!
そんだけ喜んでもらえるんやったらおっちゃんなんでもしたんで~!
せやせや、昨日隣のおばはんに秋巻きもろたんや、
あれ焼いて来るわ!」
「あっ、あの・・・」
「ええねんええねん!
あんさんはそこで寝ときんさい。」
と、鼻歌などしながら階段を降りていった。
「行っちゃった・・・」
「さすが芝さんだな。
俺の百倍は世話好きだぜ、あれ。」
昨日の人はそのおじいちゃん
―芝さんと言うらしい
見送りながら苦笑した。
「あの、良かったんでしょうか・・・?」
秋華は申し訳なさそうに聞いたが、昨日の人は陽気に、
「あぁ、あれを気にしてたらうちには住めないですよ!
世話焼きの塊みたいな人ですから、遠慮なくって言っても遠慮させないためにはどうすればいいか考え始めますよ。
変な人ですよね」
と、笑った。
「そう……
ふふっ」
秋華はその人の楽しげな様子を見て嬉しくなって、
秋華も笑った。
そんな秋華を見た昨日の人は笑顔のまま、
「秋華さん、初めて笑ったね。」
と嬉しそうに言った。
「はっ!
ん、こほん。」
秋華は
笑う姿はあまり見られたくなかった。
その様子を見た昨日の人は、
「何も止めなくても………」
と、苦笑いだった。
(あっ・・・)
秋華は顔を真っ赤にした。
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その後、秋華はしばらく粥をすすり続けた。
(ご飯を他人に作ってもらうのは何年ぶりだろう・・・)
空腹のせいか、感動か。
秋華はこんなに美味しい粥を食べたことがないと感じた。
(懐かしい味がする・・・)
「どーですか?
その、上手いか不味いかで言うと・・・」
「優しい・・・」
「はっ?」
「・・・優しい味がする。」
「えーと、それはどういう・・・」
「すごく、美味しいです・・・」
「・・・あ、それは良かった。」
昨日の人は、乗り出していた身をもとに戻して、安堵の笑みを見せた。
「いやあ、料理はあまり慣れないもので・・・
ほんとは芝さんが作るはずだったんですが。
その、ちょっと色々ありまして。
ハハ・・・」
昨日の人は、ずっとこちらを見続けている。
秋華はちょっと恥ずかしくなって、
「そ、そうですか・・・
あの、はい、美味しいです。」
と言うなり視線をお椀に返し、粥をすすった。
(不思議・・・)
その粥を食べるごとに、心が落ち着いていく。
(なんだろう、これ・・・)
秋華は、心が少し溶かされたのを感じた。
暖かい。
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それからニ、三分のち、秋華はお粥を食べ終わった。
もともと少食の上、丸一日ご飯を食べなかったので胃が縮こまったのだろう。
お椀に一杯の粥だけでもお腹は一杯になった。
「ごちそうさまでした。」
「ん!食べ終わりましたか。
じゃあ、これは下げときますね!」
この人は常に笑っている。
膝の上の善を、昨日の人に返しながら顔を見た秋華は、
その人が食器を片付けるを見ながら思った。
(私も十五年前までは・・・)
「秋華さん?」
昨日の人が顔を覗き込んでいた。
「は、はい?何でしょう?」
すると昨日の人は心配そうに、
「いえ、ちょっと悲しそうな顔をしてらしたので・・・
大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫です。」
「ならいいですけど・・・」
・・・。
微妙な空気が流れる。
気を使った昨日の人は、秋華に話題をふってきた。
「そうだ、秋華さん、馬を見たことありますか?」
唐突な質問に秋華は迷ったが、写真くらいでしか見たことはなかった。
「いえ、ありません。」
「だったら見に行きませんか!?
今から。」
昨日の人の目は輝いている。
「え?今からですか?」
「そう、今から!」
「でも、そんなの一体どこに・・・」
「窓の外見てください。」
「窓の外?」
「はい!」
秋華は、傍らのまどのカーテンを引っ張り開けた。
するとそこには―
「鹿?」
見た目にもかなり華奢な四足の動物が、草原を駆け回っていたが、
馬には見えなかった。
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それを聞いた昨日の人は笑っていた。
「あはは、あれはれっきとした馬ですよ!
生後七ヶ月です。」
「へぇ・・・」
秋華はしばし、草原を走り回る子馬の様子を見ていたが、
ふと疑問を抱いた。
「そういえば、何で馬がここにいるんですか?」
当時の秋華にとっては、ごく普通の質問だった。
何で民家に馬がいるのだろう?
それを聞いた昨日の人は一瞬キョトンとして、
それから大声で笑いだした。
秋華はわけがわからず、
「ちょっと・・・何で笑うんですか?」
とちょっと怒りぎみだった。
その様子を見て笑うのをやめた昨日の人は、
「あ、いや、すみません。
でも、ちょっと面白かったので・・・」
(こっちは本気なのに・・・)
秋華は少し怒っていた。
しかし、勘助はあまり気にしないようである。
「下に降りたらわかりますよ!
着替えをここにおいとくので、終わったら降りてきてください。
じゃあ、先に降りときますね!」
「はぁ・・・。」
「じゃ、またあとで!」
そういって昨日の人は部屋を出ていった。
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あの人―。
(私が知床にいきたいって行ったことに触れなかったな・・・)
秋華はベッドの上で考えた。
私はもう死ぬ覚悟はできている。
あとはあの人が、知床の岬に連れていってくれれば、それで私の人生は終わり・・・
けど・・・
(あの人は多分、まだ私を止める気でいる。)
当然だ。目の前で人が死ぬか死なないかと言っている。
そうすると人間は助けたくなる。
・・・当たり前のことだ。
だけど、あの人にはわからない。
私の苦悩がわからない。
屈辱がわからない。
辱しめがわからない。
止めてもらえるのは嬉しい。
でも―。
「こんな人間のために、あの人に苦しんでほしくない。」
あの人は優しい。
優しいが故にいつまでも引き留める。
でも、それでは迷惑ばかり懸けてしまう。
こんな私のために・・・。
出よう。
もう迷惑は掛けられない。
もともと荷物は何もない。
外は台風一過で快晴。
どこかで車を拾えば知床には着くだろう。
秋華は、こっそり出ていくことを決意した。
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着替えて部屋を出た秋華は、
階段を忍び足で降り、音を立てず、一回の廊下にたどり着いた。
居間の様子がちらっと見えた。
昨日の人は足を組んで椅子に座っている。
たぶん、私が降りてくるのを待っているんだろう。
秋華は勘助に向かってお辞儀し、
「お世話になりました」
と、心のなかで呟いた。
余談だが、このとき勘助は、説得の言葉を四十まで考えていた。
それから秋華は、昨日入ってきた入り口とは別の方向に歩いていった。
恐らく玄関があるだろうと思ったからだ。
そしてそこには予想どおりに玄関があるのである。
(私のブーツもちゃんとある。)
秋華は急いでブーツを履き、静かに戸を開けて飛び出し、出口らしき門を見つけ、
そこに向かって走り出そうとした。
が。
そのとき横から声がした。
「どこにいくつもりや?」
横からの声に、秋華は心臓が止まりそうになった。
恐る恐る横を見てみると、そこでは、芝さんと呼ばれていたおじいさんが七輪で魚を焼いていた。
「どこいくつもりや?」
笑うでも怒るでもない、むしろあきれているといったような顔で魚をひっくり返しながら芝さんは、
再度聞いた。
「あ、ちょっと馬を見たくて・・・」
口から出任せの苦しい言い訳だった。
当然見破られる。
「放牧場はあっちや。」
「・・・!」
魚をひっくり返す菜箸を、秋華と逆の方向に指した芝さんは、
そのまま箸をこちらに向け、
「観念してここに座れ。」
と、七輪の近くにある切り株に秋華を招いた。
「お願いです、出ていかせてください!
でないと私・・・」
「エエからここへ来い。」
「迷惑をかけたくないんです、お願いです、出ていかせ・・・」
「エエから来いゆうとんねん!
さっさとここへ座れ!」
網に菜箸を叩きつけて怒鳴り散らした芝山に、先ほど優しくしてくれていたおじいちゃんの面影は全くなかった。
秋華は、もうおとなしく従うしかなかった。
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芝山と秋華は対面するような形で七輪をはさんで向かい合った。
芝山は、焼いている魚の様子を見ながら秋華に訊いた。
「何があった?」
「えっ?」
「死にたいと思うほどに何があったんやと聞いてる。」
「!!!」
何でこの人は知ってるの!?
「どうしてそれを・・・!」
「坊っちゃんをあまりナメたあかんよ。
坊っちゃんはあんたを俺に説得させるためにさっき下へ降りたんや。
逃げるのもわかってたし、ここから出ていくのもわかってた、っちゅうことや。」
「そんな・・・。」
全部読まれていた。
あの人は昨日の言葉を気にしていた訳じゃない。
私の行動のすべてを知って、ここへ私をよこした・・・。
「今日の朝、全部話は聞いた。
死ぬことに抵抗がない風なこと言うてたらしいな。」
「・・・はい。」
「嘘やな。」
「!?」
「あんた死ぬのが恐くてしゃーないはずや。」
「何でそんなことがわかるんですか!?」
「じゃあ、何で昨日うちに転がり込んできた?」
「え・・・」
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「ほんまに死ぬのが怖くないんやったら、あのまま死んでもよかったやろ?
でもあのとき、あんた自分の身の危険を感じたはずや。
だからうちに転がり込んできた。
違うか?」
「・・・その通りです。」
「せやろな。嬢ちゃんにはそんなことはできん」
「なぜそう言い切るんですか?」
「ええか?
ワシはこの世界に生きとって、経営難で自殺する人間をゴマンと見てきた。
ほんまに自殺する奴ってのは、その時にはもう何考えてるかわからへん。」
「・・・私にはそれがないと。」
「確かに昨日のあんたの言動を聞く限り、あんたは何を考えてるかわからへんようなことを言うてる。
せやけど、あんたは自殺できる人間と違う。」
芝山は箸を置いて、こちらを向いた。
「・・・?」
「ええか?
あんたワシの淹れたお茶を飲んだあのとき、
心底旨そうに飲んでたな。」
「はい。」
事実美味しかった。
「その時、あんたまた飲みたい思うたから二杯目を飲んだ。
違うか?」
「・・・そうです。」
「それが、あんたにはまだ未来を目指す力があるっちゅうことの暗示や。」
「?」
「ええか?
さっきもワシは言うた。
自殺ってのは、ほんまもんの極限状態や。
・・・まあ、違うもんもおるが。
そういう精神状態の人間は何をやっても気力が生まれん。
感動がないんや。
しかし、嬢ちゃんはさっきワシの淹れた茶に感動してくれたな?」
「・・・」
「あんたはまだ、感性を持ち合わせてる・・・
あんたはまだこの世でやれる・・・。」
「・・・そんなの勝手です。」
「・・・。」
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「あなたが私の何を知ってるって言うんですか!」
秋華は激昂した。
「私は両親がいない!気がついたら孤児院にいた!
そしたらすぐ里親が来た!
そして私をすぐに芸能界へ入れた!
私は有名なアイドルグループに入れた!
でも、私の役目は枕だった・・・
何回も何回も・・・
でも、拾ってくれたプロデューサーを信じて待った!
必ず報われる日が来るって・・・
でも、最後はそのプロデューサーに・・・
だから私は逃げた!
だから・・・だから・・・」
秋華は一気に感情が溢れだし、手で顔を覆って号泣した。
すべてを思い出した。
私の人生には楽しかった思い出がない。
なぜか気がついたらここにいた。
知床という地名の記憶と共に・・・。
あのプロデューサーの顔。
冷徹なプロデューサーの顔。
彼は最後に人気のなくなった私を求めた。
辱しめようとした・・・。
わたしは・・・そう、私の尊厳を守るために・・・。
「この屈辱があなたにわかりますかっ!?」
秋華は最後の一言にすべてを込めた言葉を芝山に投げかけた。
そしてそれ以降は泣き崩れてなにも言わなくなった。
芝山は再び箸をとり、魚をひっくり返した。
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「よう言うてくれた・・・」
芝山は魚を二つに分けながら言った。
「嬢ちゃんも相当辛い思いしてきたんやな・・・」
これを聞いた秋華は、再び顔をあげ、
「まだそんなことを・・・!
あなたには当事者の気持ちは絶対に解らない!」
「いいや、ワシにはわかる。」
「そんな無責任なことを言わないでくださ―」
「ワシも自殺願望者やった!」
「えっ・・・。」
芝山は背筋を伸ばした。
「・・・ワシの親は二人ともとある宗教団体に入れ込んだ。
ところがある時二人して脱退しようとした。
ワシのためや。
しかし、教祖がそれを許さんかった。
ワシの両親は、ワシの目の前で教団の幹部になぶり殺された。
九つの頃や。」
「そんな・・・。」
「いいや、こんなことが現実にある時代やった。
・・・ワシは目撃者になってもうた。
だから、教団に執拗に狙われた。
もちろん、命をや。」
芝山は魚の焼け具合を確かめながら話す。
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「ワシは逃げに逃げた。
警察に助け求めたかて、九つの子供の言うことなんぞ誰もきいてくれへん。
両親は共に親戚から勘当をくろうてた。
・・・孤児院は親が居らんようなったことを認めてくれなんだ。
だから、一人で逃げた。
大阪から、できるだけ遠くへ・・・。」
・・・わたしと、似ている。
秋華は、次第に話に引き込まれるのを感じた。
涙をとりあえず拭う。
「それで・・・、どこへ逃げたんですか?」
初めて話に食いついてきたことに芝山は少し笑みを浮かべた。
「あちらこちらを転々としたな・・・
親の金の持つ限り・・・
でも、最終的にたどり着いたんは北海道。
まだ、洞爺丸(※1)の動いてた頃や。
それから、函館で電車に乗り換えて行けるところまで行った。
そのうちに、ある場所が日本の端って話を聞いた。
だから、そこは安全やと思って行ってみたんや。」
「どこですか?それは・・・」
芝山は魚に醤油をかけた。
なんとも香ばしい・・・
「今、あんたの行きたがってるとこや。」
「知床・・・!」
「そう、知床。」
秋華にとって、その言葉は衝撃的だった。
洞爺丸・・・青函トンネルができる前、連絡船として使われていた船。後に沈没事故を起こし、タイタニックに次ぐ世界第二位の海難事故を起こした。
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「知床に着いたとき、ここなら安全やと確信した。
何せ聞く限り日本の端やし、さすがにここまで追って来るような事はないと思たが―」
「来たんですか!?」
「あぁ・・・。来た。
たぶん本気で殺すつもりやった。
顔を見たことのある奴が10人ほど・・・」
「そんなに・・・!」
「せや。奴ら本気やった。
それを悟ったワシは・・・
もう逃げ疲れとってな・・・
知床の一番きれいなところから、おとんとおかんのところに行こう思て、
ちょうど崖の先までもう足進めとった。
そのときやな、先先代が俺を止めてくれたんは・・・」
「止められた・・・?」
「あぁ、止められた。旅行でたまたま通りかかったらしい。
ベストタイミングでな・・・」
芝山は二つに割った魚を皿に一つづつ盛った。
そしてそれに少し塩をふりながら、
話を続けた。
「親っさんその時、自殺しようとしたワシのこと何も怒らんと
鞄の中から弁当出してきてな・・・」
「・・・」
「で、その時の弁当の具が
よっ!
鮭やった。」
芝山は
魚の乗った皿の片方を秋華に差し出した。
「石狩の鮭や。最高級品やで。
ほら、食いや。」
軍手をしている手に持たれた鮭の皿をさらに秋華の方につきだした芝山は、
「ワシはあん時、世の中にこれほど美味いもんがあるんかと感激してな。
死ぬのがアホらしなった。」
と、若干の鼻笑いとともに顎をなで回した。
秋華は、鮭を受け取った。
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芝山は、秋華が鮭を受け取ったのを満足そうに見つめ、
「まあ、それで先々代に拾うてもろてからはずっとここで働いてるな。
ちょっとでも恩返ししよう思て、猛勉強した。
競馬のことに関してありとあらゆる情報をな・・・
したら、ワシにスカウトが来たりするんや。
おっかしな話やろ。」
笑いながら芝山が言う。
「でも、今ここにいるっていうことは・・・。」
「そうや。全部断った。」
「なぜです?
それだけ有名になれたのに・・・」
秋華がアイドル出であるという情報を持っていた芝山は
「俺は、恩は返すもんやと思た。」
となんとも穏やかな顔で言った。
「だから、俺は―」
芝山は突然立ち上がり、その腕を振り上げそのまま地面に降り下ろす。
ガン!
鈍いおとがした。
「あっ!」
芝山の拳からは血が流れていた。
しかし芝山は、その手をかばうことなく、殴り付けた場所に血を滴らせ、こう言った。
「ワシはここに骨を埋める。」
秋華は呆気にとられていたが、
しばらくして
徐々にその顔は満ち足りたものになっていき、
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「・・・よく、わかりました。」
秋華も鮭を持ったまま立ち上がり、いまだに滴る芝山山の血を掌に乗せ
それを握った。
「もう一度、考えてみます。」
秋華は、芝山にむかって言った。
芝山はなにも言わず、血が出ている方の手を差し出した。
それに呼応して、秋華も右手を出す。
そして、その太くごつい手と
細く綺麗な手は、ガッチリと握手をした。
芝山は真剣な眼差しを秋華に向け、
「ええか、よう聞きや。
今から、坊っちゃんと二人で知床へ行け。
そこで何を感じるかはあんた次第や。
わかるな?
自分を見つけてくるんや。」
秋華は静かに頷いた。
「もし、あんたが帰って来るようなら
うちの牧場は、生きるためにどんな支援でもすることを覚えとけよ。」
「・・・はい。」
芝山と秋華はしばし視線を合わせ、それから芝山はばっと振り返り、
「よし!じゃあ坊っちゃん読んでくるから待っとれ。
といって家の中へと入っていった。
秋華の選択肢は、絞られた。
今なら人生をやり直すことも可能かもしれない。
「知床へ行け」
芝山の言葉は、そこになにかがある、というのを暗示しているのかもしれない。
わたしは、一度汚されてしまった。
でも、まだ、洗濯できるかもしれない。
選択することもまた、できるかもしれない。
芝山の言葉にかけてみよう。
秋華は、心に誓った。
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数分後、軽トラが昨日の人に操られて秋華の前に止まった。
運転席の昨日の人を覗いてみると、笑顔をつくってはいるが、
その顔は明らかにひきつっている。
ほどなくして助手席に乗っていた芝山が車から降りてきた。
そして、秋華に耳打ちした。
「坊っちゃんには説得は失敗したと言ってある。」
(あぁ、それで。)
秋華は納得した。
「だから遠慮のう自分を見つけといで。」
秋華はしっかりと頷いた。
すると芝山は、ポケットから何枚か札を出し、それを秋華に握らせ、
「地獄の沙汰も金次第・・・」
と、耳元で囁き、
「よし、行ってこい!」
と、秋華を車へ押し込んだ。
「あっ、待って!」
秋華は芝山の手をつかんで、再び車から降り、そっと芝山に訊いた。
「あの人の名前は?」
すると芝山は大きく笑い、
運転席にいる
顔面蒼白の昨日の人にむかって、
「姫をしっかりと送り届けろよ!
山本勘助!!」
と叫んだ。
秋華は、芝山の手をぎゅっ、と握り
再び車へ乗り込んだ。
勘助さんは、手が震えている。
「知床までお願いします。
・・・勘助さん。」
そう言った秋華は勢いよく戸を閉めた。
「・・・考え直しては貰えないかな?」
勘助は震える声で秋華に訊いたが、
秋華は、
「知床へ行ってください!」
と、傍らの勘助の手を掴んだ。
「ひっ・・・。」
勘助の顔はみるみる紅潮し、
照れを隠すためか、車を急発進させた。
「どうなっても知りませんよ!」
勘助は大声で秋華に言う。
空は快晴、微風、雲ひとつなし。
車には心地よい風が入ってくる。
秋華は勘助に負けないくらい大声でこう叫んだ。
「もとより、覚悟の上です!」
車は、大草原の中のアスファルトを東へと消えていった。
目指すは―
知床岬!




