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- 光さす黄金のレモネード - ⑤

「そばで見てても平気?」

「……ちょっと緊張しますけど、大丈夫です」

 髪を後でまとめあげて、エプロンに袖を通す。

 白地に黒も水玉模様のエプロンは一人暮らしを始めてからずっと使っている頼もしい相棒である。

 雪子は自宅から持ってきた瓶に入っている調味料を取り出して、キッチンに並べた。

 「これは……?」

「自家製の塩麹シリーズです。あと、こっちも自分で漬けたキムチです」

 左から順にシンプルな塩麹、柚子を混ぜた柚子塩麹、醤油を使用した醤油麹に保冷用のバッグからタッパーに入ったきゅうりのキムチを取り出すと、秋人は料理人としての好奇心をくすぐられたのか目を輝かせてそれらを覗き込んだ。

「レモンシロップは作ったことあるけど、麹はないなあ。大変じゃない?」

「最初はちょっと大変でしたけど、慣れれば簡単ですよ。季節に合わせて柚子の代わりにレモンにしたり、かぼすにも挑戦してみたり……前はニンニク醤油にしてみたら、結構美味しくて」

「うわあ、それもうまそう」

 キムチはすでに漬けてあるので冷蔵庫にしまっておき、中から鶏もも肉を取り出す。

 せっかく3種類の麹調味料を持ってきたのだから、食べ比べてもらうにはあの料理が適任だと雪子は包丁を手に取り、まずは余分な脂肪や軟骨、血合を丁寧に取り除いていった。

 こうした面倒な下処理が味を左右する。

 下処理を終えた後は隠し包丁を入れて、一口台に切り分けていき3種類のポリ袋を用意して、それぞれにニンニクと生姜。それから麹の調味料を漬けておく。

「ブライン液はあんまり使わない?」

「そうですね。麹だけでも充分柔らかくなるので、うちはあまり使わないです」

 口に出さずとも秋人は雪子が何を作っているのか察しているらしい。

 肉を柔らかくジューシーにする方法として、ブライン液という塩と砂糖の入った水に漬けておく方法があるのだが、以前比べてみた際に麹だけでも充分だと判断した。

 美味しく料理を作ることにおいて手間は大事だが、商売の側面から見れば余計な手数を増やすと、お客様への提供時間が増えてしまう。

 今の段階ではお店をするのは雪子と秋人の2人きりで人員も限られている。ある程度そういうことも想定しながら、雪子は自宅でせっせとレシピを組み立てていたのだ。

 鶏肉を麹に漬けている間は、お味噌汁の準備に取り掛かる。

 今はさつまいもの美味しい季節なので、さつまいもの入ったお味噌汁を作ろうと決め、リズムよく野菜たちを切っていく。

 夕日の差し込む部屋に、トントントン……という包丁の音が響く。その光景に秋人はひどく感傷的な表情を浮かべた。

「なんか不思議な感じだな。この部屋で、自分じゃない料理の音が聞こえるのって」

「そうですね……うちも、料理をしている時に誰かがそばにいるのが、久しぶりな気がします」

 祖母の元を離れて1人暮らしを始めてから、料理を作る時はずっと1人だった。

 仕事でも料理に関わりはあるが、あくまでも料理のメインはレッスンに来ている人たちである。

 プライベートでこうして料理を振る舞うことは、久々で懐かしく、どこか新鮮に思えた。

「そういえばご飯ってあります?」

「炊いたらあるよ、それは俺がやっても大丈夫?」

「ありがとうございます、助かります」

 おかずのことばかりで、すっかり白ごはんのことが頭から抜けていた。

 秋人の手を借りて、2人がキッチンに立つと更に音が増えて賑やかになる。

(もし秋人さんと一緒にお店をしたら……毎日、こんな風になるんかなあ……)

 触れそうな距離に立って、2人で一緒に料理を作る。

 少しずつ近づいている未来の姿に、静かに心臓が跳ねた。

「一緒にお店をしたら、こんな風なのか……」

 どうやら秋人も同じことを考えていたらしい。

 それがくすぐったくて、雪子は「うちもおんなじこと考えてました」と軽やかに笑う。

 ――2人で同じ夢を見ることがこんなにも幸せだなんて、知らなかった。

 雪子はお味噌汁をゆっくりと混ぜながら、美味しくなあれと祖母直伝の言霊という名のおまじないを囁いて、沸騰しない程度の火の調整をしてもう1つのコンロにフライパンを置いた。

 鶏肉が少し浸かるくらいの油を注ぎ、漬けておいた鶏肉に溶いた卵と片栗粉をまぶしていく。

 そして2回に分けてこんがりとキツネ色にあげると、千切りにしておいたキャベツを持った皿に乗せていく。もちろんこちらも味の種類に合わせて、3皿用意してある。


「お待たせしました……!」

 3種類の麹に漬けた唐揚げと、さつまいものお味噌汁。そして秋人が炊いてくれた艶々の白米が食卓へ綺麗に並べられた。

 冷めないうちに早く食べようと、雪子と秋人は向かい合って席につき「いただきます」と手を合わせた。

 冬が近づき日が落ちるのも早くなったこの季節。すっかり暗くなった部屋には照明が灯り、窓からはその光が溢れている。

「じゃあまずはキムチから頂こうかな」

「どうぞ……」

 雪子は秋人が1品ずつゆっくりと咀嚼して味を確かめている姿をじっと見守った。

 粉末状の唐辛子にニンニク、魚エキスに塩辛と砂糖。保存料や着色料などの添加物をできるだけは省いて作ったキムチは、罪悪感が少なく食を進めてくれる品である。

「うちの使っているお砂糖はサトウキビからできている物を使っているので、優しい味わいになるのが特徴なんです。やっぱり、できるだけ体に優しいものを使いたくて」

「うん、ちゃんと浸かってるけど辛すぎないし、魚介の味がしっかりする。優しい味だね、こっちのお味噌汁も」

「この出汁も自家製で、昆布と鰹節に椎茸をうちの考えた比率で丁寧に作りました。お味噌は地元のお店で買った麹味噌です」

「透き通った黄金色の綺麗なお出汁だったね、さつまいもを入れたから甘味が強めだけど、他の料理との組み合わせを考えるとそこまでくどくならないし」

 そして、最後の唐揚げの番が来て、雪子は祈るように胸の前で手を組んだ。

 塩麹、柚子塩麹、醤油麹の3種類に分けられた唐揚げを1種類ずつ口に運ぶ秋人の姿をしっかり見届けて、「どうでしょうか」と尋ねた。

「うん――すっごく、美味しい。これは米が進むわ!」

 二度揚げでカリッと揚がった衣に、発酵食品である麹の作用により柔らかくジューシーさで食べ応えはありつつ、ニンニクや生姜、柚子の香りがふんわりと広がって、五感で美味しさを訴えてくるそんな唐揚げに仕上がっていた。

 もうチェックはこれで終わったからと心置きなく白米を口の中へかきこむ秋人の姿に、雪子は良かったと脱力し、胸を撫で下ろした。

「この料理ならこのままお店に出せるね。定食や御膳にするなら、もう何品か考えた方がいいかも」

「そうですね。時短のために冷めても平気な作り置きを季節に合わせて出すというのは、どうでしょうか。きんぴらとか、佃煮、茄子の煮浸しとか……」

「それいいね。やっぱり季節物を出すと喜ばれるし、常連客に繋がるからな」

「京都の人は特にそういうのを大事にしはるので。あとは、冬至の日は南瓜を使ったおばんざいにするとか、海の日は海鮮物を出すとかもええかもしれません」

「期間限定メニューとは別でそういうのを取り入れるのもいいな。まずは様子見で1品だけそうしてみるか。最初から無理をしてダメでしたってグレード下げるよりかは、できそうな見込みが立ってから始めた方が印象は悪くない」

 秋人に料理を認めてもらったことで、雪子も少し自信がついたようで今までは秋人の意見にだけ忠実に従うだけだったのか、自分の意見もしっかり口にできるようになっていた。

 秋人にもそれがしっかりと伝わっていたようで、彼も雪子の意見を真摯に受け止めてくる。

 年も離れていて、生まれ育った場所も環境も違う。

 それなのにこんなに似通った部分があって、お互いを尊重できる。

 (もっと、秋人さんにふさわしい女性になりたい)

 いつか何の曇りもなく、この人の隣に立てるようになりたい。

 そっと心に誓った雪子の鞄の中からは、大切にしまわれた“接吻“のポストカードが覗いていた。




――――――――――――――




 そんな幸福に満ちた翌日。

 食事の後は秋人に車で送ってもらい、寝る前にはおやすみなさいの電話をして、雪子はこれまでになく快調な様子で出勤していた。

 秋人は雪子のペースに合わせて手を繋ぐ以上のことは控えてくれたうえ、今度は自分が料理を振る舞わせて欲しいとまで申し出てくれたのだ。

 これからは何度も食卓を一緒にするだろうから、秋人の家に置いておく雪子の食器まで見に行こうとまで言ってくれ、幸福に真綿のように包まれて死んでしまいそうだった。

(今度おばあちゃんの墓参りに行くときに、ちゃんと報告せんと)

 そして職場の人にも秋人と交際することになった旨を報告して、相談に乗ってくれた感謝の気持ちを伝えねばと雪子は職員用の出入り口から店へ入る。

 いつもならば明るい挨拶が飛んでくるのだが、扉を開けると困惑した表情のエリカに亜美、店長の志穂が雪子に視線を投げかけてきた。

「おはようございます……、あの、何か……?」

「雪子さん」

 ただならぬ気配に驚く雪子に対し、志穂店長は神妙な様子で近づいてきて雪子を別室へと移動するように促した。

 休憩室に座り、志穂店長は重苦しい雰囲気の中、口を開いた。

「雪子さん、あなた……結婚するってほんとう?」

 一瞬、どうして志穂店長が秋人と自分の交際をすでに知っているのだろうと思ったが、その考えはすぐに振り払われる。

 なぜか嫌な予感が漂ってきて、先ほどまで雪子の心を満たしていた幸福感が一気に引いていくのが感じられたのだ。

「今朝、雪子ちゃんの父親を名乗る人から電話がかかってきて……雪子さんは富山さんと結婚するから、今日限りで退職させるように言われたの」

 クリムトの“接吻“は黄金に包まれた花畑の上で、男女が口付けを交わす――一見幸せそうな絵に見える。

 しかし彼らの立っている場所は、一寸先は奈落の底へと続く崖の上であった。






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