異変
風向きが、変わった。
ほんのわずか。
だが、確かに。
血と鉄の匂いに混じって、別の気配が流れ込んでくる。
冷たい。
歪んでいる。
戦場のものではない。
もっと粘ついた、意志を持った魔力。
エリシアが顔を上げる。
「……違う」
震える声。
祈りで触れてきた魔力とは、明らかに質が異なる。
「これ……聖属性じゃない」
むしろ逆。
歪ませ、ねじ曲げ、無理やり形にしたもの。
人が触れていい領域ではない。
レオンも視線を外す。
ほんの一瞬。
だが、確実に。
王都ルミナスの方角。
「……教会か」
低く呟く。
答えはない。
だが、状況がそれを示していた。
カイゼルも同じ方向を見る。
「妙な気配だな」
興味と警戒が混じった声。
「人間どもは、ああいうこともするのか」
侮りではない。
純粋な観察。
レオンは剣を下ろさない。
だが、意識は分かれている。
戦場と。
王都。
その一瞬の揺らぎを。
カイゼルは見逃さなかった。
「気になるか」
静かに問う。
レオンは答えない。
代わりに、剣を構え直す。
だが。
わずかに遅れた。
その差。
カイゼルは踏み込む。
速い。
先ほどよりも、さらに。
斬撃が迫る。
レオンが受ける。
衝撃が走る。
だが、集中が一瞬遅れた分だけ、押し込まれる。
足が沈む。
地面が割れる。
「……迷うな」
カイゼルが言う。
追撃はしない。
あえて、間を置く。
「戦場で、二つを見るな」
忠告に近い。
あるいは。
試している。
レオンは歯を食いしばる。
視線を戻す。
目の前。
敵。
カイゼル。
「……分かってる」
短く返す。
だが。
完全には切れていない。
エリシアの方を見る。
ほんの一瞬。
彼女も感じている。
あの異変を。
王都で何かが起きている。
それも、かなり悪い形で。
カイゼルが剣を軽く振る。
血が払われる。
「面白いな」
低く笑う。
「内部で火を噴きながら、外と戦うか」
戦場を見渡す。
人間側の兵は疲弊し、しかし崩れてはいない。
魔王軍もまた、整然と構えを維持している。
「普通なら、もう終わっている戦だ」
だが。
「まだ続く」
理由は明白。
二人がいるからだ。
レオンが踏み込む。
今度は迷いがない。
一直線。
最短距離。
剣が走る。
カイゼルが受ける。
金属音が響く。
再び、激突。
だが。
先ほどとは違う。
わずかに荒い。
わずかに強引。
レオンの剣が、変わっている。
「……焦っているな」
カイゼルが言う。
その通りだった。
時間がない。
そう直感している。
王都で起きている何か。
それを放置できない。
だが。
ここを退けば、戦線は崩れる。
どちらも捨てられない。
だから。
押す。
強引にでも。
斬る。
連撃。
速度が上がる。
重さが乗る。
今まで以上に。
カイゼルが後退する。
一歩。
二歩。
地面に跡が刻まれる。
魔王軍側にざわめきが走る。
「……カイゼル様が」
「押されてる……?」
だが。
カイゼルは冷静だった。
「いい圧だ」
評価する。
そのまま受け続ける。
観察する。
見極める。
レオンの限界を。
そして。
一瞬。
踏み替えた。
重心が変わる。
剣が流れる。
レオンの斬撃が、わずかに逸れる。
その隙。
カウンター。
斬撃が走る。
深い。
脇腹を裂く。
血が噴き出す。
レオンの身体が止まる。
その一瞬を逃さず、さらに追撃。
だが。
レオンが踏み込む。
止まらない。
痛みを無視する。
剣を振るう。
互いに、退かない。
その時。
戦場の外から、悲鳴が届いた。
遠い。
だが、確かに。
人間の声。
王都の方角。
エリシアの顔が青ざめる。
「……始まった」
何が。
分かっている。
教会。
あの異質な魔力。
それが暴走している。
レオンの動きが、ほんの一瞬止まる。
その一瞬。
カイゼルは、剣を止めた。
振り下ろせば、届く距離。
だが、動かない。
代わりに、言う。
「行くか」
静かに。
レオンを見る。
その目は、試している。
勇者として。
指揮官として。
何を選ぶのか。
レオンは、息を吐く。
血が滴る。
だが、目は逸らさない。
「……ここで止める」
答えは変わらない。
カイゼルは、わずかに笑う。
「そうか」
一歩、下がる。
剣を下ろす。
「ならば、今回はここまでだ」
周囲の魔王軍がざわめく。
だが、命令は絶対だった。
「全軍、後退」
短く告げる。
迷いはない。
魔王軍が動く。
整然と。
崩れずに。
距離を取る。
戦線が、離れる。
レオンは追わない。
追えない。
視線はすでに、王都へ向いている。
カイゼルが最後に言う。
「次は、どうなっているか」
意味深な言葉。
「王都か」
「あるいは――」
わずかに間を置く。
「北か」
アレイン。
名は出さない。
だが、分かる。
そして。
魔王軍は去る。
戦場に残るのは、静寂と、傷と。
そして。
終わっていない戦いの気配。
レオンが剣を下ろす。
「……戻るぞ」
短く言う。
エリシアが頷く。
王都ルミナス。
そこが、次の戦場になる。
確信があった。




