王都は静かに変わる
王都ルミナスは、生きていた。
だがそれは、かつての姿とは明らかに違っていた。
外壁の一部は未だ崩れたまま、応急処置の木材で補強されている。石材の色は不揃いで、急ごしらえであることが一目で分かる。城門の片側は新しく、もう片側は焼け焦げたまま残されていた。
街に入れば、その差はさらに顕著だった。
整然としていたはずの大通りは、ところどころで瓦礫に遮られ、仮設の道が作られている。かつて貴族の館が並んでいた区画は焼け落ち、今は布と木で組まれた簡素な住居が立ち並んでいた。
それでも。
人はいる。
瓦礫を運ぶ者。石を積む者。屋台を開く者。子どもが走り、老人が座り、声がある。
生きている街だった。
だがその中心にあるものは、すでに変わっていた。
大通りを、白い列が進んでいた。
神官。
神殿騎士。
そして、その中心にいる赤い装束の男。
枢機卿。
その存在は、この数か月で急速に増えていた。
かつては王城の奥深く、あるいは大聖堂にのみいたはずの存在が、今は街の至るところにいる。
仮設の礼拝堂が立ち並び、鐘の音が一日に何度も鳴る。祈りの時間が定められ、人々はそれに従うようになっていた。
街角では神官が傷の手当てをしている。
包帯を巻き、薬草を煎じ、祈りを捧げる。
その手つきは慣れており、実際に多くの命を救っていた。
「ありがとうございます……」
女が涙を浮かべて頭を下げる。
神官は穏やかに微笑む。
「神の御加護です」
その言葉は自然で、押し付けがましさはない。
だが。
確実に残る。
誰に救われたのか。
誰に感謝すべきなのか。
それは、人々の中に静かに積み重なっていく。
別の通りでは、食料の配給が行われていた。
列ができ、神殿騎士が秩序を保つ。神官が名前を確認し、一定量を手渡す。
規則正しい。
公平であるように見える。
だが、王国の兵士はそこにいない。
配給を管理しているのは、すべて教会側の人間だった。
「……助かってはいる」
瓦礫を運んでいた兵士が、ぽつりと呟く。
汗を拭いながら、配給の列を眺めている。
「だが……」
言葉は続かない。
隣にいた男も、同じように黙った。
違和感はある。
だが、それを否定する材料がない。
実際に助けられているのだから。
王城へ続く道は、比較的早く復旧されていた。
石畳は整えられ、周囲の建物も優先的に修繕されている。
だがその道を歩く者の顔ぶれは、以前とは違っていた。
白い法衣。
赤い装束。
そして、それに付き従う貴族たち。
王城。
その奥、玉座の間。
高い天井。大理石の床。巨大な柱。
かつてと変わらぬ威容を保っている。
だが。
玉座には、誰も座っていなかった。
王は死んだ。
王家の血も途絶えた。
その象徴である玉座は、今や空席のまま残されている。
その前に置かれた長椅子。
そこに、一人の青年が座っていた。
レオン。
勇者。
そして、代王。
年はまだ若い。だが、その表情にはすでに年齢に似合わぬ重さがあった。
「……以上です」
報告が終わる。
地図が広げられ、各地の状況が記されている。
「南方諸侯領は三分の一が魔王軍の支配下に」
「北方は防衛線を維持していますが、再編は未完了」
「兵力は……大幅に不足しています」
言葉は淡々としている。
だが、その内容は重い。
レオンはゆっくりと息を吐いた。
頭の中で整理する。
失ったもの。
残ったもの。
そして、これから必要なもの。
「……復興を優先する」
短く言う。
「戦は、まだ早い」
それが現実だった。
兵も足りない。将もいない。民も疲弊している。
今、戦えば。
王国は本当に終わる。
その時だった。
「枢密院からの要請があります」
空気が、わずかに変わる。
「軍備増強の前倒し。そして――」
一瞬の間。
「死霊王への対抗策」
沈黙が落ちる。
誰もが、その名を避けていた。
アレイン。
王を討ち、王都を落とした存在。
その名を、口に出すこと自体が重い。
「当然でしょう」
新たな声が響く。
ゆっくりと前に出る男。
赤い装束。
枢機卿。
その動きは穏やかで、声も静かだ。
だが。
場の主導権を握っているのは、明らかに彼だった。
「王国は滅びかけた」
淡々とした言葉。
「原因は明白です」
視線が、レオンへ向く。
「“あの存在”を放置したこと」
誰も反論しない。
できない。
事実だからだ。
「……手を出すな」
レオンは即答した。
迷いはない。
「今の王国に、あの男と戦う力はない」
現実を見ている。
感情ではなく、判断。
枢機卿はわずかに微笑む。
「だからこそ、備えるのです」
柔らかな声。
「神の加護のもとに」
その言葉に、数人の貴族が頷く。
彼らは変わった。
かつての有力貴族は、多くが戦死した。精鋭を前線に送り、王とともに倒れた。
残ったのは、戦力を温存した家。
様子を見ていた者たち。
彼らは今、発言力を持っている。
そして。
教会と近い。
「復興が先だ」
レオンは言う。
「民を救え」
その言葉に、わずかな静寂。
そして。
「民は、神が救います」
穏やかな返答。
「王は、国を守るべきだ」
対立ではない。
否定でもない。
だが。
確実に、方向が違う。
空気が軋む。
王の意志。
教会の意志。
二つが同じ場所に存在している。
その均衡は、危うい。
そして。
すでに、傾き始めていた。
レオンは黙る。
言葉を選ぶ。
だが、分かっている。
今の王国は、完全ではない。
軍も、政治も、すべてが未完成。
そしてその隙間に、教会が入り込んでいる。
必要だから。
頼らざるを得ないから。
だからこそ、拒めない。
王都ルミナスは、生きている。
だが。
それはもう、かつての王都ではなかった。
静かに。
確実に。
別のものへと変わりつつある。




