無尽の絡繰
富士山の火口から何百年ぶりかの溶岩が勢いよく噴き出ている。
かつての雄大で荘厳な富士の山は、制御弁を失ったことで狂暴な面を顕し、今や日の本の国に人智を超えた牙を剥こうとしていた。
雛月は自然の猛威を前にほんの少しだけ躊躇いを感じていた。その理由は言わずもがな、対応出来るのが神靈『ボタン』しかいないからだ。
当然今までの傾向から行けば魔力が枯渇するのは確定であるし、これほどの規模となれば枯渇では済まない可能性もある。
加えて銀皇や天月絡繰、そして赫皇との戦いも控えている。著しい衰弱状態で戦いに臨むなど、それこそ自殺行為以外の何者でもない。
だがこのままでは日本は、地球は生命が住むには厳しい環境になってしまう。赫皇たちに勝てても、安住の地の基礎たる表面世界が崩壊しては元も子もない。
それならば、必然的に雛月が取る行動は一つだけだった。
「出でよボタン! 猛り狂う霊峰を鎮め給え!」
顕現したボタンは腰に下げた月輪の飾りを日輪へ転化させ、おもむろに片腕を富士へと向ける。
火口から一度大規模な爆発が起こると、溶岩や火山灰、そして赤みがかった光がボタンの手へと集約し、バレーボールほどの大きさとなったところで富士山は鎮まった。
煌々と輝き、見る者に威厳と力強さを感じさせる厳かな光を放つそれは、富士山がこれから引き起こそうとしていた噴火の全パワーそのもの。
バレーボールほどの大きさに凝縮されているため本来の大きさには遠く及ばないが、凝縮した状態ですら触れれば肉体が消し飛びそうなほどの力強い鼓動を放っている。
「……うぐっ……」
そしてこれほどの力を片手で纏めたボタンの力の反動は、当然ながら雛月には大きいものであった。
温存していた魔力は直ちに枯渇し、顔中に黒いヒビが無数に足を伸ばす。浮いている状態ですらまともに維持出来ず、高度が徐々に落ちていっている。はっきり言ってしまえば、このまま龍吾たちの元へ戻ったところでお荷物になるのは目に見えている。
けれども彼女は戻る意を決した。何故ならたった今、己の魔力と引き換えに凡ゆる敵を葬り去れる武器を手に入れたのだから。
「龍吾様……輝夜様……。只今、戻ります……!」
使命の火を目に燃やす雛月は富士に背を向け東京へ戻り出す。
覚束ない航路で飛ぶ雛月の姿を、落ち着きを取り戻した富士山が見守っていた。
※
天月絡繰甲型は、その巨体と質量を活かした突進を輝夜へ向けて繰り出す。重厚な前脚に続いてと、横に突き出た右肩を手のように操り宙に浮く輝夜をはたき落とそうとする。
しかしその巨体故に大ぶりな攻撃は、輝夜に当たることなく背後の高層ビルだけ抉った。
すかさず甲型は輝夜のほぼ真下から前脚をアッパーのように突き上げる。
しかし輝夜は「えーいっ!」と言って真っ向から殴り返した。
瞬間、甲型の前脚は呆気なく叩き返され、東京の大地を震わせた。
絶叫のような雄叫びを上げる甲型の頭部に、輝夜の拳が再度奮われる。
輝夜の数千倍はあろうかという巨体が、東京の地下にアリの巣のように張り巡らされている下層へ沈む。
追撃をしようとする乙型数機が輝夜に向かう。
「……なあに? 嫌のっ!」
鬱陶しげに奮われた幼き剛拳。
その一撃で絡繰を構築していた体は押し潰された缶のように凹み、そのまま力なく墜落した。
時間稼ぎにもならない僅かな時間に甲型は口内に光を溜め込むと、野太い音を立てながら光線を輝夜へ放った。
しかし輝夜は周りに焔月の膜を本能的に展開させる。
膜にぶつかった光線は無造作に枝分かれしていき、輝夜には擦りもせず明後日の方向へと飛んでいった。
お返しとばかりに張っていた焔月の膜は輝夜の前一点に集約すると、甲型目掛けて放たれた。
降り注がれた光は甲型の頭部を飲み込み、真下の地面すら貫くと巨大な火柱を上げて爆ぜた。
轟々と昇る火柱と黒煙が晴れると、頭部が消失した甲型が現れた。
輝夜が注意深く見ていると、頭部のない甲型が突然起き上がり右肩に忍ばせた高周波刃を出して輝夜を切りつけようとした。
攻撃こそ当たらなかったものの、甲型は続けて左肩からミサイルの弾幕を放つ。
視界一杯に広がるミサイルの弾頭の後方には両前脚を横へ広げて迫る甲型。
輝夜は乙型の群れを一掃させたときのように片手に焔月を宿す。
出力は先の倍。放出された焔月は禍々しい黒い光の帯となってミサイルと甲型を薙ぎ払った。
爆発も起こさなければ破壊した音すら立てずに周りに建ち並ぶビルごと消し飛ばし、残ったのは下半身だけの甲型だった。
ところが、甲型の下半身はあろうことかそのまま動き出して輝夜へ飛び蹴りを食らわせた。
後方のビルに弾丸のように吹っ飛んだ輝夜は込み上げるえづきを堪えながら見ると、脚だけの甲型が見る見るうちに再生していくのを捉えた。
再生速度は早く、あっという間に上半身まで元に戻っていく。
そのとき、輝夜に微かな頭痛が走った。
「……いっ……! ……うぅ?」
謎の頭痛に頭を傾げながらも、輝夜は本能的にか、あるいは何かに気付いてなのか定かではないが、おもむろに目を閉じると紫に光り輝く眼を甲型に向けた。
瞬間、輝夜の視界に映っている全ての能力者の能力は完全に沈黙した。
これこそが、暗符を超えて強化された輝夜の初符の力。指を指されて発動し、能力を一つ使えなくさせていたかつての初符は、今や視界に映れば全ての能力を封じれる反則級の能力へと昇華した。
これにより甲型の再生は止まるはずだった。
しかし、再生は止まらない。
遂に完全に元に戻った甲型は咆哮を上げて輝夜へ向かう。
両肩からは高周波刃に加え、内蔵しているレーザー砲やミサイルの雨霰。そして強靭な前脚を使った格闘戦。
遠近に一切隙のない攻撃に輝夜は己の持つ超火力の焔月と腕力で応戦する。
しかしいくら攻撃をして甲型の身体を欠損させようとも身体は再生していく。それどころか、身体を再生していく度に、再生速度は徐々に早まっていく。
能力としか思えない再生を強化された初符で封じているのに、意に介することなく再生して戦闘を続行する甲型に、輝夜の混乱と困惑は加速していく。
それを遠目で見ている赫皇がゲスな笑みを浮かべて高らかに言う。
「バカが。甲型の再生は能力ではない。機能だ。天文学的な費用と研究を重ねて生み出された超再生機能。魔力に依存しない性能に、お前の能力を封じる力は何の意味を成さないぞ。さあ、どうする輝夜」
悪意に満ちた笑みを向けられていることに気付かず何も知らない輝夜は、焔月の出力を更に上げて手に宿し、甲型を縦に一刀両断した。
黒雷の刃が甲型と共に大地を斬り、一拍置いて火柱の幕が高らかに上がる。
更にそこへ直径が十メートルはあろうかという巨大な焔月の塊を周囲に展開させ、甲型目掛けて一斉掃射させた。
超高出力の焔月は確かに甲型に当たってはいるものの、あまりの威力故にその余波で周りのビルや舗装された大地が根こそぎ吹き飛ばされるか消失していく。
壊滅的な二次被害が出ていることにも気付かずに輝夜は甲型に焔月を執拗に当てる。それは子どもが自分の嫌がるものや怖いものを無理やり遠ざけようとする、過剰なまでの防衛であった。
戦争さながらの大爆音が一頻り鳴り響き、束の間の静寂が訪れた頃には輝夜の前方、甲型が立っていた所を含む一帯は丸々焦土と化し、先進国らしからぬ異様な風景が広がっていた。
これほどの猛攻を食らった甲型も、当然だが原型なぞ留めていられる訳もなかった。
どこの部品とも分からない破片の一つが力なく荒れ果てた東京の地に転がり勝負は決したかに見えた。
静まり返った地を輝夜が凝視していると、高高度から垂直落下してきた乙型の奇襲を受けた。
変形したドレスに守られて難を逃れた輝夜だが、直後に視界の端で捉えた光景は、流石の彼女も驚きを隠せずにいた。
なんと残った破片を起点として高速で再生していくのだ。
再生速度は先の再生よりも数倍早く、元に戻った甲型は何食わぬ顔でけたたましい咆哮を上げた。
「……もーーっ! あっちいって! かぐや、ギャアギャアやなの!!」
再び焔月を放とうとするが、数少ない後援の乙型たちが輝夜の妨害に入り、甲型もそれに合わせて輝夜へエネルギーを纏った前脚で殴りつけた。
後方のビルへと突っ込んだ輝夜に、乙型たちがハイエナのように群がる。
しかし輝夜が突っ込んだ所から幾重もの焔月の光線が放たれ、直撃した乙型は瞬時に沈黙し、爆散した。
犠牲も構わず甲型は両肩からレーザーを、口からは極太の熱線を輝夜へと放つ。
対する輝夜も一点集約した焔月の光線を放つ。
両者の光線がぶつかり合うも、出力では輝夜の方が圧倒的である。しかし乙型はそんな事は分かり切っていた。
乙型が狙っていたのは力の拮抗ではなく時間稼ぎ。輝夜の脚を少しでも止めることだった。
狙い通りその場から動かない輝夜目掛けて乙型は光線を射出しながら近づき、前脚でビルごと輝夜を殴りつける。
ビルが崩落し、瓦礫と共に輝夜が落下して負傷しているところを、乙型は執拗に前脚で殴り、ミサイルやレーザーで痛め付けていく。
天月人たる輝夜とはいえ身の丈数百倍を超える巨大兵器にここまでされては、流石の輝夜もタダでは済まない。
唐突に乙型は殴るのをやめて輝夜が倒れている所を掬い上げると、他のビル目掛けて当て擦るように叩き付けた。
灰色の煙が立ち込める中に甲型は前脚で殴りつけながら肩に内蔵したレーザーバルカンを撃って輝夜をめった打ちにする。
反撃の焔月が煙中から放たれ甲型を削っていくが、身体の欠損も気にせず攻撃を続けていく内に焔月はやがて放たれなくなった。
一頻り攻撃をし終えた甲型の脚元では、ボロボロの輝夜が虫の息で倒れている。
トドメを刺そうと甲型は口にエネルギーを溜め込み、赤い光を帯びた弩級の光線を、輝夜へ放とうとした。
すると甲型の横に一条の雷光が直撃した。
今まさに光線を放とうとした甲型は体勢を大きく崩し、光線をあらぬ所へ吐きながら吹っ飛んで倒れた。
雷光を放った主『雷花』は、甲型が立っていたところまで飛んで来て瓦礫と一緒に横たわる輝夜を見つけ、急いで輝夜へ応急処置を施した。
「輝夜さん! しっかりして下さい輝夜さん!」
簡易的な回復術を施された輝夜は息を吹き返して、雷花をジッと見据える。
久々の再会とはいえ一度は敵対していた者同士という間柄のため、小言や不満を言われることは雷花も覚悟していたが、彼女の予想は根底から裏切られた。
輝夜は雷花をボウっとした面持ちで見据えていると、やがて眼に涙を蓄え始め小刻みに肩を震わせると、ワッとその場で泣き出してしまった。
「おにいちゃああぁぁああん! もうやーー! かぐやおうちかえりたいよおおお!」
雷花を前にしながら声を出して泣く輝夜の姿に呆気取られ、雷花はしばらく目の前の現実を理解出来ずにいた。
何の気もなく雷花が近づこうとすると、輝夜は泣きながら後退りし、ワアワアと泣きながら龍吾のことを呼びまくる。
暗符の影響により幼児退行を起こした事など知る由もない雷花がようやく声として口から出した言葉は「何これ」という飾りも何もない直球の言葉だった。
※
一方で銀皇たちと戦っていた龍吾を助けた霧奈は、建築資材が高々と積まれた一角に隠れて龍吾の容体を確かめていた。
力なく半分開いた目は白目を剥いており、ピクリとも動かない龍吾に霧奈は焦りだす。
「オイオイオイオイ死んでないでしょうね。アンタが死んだらアタシは元に戻れないんだから、あっさり死なないでよね」
脈があることを確認した霧奈は、大きく揺さぶって龍吾を起こそうとした。
その合間に資材の隙間から銀皇の方を見ると、そこには銀皇の姿はおろか影すらどこにもない。
驚きに目を丸くする霧奈に、意識を取り戻した龍吾が霧奈に小さく声をかけた。
「……何でお前がここにいるんだ?」
「ちょっと待って、静かに。あのデカブツがいないのよ。どこに逃げた?」
「……奴なら恐らく影の中だ。こんな状況下で尻尾巻いて逃げるような奴じゃない。で、お前は何しに来たんだ」
「見りゃ分かるでしょ。アンタを助けに来たのよ。アンタが死んだらアタシが迷惑だし、予定が全部狂っちゃうの。だから急遽アタシも参戦したという訳」
そう言いつつ油断をしたところで後ろから刺すのでは、という予想は当然龍吾は思っていた。
しかし銀皇と霧奈が裏で組んでいるならば、もう既に銀皇から攻撃されてもおかしくないのだが、一向に攻撃が来ない所を見れば裏で組んでいる線は若干薄いと判断した。
何より今は早く銀皇を倒して輝夜と合流したい思いが龍吾の中では前に出ているために、余計な詮索は却って互いを貶めることとなると断じ、龍吾は霧奈を信じることとした。
「つかアンタ、さっきまで一人で戦ってたわよね。なんか勝てる算段とか作戦でもあるの?」
「あるにはあるが、チャンスは一度きりだ。ミスったらもう終わりだと思ってるから探り合いな状況だがな」
「へえ? それなら……そのチャンスが来たら一体何をするつもりだったの?」
龍吾は意を決して霧奈へ作戦を話した。
そんなことを何も知らない銀皇は、影の中で視覚と聴覚が徐々に復活していくのを落ち着いて待っていた。
(あのガキはともかく、途中から割り込んで来たあの女は……間違いなく靈化した人間だ。殺すことは出来るが、ガキより骨が折れるな。……さて……俺も俺で仕掛けておくか……。お前らは、一体何を見せてくれるんだ?)
銀皇の潜む影の下。剥き出しの鉄骨と鉄棒のみで構成された光のない下層に、音もなく影の蟲が滴り落ちていく。
そんなことが起きているとは微塵も知らない二人は、大方の作戦を共有し終え再決戦の用意にかかっていた。
「びっくりするくらい単純で捻りのない作戦ね」
「その作戦に引っ掛かって負けたのはどこのどいつだったかな」
「……殺したいくらいウザいわ、アンタ」
「どうとでも言え。お前が引っかかるくらいなんだから、隠し通せば奴だって引っかかるはずだ。これをしくじれば日本も世界も終わり。それが嫌なら、黙って俺と協力しろ」
友好的な関係ではないとはいえ、危機的な状況下で減らず口を叩けてなおも希望を失わず率先して先導する少年の姿に、霧奈は認めたくはなくとも一目置いていた。
彼の言う通り、ここで負ければ全てが台無しになる。自分の都合と将来への打算。そしてそれ以上に母国日本への思いのために、霧奈は龍吾と共に資材の影から姿を現した。




