第2話 名前とこれからの予定
新作第2話です。
木々の向うに潜んで居たらしい何者かがその存在を不意に現したのを感じて、俺は咄嗟に身構えた。
この辺の察知能力は前世ではそれなりに磨いて来たし、実戦訓練がなかなか出来ない前世で数少ない実地訓練の可能な能力だ。
それにしても、実際には背の高い樹木のかなり上の方に身を潜ませていたのだと、その人影が降りて来た時に初めて分かった。この何者かはかなり練達のご仁なのだろう。
「サテュ嬢様は、いくら大旦那様からご指示のあった仕事だとはいえ、初対面のそれもこちらに来たばかりの流転人に、なにをご自分の真名をいきなり教えているのですか。手順というものがありますでしょう」
「あは。それはさ、そんな立場とかじゃなくて、あくまでひとりの人間としての自己紹介として」
「それはそれで、いろいろと問題もあるのですぞ」
「だってぇ。でもさ、この人に教えたのはサテュロネだけで、サテュロネ・シルフェーダ=グリフィンなんてフルで名乗っていないわよ」
「サテュ嬢様っ」
「あらっ」
姿を現して早々にサテュちゃんをお嬢様と呼んで、かつ小言を並べているこの人は何者なのですかね。
見た感じは良く鍛えられた肉体を持っているらしき壮年男性で、やたらに身軽だというのは、たったいま高い木の上から音も無く飛び降りて来たことからも伺える。
俺も枝々を伝い、途中で幹を蹴ってクッションを入れながらならば可能だとは思うけど、着地したときにほとんど音が聞こえなかったのには、いささか感心した。
俺のいた世界に伝わる忍びの技みたいなものですかね。
「それにもうひとつ言わせていただければ、この人物は確か大旦那のご指示としては王都の学院の特別分校に入っていただく予定でしたよね。それなのに、冒険者に成れだなんて。これはサテュ嬢様ご自身のご判断ですか? それとも」
「父さまとかに言われた訳じゃ無いわよ。特別分校に入って貰うにしても、やっぱり自分で収入を確保する術を持つのは大切だし、それに冒険者になるのがこの世界のことを知るのに手っ取り早いでしょ? ティモ爺ちゃんもそう思わない?」
ティモ爺ちゃん? どう見てもこのすらっとした見た目の中に強靭な肉体を潜めていると俺には思えるこの壮年男性が、爺ちゃんと呼ばれるのに違和感があるのですけど。
「というかさ。ティモ爺ちゃんて、わたしにそんな小言を言うために姿を現したの? ぜんぶわたしに任せる、ティモ爺はこっそり見護っておりますぞ、とか言っていたじゃん。ほんと、うちの爺さまたちって、小言が多いんだから」
「まあまあ、確かにそうは言いましたが、いかにも看過出来ない発言が聞こえましたので……」
サテュちゃんお嬢様とティモ爺と呼ばれた男性との関係性は、ふたりの会話からなんとなく伺い知れた。
でも、俺のことを話しているのに、初めて聞くこの世界のことばかりで口を挟められないのだよね。
これはサテュちゃんの言っていたように、まずはこちらの世界を手早く知る術を身につけないとだなぁ。
「それで、学院分校に入って貰うとして、仮に冒険者登録をするにしても、最低限お名前は必要ですが、この御方のお名前は?」
「そこはわたしがもう考えてあるわよ」
「おい、待て待て。俺にはちゃんと名前があるぞ」
それはもちろん、俺にも前の世界で70年ばかり使って来た姓名がある。
葛上旅人、これが俺の名前だ。ちなみに姓氏の葛上というのはかなり古い家名らしいが、長い年月の間に多少は変化もしているそうだ。
ファーストネームの旅人は「広い世界を知る男に成れ」ということで俺の大師匠でもあった祖父が名付けたとのこと。
「それでも良いのだけど、あなたって、姿かたちがこちらの世界らしいものになって年齢設定も変えてあるし、名前もさ、新規一転ということでね。それに単なる音の変換だけだと、意味を問われたときにいちいち言い訳と説明をしないといけないでしょ」
なるほどね。それは一理あるな。
どうやら俺が話している言葉も、自然とこちらの世界の言葉になっているらしいし。
「それでは、このサテュロネさんが考えましたのでご提案します。じゃじゃん。あなたのお名前は『ノマディック・シルフィン』。名前がノマディックで家名がシルフィンね。どうですかー。良い名前でありますよね。ティモ爺もそう思うでしょ」
元の名前が旅人だから放浪者っぽいノマディックか。それで家名もあるんだな。
「家名のシルフィンとはサテュ嬢様、それはもしかして」
「そうよ、うちの家名をふたつ合わせて変換させたの。あ、これは父さまと母さまからも了解済みだからね」
「先代統領がご了解となれば、誰にも異論はありません」
「でしょ。それに新しくて良い家名よね。決まったら、兄さんもこの家名で登録するって」
「それは重畳」
おい、なんだかもう外堀が埋まっている感じではないですか。
サテュちゃんの上司は俺をこの世界に受入れていまの状態で出現させた神様? で、お父上は先代統領とか呼ばれる神に等しき存在。それで母上が精霊に等しき存在で、いま聞いた兄上は怪しげな人物の家名を登録出来ちゃう実力者なんですかね。
「それで、どうかなぁ、タビトさん改めノマディックさん。愛称はノマくんでもディックくんでも好きな方で」
「じゃ、ディックかな」
「ディックね、決りね」
「あ、誘導されたのか……。でもいいよそれで。家名の方は良く分からないし。真名がノマディック・シルフィンで、呼称がディックだね」
俺がこの世界で新しい人生を15歳から始める名前はノマディック・シルフィン、呼称がディックでどうやら決まったみたいだ。
「ちょっとそこで椅子から立ってくれない? いま済ませちゃうからさ」
「へ? 何を?」
「お名前の仕上げよ」
俺は訳が分からないけど、椅子を引いて立ち上がる。
するとサテュちゃんも同じく立ち上がり、その斜め後方にはティモ爺が控えるように立った。
「いまここに、あなたのこの世界でのお名前が正式に命名されます。この命名は、あなたの寄り親神であるケリュネカルク様が認め、地上世界の寄り親であるザカリー・グリフィンとエステル・シルフェーダ=グリフィンが追認し、そしてわたくしサテュロネ・シルフェーダ=グリフィンが直接にお渡しするものです。あなたのお名前はノマディック・シルフィン。この名前と家名のもとに、世界を広く旅して学び知り、この世界にあなたが受け継ぎ身に付けているであろうことを、どうかお伝えくだされば幸いです」
長い口上を言い終わると、サテュちゃんが白い光に包まれ、甘く豊かな草花の良い匂いのような香りを伴った優しい風が、彼女から俺に流れて来て全身を包み込んだ。
俺は自然に頭を垂れる。
すると俺の頭の中に、というかおそらく魂の中に新しい名前が入り込んでそこに落ち着き、前の世界の旧名と合わさったような気がした。
「はい、終わりました。これであなたは、ノマディック・シルフィンとして正式にこの世界の住人となりましたよ」
ほう、そうなんですね。ありがとうございます。
それで俺はいま何処にいるんですか? 森の中みたいですけど、ここって何処ですか? これから何処かに移動するのですよね?
それと、ティモ爺さんが言っていた、王都の学院の特別分校とやらに俺が入る予定という話を詳しく。設定年齢が15歳ということなので、年齢的にはおかしくないとは思いますが。
併せて、冒険者になるという件もですね。
「それについては、わたくしからご説明いたしましょう、ディック様」
早速にティモ爺さんがいま決まった呼び名でそう応えてくれた。でも様付けはいらないですよ。前世ではごくごく一般の庶民だったので。
「では、当面はディックさんで。周りの者たちにも周知しておきます。それでご質問へのお答えですが、まずここは、セルティア王国という国の中心に位置するフォルスという名の王都にほど近い、ナイアの森の中です」
「そうニュムぺおばさんの家の近くよ」
「サテュ嬢様は余計なことは言わない。だからわたくしがご説明しているのです」
ニュムペというおばさんが近くに住んでいるということだから、深い森のようで意外と近くに人家があるのかな。
「これから、ディックさんには王都まで移動していただきます。宿などご用意しておりますので、まずはそこで落ち着いていただいて」
「うちに泊まって貰うんじゃないの?」
「嬢様、それはまた追々ということで」
「そう? そうね」
サテュちゃんの家、もしくはご両親の住まいが王都の中にあることが分かった。
でもさすがに、若い娘の暮らす家かご両親のもとにいきなりお邪魔するのはないだろう。それも異世界から来た流転人なのだから。
しかし、こうやって少しずつでも情報を漏らしてくれると、いろいろと理解が進むよね。
「それで当初のわれらがご用意した予定としては、王都にあるセルティア王立学院内で先年に創立されました武術特別分校に、ご転入というかたちで入学いただくということで」
「王立学院の武術特別分校ですか」
「はい。場所は同じ学院内ですが」
「父さまが働きかけて、わたしの学院入学後に創ったのよね。わたしもあっちに転入しようかしら」
「転入しなくても嬢様はそちらに入り浸っているではないですか。それにサテュ嬢様は今年4年生で卒業の年ですぞ。正規の学院生を全うしてくだされ」
「はーい」
武術特別分校という名称には、少し惹かれるものがあるよね。それと15歳設定で転入学出来るということだけど、サテュちゃんが同じ15歳で今年最終学年の4年生で卒業。
つまり俺はこれから1年間、その分校に通うということでいいのかな?
「正しくは全寮制ですので、学院内で暮らしていただくということですね。ただし5日間学んで2日休日というサイクルですので、その2日間は学院外で行動が出来ます」
「なるほど」
「そこで冒険者活動をするという訳よ」
要するに5日間は学生で、2日間が冒険者、そんな生活ですか。
「まあ冒険者につきましては、王都に居る間に活動するのであれば王都のギルドで登録するというサテュ嬢様の目論見でしょうが、行く行くはグリフィニアのギルドに移っていただくことになるでしょうね」
「そこはわたしも計画済みよ。夏休みにはグリフィニアに戻って、あっちのギルドに移る。向うが冒険者の本場でありますからね」
冒険者になるためには冒険者ギルドという組織に登録が必要であると。ただし冒険者の本場はここの王都ではなくてグリフィニアという場所であり、夏休みにサテュちゃんが“戻る”という言い方をしたので、その地が彼女たちの本拠地なのだろうか。
「ではそろそろ、王都に移動しましょうか」
「地下は寄らないの?」
「嬢様はまた、余計なことは言わない」
「はーい」
「それでは馬車を用意しますので暫しお待ちを」
「わたしたちはナイア湖の畔に行ってるわね」
「承知」
ティモ爺さんの姿は、「承知」という言葉とともにあっと言う間に消えていた。
「それじゃ、わたしたちも少し移動するわよ」
「お、おう」
どうも前の世界で消失して後、突然こちらの世界に出現してから、このサテュという娘を中心とした連中の意図通りに動かされるのが決りらしい。
まあ俺としては右も左も分からないし、彼女はこちらの世界で受入れてくれた神様の部下だと言うし、それ以上にどうやら彼女自身もなかなかの立場にあるらしい。
「まあとりあえず、この状況に身を任せてみますか」とそう結論付ながら、一方で15歳設定の何十年か振りに身軽になった身体に感動し、思い掛けず足早に森の中を移動する彼女の後ろ姿を俺は追い掛けるのだった。
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