第58話 人間種1
人間種とは。
寿命は長くても100歳程度で、エルフやドワーフに比べると極端に短命である。
体つきや髪の色などは多種多様であるが、特別な力などを持つわけでもなく、魔力もエルフに比べれば乏しい。
そのため、彼女らはエルフのように強大な魔法を使いこなしたり、ドワーフのように複雑な魔道具を作り出したりすることはできなかった。
ただ総じて頭が良く手先も器用であることから、色々な道具を使いこなし、さらに道具に魔力を付与することで、少ない魔力を有効に活用し、己の足りない部分を補って、様々な状況を乗り越えてきた。
また、短命ではあるが、その分『生命の揺り籠』から送られてくる子供の数が多く、多種族より圧倒的に多い人口を誇っていた。
しかし、エルフ同様に『生命の揺り籠』からの子供の供給は途絶えて久しい。
元々、人間種全体の人口は5000人程度であったが、現在の人口は約4000人。寿命や事故など理由は数多あれど、ここ20年ほどで全盛期からの2割減だ。
このままでは間違いなく、近い内に人間種は滅ぶ。
その事実は人間種全体に重苦しい雰囲気を纏わせ、精神的にギリギリまで追い詰められていた。
何かキッカケがあれば、いつヤケになった者たちによる暴動が起こるか分からない。張り詰めた緊張の糸を、更に命綱なしで綱渡りをしているような状態が続いていた。
エルフたちの暮らす妖精の森。人間たちが森林迷宮と呼んで踏み入ることを恐れるその森の西方に、人間種の街『ユニオン』がある。
その街の中心部に建つ大きな屋敷に、1人の人物が訪れていた。
「お久しぶりね、ルベルム」
「はい。ご無沙汰しておりました、イングリット様」
屋敷の主である女性は、人当たりの良い笑みを浮かべて、訪問者を出迎えた。
女性の名はイングリット。
人間種の族長として、この街を統治している人物である。
イングリットは半分以上が白髪となったダークブロンドの髪を丁寧に結い上げ、顔には歳を重ねた証であるシワが刻み込まれていた。
それは、人間としては長い時を生きてきた紛れもない証拠であるが、その目に宿る輝きからは衰えを感じさせない意志の強さが垣間見える。
ただ、その表情に張り付いた疲労と苦悩の色は、どうにも隠しきれていなかった。
「ゼフィラ様はお元気? もう長いことお会いしていないもの。最後に会ったのは10年前だったかしら」
「はい。それはもう元気すぎるくらいに、元気に過ごしていますよ」
イングリットの向かいに座ったルベルムが答える。
行商隊として、様々な地域、種族の元を訪れているルベルムだが、その正体がエルフであることを知るのは、ほんの一部の者のみだ。
その中の1人であるイングリットは、ゼフィラと旧知の仲であり、人間種の中でもエルフとの信頼関係を良好に保つ事に尽力してきた人物であった。
「それは良かったわ。ところで、今日はどんなご用かしら? 行商の件であれば、いつものように商会長を通してもらえれば、自由にしてもらって構わないですよ?」
「本日は、ゼフィラ様から手紙を預かってきております」
ルベルムは、懐から一通の封書を取り出す。
それを受け取ったイングリットは、封書の裏に書かれたサインを見て、嬉しそうに目を細めた。
一度書いたら修正や偽造の不可能な、エルフ秘伝の魔法紙に記された、流れるような美しい筆跡。
間違いなく彼女の知るゼフィラの筆跡だった。
「ふふっ……お手紙なんて嬉しいわ。今読んだ方が良いのかしら?」
「はい。お願いします」
イングリットは優美な意匠のペーパーナイフを取り出すと、丁寧に封を切り、中の便箋を取り出して目を通す。
ルベルムはその様子をジッと見つめていた。
「これは……招待状かしら……?」
便箋に記載されていたのは、簡素な文面。
『思い出のあの花の園にて、茶会を開きましょう。
枯れゆく貴方の庭に再び芽吹く、奇跡の種子を見つけました。
全ての花が枯れ果てる前に、お会いできますように』
イングリットの視線が、ゆっくりと文面をなぞる。
不意にその瞳が、限界まで見開かれた。
「これは……まさか……」
手紙を握る指先が白くなるほどに力が入る。
呼吸が荒くなり、ブルブルとイングリットの身体が震え出した。
「この内容はどういうことですか!? 今すぐにでも……っ!」
思わず声を荒げ、顔を上げたイングリットが見たのは、静かに自分を見つめるルベルムの瞳だった。
その澄んだブラウンの瞳は、イングリットの一挙手一投足すら見逃さないとでもいうように、無言で彼女を見つめ続けている。
それは、値踏みだ。
今、自分はエルフから信用するに足る人物であるかを見定められている。そう悟ったイングリットは、口から出かかった言葉をグッと飲み込む。
大きくひとつ深呼吸をして気持ちを落ち着けると、浮かせかけた腰をソファへと戻した。
「……失礼しました。少々お待ちいただけますか? 人払いをさせていただきます」
「はい。ご配慮感謝致します」
ルベルムはニッコリと微笑む。
しかしその視線は、未だイングリットから離れない。
イングリットは沸き立つ気持ちと、背筋を震わせるような怖気を同時に感じながら、周囲の人を遠ざける指示を与えるために席を立った。
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小一時間が経過し、ルベルムは屋敷から立ち去った。
イングリットは一人きりになった応接室で、ルベルムから口頭で与えられた情報を、頭の中で何度も反芻していた。
教えてもらえたことは、そう多くない。
ゼフィラがエルフの人口減少を止める手掛かりを得たということ。
おそらくその手段は、人間種にも有効であると考えられること。
そして、実際に会うことができれば、その証明となるものを見せてもらえるということ。
「ゼフィちゃん。あなた、本当にやり遂げたのね……」
最後にゼフィラと合って話をしたのは、既に『生命の揺り籠』から子供が送られてこなくなり、人口減少問題が深刻になり始めた頃だった。
イングリットから申し込んだ会談の場で、ゼフィラは自信満々に言ってのけた。
「このまま何も分からずに、滅んだりなどしてやるものか。必ず未来への道筋を切り拓いてみせる。まあ、リットが生きているうちに打開策を見つけたら、こっそり教えてやるから楽しみにしておれ」
出会った頃と同じ幼い少女の姿で堂々と宣言し、意気揚々と去っていくその姿は、今でもイングリットの記憶に鮮明に焼き付いている。
懐かしい思い出に浸りかけていたイングリットの意識を、部屋の扉をノックする音が現実へと引き戻した。
「入りなさい」
「失礼します。お祖母様、お呼びですか?」
部屋に入って来たのは、年の頃は10代後半、長い黒髪を持つ1人の少女。
少女の名前はニース。イングリットの孫にあたり、『生命の揺り籠』からの最後の世代の子供だ。
「ニース。近々、妖精の森へと出掛けることになります。準備をしておきなさい」
「妖精の森……もしかして、エルフとお会いになるのですか?」
「ええ。エルフ種族長と会談を開くことになりました。あなたも同行なさい」
ニースの瞳が僅かに揺らぎ、小首を傾げる。
それは彼女が頭の中で思考を巡らせる時の癖だった。
「重要な案件ですね? 叔母様には……?」
「……ジイナには、まだ伏せておきなさい」
「承知しました。では、叔母様には地方の視察があるとお伝えしておきます。供回りも少人数ということでよろしいですか?」
「そうね。そのように手筈をお願い」
本当に賢い娘だ、とイングリットは内心舌を巻く。
元々、イングリットにはエストとジイナという2人の娘がいた。しかし、ニースの親であるエストは、事故のため数年前に早世してしまった。
まだ幼かったニースは、もう1人の娘であるジイナに引き取られ、親を失った悲しみを乗り越えて立派に成長を遂げた。
現在は、娘のジイナ、孫のニース共にイングリットの族長補佐として、街の運営や事務方の仕事を手伝ってくれているが、特に最近のニースの聡明さには目を見張るものがある。
一方、ジイナは優秀ではあるのだが、物事を多角的に見るという能力、つまり柔軟な対応力という面において、まだ若いニースに及ばず、思い込みや偏見で動くきらいがあった。
最近の人口減少問題に関しても、対応に気を揉むあまり独自の考えに盲信してしまっているように見受けられ、あまり良くない噂も耳にしていた。
イングリットもそろそろ隠居を考える歳だったが、人口減少問題の対応で、それどころではないというのが現状だ。
今回の件がもしうまくいくようであれば、族長を後進に譲り、後はゆっくりと余生を過ごしたいものだと考える。
その際、跡を継ぐのは……
「お祖母様? どうかされましたか?」
可愛らしく小首を傾げるニース。
その仕草に彼女の本来の年齢を思い出し、まだ若い少女に重荷を背負わせてしまうかもしれない事を、少し申し訳なく思う。
「いえ、何でもありません。では、早急に準備を進めるように。早ければ2週間後には出立することになります」
「承知しました」
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「ゼフィラ様、ただいま戻りました」
イングリットとの会談を終え、ユニオンを発ってから1週間後。行商隊より先行して1人でフラウ村に帰還したルベルムが、ゼフィラの元を訪れていた。
「うむ。ご苦労じゃったの。それで、お主の目から見た感想を聞かせてもらえるかの?」
「はい。族長であるイングリット様は信用しても大丈夫かと思います。ただ……」
「ただ?」
「街の中の雰囲気はかなり悪いですね。人口減少による滅亡を恐れるあまり、良くない思想を持った集団などが発生し、陰で力を増してきているようです」
ルベルムの報告に、ゼフィラは眉を潜めた。
「やはりそうなるか……とは言え、このまま手をこまねいていては、更に悪化の一途を辿るのは目に見えておる」
「では、予定通りに?」
「うむ。久しぶりにイングリットの顔でも見に行くとするかの」




