進軍と覚悟
魔王軍本陣。
北方戦線。
雪原の只中に、異様な軍勢が広がっていた。
黒。
赤。
異形。
整然と並ぶ魔族の軍。
その最前線に、一つの旗が掲げられている。
魔王軍第五大将――ゼルク=ハイド。
軽薄な笑みを浮かべる男。
だが、その目は獲物を狙う獣のそれだった。
「……準備は整ったか」
気だるげに言う。
副官が即座に応じる。
「はっ! 進軍可能です!」
ゼルクは肩を回す。
「いいねぇ」
楽しそうに笑う。
「牽制だなんて、つまらない命令だが――」
一歩前へ出る。
雪を踏みしめる音が響く。
「相手が弱けりゃ話は別だ」
視線の先。
北方。
ノルディア公爵領。
「数年前に壊れた盾だろ?」
あの敗北。
あの崩壊。
情報はすべて頭に入っている。
「なら、抜ける」
断言。
「簡単に」
誰も否定しない。
この男は、それをやる。
「で、そのまま王都だ」
笑う。
隠しもしない。
野心。
「カイゼルに全部持ってかれるとか、冗談じゃない」
舌打ちする。
「“牽制”なんて知るか」
副官が一瞬、言葉を選ぶ。
「……よろしいのですか」
「いいに決まってるだろ」
即答。
「勝てば正解だ」
単純。
だが、魔族としては正しい論理。
「行くぞ」
軽く手を振る。
「北方、踏み潰して――そのまま王都まで」
その言葉と同時に。
魔王軍が動き出す。
雪原を黒が埋める。
北が、揺れる。
⸻
ノルディア公爵領。
城内。
「報告いたします!!」
扉が叩き開かれる。
斥候が雪を振り払いながら飛び込んでくる。
「魔王軍、北方より南下開始!!」
部屋の空気が一瞬で変わる。
「規模は!?」
「推定一万以上! 将級反応あり!」
ヴァルドが目を細める。
「……来たか」
静かに。
予想通り。
だが。
それでも、重い。
「軍議を開く」
即断。
⸻
会議室。
将と重臣が集まる。
顔には疲労。
だが、逃げはない。
「魔王軍が動いた」
ヴァルドが告げる。
「北からだ」
地図を指す。
「進軍速度から見て、数日で接触する」
ざわめき。
「王都への援軍は!?」
「出せん」
即答。
「各貴族はすでに兵を王都へ供出している」
現実。
「我ら単独で受けるしかない」
重い沈黙。
誰もが理解する。
数。
質。
どちらも不利。
「……勝てるのか」
誰かが呟く。
ヴァルドは答えない。
代わりに言う。
「持ちこたえる」
断言。
「それでいい」
勝利ではない。
だが。
意味はある。
「王都が立て直す時間を稼ぐ」
それが役目。
「我らは盾だ」
その言葉に。
全員が顔を上げる。
「折れるな」
低く。
「それだけだ」
沈黙。
そして。
誰もが頷く。
覚悟は決まった。
だが。
ヴァルドは、そこで終わらない。
「……もう一つ」
静かに言う。
「最悪に備える」
空気が変わる。
「長男を呼べ」
重臣が目を見開く。
「閣下……」
「血を絶やさぬためだ」
はっきりと。
感情を挟まない。
だが。
重い。
「密かに領外へ出す」
「身を隠させる」
それはつまり。
ここが落ちる可能性を、認めている。
沈黙。
誰も反論しない。
できない。
「……承知いたしました」
低く応じる。
ヴァルドは、ゆっくりと目を閉じる。
一瞬だけ。
父としての顔がよぎる。
だが。
すぐに消える。
目を開ける。
そこにあるのは。
ただの将。
「配置につけ」
命令。
「迎え撃つ」
北方の盾は。
再び、立つ。
今度こそ。
折れるか。
それとも――守り切るか。




