巨影墜つる冬
資材の影から飛び出した霧奈と龍吾の前に、銀皇がおもむろに影から現れて立ち塞がる。
聴覚と視覚が復活した銀皇は、相変わらず嫌みたらしい笑みを浮かべて「作戦は決まったか?」と放言する。
「ええ、お陰様でね。そっちもこれからどうするか決めたの?」
霧奈が代わりに答えると銀皇は「ああ」と軽く返した。
甲型の歩く音と泣き声以外音のない嫌な沈黙の中で、銀皇は龍吾たちから目を逸らしながら「もっとも……」と言って眼下に広がる燃え盛る首都を見ながら口を開く。
「俺の立てた作戦なんかが功を奏しても、この戦いは覆らねえけどな。全て、何もかも、やっても無駄。俺がやるのはあくまで最後の悪足掻きみてえなものだ」
「あっそ。それならとっとと自害でもして頂戴よ。そうしたらこれ以上無駄な労力もかけずに済むってものなんだから」
「そう言いたいんだがよ、事情がさっき変わっちまったんだ」
そう言いながら銀皇の身体が再び影に包まれていく。
霧奈と龍吾が辺りを一瞥するが、照明は離れたところにあるか壊れてるかの二択しかなく、とても銀皇の変身を止めるには間に合わない。
「そこの龍吾をな、この手でぶっ殺さなきゃ気が済まなくなったんだ。最後の最後で俺を舐め腐ったお前をよ」
再び筋肉質な巨体の類人猿の姿となった銀皇が二人に迫り寄る。
威圧的で物々しい化け物を前に流石の霧奈も内心気が気ではないが、霧奈は小さく息を吐くと平時と変わらぬ態度で銀皇に対峙した。
「ちょっと、私を無視するのやめてくれる? それにこっちはアンタの言うガキとやらを殺させる訳にはいかないんだけど?」
「……お前の都合など知ったことじゃねえな。だが邪魔立てするなら、お前も死ね。目障りだ」
銀皇が向かった先は霧奈ではなく龍吾だった。その代わりにと、周りの暗所から影で出来た蟲や獣の魑魅魍魎を霧奈に向かわせる。
対して迫り来る巨体に龍吾は動じない。空を斬りながら繰り出される手刀を刀で受け流しながら守りに徹している。
「蟲どもがぁ、ウザいっての!」
袖に隠していたシグザウエルを躊躇なく銀皇に発砲する。
それを阻もうと魍魎たちが霧奈に群がるが、靈化している霧奈は人間の身体を得ていた時よりも軽々と動き回れる。
蟲たちを冷静に斬り捨て、軽々と跳ね飛びながら一閃し、資材を足場にして夜空へ舞い上がる。
重力に引き戻されながらの一閃は、傍目には一振りのように見えて実際には何十と連続で斬るという漫画やアニメのような技を繰り出して、魍魎たちを一掃した。
(イヤ我ながらヤバっ。身体が重力に縛られていないっていうか……身体がまるで空気になったって感じ? 関節や肉体のダルさとか重みが全く感じない……。これなら秋子と春子、二人同時に相手取っても楽勝でイケるんじゃね?)
霧奈の脚が床を蹴り、身体は発砲された銃弾のように空を裂いて銀皇へ向かう。
しかし銀皇の身体から巨大なムカデが飛び出し、霧奈の動きを止めた。
ムカデはガムテープを剥がすような音を立てながら顔が三叉に分かれ、それぞれが霧奈を見据える。
「だあぁっキモッ! ふざけないでよマジで!」
異形の怪蟲が霧奈に襲いかかっている間、銀皇は龍吾へ絶えず攻め続ける。
防戦一点張りの龍吾は機会を見出して反撃へ転じようとするが、そんなことは百も承知と銀皇は龍吾にとって絶好のタイミングを見計らい体から影の魍魎を出して、反撃の機会を封じているのだ。
そして一瞬の隙を突かれた龍吾は銀皇に足を掬われ、片脚を吊られた状態になった。
「騒がしい相方だな。お前のことより手前のことしか眼中にない感じだぞ?」
宙吊りの龍吾は刀を銀皇の逞しい腕に突き刺すが、銀皇は痛がる素振りも声すらも上げない。
そのまま銀皇は龍吾の脚を掴みながら床へ思いきり叩きつけると、組み立て中の壁へ勢いよく投げた。
砲丸の如き疾さで迫る銀皇は、そのまま駆け寄った勢いをつけて力の限りに龍吾を殴り付けると、野太い猿叫のような咆哮を上げながら滅茶苦茶に殴り付けていく。
「ちょっ……ふざけんな! シカトしてんじゃねえ!」
霧奈が銀皇目掛けて発砲するが、やはり効果は全く無い。
その間も影の三つ首ムカデは霧奈を締め上げて噛み切ろうと、不規則で不快な蟲特有の動きで霧奈を徐々に追い詰める。
もはやこれではラチが明かないと判断したのか、霧奈はムカデに背を向けて銀皇へと走り出した。
道中、最後の閃光手榴弾のピンを抜く。
彼が死ねば霧奈は霊体から元の肉体に還ることは叶わなくなるどころか、このままでは約束を違えたことにより神楽によって消滅させられてしまう。
しかし今この瞬間を凌いだところで、巻き返しのチャンスや画期的なアイディアが転がってくるわけでもない。
あのあまりにも捻りがなく、リスクしか無い龍吾の作戦に乗ったことを霧奈は心中で後悔し出していた。だが彼女にも策がない以上、彼女が今出来る唯一の術は、後にも先にも龍吾を助ける以外に無い。
焦りと不安が渦巻く霧奈に、悪運が嘲笑うような事が起きた。
彼女の足下からムカデが突き破り、今まさに投げようとした閃光手榴弾はあらぬ方向へと飛んで、無情にも爆ぜた。
銀皇はもちろん三叉のムカデも多少形が崩れかかっただけで消えることはなく、まるで霧奈の悪運を嗤うかのようにギチギチと歯を鳴らして霧奈を見据えている。
(……ヤバ……詰み? これ……)
影相手に劇薬が効くはずもない。手にした刀で応戦するには時間がかかる。逃げれば龍吾は死に、霧奈自身も消滅させられる。
しかし手の打ちようが無くなった今、四季皇護隊の霧奈は龍吾に挑んだ時に次いで二回目の敗北を覚悟しようとした。
そして、一方的にサンドバックにさせられている龍吾は銀皇の猛攻が終わった時には虫の息同然の状態で、今にも灯火が消えかけようとしていた。
「どうだ人間。お前の考えた策が何もかも実らず無様にやられる気分は、あぁ? こんな筈じゃ無かった、って思ってても、コレが現実なんだぜ? お前みたいな何でも出来ると思い込んでるバカには、お似合いなザマだよなぁ」
龍吾は何も返さない。薄らと開いている片目は明後日の方を向いており、顔や手などは漏れなくアザや傷だらけ。
そんな瀕死の龍吾の中。心中の奥深くで待機しているスミレは、身体から熱と力が消えようとしている龍吾に焦りと恐怖の極地に至っていた。
片や地上では、雷花の攻撃で体勢を崩した甲型が起き上がり、未だ泣き止まぬ輝夜に困惑している雷花の元へと歩いている。
「さぁ、さようならだ」
銀皇が龍吾の頭を鷲掴み、頭を砕こうとした。
手に力が込められ始め、一帯に緊張と絶望が支配する。
最期の瞬間に霧奈が目を背けようとしたその時、彼女の目にあるものが飛び込んだ。
それは長期の業務用に作られた超大型のバッテリーだった。
小さなコンテナほどあるソレを目にした途端、霧奈は無意識のうちにシグザウエルを取り出して発砲した。
「っんなろおぉおおぉぉおぉぉっ!」
逆上にも似た怒声を上げて有るだけの弾がバッテリーへと向かう。
外部から唐突に撃ち込まれた凶弾は、内部の火器に対して非常にデリケートな部分へ容赦なく食い込んでいく。
その内の一発が致命的な一撃となり、バッテリー内部で急激な化学反応が刹那の内に連鎖して発現した結果、バッテリーは耳をつんざくほどの音を立てて大爆発した。
霧散するムカデと銀皇の巨体。
可燃性の燃料が爆発と共に辺りに撒かれたこともあり、一帯は大火事へとなった。
それはつまるところ、影がほぼほぼ無い状態でもあるということだ。
「……なんだと」
唖然とする銀皇に爆発で目を覚ました龍吾は、状況を確認することもせず目の前の銀皇へ刀を刺そうとした。
しかし寸前のところで銀皇は刺突を避けた。それは刺すというには弱々しかったからだ。
火の海の中で三人が対峙する。
影に潜ることも纏うことも出来ない中で銀皇は、覚束ない足取りでボロボロな龍吾が目の前に対峙していることへ、一抹の恐れを抱いているかのように冷や汗を流した。
「……出せよ。どうせ……何か……隠してるんだろ」
向けられる切っ先と眼線。
負傷した見た目も重なり、さながらそれは悪鬼羅生のような迫力を醸し出している。
なによりも、人間である龍吾があれだけ重体の身であるにも関わらず、なおも闘志が消えることも乱れることもなく此処に在るということが銀皇にとって堪らなく腹立たしいようであった。
(ガキが……図に乗りやがって……。だが、この状況は非常にマズい。火の手も強まって来ている以上、俺の能力が存分に発揮出来ない。……今使うか? ……いや……まだか。そうなれば━━)
銀皇は素早く手元にホログラムを起動させ、手早く操作をし出した。
隙を見つけた龍吾が斬りかかり、霧奈も合わせて銀皇へ距離を詰める。
二人が銀皇を叩き斬ろうとした瞬間、突然甲型が肩腕で龍吾たちのいるビルを殴り付けて支柱を砕いた。
ビル全体が激しく揺れ、大火に揺らぎが生じ出す。
幅を失っていた影が再び復活の兆しを見せ始め、まばらなながらも影から魍魎たちが頭角を出し始めていた。
「あ、アンタ! あのデカブツを操ってんの?! 卑怯でしょソレ!」
「バカが。一対二で挑んで来ているお前らが言えることかよ。切り札ってのはこういう時に使うモン━━」
揺れ動く足場の中、龍吾は捨て身で銀皇へと飛び掛かっており、銀皇が気付いたときには龍吾が銀皇を押し倒していた。
馬乗りの状態になり刀身を消して柄を咥えると、一心不乱に銀皇の顔面を殴り付けた。
ボロボロの手が悲鳴を上げても龍吾は止まらない。これまでの仕返しをするかの如く、烈火の勢いで殴る。
負けじと銀皇も殴り返すが、そこは肉弾戦の数が多い龍吾に軍配が上がった。怒涛の勢いの前に抵抗はあっという間に圧されて、いつしか溺れているかのように龍吾の拳を払い除けようとしている。
泥臭い闘いの前に霧奈が入り込む余地はなく、血と汗と体液を撒き散らしながら脇目も振らず殴り付ける龍吾を見守るしか出来なかった。
すると今まで一心不乱に殴りつけていた龍吾の身が突如跳ね上がり、銀皇から離れようとした瞬間、一発の銃声がなった。
乾いた音ではなく、大口径のレーザーを放ったような近未来的な音。
よろめきながら後退する龍吾の腹から左脇にかけては野球ボール二個分ほどの大きさの穴が空いており、均衡のとれていた身体は歪な形へと成り代わっていた。
銀皇の手には月界の光線銃が握られており、放熱中の銃身を変形させてサーベルナイフのような刀身を出すと、龍吾の胸部へ突き刺そうとした。
しかしそれを龍吾は片腕で受け止め、双方は睨み合う状態となった。
「……調子に乗ってんじゃねえぞ……人間風情が……!」
普段の飄々とした姿からは想像も出来ない怒気に満ちた剣幕を向ける銀皇は、あるだけの腕力を使って龍吾の腕越しに切っ先を胸へ突き刺そうとした。
柄にもなく怒りに囚われ、目の前の怨敵を殺すことに意識の全てが向けられた、正にその時。
「今だ」
ハッと我に返ったときにはもう遅く、ほぼゼロ距離から龍吾に潜んでいたスミレの斬撃が銀皇の身体を逆縦一文字に斬った。
銀皇は確かに強かった。
能力においても、知識においても、腕力においても。
戦っていればまだまだ切り札を持っていて、何時でも頃合いを見計らって使っていただろう。
しかし最後の最後で怒りに駆られ、龍吾へ迂闊に近づき過ぎたのが運の尽きだった。それは彼が、龍吾は単身で挑んで来ていると疑うのを忘れた、単純過ぎるたった一つの、それでいて致命的なミスだった。
「ガッ……う……」
銀皇が影へ逃げようとするが、直前で眩い光が銀皇に向けられる。
おざなりにしていた霧奈が、フロア一帯にある照明を点けて回っていたのだ。
「だーから言ったでしょ。シカトこいてんじゃねえって」
中指を立てながら嘲笑う霧奈の言葉を耳にしながら、銀皇の身に紅紫色の眼光を激しく迸らせている怒り心頭のスミレによる横一文字の一閃が彼の身体を切り裂く。
銀皇は最後の悪あがきにホログラムを起動させ甲型を呼び戻そうとするが、命令を入力したにも関わらず甲型は来るどころか足音一つ聞こえない。
何が起きたのか理解する間もなく、次の一閃が。そしてまた次の一閃が。また次の一閃。また一閃。
目にも止まらぬ斬撃はこれまで龍吾を散々痛ぶってきたことへの倍返しと言わんばかりに、銀皇を四方八方から斬り刻んでいく。
龍吾は刀を実体化させ、レーザーに穿たれて夥しい流血も意に介さずに腰を落とし、構えに移った。
龍吾の意志をキャッチしたスミレは、銀皇の両手、両アキレス腱を斬って龍吾と共に合わせる。
「切り札ってのは、こういう時に使うモンだ」
雄叫びを上げながら乱れも迷いもない龍吾とスミレの前後の一閃は、銀皇の身体を綺麗に三分割にした。
意識が薄れていく銀皇は声のない声で何かを呟くが、途中でスミレによって首を斬られ遂に絶命した。
血の海に沈む遺体を見下ろして一息を吐こうとしていると、突如ビルが大きく揺れた。
甲型のせいではない。銀皇が生前に仕掛けていた終符が彼の死をきっかけに起動したのだ。
龍吾たちのいるビル全体に巻き付く超巨大な影の蛇はビルを締め上げていき、支柱を次々と破壊していく。
ただし影の蛇は、術者本人が死んだために締め上げながら身体がボロボロと崩れていっている。
先は長くない。が、それ故に制御も効かない。
ビルは激しい揺れを伴いながら轟音を立てて倒壊し始めた。
「ヤバいってヤバいって! 私はともかくアンタどうするのよ!」
柄にもなく焦りを露わにする霧奈だが、龍吾は明後日の方をジッと見たまま微動だにしない。
「……雛月、頼む」
まるで帰還していた雛月が見えていたかのように、龍吾の呟きに合わせて飛来してきた雛月が龍吾と霧奈を淡い青色の光球に包んでビルを後にした。
「疲れているところで悪いな」
「本当ですよ……! 人使いが荒い方で━━」
愚痴っていた雛月が突如として声を止める。
しかしそれも無理はない。建ち並ぶビルの後方から暗所を塗りつぶし、影すら掻き消し、目をつぶらざるを得ない強烈な光が世界を照らしたからだ。
「こ、今度は何なのっ!?」
「新手か? 雛月、あの光は一体何なのか分かるか?」
「……いえ、あの光は新手ではありません。この感じは……輝夜様……?」
燦然と輝いていた光は、時間にして二十秒ほどでおもむろに消えていき、龍吾たちは無人と化した建物へと降り立った。
激戦の地となったビルは影の大蛇と共に崩れ落ち、銀皇の亡骸は鉄とガラスにもみくちゃにされ、原型を留めないほど細かく砕かれて東京の地に埋まった。




