祈りの果て
大聖堂の内部は、静かだった。
あまりにも。
外の喧騒が嘘のように、音が消えている。
だが。
静寂ではない。
“抑え込まれている”だけだ。
空気が重い。
呼吸が浅くなる。
床に刻まれた魔法陣は、すでに原形を留めていなかった。幾重にも重なった術式は崩れ、だがなお光り続けている。線は歪み、絡み合い、まるで生き物のように脈打っていた。
レオンは一歩、踏み出す。
靴底が、ぬるりと滑る。
視線を落とす。
血。
乾いていない。
まだ新しい。
そして。
人の形をしていたものが、そこかしこに転がっていた。
「……」
言葉が出ない。
エリシアも、同じだった。
ただ、目を伏せる。
祈るように。
だが。
祈りは、ここでは意味を持たない。
奥から、声がした。
「……来たか」
低い声。
ゆっくりと、歩み出てくる影。
枢機卿。
その姿は、外で見た時と変わらない。
だが。
何かが違う。
目。
光が宿っていない。
焦点が、どこにも合っていない。
「……勇者レオン」
名を呼ぶ。
感情のない声で。
「遅かったな」
レオンは剣を構えたまま、動かない。
ただ、見据える。
「……これをやったのは、お前か」
短く問う。
枢機卿は、わずかに首を傾ける。
「やった……?」
その言葉を、転がすように繰り返す。
そして。
「違う」
断言する。
「これは、“導き”だ」
静かに言う。
「人は弱い。脆い。だからこそ、神の力で補う必要がある」
一歩、踏み出す。
その足元で、魔法陣が蠢く。
「既存の術式では足りぬ。ならば、拡張する」
腕を広げる。
光が強くなる。
歪んだまま。
「その結果が、これだ」
レオンの視線が鋭くなる。
「……人を壊しておいて、何を言っている」
枢機卿は、微笑んだ。
空虚な笑み。
「壊れてなどいない」
「進化だ」
言い切る。
エリシアが、一歩前に出る。
「……違います」
震える声。
だが、強い。
「これは……繋いでるだけです」
指を向ける。
魔法陣へ。
「魂を、無理やり引き戻して……繋ぎ止めてるだけ」
その言葉に、枢機卿の動きがわずかに止まる。
「不完全です」
エリシアは続ける。
「だから暴走する。だから壊れる」
静かに。
だが、確信を持って。
「……神の奇跡じゃない」
断言。
「これは、人の欲です」
沈黙。
一瞬。
空気が張り詰める。
そして。
枢機卿の顔が、歪んだ。
「……黙れ」
低い声。
怒りが滲む。
「何も知らぬ小娘が……」
次の瞬間。
魔法陣が爆ぜた。
光が、収束する。
枢機卿の身体へ。
「ならば見せてやろう」
声が重なる。
複数に。
人ではない響き。
「これが……神の力だ」
膨張。
肉が膨れ上がる。
骨が軋む。
皮膚が裂ける。
だが、止まらない。
変わっていく。
先ほどの怪物とは違う。
より、密度が高い。
より、整っている。
人の形を、かろうじて残したまま。
巨大化する。
「……自分で……!」
エリシアの声が震える。
だが、レオンは動く。
もう、迷いはない。
「エリシア!」
「はい!」
短い応答。
役割は同じ。
レオンが前へ。
エリシアが後ろで支える。
変異した枢機卿が、腕を振るう。
速い。
重い。
だが。
レオンは踏み込む。
正面から。
剣を振るう。
衝突。
火花。
押し合う。
力は拮抗する。
だが。
長くは持たない。
相手は、供給を受けている。
魔法陣から。
「……断つ!」
レオンが叫ぶ。
後ろへ跳ぶ。
距離を取る。
視線を向ける。
床。
魔法陣。
「エリシア!」
「分かってます!」
手を掲げる。
光を集中させる。
今までで一番強く。
純粋に。
濁りのない光。
「――!」
放つ。
一直線に。
魔法陣の中心へ。
ぶつかる。
軋む。
歪みが、悲鳴を上げるように揺れる。
その瞬間。
レオンが動く。
一直線。
最短距離。
枢機卿へ。
剣が振り下ろされる。
狙いは一点。
中心。
胸。
そこにある“核”。
枢機卿の目が見開かれる。
「――ッ!」
だが、遅い。
剣が、届く。
深く。
確実に。
断つ。
静寂。
光が、揺れる。
そして。
崩れる。
枢機卿の身体が、崩れ落ちる。
魔法陣の光も、同時に消えていく。
歪みが、消える。
重かった空気が、軽くなる。
レオンは剣を下ろす。
息を吐く。
終わった。
今度こそ。
そう思えた。
エリシアが、その場に膝をつく。
「……止まった……」
小さく呟く。
外の気配も、変わっている。
あの異様な圧が、消えていく。
レオンは振り返る。
大聖堂の外。
まだ混乱は残っている。
だが。
“これ以上は増えない”。
それだけで、違う。
「……間に合ったか」
ぽつりと漏らす。
だが。
完全ではない。
救えなかったものが、多すぎる。
その現実だけが、重く残る。
エリシアがゆっくりと立ち上がる。
目には、涙が浮かんでいた。
「……終わってません」
静かに言う。
「これ……絶対に、隠されます」
教会。
貴族。
枢密院。
責任は、消される。
なかったことにされる。
レオンは、ゆっくりと頷く。
「……だろうな」
短く。
だが、その目は冷えていた。
「なら」
剣を握る。
「今度は、こっちから行く」
教会へ。
その中枢へ。
戦いは、終わっていない。
むしろ。
ここからが、本番だった。




