第59話 人間種2
今から60年ほど昔。
幼いイングリットは、たった1人で森を彷徨っていた。
族長である母親に連れられ、勉強のためにと各地を回る旅に同行していたイングリットは、エルフが住むという妖精の森の近くで、視察団と共に1日の野営と休息を取ることになった。
エルフ以外が入り込むと必ず道に迷い、下手をすると2度と出ることが出来ないと言われる妖精の森。もう一つの名を『森林迷宮』
母親からは、決してエルフの手引きなしで踏み入ってはならないと注意されていた。
しかし好奇心旺盛なイングリットは、物語でしか聞いたことのないエルフを見てみたくて、こっそりと妖精の森に踏み込んでしまったのだ。
森の入り口が見える辺りまでなら大丈夫だろうと、慎重に歩みを進めていたつもりだった。しかし、ふと振り向いてみると、視界に入るのは鬱蒼と茂る森の木々だけになっていた。
慌てて元来た道を戻ろうとしたが、いくら進んでも出口は見えず、むしろ森の奥へと入り込んでいるような気さえする。
まだ日も高かったはずなのに、茂った木々の葉で太陽がどこにあるのかも見えず、自分がどちらの方向に進んでいるのか全く分からない。
時間の感覚もおかしくなり、森に入ってからまだ10分くらいの気もするし、既に1時間くらい歩き回っている気もする。
もう2度と森から出られず、このまま森の中で倒れ、朽ちていくのかもしれない。恐怖と不安に押しつぶされそうになり、泣きべそをかきながら森を彷徨い歩き続けるイングリット。
そんな時、急に彼女の目の前で視界が開けた。
そこは木々に囲まれた広い空き地。
そしてその地面には、一面に色とりどりの花が咲き乱れていた。
突然現れた花畑に呆然と立ち尽くすイングリットの耳に、鈴を転がすように澄んだ声が響く。
「ふむ。人間種の子供か。こんなところで何をしているんじゃ?」
花畑の真ん中。
朽ちた切り株の上に、イングリットと同い年くらいに見える少女が座っていた。
風に靡く長い銀髪。抜けるような白い肌。作り物かと疑うほどに美しく整った顔立ち。そして、長くとがった耳。
「え、エルフ……!?」
「なんじゃ、お嬢ちゃん、エルフを見るのは初めてかの?」
エルフの少女は、面白そうに目を細めた。
ハシバミ色の瞳が興味深げに、イングリットを観察している。
イングリットは、自分が道に迷っていた事すら忘れ、初めて見る森の妖精の姿に興奮していた。
そのため、エルフという生き物は非常に長寿であり、人間基準での見た目通りの年齢とは限らないことなど、すっかり頭から抜け落ちている。
彼女にとって今目の前にいるのは、初めて出会った自分と同年代の妖精の女の子。
ちょっと口調は変だけど、そんなのは気にしない。是非とも友達になりたい!とイングリットは意気込む。
「あのね、道に迷っちゃって……私、イングリットっていうの、あなたのお名前は?」
「物怖じせん娘じゃのう。儂はゼフィラじゃ。よろしくなイングリット」
「私のことはリットって呼んで? 仲のいい友達はそう呼ぶの! 私はゼフィちゃんって呼んでいい?」
「ふふっ……まあ、構わんぞ。こっちに来るがよい。少し話でもしようではないか」
「うん!」
それからイングリットとゼフィラは、花畑の真ん中で並んで座り、他愛もない話をした。
イングリットは、今人間の街ではどんなものが流行っていて、自分が街でどんな遊びをしているのかなどを、一生懸命に話した。
代わりにゼフィラはエルフの村の生活や、魔法の話などを教えてくれ、実際に小さな光の玉などを作って見せてくれた。
イングリットは、初めてできたエルフの友達に興奮冷めやらぬ様子で、身振り手振りを交えておしゃべりを続け、いつの間にか日が暮れる時刻になっていた。
そんな時、花畑に足を踏み込む幾つかの足音。
「イングリット!」
「え……? あ!お母さん!!」
花畑に入って来たのは、1人の金の髪をしたエルフと、その後に連れられたイングリットの母親だった。
イングリットは母親に駆け寄って抱きつくと、目をキラキラさせてピョンピョン飛び跳ねる。
「お母さん!すごいの! 私、エルフのお友達ができたんだよ!」
そこまで言ったところで、イングリットは母親の様子がおかしいことに気づいた。
母親はイングリットを守るように抱きしめたまま、緊張した表情で深々と頭を下げていた。
「ゼフィラ様、大変申し訳ございませんでした。娘の無礼につきましては、全て私の監督責任です。叱責は私がお受けしますので、娘はお許しいただきたく……」
「お母……さん?」
何かに怯えるように、頭を下げ続ける母親を、戸惑った顔で見上げるイングリット。
そんな母娘の姿を見て、ゼフィラは苦笑する。
「よいよい。子供の戯れに目くじらを立てるほど狭量ではないわ。のう、リット。またいつでも遊びに来るがよい」
「そうだよお母さん! ゼフィちゃん優しいよ?」
「こら! 何てことを言うの!」
「いやいや、なかなか楽しいひと時じゃったぞ。特にさっき見せてくれた、尻を丸出しにして掛け声と共に叩きながら踊るという遊びは、久しぶりに腹から笑ったぞ」
「あんた本当に何やってんのー!?」
スパン!と頭を引っ叩かれるイングリット。
叩かれた後ろ頭をさすりながら口を尖らすイングリットを見て、ゼフィラは優しげに目を細める。
「ほれ、リット。これを持って行くがよい」
そう言って、ゼフィラは懐から取り出した小さな何かを、イングリットに放ってよこした。
慌てて受け止め、何かを掴んだ手の平を開いてみると、そこにあったのは銀色に輝く小さな指輪だった。
「儂とリットの友達の証じゃ。それを持っていれば、この森で道に迷っても必ずこの花畑に辿り着く。そうすればエルフの誰かが気づく事ができるからの。お守り代わりに持っておれ」
「わあ! ゼフィちゃん、ありがとう!」
「ふふっ……では、またな。シレネ、森の入り口まで送ってやってくれ」
「かしこまりました」
「ゼフィちゃーん! またねー!」
ブンブンと手を振りながら、母親に引きずられるように去っていくイングリットを、ゼフィラも笑顔で手を振って見送った。
これが、そこから数十年続くイングリットとゼフィラ、いや人間とエルフの友好関係の始まりだった。
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「ここに来るのも本当に久しぶりね」
年老いたイングリットが立つのは、あの日から変わらぬ、色とりどりの花が咲き誇る花畑。
幼い頃に初めて迷い込んで以来、何度もここを訪れたが、いつ訪れても満開の花々に迎え入れられた。
「ここが……エルフの長老との会談場所なのですね」
イングリットの後ろにはニースが続く。
人間種の代表として、会談場所である花畑に足を踏み入れることが許されたのは、この2名のみだった。
妖精の森を訪れるにあたり、信頼のおけそうな随伴員を何人か連れてきているが、それらの者は花畑周囲の森で待機させられている。危険ではないかと抗議する者もいたが、それはイングリットの「問題ありません」の一言で片付けられた。
そして花畑の中央、白いテーブルとパラソルが設置された、まさにお茶会の会場とでもというべき場には、あの頃と変わらぬ若々しい姿のゼフィラが待っていた。
その後ろには、1人の人物が静かに立っている。フードを目深に被り顔は確認できないが、エルフにしてはかなり背が高い。
「久しぶりじゃのイングリット。しばらく見ないうちに随分と老けたようじゃのう」
「そう言うゼフィラは、本当に変わらないわね。うらやましいわ」
軽口を叩き合い、親しげに笑う2人。
しばし再会を喜ぶ会話を行った後、イングリットが後ろに控えていたニースを紹介する。
「お初にお目にかかります、ゼフィラ様。人間種族長イングリットの孫、ニースと申します」
「ふむ、イングリットの孫か……以前会ったことのあるジイナという娘は連れて来なかったのか?」
イングリットは何も言わず、わずかに口の端に苦笑を浮かべる。
対するゼフィラも「なるほど。いろいろとあるようじゃの」と肩をすくめるのみで、それ以上の追求はしなかった。
「ところで、そちらの方は? いつもの四賢者の方ではないようですが?」
イングリットが興味深げに、ゼフィラの後ろに立つ人物に目をやる。
ゼフィラの護衛というほど物々しくは見えないし、そもそもイングリットたち程度では、ゼフィラを害することなど不可能だ。
「くふふ……それはあとのお楽しみにとっておこうかの」
含みのある笑みを浮かべるゼフィラ。
イングリットは知っていた。これはゼフィラが何事かのイタズラや、自分を驚かそうというサプライズを仕込んでいる時の笑い方だと。
ゼフィラは小ぶりの杖を取り出して、空中にサラサラと魔法陣を描く。
それは流れるように優雅な魔術発動の仕草。
ニースが目をキラキラさせてそれを見つめる中、イングリット達のいるテーブルの周囲に薄い光の膜のようなものが展開されたのが分かる。
「大事な話なのでな、少々結界を張らせてもらった。これでこちらの声は外に漏れぬ。さて、では茶会を始めるとしようかの」
ゼフィラが席に着き、その後ろに正体不明のもう1人の人物が立つ。
イングリットはひとつ大きく深呼吸をすると、ニースと共に会談の席に着いた。




