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Extra : 別離。

*本編完結後、都記視点です。





 その頃の、過去の記憶はないと、思われているようだったから、雨宮都記はその通りに振舞っていた。


「そんなわけないでしょうに……むしろ当人のようなものなのですがね」


 都記には、雨宮志木だった頃の記憶がある。紫武が、綺堂弓狩の記憶を持っているように、いやそれ以上の感覚で志木の記憶を鮮明に持っている。それを知っているのは都記本人、そしてなぜか、この国の宰相ロレンス・ディレッツだった。

 ロレンスには、なぜそのことを黙っているのか、と知られた直後に問われている。答えは簡単だったから、その通りに都記は答えた。


「なぜ未だ黙っておられるのですか」


 兄弟喧嘩の顛末を見届けたロレンスにまた同じようなことを問われても、その答えは変わらない。


「以前も言いましたが、もう振り回されたくないから、ですよ」

「しかし……あなたがおられたのなら、もう少し早く、片がついたのでは?」

「わたしが同じであると伝えたところで……喧嘩別れだったという事実は消えませんよ?」

「それでも、公はあなたの言葉であれば、耳を傾けたと思います」

「残念ながら無理でしょう。なぜなら、わたしは陛下をお恨み申し上げている」


 にっこり笑ってそう伝えれば、ロレンスの顔色は悪くなる。事情を知っているロレンスであるから、その反応は正しい。

 都記がオリアレムを恨んでいるのは、紛れもない事実だった。


「なんと、申し上げればよいのか……」

「謝罪は要りません。わたしが紫武さまの側に在るように、あなたは陛下の側に在るのです。わたしとあなたに、その溝を埋めることはできませんよ」


 そもそも、都記はロレンスを友人のようにも思っていない。ただ、両者の同じような立場にある者という認識だけが、ロレンスに対する評価だ。


「その……今回のことで、陛下から久遠の王に関する記憶は消えました。本当に、至極あっさりと、陛下は忘れてしまわれた。しかし、公はそうなりませんでした。あなたも、そのように見受けられます」

「当然です。もともと紫武さまも陛下も、その記憶を第三者のように見ておられましたからね」

「あなたは?」

「わたしは当人のようなものですよ」

「というと……」

「転生、と表現されるようですね。幾度も、幾度も、わたしは名を変えて存在してきました。弓狩がその記憶を持たずに生まれてくる姿も、王がその記憶を封じて生まれてくる姿も、わたしはわたしのまま見守り続けてきましたよ」


 思えば、いくら死を迎えても、志木の記憶は消えなかった。ただ肉体の器を交換して、志木のまま今日まで生きてきたようなものだ。そしておそらくこれからも、都記はまた、都記という名ではない志木のまま、転生なるものを経験するだろう。


「なぜ、と問うても?」

「なにを問われるのですか?」

「なぜあなただけが、そうなのかと」

「さて……まあ、しいて言うなら、弓狩が心配だから、でしょうかね。それ以外で、わたしがわたしのまま存在し続ける理由が思い当たりません」


 都記にもわからない。いや、この場合は、志木にもわからない、だろうか。都記は、なぜ志木のまま転生を繰り返しているのか、自分でもわからない。紫武のように、第三者のような視点で志木を見ることができない。都記は志木で、志木は都記だ。この感覚は、都記という名を与えられる以前から、志木としての肉体を失った頃から変わらない。


「なぜわたしだけが、志木のまま存在しているのか……わたしも知りたいくらいです」


 なにが志木の魂をこの世界に留め、記憶を消去させないのか。いや、それをいうなら、弓狩もこの世界に魂が留まり続けている理由がわからない。

 いつか、わかる日が来るのだろうか。


「苦痛ではないのですか」

「苦痛だと思うから、わたしは志木であると名乗らないのですよ」


 もう弓狩に振り回されたくない。志木が志木であった頃、確かにそう思ったはずなのに、けっきょく志木が生まれ変わるところには必ず、弓狩の魂があった。


「囚われてしまったのか……それとも、この世界に落ちたときから、ただ迷子になっているのか……帰るところがないせいかもしれませんね」


 志木が弓狩と違っていたのは、口ではこの世界に身も心も落ち着いていたが、その底辺では拒絶していた点だろう。

 志木は、都記となった今でも、この世界に感じる違和を拭えない。


「なにか理由があるなら、知りたいですよ……疲れたと思うには、もう長いときを過ごし過ぎましたからね」


 帰りたい、と思う。帰る場所があるなら、どこでもいい、帰りたいと都記は思う。

 だから、その魂を持っていても乗り越えられる紫武やオリアレムが、正直羨ましい。どうしてふたりのように、自分はなれないのだろう。それはまさに、この世界を底辺では拒絶していることにほかならない。


「……公のおそばを離れてみてはいかがですか?」


 ロレンスからの提案に、都記は軽く目を瞠った。


「紫武さまの?」

「わたしがあなたに、その記憶を持っているのでは、と勘づいたのは、失礼ながらあの事件がきっかけです。結果的に公とあなたからお母上を奪うことになってしまいましたが……ゆえにあなたは、陛下を恨まれるようになりました」

「わたしは……」

「公を……いえ、古き魔法師を悲しませ苦しませる久遠の王を、あなたは許せないのでしょう」

「王のことは確かに嫌いですが」


 友情はあったけれども、弓狩のように親しみを覚えられなかった久遠の王は、今でもその位置が変わらない。弓狩にはいい友人であった久遠の王は、しかし志木には、そうではなかったのだ。

 だから、久遠の王と古き魔法師の間には、諍いがあった、という事実が消えない。


「陛下を、オリアレムさまを、ではなぜあなたは恨まれるのですか」

「……この肉体の母を殺したから、ですよ」

「わたしには、それ以外にも理由があるとしか、思えません」


 ロレンスに知られることになったのは、確かに、ロレンスがそれに気づいたからだ。都記が黙っているのをそのままにしてくれているのも、気づいたそれがあるからだ。


「あなたは、ご自身ではわからないのでしょうが、わたしにはあなたが古き魔法師のひとりではなく、ルイ・アメイストという魔法師にしか見えません」


 紫武が、ただの紫武でしかないと弓狩の記憶を乗り越えたように、ロレンスにも都記が、都記でしかないと志木の記憶を乗り越えているように見えるらしい。


「もう志木としての記憶が消えると、そう思うのですか?」

「消えるのではありません。もはや生まれ変わっているのです。公が、消えない、とおっしゃったのも、生まれ変わって新しい人生を歩まれているからなのだと、わたしは思うのです」


 ロレンスの言うことにも一理あると思う。だが、納得するには都記のなかで志木という存在は、もはや自分自身のことで在り過ぎた。都記は都記であるけれども、志木でもある。


「なにかが、いえ、確実に変わり始めていると、思ってよいのでしょうかね」

「公の瞳が金を帯びるようになった頃から、変わり始めていたと思います」

「……そうですか?」

「あのときほど、あなたが憔悴したことはなかったと、思いますよ」


 もう振り回されたくないと、思っていたのではありませんか。それならそのまま、あなたは静観していてもよかったのに、そうしなかった。それには理由があるでしょう。

 ロレンスのその言葉に、思い返せば言い返すこともできない。

 紫武を、可愛い弟だと思う、その気持ちがある。それは志木にはなかったものだ。

 志木は弓狩を弟のように思っていたから、紫武にも似たような思いがあるのだろうと考えていたが、さて本当にそれは同じ想いだろうか。


「紫武さまが生まれてこなければ、なんて……考えたことはないですからね」


 紫武がそうと知る前、産まれたその瞬間、可愛い弟だと思った気持ちを忘れていた。それは、確実に志木とは関係ない、都記の想いだ。


「苦痛だと言いながら公のおそばにいるあなたは、ルイ・アメイストという公の兄上でしかないとわたしは思います」


 だから、少しそばを離れてみてはどうか、というロレンスの提案だった。











 久しぶりに広げた魔法師としての証明になる外套を、都記はじっと見つめる。志木の記憶が都記そのものでもあったから、魔法陣は志木のものだ。これまで得た肉体でも、その魔法陣が変わったことはない。魂に刻まれた個人の陣であるから、変わらないのは当然だ。


 けれども。


「……気づきませんでしたね」


 紫武にくっついて魔法師として前線を退いていたので、都記の魔法陣が描かれた外套は長く仕舞われていた。埃っぽくなっていた外套は、着用する機会が少なかったせいもあり真新しい。その、久しぶりに広げた外套に描かれた魔法陣は、志木の魔法陣ではないものになっていた。いや、大まかなところは志木のものと変わりないが、きちんと辿れば志木のものではないとわかる。


「雨宮都記の、ということですか……こうも正直に現われるものなのですね」


 自分がそうであるから、紫武の魔法陣もまた弓狩の魔法陣なのだが、紫武が魔法を厭うために実はきちんと見たことがない都記である。都記の魔法陣が志木のものではなくなっているなら、或いは紫武も、弓狩のものではなくなっているのだろう。

 それは、古き魔法師との、確かな別離だった。


「都記ぃ? って、あれ、珍しいことをしているね。どうしたの?」


 ふとそこに、のんびりと紫武が現われた。相変わらず魔法を厭うため、紫武は王立の魔法師団に戻ることになってもその外套を羽織ることなどないが、所属していることを現わす正装をしている。数年ぶりに見るその姿は、都記に郷愁を感じさせた。


「わたしも師団に戻ることになりましたから、外套を引っ張り出してみたのです。紫武さまはやはりお使いになりませんか」

「僕はあれ、嫌いだからね。都記やこひなが着る分にはいいけれど」

「戻ると決められても、やはりお嫌いですか」

「これは僕の感覚で、弓狩とは関係ないからね」


 肩を竦めて笑った紫武は、広げられた都記の外套をじっくり見るためか、視線をそこに集中させたまま都記の隣に歩み寄ってくる。


「懐かしいな……都記の魔法陣」

「懐かしいですか」

「優しくて、大らかな陣だよね。都記の穏やかさが伝わってくる」

「……そう、でしょうか」


 紫武のような感覚は生憎と持ち合わせていない都記は、そこでハッと気づく。

 懐かしい、ということは、この魔法陣は今変わったのではなく、紫武が懐かしいと言う昔からこの形になっていたということだ。つまり、都記として生き始めてから、魔法陣は志木のものではなくなっていたのだ。


「……紫武さまの魔法陣を見せていただけませんか?」

「なに、急にどうしたの」

「少々、懐かしさを思いまして」

「? よくわからないけれど」


 手のひらを都記の前に差し出した紫武は、言われるまま魔法陣を広げて見せる。

 それは、弓狩のものでは、なかった。


「弓狩のものではない……」

「ああ、僕は弓狩の記憶を持ってはいるけれど、もう弓狩ではないからね。当然でしょう」


 当たり前のように、紫武は己れの魔法陣を解釈していた。


 そして。


「都記だって、志木のものではないでしょう」

「……はい?」

「血族だから似てはいるけれどね」


 魔法陣を消して、再び都記の外套に視線を戻した紫武は、都記の魔法陣が志木のものとは違う点を都記よりも細かに把握していた。


「と、いうか、この際だから言っちゃうけれど、都記ってどこまで憶えているの?」

「なんのことですか?」

「都記、志木の記憶があるでしょう」

「え……」

「気づいてないと思った? 残念、気づいていたよ。だって僕は、鈍感な弓狩ではないからね」


 知らないと思っていたことを、紫武はさらりと明かしてくれる。その観察眼に、都記はうっかり目を真ん丸にしてしまった。軽視していたわけではないが、断言しているように紫武は弓狩の記憶を第三者として捉え、自分のことのように思いながらも客観的に考えることができるのだと、今さら思い知る。


「ご存知でしたか」

「言いたくないのはわかったから、そのままにしておこうかと思ったのだけれど、僕よりもロレンスと仲がいいのは悔しくてね」

「宰相閣下とはべつに」

「けれど、ロレンスにだけは本当のことを教えていたでしょう? まあ、ロレンスは本当にそれを知っていただけ、だったけれど」


 それでも悔しいし、ちょっと寂しい、と紫武は言う。


「そんなに弓狩を嫌いになったのかなって、思うとね……どうして僕についてきてくれるのか、わからなくなることもあったから」

「紫武さまは弓狩とは違います」

「そうだよ。けれど、弓狩でもある。だから、都記が望むなら、僕は弓狩を受け入れてもよかったんだよ。そうしなくてよかったと、今は思うけれどね」

「あなたが弓狩になってしまったら、それこそわたしは悲しいと思います」

「そう、そこが都記が都記たる所以だ。ねえ都記、都記だってもう、志木ではないのだよ?」


 拘るのはやめにしないか、と言われたようなものだった。過去を過去として受け入れ、今を生きて欲しいと願われていた。


「昔は、昔なんだよ。だから……そうだね、弓狩のように言うなら……ごめんね、しき」


 その謝罪に、都記のものではない志木の心が、揺れたように感じた。


「しきがいてくれて、よかった」


 揺れた心が、なにかに、安堵していた。


「もう……だいじょうぶ?」

「しきのおかげで、ね」

「なら……よかった」


 どっと押し寄せる安堵感、それは志木の、弓狩への心配だろう。ほっと息をついて口許を緩めれば、同じように微笑みが返ってきた。







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