死してなお残る名
王都ルミナスの城門を、一人の男がくぐった。
夜明け前。
空はまだ薄暗く、復興途中の街には静けさが残っている。
その中で、異様だった。
鎧は裂け、血は乾き、歩くたびに足元が揺れる。
「……止まれ!」
門兵が声を張る。
だが次の瞬間、その顔が強張った。
「その紋章……近衛騎士団か!?」
男は、答えない。
答える力が残っていない。
ただ、その場に崩れ落ちた。
「報告……任務……失敗……」
それだけを絞り出す。
門兵たちは即座に動いた。
ただ事ではない。
担架が運ばれ、男は城内へと運ばれていく。
その顔を見た者は、皆同じ表情をした。
――生き残った、という顔ではない。
――“生かされた”顔だ。
⸻
玉座の間。
重苦しい空気が満ちていた。
中央に立つのは、勇者レオン。
その前に、膝をつく男。
ヴァイン。
かつての近衛騎士団員。
そして今は、再編された王国軍の中核。
その彼が、ただ一人の帰還者だった。
「……以上、です」
報告が終わる。
声は震えていない。
だが。
内容が、それを許さない。
沈黙。
誰も口を開かない。
理解できないからだ。
精鋭十五名。
それが。
たった一体に。
「……一体、だと」
低い声が漏れる。
否定ではない。
確認でもない。
ただ、現実の受け止めきれなさ。
レオンは、静かに問う。
「その存在は、何者だ」
短く。
鋭く。
ヴァインは顔を上げる。
その目に、わずかな恐怖が戻る。
「……黒い騎士でした」
記憶をなぞるように言う。
「鎧の内側は、人ではない」
「灰色の肉……」
ざわめきが広がる。
アンデッド。
それだけでも異常だ。
だが。
「そして……目」
一瞬、言葉が詰まる。
「蒼い炎が、見ていました」
空気が凍る。
それは、ただの報告ではない。
“遭遇した者の証言”だった。
レオンの目が、わずかに細くなる。
「……名は」
問う。
静かに。
だが、その問いに――
場の全員が、無意識に息を止めた。
ヴァインは答える。
「……名乗りました」
一拍。
「ガルド、と」
その瞬間。
空気が、弾けた。
「――なに?」
「馬鹿な……!」
「あり得ん……!」
一斉に声が上がる。
ざわめきではない。
動揺だった。
抑えきれない、明確な。
「ガルドだと……?」
「剣聖ガルドのことか!?」
「そんなはずがない、奴は王都決戦で――!」
言葉が途切れる。
全員が思い出している。
あの戦いを。
そして。
あの男を。
剣聖ガルド。
王都が授与した、大陸最強の剣士。
一時代に一人しか存在しない称号。
そして――
かつて。
勇者レオンと共に戦った男。
レオンは、沈黙していた。
だが。
その目だけが、確かに変わる。
「……間違いないか」
低く問う。
確認ではない。
覚悟の言葉。
ヴァインは、迷わず頷いた。
「……あの剣は、忘れられません」
断言。
「速いのではない」
「無駄が、ない」
一拍。
「見えたときには、終わっていました」
それは。
かつて語られていた剣聖の特徴、そのままだった。
沈黙。
今度は、重い。
誰も否定できない。
否定すれば、それは希望になる。
だが。
希望では済まない現実が、そこにある。
「……アンデッド、だと」
誰かが呟く。
信じたくない現実。
だが。
繋がってしまう。
死霊王。
アレイン。
そして。
剣聖ガルド。
レオンは、静かに目を閉じた。
思い出している。
共に戦った日々を。
背中を預けた剣を。
そして。
最後の戦いを。
ゆっくりと、目を開く。
迷いは、ない。
「……グランデールへの接近を禁ずる」
静かに言う。
だが、その声は強い。
「偵察も不要」
「外縁監視のみとする」
即断。
ざわめきが起きる。
「しかし――!」
声が上がる。
当然だ。
剣聖が敵に回った。
それは、戦略的にも象徴的にも看過できない。
だが。
レオンは、はっきりと言った。
「勝てない」
一言。
それで十分だった。
誰も言い返せない。
「死霊王」
「そして剣聖」
言葉を区切る。
「この二つが揃った時点で、戦力差は覆らない」
現実。
冷徹な判断。
それができる者だけが、上に立つ。
そのとき。
「……弱気ですな」
柔らかな声が差し込む。
枢機卿。
赤衣の男が一歩前に出る。
「確かに脅威でしょう」
「ですが、それでも人は神に導かれるもの」
穏やかに語る。
「今こそ討つべきでは?」
視線が集まる。
レオンに。
だが。
レオンは揺れない。
「討てるならな」
短く返す。
それ以上は言わない。
枢機卿は微笑む。
「……現実的ですな」
否定はしない。
だが。
引かない。
「では、対抗手段の整備を」
静かに言う。
「神の力による対処も含めて」
その言葉に、何人かが頷く。
流れが、変わり始めている。
レオンはそれを見ている。
理解している。
これはただの提案ではない。
教会の介入。
その布石。
だが。
今は、それを止めない。
止められない。
「……検討する」
短く言う。
それが限界。
そして。
最善。
レオンは玉座を見る。
空席。
本来そこにいるべき存在は、もういない。
だからこそ。
選ぶのは、自分だ。
「……復興を優先する」
静かに告げる。
それが、王国の答え。
戦わない。
踏み込まない。
今は。
まだ。




