第40話 魔羊狩り2
文字通り、空を駆けるようにセロウの元へと駆けつけたケイが見たのは、小山のように巨大な魔羊と、粘液まみれで地面に倒れ伏すセロウだった。
怒りに任せて、そのまま一撃叩きこんでみたが、あまり手応えはなかった。なんと言うか、ゴムや硬めのスポンジでも殴ったような感触だ。
とはいえ、その衝撃で魔羊をセロウから引き剥がすことには成功する。
「セロウ! 大丈夫!?」
地面に倒れているセロウに駆け寄る。
彼女はかすれた呼気を漏らしつつ、地面で痙攣するように震えていた。
紫に近い唇の色に、虚ろな瞳。明らかに不自然なその状態。
呼吸ができていない?
僕は咄嗟にそう判断する。
事前に聞いていた情報から、僕の脳裏に『麻痺毒』という言葉が思い浮かんだ。
――早く何とかしないと。でもあのデカい魔羊を放置したままでは……
視界の端では、先ほど吹き飛ばした魔羊が起き上がるのが見えている。
焦る僕の思いを吹き飛ばすように、金色の疾風が、ケイを呼ぶ声ともに現れた。
「ケイ! そこか!」
「来てくれたか、リオン! あいつの相手を頼む! 僕はセロウを治療する!」
リオンの目が、一瞬、地面に倒れるセロウを捉えた。
その瞳が、驚き、戸惑い、そして怒りの色へと変化する。
リオンは一つ息を吐くと、頷いて魔羊に向き合った。
「ケイ、セロウを頼む」
「うん、そっちは任せたよ」
僕は魔羊の相手をリオンに任せると、セロウへと駆け寄る。
リオンに任せておけば大丈夫だ。僕はセロウを助けることに集中すればいい。
そしてリオンは怒りに燃える瞳で、巨大な魔羊を睨みつけた。
「よくもセロウを痛めつけてくれたな。たっぷりと返させてもらうぜ」
リオンの全身から、金色の光が湧き上がった。
――――――――――――――――
朦朧とした意識の中、セロウは自分の身体が誰かに抱え上げられたのを感じた。
相変わらず自身の身体は全く動かせない。
相手が何かを喋っているようだが、酸欠のためか、耳鳴りでほとんど音も聞こえない。
――ああ……私はここで死ぬのですか……
セロウが絶望して諦めかけた時、自身の唇に柔らかな何かが押し当てられるのを感じた。
そしてヌルリと温かく柔らかな感触が口内に入り込んでくる。それはセロウの口内を舐め取るようにうごめき、直後、新鮮な空気が肺に送り込まれてきた。
セロウは必死に、送りこまれてきた酸素をむさぼる。
何度もセロウの中へと送りこまれる空気。
併せて、柔らかなヌメリ……その相手の舌がセロウの口内を這い回った。
すると、徐々にセロウの口内の感覚が正常に戻り始める。
セロウは空気と共に、その温かな癒しを求めて己の舌を相手のそれに絡めた。
温かく、優しい動きのそれを必死に求めていると、空気と一緒に、落ち着いた声がセロウの意識の中に注ぎ込まれてきた。
『セロウ、もう大丈夫だよ。肉体強化を体内に掛けるイメージで、ゆっくり呼吸をして』
セロウは言われた通りに、自分の口から喉、そして体内へと魔力を流していく。
そうしてみて初めて、相手が自分の身体に魔力を流し込んで体内の動きを補助してくれているのだと分かった。
セロウは相手の魔力の流れを感じ取り、同じように自分の魔力を流し込むことで、身体を活性化させていく。
しばらくして、ようやくセロウは自発的に正常な呼吸が行えるようになった。
『よし……もう大丈夫だね?』
優しい言葉と共に、セロウの口内から心地の良い温もりが抜け出していく。
思わず、それに追いすがるように、己の舌を伸ばしてしまうセロウ。
「んんっ………」
セロウは、自分の中から温かな体温が抜け出て行ってしまうことを寂しく思いながら、いつの間にか閉じていた瞳をゆっくりと開く。
薄っすらと開いたセロウの目に映ったのは、自分の顔。
疑問に思いながらも、徐々に意識がはっきりしてくると、それは体調を気遣うように、間近でセロウを見つめるケイの瞳に映った自分であると気づいた。
ケイの瞳の中の自分は、口を半開きにして、何かを求めるように、あさましく舌を差し出している。
そしてようやく、セロウは現在の状況を理解した。
「!!!?!?」
身体の血液が沸騰でもしたかのように、セロウの顔色が一瞬で真っ赤に染まる。
思わず飛び起きようとするが、まだ全身の麻痺は回復しきれておらず、ケイの腕の中から抜け出すことはできなかった。
あまりの羞恥に目が眩むほどだが、逃げることすらできない。
「……いっそ……殺してください……」
「なんで!? せっかく助けたのに!?」
面食らったように目を丸くするケイを見て、さすがに恥ずかしさより申し訳なさが勝ったセロウは、急に先程までの戦いのことを思い出す。
「そ、そうです、あの巨大な魔羊は……!?」
「ん? ああ、それなら心配いらないよ。もう終わると思うから」
ケイは、セロウを安心させるように微笑んだ。
――――――――――――――――
「ほほう、これはまたデカいのう」
「そうですねぇ。これ一匹で必要な羊毛は十分に集まりますねぇ」
のんびりとした様子のゼフィラとミモザが、暴れまわる巨大魔羊とリオンの戦闘を眺めていた。
先程から、魔羊の突撃に合わせてリオンが拳を撃ち込んでいるが、魔羊は跳ね返されても転がるだけで、ダメージを受けた様子が無い。
時々、魔羊も唾液を吐き出して反撃をしているが、リオンの方も素早くそれをかわしているため、お互いに決め手に掛ける泥仕合の様相を呈してきていた。
「おーい、リオン。手を貸すか?」
空中に描いた魔法陣を、いつでも発動できる状態に保持したまま、ゼフィラがリオンに声を掛ける。
「いらん! こいつはアタシが仕留める!」
「そうは言ってものう……おい、殺してしまうでないぞ?毛が取れなくなるからの?」
「ちっ! わかってるよ!」
強くなりかけていたリオンの纏う金色の光が、僅かに光度を落とす。
どこまで全力でやってしまっていいのか分からず、ある程度の手加減をしながらの戦闘。これが、リオンが手こずっている理由の1つだった。
メ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙ェェ!!
ペッ!と、再び唾液のシャワーがリオンを襲う。
リオンは素早くその場を飛び退いてかわすが、とばっちりの飛沫がゼフィラ達の元へと飛んできた。
「うわ、ばっちいですねぇ」
しかしその飛沫は、ミモザが張った透明の水の膜に全て防がれた。
それを確認し、ゼフィラは視線を背後のケイの方に移す。そこには、仰向けに寝かせたセロウを抱き上げ、濃厚な口付けを交わしているケイの姿があった。
「アレは、本当に医療行為なのかのう……?」
「とてもそうは見えませんがぁ、まあ一応は?」
若干複雑そうな表情をする2人だったが、リオンの発する気配が変わったことに気づき、視線を戻す。
リオンの纏う魔力の質が、力任せの強化から、緩やかに流れるような波長のものへと変化していた。
「む? リオンがそろそろ決めるかの?」
長くゆっくり息を吐きながら、リオンが腰を落として構えを取った。
先程までとは打って変わって、荒々しさが息を潜めており、魔力の放出も凪いでいるように見える。
ゼフィラの目には、リオンの身体の中を魔力の流れが滞りなく廻っているのが確認できた。
そんなことにはお構いなしに、動きを止めたリオンを吹き飛ばそうと再び突撃を敢行する魔羊。
その突進を真正面から受け止めるように、その場から動かないリオン。
メ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙ェェ!!
猛スピードの助走をつけた魔羊が、勢いよくリオンに激突する瞬間、彼女の手がフワリと持ち上がり、魔羊に向けて手の平が差し出される。
ズシン!!
激しい衝撃音。
しかしそれは、魔羊とリオンの激突により生み出された音ではなかった。
地面を陥没させる程の、リオンの踏み込み。
激しい震脚と共に、魔羊を受け止めるように触れた手の平から凄まじい魔力の波が放たれ、瞬間的に魔羊の身体を通り抜けた。
リオンの手の平1つで受け止められた魔羊の巨体が、ビクン!と硬直したように震え、その動きを停止させる。
今までの騒ぎが嘘のように、森に静けさが戻った。
ゆっくりと魔羊の身体が傾ぎ、ズシン!と横倒しに地面へと倒れる。
「ふーっ……」
リオンが、構えを解いて、深く息を吐き出した。
ゼフィラが、ふんと鼻を鳴らす。
「最初から、本気を出さんか」
「こういう小手先の技は、好きじゃねーんだよ」
正々堂々ぶつかり合わないと、なんだか負けた気になるからな、と口を尖らせるリオン。
ゼフィラは準備していた魔法陣を解除しつつ、「仕方ないヤツじゃのう」と苦笑するのだった。




