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星の光

「わ……私が……子を……?」


 帝から言われた命令に翁の声はひどくか細く、ほんの少しの衝撃で散逸してしまいそうなほど辿々しい返事だった。

 対して帝は予想通りと言わんばかりに淡々と「そうだ」と返した。


「む、無理を仰らないで下さい。妻は床に伏せて、私もこんな歳です。いくら帝様の御命令とは言え、こればかりは……!」


「知っているとも。確かに造の妻はとても子を産める身ではない。……が、お前は違う。老いて弱ってはいるが、必要最低限の栄養と処置さえ与えれば、()()()()()()()()()()?」


 帝の意図を察した翁の顔が青ざめる。

 夫婦間の繋がりが現代以上に重視されていた時代で、あろうことか時の権力者から直々にそれを破れと面と向かって言われたのだから、翁の動揺は至極当然である。


「宮中には身籠れる若女なぞ余るほどいる。お前の好きな者を選び、そして子を作らせてやろう。無論、私自身、いかに帝とて人道に反する外道の行いをしているということは重々承知のことだ。故、この報いは事が成された後、逃げることなく受け入れよう」


「……で、ですが……わ、私には妻が……」


「翁よ、ならばお前は、輝夜の言の葉を信じぬと言うのか」


 翁は言いかけた言葉を止めて口を塞いだ。それを言われてしまっては、もう彼は従わざるを得ない。


「……信じておりますとも……! 私たちの輝夜の言うことを、誰が疑うものですか……!」


「ならば従え。これは永き時の間の果てに紡がれる約束なのだ。輝夜はきっと帰って来る。その時彼女に、翁の血筋をひく未来の子を会わせて伝えるのだ。私たちは信じていた。御前を待っていたのだ、と。その一歩が、正に今日この日なのだ」


 翁は声を殺しながら泣き伏した。納得と反発の相反する感情のせめぎ合いによって。

 すると帝が何かに気付いて奥の方へと目を移す。

 奥からは床に臥していたはずの嫗が、従者の肩を借りながら翁たちの元へとやって来ていた。


「彼女に話すなと言ったはずだが」


従者かのじょは何も言ってはおりませんよ……。私が行こうと思った次第です。帝様であれ誰であれ、お客が来て寝転んでいる訳にはいきませんから……」


 嫗は翁以上に身体の衰弱が深刻であり、肩を借りて立っていても覚束ない足取りで、筋肉という肉がほとんどない、まるで干物のような見た目だった。

 輝夜がいた頃の艶やかだった白髪も、今やざんばら髪となって無造作に八方に伸び散らかし、見ているだけで深い哀愁を感じさせる。


「帝様……お話は聞かせて貰いました。翁様を……宮の方へ連れて行くのですね?」


「……盗み聞きとは感心しないな」


「帝様の仰っていたこと、私も共感する所はありました。もちろん……私の翁様を他所の女子に合わせる憤りもありますがね。……まったく……人が寝込んでいる間に、私の伴侶が他の人に取られるなんて……。しかもそれを進言して来たのが、まさかの帝様とくれば……もう……笑うしかありませんね……」


 自虐気味に笑う嫗に、押し殺していた声を漏らして泣く翁。

 悲嘆が渦巻く屋敷の中で、帝は傷心気味な心を奥底に封殺すると嫗を見据えて言った。


「応とも。好きなだけ私を恨め。この報いは死した後も必ず償おう。……翁よ。最早時は少ない。さあ、参るぞ」


 帝に連れられ、翁はその日の内に宮へと着いた。

 宮に移されてからは、当時最先端の医療と食事と生活を与えられた。

 人の身体とは古今問わずかくも不思議なもので、あれだけやつれ細っていた翁の体力はみるみるうちに元に戻り、頃合いと見た帝によっていよいよ本格的な子継ぎが開始された。

 老体を案じての交配は難航を極めるだけでなく、国内情勢も刻々と戦乱の火蓋が切って落とされそうな危うい状態の中で帝は焦りに焦った。

 更に不幸は重なり、翁を宮に連れて来た二週間後、嫗は従者に看取られながらこの世を去った。

 しかしこの一報を翁が聞けば、確実に心身を滅ぼすことになると見た帝は、嫗の訃報を最後まで隠し通した。

 文でのやり取りも、帝が秘密裏に遣わせた従者の一人に嫗の筆跡を真似させて偽の文を交わし合い、嫗が逝去したことを悟られないように尽力した。

 そして半年近く経った頃、遂に宮中の者が翁の子を身籠った。

 一報に胸を撫で下ろす帝だったが、その直後から翁は幻影を見るようになり始めた。

 子を授かってから三日後の未明。

 翁は誰にも見つかることなく宮中から去った。

 彼の遺体は、今日に至るまで発見されていない。


「……造よ。嫗よ。すまなかった……。だが約束は必ず果たすぞ」


 翁が失踪したその日、彼は夜遅くに従者一人を連れて馬車を走らせた。

 向かった先は、帝と敵対している国の総大将の屋敷。

 敵の本拠地に前触れもなく現れた来客に陣営は混乱したものの、総大将は帝本人が乗り込んで来たことと、装備の薄さなどを伝令から聞き、トップ同士の最後の会談と捉えて帝を通した。

 総大将は大将として不足も異議もない巨漢だった。

 無精髭を生やし、眼は刃の切っ先か飛矢のように鋭く、帝が二人と半分ほどの恰幅を誇る筋骨隆々の益荒雄(ますらお)

 そんな不動像の如き威風の大将は、威圧的な眼で帝を睨む。


「こんな夜分に俺の屋敷に向かって来るとは。一体何用だ? 戦に恐れを成して降伏を言いに来たか?」


「否。お前を見込んで二つ、頼み事をしに来たのだ」


 思っていた事と全く異なる返しに、大将は酒を注ぎながら「言え」と一言返した。


「率直に言う。私は次の戦、兵に混じって参戦する。お前はその際、何の遠慮もなくその腕を振るい戦ってくれ」


 予想だにしなかった帝の注文に、大将は鋭かった眼を丸々とさせて驚いた。

 当然ながら何故そのような無謀に至ったのか理由を問い詰めた大将に、帝はこれまでの経緯を隠すことなく話した。


「……狂っておるわ。そもそも輝夜という女子(おなご)が本当に帰って来ると誰も断言出来ぬのに、何故そこまで愚直に信じる」


「約束とは、そんなものだろう。いかに固く交わした約束とて、その日その時の都合とやらで呆気なく破られることだってある。……だが、約束を破る前提で約束をする者なぞ、そうはいないはずだ。これで駄目だったならば、私は死後、罰を永遠に受けることだって喜んで受け入れよう。これは私の身勝手。私のお節介で進めた話だ。だからこそ、決着は私自身がしっかりとつけねばならぬのだ」


「……ならば二つ目の頼みとは……」


「宮中にいる翁の子。その子だけは、どうか見逃して欲しい。ここに来た理由も、全ては彼の子にかかっているためだ。

 ……言っておくが、私の方とて負けるために挑む訳ではない。私も護るもののために奮闘はする。……まあ……お前にとって、私なぞ敵として見るまでもないだろうが」


「お前が死んだ後は誰が座を継ぐのだ」


「私の弟へすでに話をつけている。彼も私の理由に納得をし、後はお前の返事だけだ」


 大将はもうそれ以上言及しなかった。

 帝は本気であり、そして彼なりのけじめを付けようとしている。それを阻んだり思い直させようとするのは野暮だし、帝を侮辱する他にないと結論付けたからである。


「……いいだろう。御前の願い、確かにこの俺が聞き届けた。しかし覚悟しておけ。此度の戦、俺は負ける気も譲る気もない。この剛腕、戦場にて存分に奮い、(ことごと)くを(ほふ)り尽くしてやろう。その時に怖気付(おじけづ)いても、俺は手を止めんぞ?」


 対面したときより丸みのある眼で帝を見据えながら、大将は言い切った。

 それに対し、帝もまた安堵しきった眼で大将を見据えながら感謝を述べた。


「ありがとう。重ねてにはなるが、翁の子だけは、くれぐれもよろしく頼む」


 二日後。日本の長きに渡る戦乱の時代を告げる最初の戦が始まった。

 帝は約束通り身分を偽って兵に混じり、貧相な武器を持って出陣。そのまま名もなき兵士たちと共に帰らぬ人となり、帝側は敗戦した。

 回収された遺体はどれも損傷度合いが酷かったものの、大将は先に帝と対面していたために雑兵の遺体の中に混じる帝を見つけることが出来た。

 黙祷を終え、件の翁の子とその母を見つけた大将はその剛腕と強面に似つかわしくない丁重な扱いで赤子を手に取った。

 何も知らず、泣き声を上げる無垢の稚児。

 万人を騒がせ、帝すら狂気の淵へ駆り立てた魔性の女を待つためだけに産ませられた子に、大将は同情とも取れる切ない表情を天へと向けた。


 (さらばだ、帝よ。御前の遺志と覚悟、誠に見事であった。後は俺に任せ、心置きなくあの世へ逝くがいい)


 総大将に引き取られた翁の子は厳しくも愛情を与えられて育った。

 自然の猛威や、戦禍を生き延びながら順調に代を重ねていき、そして現代(いま)、龍吾という子孫へ思いがとうとう紡がれたのであった。


 ※


「……満足かしら? 貴方が生まれてきた理由。それはあの日、ここで貴方と輝夜が出会う正にその瞬間のために貴方の祖先は今に至るまで血を紡いできたのよ。祖先の願いも叶って、貴方と輝夜も良い間柄になって、これから幸せな一生を過ごしてめでたしめでたし。と思ったら、地球が滅茶苦茶にされるかもしれない。そんなこと聞いたら黙っている訳にはいかないわよねえ?

 先にも言った通りこの星は元々私たち天月人が支配していた星。だからこそ、貴方たちには最後に一つ頑張って貰いたいのよ」


 映像が終わり元の世界に戻って我に返った龍吾は、クロユリの挑発的で誘導的な要求に微妙な表情を向ける。


「そんなに地球を壊されたくないなら、月から応援を寄越せばいいじゃないか。今回の主犯はお前らと同じ天月人なんだろ?」


「残念だけど向こうは向こうで今色々大変なのよ。その間この星にしかない『靈光泉』が取れなくなったら私たちは死活問題なの。それに、今地球で好き勝手やってる奴は際限を知らない無法者よ。放っておけば人類だって根絶するでしょう。それは貴方たちにとっても、人間あなたたちを創った天月人からしても困ること。だから頼んでいるのよ」


 クロユリから言われた本日何度目かの衝撃の事実。

 人類史が根底から覆る事実を言われ、龍吾は自分が翁の子と言われたときとは違う驚きを露わにする。


「……人間がお前らに造られた? そんなバカな」


「本当よ。そもそも私たち天月人の祖先は別の宇宙から来たの。今も他の宇宙へ開拓と占領の幅を広めているのだけれど、そこには必然的に人員が必要。その間この地球と月が天月人わたしたちのものであるという証が必要な訳だけど、天月人もそこばかりに注力なんて出来ない。

 そこで生まれたのが人間あなたたちよ。私たち天月人という種の模造品を作れば、少なくともこの地球には生命のいる証にはなる。能力がないから反逆を起こされても問題にすらならない。つまるところ貴方たちは、天月人の都合で産み出された種ということなのよ」


「……そして今回もお前らの都合に合わせて動いてもらう、って訳か」


 クロユリがニヤリと笑う。

 最初から最後まで何もかもが常軌を逸した内容の数々だが、人外の天月人の口から語られることであるなら下手な専門家や学者が言うよりも説得力は遥かに大きい。

 クロユリは今しがた輝夜が帰った後の記録を再生していた端末とは異なる物を龍吾に渡した。

 当然龍吾がそれを見逃すはずもなく、即座に「どうしてそっちを渡さない」と聞くと。


「輝夜に見させるための物だからよ。それを見せれば、彼女は覚醒きっとするでしょうね。安心しなさい。彼女を傷付けるような内容ではないわ」


 手渡された端末は、一見すれば銀で出来た精巧な模様の刻まれた万年筆のような一品。

 何がどう違うのか龍吾には分かる由もないが、輝夜の復活の一助となる物を得て少しだけ安堵した龍吾は端末を握り締めてクロユリの方を見据えた。


「……ありがとうよ……。なあ……最後に一つ聞かせて欲しい」


「何かしら?」


「お前は一体、誰の指示で俺を助けているんだ?」


 クロユリは口を紡いだまま何も言わない。

 悪戯な笑みを浮かべて人差し指を口元に添えると静かに返した。


「それは秘密。紆余曲折はあるけど、今は私たちを信じなさい」


 龍吾は「そうか」と一言を返すと、踵を返して輝夜たちが待つ車の方へと戻って行った。

 生い茂る草を掻き分けて車の方へと戻って行くと、雛月がひどく慌てた様子で龍吾の元へと駆け寄って来た。


「り、龍吾様! 大変です!」


 声色からして穏やかな事態ではないことは確実であり、龍吾の脳裏に容体の急変や私という最悪の事態が幾つも駆け抜けて行く。

 はやる気持ちを抑え何があったかを雛月に問いかけると、雛月は輝夜の様子がおかしいと言う。

 車の方へ目を向けると、寝ていた輝夜が起きて窓の外を眺めている。

 死亡したという最悪の事態ではなかったことに半分安心した龍吾だが、それならば雛月が取り乱すほどの事とは何なのかという疑問が必然的に浮かぶ。

 ドアを開け、輝夜を呼んだ。すると━━


「━━あっ、()()()()()()! みてみて! おほしさま、きらきらーってしてるの! おにいちゃんもいっしょにみようっ!」


 そこにいたのは輝夜であって、輝夜ではなかった。

 星空を見上げてはしゃぐ輝夜は、かつての妖艶で冷静な大人の女性像はどこにも無く、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 言葉を無くして呆然とする龍吾。

 変わり果てた輝夜に動転する雛月。

 遠巻きで見ていたクロユリでさえ予想外の事態となったことに、表情が厳しくなっていく。


「ひ……雛月……。これは……一体……」


「……恐らく、暗符の副作用によるものです。以前言ったように、暗符は強大な力を発動できる代償として本人の精神や命が破壊されます。輝夜様の場合、一命こそ取り留めたものの、代償は精神崩壊に加え幼児退行を起こしています。これが暗符を発動させた代償なのです」


「……で、でも……治るだろ? 時間はかかるだろうけど、きっといつか治るんだろう!?」


 一縷の望みをかけて雛月に問いかける龍吾。しかし現実は龍吾の願いを冷酷に払い除ける。

 雛月は首を横に振りながら、龍吾にとって一番聞きたくなかった返答をした。


「いいえ……輝夜様は……一生、このままです。私たちが知っているかつての輝夜様には……もう……二度と戻りません……」

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