袂
大聖堂の外に出た瞬間、空気が変わっていた。
重く淀んでいた魔力は霧のように薄れ、代わりに残ったのは、焼けつくような現実だった。
静かではない。
だが、先ほどまでの“狂乱”ではない。
呻き声。
泣き声。
助けを求める声。
王都ルミナスは、まだ生きていた。
だが。
あまりにも多くを失って。
「……」
レオンは足を止める。
視界の端に、倒れたまま動かない人々。
息はある者もいる。
だが、戻らない者もいる。
剣を握る手に、力が入る。
「……救護を優先しろ!」
背後の兵に命じる。
「生きてる奴を、全員だ!」
「は、はい!」
兵たちが散る。
その動きは速い。
だが、追いつかない。
数が多すぎる。
エリシアが歩み出る。
一人の男の前に膝をつく。
まだ息がある。
だが、弱い。
手をかざす。
光が灯る。
ゆっくりと。
確かに。
呼吸が、安定していく。
「……大丈夫です」
優しく言う。
だが。
次の瞬間。
隣から声が上がる。
「こっちは……もう……!」
別の兵。
抱えているのは、動かない身体。
エリシアの手が、止まる。
視線が揺れる。
だが。
立ち上がる。
次へ行く。
止まれば、もっと失う。
レオンは、その背を見ていた。
何も言わない。
言えない。
ただ、前を見る。
やるべきことは分かっている。
その時。
遠くから、別の音が響いた。
蹄の音。
複数。
整った動き。
騎士団。
遅れて到着した、王都守備の中枢。
その先頭に立つのは、貴族の男。
鎧は豪奢。
だが、その顔には焦りがあった。
「……勇者レオン!」
声を張る。
だが、どこか距離がある。
現実から、目を逸らしているような。
「これは……一体……何が起きたのだ……!」
問い。
だが。
レオンは答えない。
代わりに、視線だけを向ける。
冷たい目。
男は、一瞬言葉に詰まる。
「……教会だ」
レオンが言う。
短く。
それだけ。
空気が凍る。
「な……」
男の顔が歪む。
「ば、馬鹿な……そんなことが……!」
否定。
即座に。
だが、その声は弱い。
周囲を見れば分かる。
大聖堂。
中心。
そこから広がった災厄。
否定できるはずがない。
「枢機卿は討った」
レオンが続ける。
「術式も止めた」
事実だけを並べる。
「だが、被害は見ての通りだ」
沈黙。
誰も何も言えない。
その中で。
男が、小さく呟く。
「……これは……隠さねば……」
無意識に。
本音が漏れる。
レオンの目が、細くなる。
「……何を言った」
低い声。
男が慌てて顔を上げる。
「い、いや……その……」
言い繕おうとする。
だが、遅い。
「……これを、なかったことにする気か」
踏み込む。
一歩。
圧がかかる。
男が後ずさる。
「し、しかし……教会は……国の柱だ……!」
必死に言う。
「ここで対立などすれば、王都は――」
「もう壊れてる」
レオンが遮る。
静かに。
だが、はっきりと。
「見えてないのか」
周囲を指す。
血。
倒れた人々。
崩れた街。
「これが、答えだ」
男は言葉を失う。
視線が揺れる。
だが。
決断できない。
その姿を見て。
レオンは、完全に理解する。
「……そうか」
小さく呟く。
期待は、していなかった。
だが。
ここまでとは。
エリシアが立ち上がる。
ゆっくりと、こちらへ来る。
その目には、もう迷いはない。
「レオン」
呼ぶ。
レオンが振り向く。
「……教会は、止まりません」
断言。
「今回で分かりました」
静かに。
だが、強く。
「内部からは、もう無理です」
沈黙。
短い間。
だが、十分だった。
レオンは頷く。
「ああ」
同意。
「なら」
剣を握る。
視線を、大聖堂の奥へ向ける。
その先。
教会の中枢。
「外から、止める」
それは。
宣言だった。
貴族の男が顔を上げる。
「ま、待て……それは……!」
言いかける。
だが。
レオンは振り返らない。
もう、話す必要はない。
決まった。
何をすべきか。
誰が敵か。
王都ルミナスは、この日。
決定的に、分かたれた。
王国と教会。
そして。
勇者。
その間にあったはずの均衡は、完全に崩れた。
もう、戻らない。




