聖女の役目
王都ルミナス。
大聖堂の奥、普段は立ち入ることの許されない一室に、エリシアは呼び出されていた。
高い天井。
壁一面に描かれた聖画。
燭台の火が静かに揺れている。
祈りの場であるはずの空間は、どこか閉じた空気を帯びていた。
その中央に、一人の男が立っている。
赤衣。
枢機卿。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
柔らかな声。
穏やかな笑み。
だが、その視線は鋭い。
エリシアは一礼する。
「ご用件を」
簡潔に問う。
余計な言葉は挟まない。
相手が誰であっても、それは変わらない。
枢機卿は満足げに頷いた。
「結論から申し上げましょう」
一歩、距離を詰める。
「死霊王に対する対抗手段を、確立します」
静かな宣言。
だが、その内容は重い。
エリシアの表情は変わらない。
だが、意識は集中していた。
「そのために」
枢機卿は続ける。
「聖女であるあなたの力が必要です」
予想通りの言葉。
だからこそ、問題はその“中身”だった。
「具体的には」
エリシアは問う。
逃げない。
枢機卿は微笑む。
「簡単なことです」
指を軽く鳴らす。
控えていた神官が一歩前に出た。
手にしているのは、古びた書物。
分厚く、重い。
ただの典籍ではないと、一目で分かる。
「禁書指定されていた聖典の一部です」
さらりと言う。
だが、その意味は軽くない。
エリシアの視線がわずかに動く。
「……禁書を?」
「ええ」
枢機卿はあっさりと頷く。
「本来は封印されるべきもの」
「ですが、今は非常時です」
言い切る。
正当化は、すでに終わっている。
「死霊術に対抗するための“浄化”の術式」
「通常の神聖魔術では届かぬ領域に干渉するものです」
説明は簡潔。
だが。
十分すぎるほどに危険が伝わる。
「それを、私に?」
「あなたにしか扱えません」
即答だった。
「聖女の器と魔力量があってこそ成立する術式です」
一歩、さらに近づく。
「これは王国のため」
「民のため」
「そして――」
一瞬、言葉を区切る。
「かつての仲間のためでもある」
その一言。
空気が変わる。
エリシアの指先が、わずかに揺れる。
だが。
それだけ。
すぐに静まる。
「……ガルドのことを言っているのですか」
静かに問う。
感情は乗せない。
枢機卿は頷く。
「ええ」
「剣聖ガルド」
「死してなお縛られている存在」
言葉を選びながら。
「救うべき対象とも言えるでしょう」
その響きは、優しい。
だが。
どこか、違う。
エリシアはそれを感じていた。
「……その術式で」
ゆっくりと口を開く。
「彼は救われるのですか」
問い。
核心。
枢機卿は、一瞬だけ沈黙した。
ほんのわずか。
だが、確かに。
そして。
「結果として、解放されるでしょう」
そう答えた。
曖昧な言い回し。
だが。
意味は明確だった。
――消滅。
エリシアは理解する。
そして。
目を閉じる。
一瞬だけ。
思い出す。
背中。
剣。
言葉少なな、あの人。
そして。
今。
ゆっくりと目を開く。
「……分かりました」
短く答える。
枢機卿の口元が、わずかに緩む。
「お引き受けいただけますか」
確認。
だが、ほぼ確信している声。
エリシアは頷く。
「聖女としての務めであるならば」
はっきりと。
その言葉に、嘘はない。
枢機卿は満足げに頷いた。
「素晴らしい」
小さく手を叩く。
「では、準備を進めましょう」
神官たちが動き出す。
書物が開かれる。
術式の確認。
配置。
すべてが、すでに整っている。
エリシアはその様子を見ていた。
静かに。
ただ、観察するように。
そして。
小さく、息を吐く。
「……一つ、確認させてください」
枢機卿が視線を向ける。
「なんでしょう」
エリシアは、まっすぐに見返した。
「この術式は」
一拍。
「どこまでを対象とするのですか」
問い。
その意味は明確。
ガルドだけか。
それとも。
枢機卿は、微笑んだ。
「もちろん」
優しく言う。
「死霊王も含めて、です」
静寂。
やはり、そうか。
エリシアは、何も言わなかった。
ただ、わずかに視線を落とす。
理解したから。
これは救いではない。
排除だ。
だが。
それでも。
否定はしない。
できない。
それが、今の王国の選択だから。
そして。
自分の立場でもあるから。
「……承知しました」
静かに言う。
枢機卿は満足げに頷いた。
すべてが、順調に進んでいる。
そう思っている。
だが。
エリシアは、ゆっくりと顔を上げた。
その目は、先ほどとはわずかに違っていた。
静かに。
だが、確かに。
何かを決めた目だった。




