第63話 ケイが消えた日
森の花園に訪れているイングリットさんと話をするために、フラウの村を出発してからしばらく後。
フェザーで花園の隅に乗り入れた僕が見たのは、花園の中央に集まって立つ、10人ほどの人物だった。
ひと目見た感じでは、イングリットさんもニースも見当たらない……と言うか、全員がそれぞれ顔を隠すような格好をしており、誰が誰だか判別がつかない状態だ。
不意に、僕の身体の核となる毛糸が、何かに反応するように震えた。
——嫌な予感がする。
僕の中の警戒レベルが一気に跳ね上がった。
すでにこちらの姿を相手にも見られている。僕は内心の動揺を悟られないよう、ゆっくりとフェザーを降りた。
人間たちがここに居るということは、どこかにイングリットさんが居るはずだ。イングリットさんの指輪がない限り、人間が狙ってこの花園にやって来ることはできないとゼフィラが言っていた。
「こんにちは。イングリットさんはいらっしゃらないのですか?」
僕の言葉に反応し、1人のマント姿の人物が、集団の中央に立つフェイスベールをかぶった人物に耳打ちする。
耳打ちされた人物はひとつ頷き、ゆっくりとベールを外した。ベールの下から出てきたのは、中年と言っていいだろう見た目の女性だった。
「お初にお目にかかります。あなたがケイ様ですね? まさかこんなに直ぐにお会いできるとは思ってもいませんでした。私はイングリットの娘のジイナと申します」
「そうですか、はじめまして。それで、イングリットさんは?」
「今日は私が代理で参りました。ぜひケイ様とお話をさせていただきたいと思いまして」
「なるほど。でも、ここにはイングリットさんの指輪が無いと辿り着けないはずですが?」
警戒を解かずに、僕は同じ確認を繰り返す。
それに対し、ジイナは薄っすらと無害そうな笑みを浮かべた。
「ええ、ですから母より指輪を譲り受けましたの。母ももう歳ですから、今後は私がこちらに伺うことになるかと思います」
「それはおかしいですね。あの指輪はイングリットさん本人しか使用できないと聞いていましたけど」
「……母娘ですから、その辺りは融通を利かせてくれているのでは? 何せご高名なゼフィラ様からの贈り物ということですし」
——そんなことはあり得ない。
それなら、前回の会議の時にわざわざニース用の指輪を用意して欲しいなどとは頼まないはずだ。
それに、あのイングリットさんが自分の娘だからと言って、簡単に指輪を渡すとも思えない。
そんなことが簡単に認められるなどと考えるほど、あの人はエルフと人間の関係性を軽く見てはいなかった。そんな人だからこそ、あれほどゼフィラが信頼しているのだ。
「では、指輪を見せてください。そもそもあなたの指には、はまっていないようですが?」
「…………」
ジイナが黙り込む。
場の空気に緊張感が混じるのを感じ、僕はジイナに視線を向けたまま、ジリっと半歩足を引いた。
すると、フッ……とジイナが力を抜いたような笑みを浮かべる。
「はぁ……わかりました。仕方がありません。今お見せしますから、少々お待ちください」
ジイナは横に控えていた人物に何事か告げると、小さな小袋を受け取る。
片手に乗る程度の、革製と思われるその小袋には、何だかよく分からない黒い染みが広がっていた。
——猛烈に嫌な予感が、僕の脳裏を走る。
しかし、そんな僕の様子を気にも止めず、ジイナは小袋に手を突っ込むと、何かをつまみ出した。
それは確かに、見覚えのある銀色の指輪だった。
先日見たばかりの見覚えのある指輪が、見覚えのある指にはまったまま、袋から取り出された。
「まったく、面倒な仕掛けにしてくれたものです。本人の指にはまっていないと効果が無いなんて。おかげで、こんなに気持ち悪いものを持ち歩く羽目になってしまいましたわ」
そのあまりの光景と言葉に、僕は視界が明滅するほどの衝撃を受ける。
この世界に来て、初めて目にした本物の『悪意』
今まで会ったエルフもドワーフも、みんな優しく、親切な人たちばかりだった。
もちろん、シレネの母親のように心無い態度をとってしまう人や、一癖も二癖もあるような人だっていたとは思う。
でも、他人を害するような根っからの悪人など存在せず、誰もが相手の存在を認め、お互いを思いやることのできる優しい世界を作り上げていた。
それなのに……なぜ、こんなことが起きるのか。
どうして、人間はそんなことが平然とできるのか。
僕は身体の震えを抑えることができなかった。
「なんて……事を……イングリットさんは……?」
「ご安心ください。協力を仰げなかった上に抵抗されたので、少々痛めつけて指を1本頂いただけです。ですが、ケイ様の態度次第ではどうなるか……お分かりですよね?」
口の端を歪めた笑みを浮かべるジイナ。
気がつけば、僕の周囲をマント姿の人影が取り囲んでいた。
慌てて身構えるが、そんな僕をジイナの声が制止する。
「ケイ様、よく考えて行動なさって下さい。ケイ様の行動ひとつで、お母様……イングリットやニースの身の安全が損なわれるのですよ? そもそも私たちの目的は、ケイ様を人間の街にご招待したいだけなのです」
「そんな事のために、なんでそんなに酷いことを……」
「うふふ……そうですわよね? ケイ様が人間の街にお越しになるのは当然の事ですよね? それなのに森妖精如きを恐れて認めようとしないから、こんな手段をとることになってしまいましたの。決して私の本意ではないのですよ?」
何を言っているんだコイツは……?
混乱する僕に対し、僕を取り囲んでいたうちの1人——1番背の高い人物が、何やら装飾のついた革製の輪っかのようなものを放ってよこした。
咄嗟にそれを受け止めた途端、僕の身体から急に力が抜け、ガクンと膝を付いてしまう。
「え……? なんだ、コレ……?」
「本来は人質にするエルフに使うはずだった魔力封じの首輪だが……お前にこんなに効くとは思わなかったな」
魔力封じ……?
しまった、そんなものがあるなんて思わなかった。それは魔力で全身を動かしている僕にとっては、猛毒に等しいものだ。
慌てて首輪を手放そうとするが、そんな暇もなくあっという間に周りから身体を押さえつけられると、強引に首輪をはめられてしまう。
身体から魔力が吸い取られ、こぼれ出ていくような感覚。
僕は魔力で維持している全身が崩れそうになるのを堪えるだけで精一杯になり、満足に動くことすらできなくなってしまう。
一瞬、このまま身体を崩して、元の毛糸の体だけで抜け出せないかとも考えるが、捕えられていると思われるイングリットやニースの事を考えると、あまり得策ではないように思えた。
僕の身体の本体が人形であることは、まだエルフ以外には知られていない。ひとまず危害を加えられることも無さそうだし、抵抗せず素直に捕まることにする。
「うふふ……まさかこんなにすんなりいくとは思いませんでした。やはり、こうなるべき運命だったということでしょうね」
陶酔したようにウットリとした笑みを浮かべたジイナが僕に近寄る。そして目の前に屈み込み、その指先で僕の頬をゆっくりと撫で回した。
「ケイ様が我ら人間種を救ってくださる方法をお持ちであることは分かっています。さあ、共に人間を救う救世主と成りましょう」
その瞳に宿るのは、自分の正しさを一切疑っていない、どこまでも純粋な思い。
だがそれは僕にとっては決して受け入れることのできない、狂った情念だ。
何と答えたら良いのかも分からず、黙ったままの僕の体が、丁寧に縛りあげられる。
「ジイナ、あの乗り物はどうする?」
どうやらマント姿の人物たちのリーダー格らしい、背の高い人物がフェザーを指さす。
マント姿の何人かが興味を持ってフェザーをいじり回しているが、起動すらできないようだ。
「捨て置きなさい、サーニャ。ケイ様さえ手に入ればいいわ」
ジイナの言葉に、マント姿の人物たちは残念そうにフェザーから離れる。
そして僕の身体が、サーニャと呼ばれたリーダー格の人物にヒョイと担ぎ上げられた。
「さあ、ケイ様。共に参りましょう。私たちの街……いえ、ケイ様の新しい住居へご案内致しますわ」
ジイナの指示を受け、サーニャたちは僕を担いだままゾロゾロと花園を後にする。
人気のなくなった花園には、踏み散らされた多くの花々の花弁と、主を失ったフェザーのみが静かに佇んでいた。
―― 第3章 生命の誕生編 完 ――




