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影が広がる

 世田谷区は用賀。

 混乱と炎が盛りに盛る街中で、例に漏れず騒動に便乗して破壊や略奪に狂う暴徒たちが暴れ回っていた。

 案の定暴徒たちは日本語と外来語が混じり合う仲であり、今まで溜めに溜めた鬱憤を晴らすが如く日本の街を荒らし回っている。

 そんな彼らが向かう道中には珈琲喫茶『ぽえむ』がある。

 雑兵たちが気を高揚させながら向かう途中で、仮面を被った天月人『鴉』が一人立ち塞がる。

 人と武器の数に物を言わせてカモと思い込んだ鴉へ意気揚々と向かう。

 が、ものの二分足らずで暴徒たちは全員沈黙させられた。

 当然と言えば当然だ。相手は人を超えた天月人である以前に、本物の武術家でもある。武器や生半可な鍛え方で得た力では傷一つ付けることは出来ない。

 沈黙した暴徒たちを見下ろしながら一息ついていると、野太い咆哮を上げながら一つの巨影が頭上を通り過ぎていった。

 近くのマンションの壁を伝いながら屋上へと向かうと、巨影が向かう先に一条の光が浮かんでいた。

 鴉は本能的にその光の正体が輝夜であると見抜いた。かつての忌々しい仇敵が、街を蹂躙していた天月絡繰の親玉と戦おうとしている。

 鴉は仮面越しに一考すると、屋上から降りてぽえむへと戻った。

 

「か、鴉。さっきの音は?」

 

 店の奥から店主である主人の手を引きながら出てきたのは、単眼の天月人『(ひとえ)』だ。

 不安げな単に、鴉は仮面を外しながら端的に答える。

 

「天月絡繰……しかもアレは多分甲型だ。それが輝夜と戦おうとしていた」

 

「天月絡繰? それに甲型が? どうして地球に」

 

「さあな。どうせ月界(むこう)のバカが碌でもない理由で持って来たんだろう。だが……単も少しくらいは甲型の情報を聞いたことがあるはずだ。もし情報が確かなら、例え輝夜といえど苦戦は免れねえ。最悪負けるかもしれん」

 

 単の眼が恐れに染まる。

 不安げな単に向かい、鴉はキッパリと言い切った。

 

「だからお前の出番だ。お前の終符なら、足止めが出来るだろう」

 

「え……ぼ、僕の?」

 

「そうだ。お前の終符で絡繰だけ動きを止めてやれ。くれぐれも輝夜を止めるなよ」

 

 単は内心複雑でもあった。

 輝夜のことは今でも憎ったらしく、そして恐怖の対象でしかない。

 しかし輝夜が負ければ天月絡繰はいずれ世田谷も、引いては地球を壊しかねない。それだけは単も鴉も避けたいところであった。

 間接的とはいえ怨敵に手を貸す癪も大きいが、ぽえむを守りたいと思う気持ちの前ではそんな癪も些事に等しく、単は「分かった」と言って迷わず甲型のところへ向かって行った。

  

「……単君は無事に帰って来ますよね? 私はこんな歳ですから、今更死ぬことには何の抵抗も恐れもありませんが、義理の孫にも等しい彼を失うのは……老体に堪えますよ……」

 

「心配はいらないさ、ご主人。ただ近づくだけならアイツには造作もない。行って、見て、帰って来る。楽な仕事だよ」

 

 ※

 

 無造作に置き捨てられた車が踊るように跳ね上がる。

 けたたましい咆哮を上げる天月絡繰甲型は建ち並ぶビルを荒々しく薙ぎ倒しながら宙に浮く輝夜へ突進し、戦いの火蓋が切って落とされた。

 その様子を背景に、龍吾と銀皇も時同じくして激突した。

 甲型の巨体が大地を踏むたびに龍吾たちの足場も大きく揺れるものの、龍吾の中にいるスミレが上手い具合に体勢を整えさせて銀皇との戦闘に支障が出ないようにしている。

 龍吾はスミレが内側にいることを決して悟られないようにしていた。それは彼なりの作戦であり、最後の切り札であるからだ。

 銀皇は確かに頭が切れる秀才だが、龍吾たちと面と向かって出会ったのはたった今さっきのこと。故に龍吾とスミレが一心同体であることを知る由もないと彼は踏んでいた。

 龍吾の実力で銀皇を討ち獲れたならば文句はないが、相手は能力持ちの天月人。そう易々と勝ちを取れるとは彼も思っていない。

 能力と実力を織り交ぜて龍吾を追い詰めて来るだろうし、今龍吾たちがいるこの一角も銀皇の都合の良いように準備されているかもしれない。

 あらゆる『かもしれない』を脳内で想定しつつ、彼は刃を銀皇に振るう。

 スミレが出せるのは一度きり。ミスは絶対に許されないし、タイミングを掴めなければそれでもお終いになる。

 龍吾の脳内で不安と計略と瞬時の判断が脳内で並走している中、銀皇が影の大剣を大きく振るう。

 大ぶりな予備動作で攻め入ろうと思えば出来たが、龍吾はあえて距離を取った。

 途端、龍吾がいた背後の足場からクモの形をした影が飛び出して強靭な顎で空に噛み付いた。

 遅れて銀皇の大剣が振るわれるが、龍吾は刀身で防いで事なきを得る。

 しかし攻撃は止まらない。飛び出してきた影のクモが崩れ落ちると、大小様々な狼や虫へと変態し一斉に龍吾へと向かっていく。

 その背後で銀皇は影の中へと溶け落ちて姿を眩まし、影を伝いながら龍吾の死角へと回り込む。

 襲いかかって来る魑魅魍魎の波。影の海に潜航して死角へ回り込んだ銀皇。

 時間にすれば五秒足らずの事態を前に、龍吾が取った行動は、敢えて魑魅魍魎たちの元へ向かうことだった。

 敵一体一体を点と定め、優先度の高い相手から順々に線で結び、その順番に沿って斬り伏せていく。

 そこにスミレの助力は一切無く、龍吾が一人で瞬時に導いた天性の知恵によるものだった。

 傷を負いながらも向かって来る敵を斬り伏せて銀皇から距離を取った龍吾が振り向くと、目の前に影の狼が飛び掛かって来ていた。

 しかしそれすら取り乱すことなく縦一文字に一刀両断した龍吾へ、銀皇が満足気に拍手を送りながら影の中から現れた。

 

「やるじゃねえか。お前本当に人間かよ? いや正直たまげたぜ。ウチの出来損ないの赫皇あにより全然出来るよ、お前」

 

 龍吾は何も言わずに刀を構える。その姿に銀皇は心の底から満足し、()()()()()()()()()()()

 銀皇にとって「予想外なこと」は反吐が出るほど憎らしく嫌悪して、同時に最も好いていた。その一方で計画通りに事が進むのは彼にとって喜ばしい反面、退屈でもあった。

 しかしこうも立て続けに予想外が起これば、ましてやその相手が天月人より格下の人間が起こしているとなれば、銀皇が体験したことのない激しい苛立ちと高揚感に見舞われ━━

 

「━━だからこそ、そんな生意気な姿を見てるとよ……絶対に叩き潰してやろう、って思う訳だ。ああ、認めるよ。確かにお前は、人間にしては出来る奴だ。

 だがそんな快進撃も……ここで終わりだ!」

 

 両者共に駆け出し、己が獲物を鍔迫り合う。

 鷹のように鋭い眼で睨み合う二人の力量はほぼ互角。どちらも引く気は一切ない意地と意地のぶつかり合い。

 龍吾は刀を強引に下ろさせると、剣を足で踏みつけながら鍔迫り合いから解いた刀を銀皇の首へ横一文字に振ろうとした。

 しかし龍吾の死角に伸びていた影から歪な形のムカデが数匹飛び出し、龍吾の左肩と右腰周りを抉った。

 

「おいおい、まさか卑怯だって言うんじゃないよな? これは殺し合いだぜ? 正々堂々なんていう絵本や漫画の中だけの綺麗事が罷り通ると思って━━」


 せせら笑う銀皇だったが、龍吾は苦悶の顔一つ浮かべることなく鋭い目つきで間合いを詰め、再度銀皇に切り掛かった。

 またしても予想外の行動に銀皇は意表を突かれ、龍吾の一閃を寸でで防ぐ。

 流れるような剛の追撃に銀皇はよろけながら後退させられ、眼前の人間一人に押されている事実に笑いながら歯噛みする。

 

「……あぁ……ほんっっっとうに面白くてムカつく奴だよ、お前は。何で人間のくせに呆気なく死なねえ? ……まあ、いいさ。死なねえなら死にたいって思うくらいに痛めつけてやるからよ……!」

 

 青筋を浮かべる銀皇が影に溶け落ちると、顔と手足が異様に長く痩せ細った体躯の、龍吾の四倍はあろうかという大きく歪な姿の人影が出て来て辺りを駆け回り出した。

 その一体だけならまだしも影の中からは同じ姿の人影が次々と出て来て同じように駆け回り、あっという間に銀皇の姿は分からなくなってしまった。

 影で出来た存在故に分身とぶつかることはなく、龍吾のいるフロアは一面銀皇まみれとなった。

 

「どうした、追ってこいよ。付き合いの悪い奴だな。ホラ、突っ立ってねえで……さっさと追いかけて来やがれってんだ!」

 

 駆け回っていた影の一人が龍吾の死角から長い手で薙ぎ払った。

 龍吾が気付いたときにはすでに彼の身体は吹き飛んで床に落ち、そこへ今まで駆け回っていた分身たちが一斉に龍吾を長い両手を使ってめった打ちにし出した。

 リンチ同様の多勢に無勢の攻撃の前に防御はままならず、龍吾に出来ることといえば身を丸くして急所を守ることくらいだった。

 銀皇が愉快そうに笑い龍吾を痛めつけていると、龍吾たちのいる建設中のビル隣に建つ高層ビルに輝夜が撃ち放った焔月の流れ弾が着弾し、辺りを鮮烈に照らした。

 すると無数にいた銀皇の分身が霧散し、銀皇も人影の姿から元の姿へと戻った。

 あっという間にボロボロになった龍吾が見ると、煌々と辺りを照らす火の手に忌々しげな目を向ける銀皇が目に映る。その瞬間、彼は銀皇の能力の弱点を図らずも察した。

 

 (……光か。アイツの能力は……光を浴びると消えてしまう弱点があるのか……!)

 

 満身創痍になっても龍吾は力を振り絞って立ち上がり、刀を再度構えて銀皇に立ち向かう。

 その姿に銀皇は片方の口角をヒクヒクとさせながら、影のある方へ移動すると再び異形の姿となった。

 しかし龍吾も弱点が分かれば彼にも考えがある。龍吾は辺りを見回すと、銀皇に背を向ける形で走り出した。

 銀皇は彼が逃げ出したとは最初から思ってはいないが、意図が読めずにいた。

 無論、龍吾も考えなしに動いている訳ではない。彼が向かう先には、建設現場になら確実に一個は置いているある物があった。

 夜間作業用の照明だ。

 スイッチを次々と点けていくと、一般の照明の倍の出力で光が点る。

 龍吾の予想通り強すぎる光は銀皇の影を無効化し、分身も剣すらも持っていない無防備な本体だけの赤裸々な状態にさせた。

 その機を逃さず、龍吾は最後の照明を銀皇に向けて点けると一直線に駆け出し、銀皇を一閃した。

 叫ぶこともせず呆然としている銀皇に、ダメ押しで龍吾は心の臓目掛けて刀を突き刺すと、そのまま右腕ごと斬り払った。

 雨のように流れ落ちる生命の燃料を見ながら、銀皇は不気味に笑い出した。

 

「素晴らしいな、お前は! イヤ本当に! ここまで俺をコケにしてくれたのはお前が初めてだ!」

 

「そうかよ。ならとっととくたばれ」

 

「いいや、まだだ。お前だけは俺の手で確実に殺さねえと死んでも死にきれねえ」

 

 銀皇が指を鳴らすと、突然あちこちから甲高い金属音が鳴り出し、頑強だった床が脆弱に緩み出した。

 その原因はフロアを支える柱に、銀皇が忍ばせた影の蟲が合図で一斉に切り崩したからだ。

 覚束ない足元はあっという間に瓦解し、龍吾たちは下層へと落ちていく。

 足場を構成していた大小様々な鉄骨に混じって、銀皇を照らしていた照明が衝撃で壊れていく中、再び闇の戻ったフロアで銀皇の姿が変わっていく。

 身体からヘドロのような影を零し黒一色に包まれた暗部の中から、赤みがかった濃い緑の光が激しく輝きながら龍吾へと向けられる。

 

「ああ……こんなに面白くて、腹が立ったのはいつ以来だろうな。来る日も来る日も、なーんにも楽しめねえ砂を噛むような毎日。それが、まさかお前なんかに覆されるなんてな」

 

 暗黒の中から出てきたのは筋骨隆々とした長い腕。腕だけで龍吾の身長ほどある一対の手が出ると、その全貌が姿を現した。

 さながらそれは毛のない類人猿に似た筋肉質な巨体は、ボディービルダーさながらの偏りのない逆三角形。

 指に生えた爪は一つ一つが鉈のように長くて鋭く、食いしばって露出する二層の歯はどれも鋭利という言葉をそのまま表現したかのよう。

 人外の化け物相手に龍吾は内心確かに物怖じしている。

 けれど逃げることは出来ない。逃げたところで追い付かれて八つ裂きにされるだけだと彼は察していた。

 口内に溜まった血痰を噴き出すと、先から全く変わらず銀皇を見据えて刀を構えた。

 

(……それだ。その生意気な眼と構え。怖じることもせず、絶望もせず、腹を据えた奴にしか出来ない眼で俺の前に立つ。ただの……人間が……!)

 

 巨体が、駆けた。

 空を裂く風となり、一瞬で間合いを詰めた銀皇に龍吾は防ぐ間もなくしなやかで剛い一撃を食らった。

 弾丸のように吹っ飛んだ龍吾は剥き出しの鉄骨に激突して止まったが、銀皇は溜め込んでいた怒りを発散させるように龍吾へ追い討ちをかけていく。

 それは暴力の嵐。影とは思えぬ重々しい質量が龍吾へ絶え間なく襲い掛かる。

 龍吾も最初は抵抗してみせたものの、それでも能力による力の付与がされた天月人には敵わない。

 視界がブレ始め、彼の意識が明滅し、身体を伝う衝撃と痛覚が徐々に和らぎ出していく。

 龍吾の意識が途絶える寸前でも、彼はスミレを出さなかった。例えこれで負けてしまうとしても。

 龍吾の視界が暗黒に包まれ、力んでいた身体から力が抜けて羽毛のように左右へ漂う肉体。

 ひとしきり攻撃し終えて冷静を取り戻した銀皇は、力なく項垂れる龍吾を掴むと、鋭利な爪を使ってその首を跳ね飛ばそうとした。

 

「お別れだ、勇者くん」

 

 銀皇が手に力を込めて、今まさに龍吾の頭部をなぎ払おうとしたその時、銀皇の背後から音もなく一つの影が飛び出した。

 冷たい光を煌めかせながら迫り来る気配に気付いた銀皇は、振り向きもせずその場から横へ跳ね飛び一閃をかわした。

 

「何だお前、人間か? ……ん? いや……精靈……違う、靈化した人間? は……ははは! とんだ隠し球だ! 神楽あのおんなも中々冗談が上手いじゃねえか」

 

 霧奈の前で高らかに笑う銀皇に、霧奈は内心人外の相手を前に畏怖していた。

 しかし今は囚われた龍吾を助けることが先決。すぐに我に返った銀皇が霧奈に向かうと、霧奈は左手を横へ払った。

 瞬間ピンが跳ね飛び、銀皇と霧奈の間に小さな黒の凝縮━━閃光弾━━が弧を描いて飛び出す。

 銀皇が気付いたときには既に爆裂のコンマ一秒手前。当然彼もコレばかりは予想もしていなかったので、対策もなく炸裂した光と高音に視覚と聴覚を奪われてしまった。

 怯んだ銀皇から龍吾を取り戻すと、建築資材の置いてある一角へと逃げ込んだ。

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