地獄の王都
風を切る音だけが、耳に残っていた。
レオンは走っている。
全力で。
息を整える余裕もない。脚は重い。だが止まらない。
背後には戦場。前には王都ルミナス。
そして――嫌な気配。
あの歪んだ魔力が、距離を詰めるほどに濃くなる。
「……間に合え」
それしか言えない。
隣をエリシアが走る。
彼女の顔色は、すでに青い。
「……広がってます」
息を切らしながら言う。
「一点じゃない……王都全体に……」
最悪だった。
局地ではない。
すでに、都市規模。
レオンは歯を食いしばる。
速度をさらに上げる。
⸻
やがて、前方に人影が見えた。
複数。
走っている。
こちらへ向かって。
「……民間人だ!」
兵の一人が叫ぶ。
レオンは速度を落とさず、そのまま接近する。
すれ違う瞬間、顔が見えた。
恐怖。
絶望。
涙。
「勇者様……!」
誰かが叫ぶ。
だが、その声は途中で途切れる。
振り返る。
後方。
逃げてきたはずの人々の列。
その中で。
一人が、倒れた。
「……え?」
隣の女が手を伸ばす。
その瞬間。
肉が、裂けた。
腕が、あり得ない方向に曲がる。
骨が突き出る。
血が飛び散る。
「いやああああああああ!!」
悲鳴。
混乱。
逃げる。
だが遅い。
変異は、すでに広がっている。
「下がれ!」
レオンが叫ぶ。
同時に、踏み込む。
剣が走る。
一閃。
変わりかけたそれを、断つ。
静かに崩れる。
だが。
「……ッ」
違和感。
手応えが、軽すぎる。
魔物ではない。
人だ。
元が。
エリシアが震える声で言う。
「……今の、まだ……人でした……」
レオンは答えない。
答えられない。
だが、足は止めない。
「進むぞ!」
それだけ言って、再び走り出す。
後ろでは、なお悲鳴が続いていた。
⸻
やがて。
王都ルミナスの外壁が見える。
だが。
様子が、おかしい。
「……門が」
開いている。
いや。
壊れている。
半壊した門扉が、無造作に外側へ倒れていた。
守備兵の姿はない。
代わりに。
血。
無数の。
壁にも、地面にも。
そして。
中から、声が聞こえる。
悲鳴。
怒号。
何かが壊れる音。
レオンは一瞬だけ立ち止まる。
そして。
踏み込んだ。
⸻
地獄だった。
⸻
街路は崩れていない。
建物も、多くは残っている。
だが。
人が。
壊れている。
逃げる者。
倒れる者。
そして。
変わる者。
至る所で、同じ光景が繰り返されていた。
「なんだ……これは……」
兵の一人が呟く。
答える者はいない。
答えなど、存在しない。
変異体が一体、こちらに気づく。
ゆっくりと、顔を向ける。
目は濁り、焦点が合っていない。
だが。
次の瞬間。
消えた。
「――ッ!」
速い。
人間の動きではない。
レオンが反応する。
剣を振るう。
衝突。
金属音。
変異体の腕が、剣を受け止めていた。
「……は?」
硬い。
あり得ない。
肉のはずのそれが、鋼のように。
そして。
反撃。
蹴り。
衝撃。
レオンの身体がわずかに浮く。
着地。
距離を取る。
「……強い」
思わず漏れる。
ただの暴走ではない。
強化されている。
異常なほどに。
エリシアが叫ぶ。
「レオン!」
その声で、意識が戻る。
変異体が再び踏み込む。
今度は、複数。
二体。
三体。
連携も何もない。
だが。
速さと力で押してくる。
レオンが迎え撃つ。
斬る。
だが。
一撃では落ちない。
深く斬り込んで、ようやく止まる。
遅い。
数が増えれば、押し切られる。
「くそ……!」
舌打ち。
だが止まらない。
守るために来た。
ならば、斬るしかない。
エリシアが周囲を見ている。
戦っていない。
観ている。
「……違う」
呟く。
「これ、ただの暴走じゃない……」
魔力の流れを感じ取る。
街全体に広がる、あの歪み。
そして。
その中心。
方向がある。
「……大聖堂」
顔を上げる。
はっきりと。
「原因は、あそこです」
断言。
レオンが一瞬だけ振り返る。
そして頷く。
「分かった」
短く。
それだけ。
目の前の変異体を斬り伏せる。
血が散る。
だが。
終わらない。
街の奥から、さらに気配が増えていく。
レオンは前を見る。
王都の中心。
大聖堂。
そこが、すべての元凶。
「……行くぞ」
低く言う。
エリシアが頷く。
地獄の中を。
二人は進む。
まだ。
何も終わっていない。




