古の血
紅蓮に包まれ季節外れの熱気で満たされていた世界に寒雨が降り出し、轟々と燃え盛っていた世界は天然の消火装置によって瞬く間に鎮火した。
しかし爪痕はあまりにも大きかった。
緑豊かだった奥多摩の緑は半分近くが焼けて無くなっており、前代未聞の事態に町は混乱に包まれていた。
かつての長閑な田園風景は見る影もなく、ひっそりとやってきた来客なぞ眼中に入れる余裕もないほど忙しない状態だった。
雨の降りしきる中で車から降りた龍吾は、輝夜をおぶりながら歩き出した。
「雪下!」
ずぶ濡れの長谷川に龍吾たちが振り向く。
今生の別れにも似た切ない表情を浮かべつつ、長谷川は別れの言葉を送る。
「風邪ひくなよ。元気でな」
龍吾は長谷川の方を振り向くと輝夜をおぶりながら深く一礼をした。
十秒ほどの長い一礼を終え、龍吾は雛月を連れて奥多摩の奥へと消えていった。
『……対象を確保しなかったのですね』
長谷川の耳につけた通信機から、まだ幼さを感じさせる女性の声が届く。
長谷川はすでに予想済みという感じに事務的な対応を始める。
「盗み聞きとはいくら上長でも感心しませんな。それに、対象の安全を確保せよと言っていたのは貴女じゃないか」
『ならばどうして逃したのですか。それに彼はこの戦いが終わったらどこかの山奥に隠居するとも言っていました。我々ですら把握出来ないところに隠れられては、当初の目的から逸脱することになる』
「聞いていたでしょう。この状況を打開する方法が彼らにはあるらしいのです。それに生きているなら、少なくとも貴女の目論み通り今後も異世界人が来る可能性は存分にありましょう」
長谷川の所属する角の長。成人前にして四季皇護隊、夏の角の頂点に座す『桐藤 蛍』に対して長谷川は臆することなく言い返す。
もはやこれ以上言っても無駄だと判断したか、蛍は一つ小さなため息をつくと「結構」と言った。
『すぐに港区の方へ向かいなさい。十分ほど前から暴徒と思しき集団が東京各地で暴れていると報告が上がりました。混乱に乗じて日本を乗っ取ろうとしている外部の輩が動き出したのでしょう。隊員と合流し、鎮圧に向かいなさい。生きて帰って来れたら、それで貴方の罰は帳消しにさせましょう』
淡々と内容と命令を下し終えると、蛍は返事も聞かず通信を切った。
目線の先に龍吾たちはもういない。車に戻りタバコに火をつけると車をUターンさせて東京へと戻る道路を走り出した。
※
おぶられた輝夜は移動の揺れと降りしきる雨に打たれているにも関わらず、未だに眠りから覚める気配がない。
それでも龍吾は確かな足取りで奥多摩の町を進んでいく。
「龍吾様、どちらに行かれるのですか?」
「俺と輝夜が初めて会った場所だ。輝夜は他の人には見えないデカい竹の中から出て来た。きっとあの竹の中に、何かこの状況を変えてくれる何かがあるはずだ」
言い切る龍吾だが根拠は一切ない。
彼が空っぽの根拠を信じる理由は、一つに『お話の中の約束事』として最初に出会った場所に鍵があることを盲信しているため。
二つ目は、前者の約束事が無ければ、今の彼はどうして良いか分からないからという切羽詰まった理由があるからだ。
輝夜は死んではいないが、目を覚ます気配もない。
未だ世界は混乱に包まれ、長谷川から聞いた天月絡繰とそれを操る黒幕とも戦わなければならない。
なのに手元にあるヒントは皆無。それ故彼は藁にもすがる思いで、根拠も可能性もない幻を求めて歩みを進めているのである。
痛々しく、哀れなほど愚かしい行いだというのは龍吾自身も分かってはいたが、他に術がない以上ほんの僅かでも可能性があるならばと、彼は愚直なまでに先を急ぐ。
道中、乗り捨てられた車にこれ幸いと乗り込み、初めて輝夜に会った林業の現場へと向かった。
車を走らせて気付いたことは、比較的町の被害が少ないということだ。
炎の波は奥多摩を囲う山にぶつかって防波堤のように町への被害を防ぎ、最小限の被害で済んだ。
しかし熱の影響は計り知れず、所々の森で引火が起きたり、アンテナやWi-Fiといった通信に必要な機器は軒並み壊れてしまい、テレビやラジオやネットが使い物にならない状態となっている。
だがそれが逆に誤った情報を見聞きせずに済み、道中で通りすがる町民たちが龍吾たちを見ても誰一人疑いの目を向けられることがない事態になったのだ。
蛇のように蛇行する道、急勾配の坂、幾つものトンネルを抜けて、全ての始まりとなったかつての仕事場に辿り着いた。
輝夜と雛月を車に残して龍吾は先に進む。
あれほどの炎の波を受けて燃えた痕跡一つない一帯は、他の所と異なって不可視の竹を隠すように草木が異様に成長していた。
草木を掻き分けながら龍吾にしか見えない竹を見つけると、埃一つ見逃さないほどに隈なく竹の中を見渡した。
竹の中がダメなら周りを。それもダメなら倒れた竹の方を隈なく調べていく。
きっと何かがあるはず。そう思って必死に探す龍吾の背後から「もうやめたら?」と声がかかった。
振り向くと全身を黒いマントで覆った金髪の女性『クロユリ』が、地面に根差した竹に腰掛けていた。
臨戦態勢に移る龍吾とスミレ。しかしクロユリは手をかざして「いくら探したって無駄なのよ」と言葉で動きを制した。
「理解はするわ。こういう時って、一番最初に出会った場所が要になっていて、そこに重要な鍵が落ちているっていうお話のお約束を期待していたのでしょう?
でもね、現実はそんな上手く進まないものよ。ここには何もないし、何も残されていない。貴方がいくら探そうが、時間の無駄になるだけよ」
「……お前が盗んだんじゃないのか」
「もし盗んでいたら逆に応援してもっと貴方を泳がせているわ」
「それならお前が嘘をついていないっていう証拠はどこにある! お前は前に俺らと敵対した。信じろって言われて簡単に信じれると思うか!」
焦りに憤る龍吾は刀を実体化させてクロユリに切っ先を突き付けるが、クロユリは憐憫の目を向けるだけで恐れもせず龍吾を見据える。
動じないクロユリに根負けした龍吾は、次第にワナワナと口元を揺らして刀を下げた。
「……なあ……頼むよ……。隠してることがあるなら全部教えてくれ……このままじゃ、輝夜が……!」
「だから言っているでしょう。ここには何もないし、私は何も盗んでいないの。それと、輝夜なら大丈夫よ。もう少しで彼女は目を覚ますわ」
ハッと顔を上げる龍吾は「何で分かる」と即座に問い質す。
「車に残した輝夜を見たからよ。私、気配を消すことは得意だからねえ、雛月にだって気付かれずに見させてもらったわよ?」
「……お前は俺たちの敵だ。俺たちが気付いていなかったなら、いくらでも不意を突いて殺せたはず。なのにどうして殺さなかった」
「殺したら全てが水の泡に帰ってこの星も滅びるからよ。いい? 貴方は今回の作戦の主役なの。死んだら私たちが困るのよ」
立ち上がって龍吾の顎下を指先で妖しくなぞりながら周りを歩くクロユリに、内に潜むスミレが激しい憎悪を露わにする。
少しでも油断すれば命令を無視して飛び出しそうなスミレを抑えつつ、龍吾は理由を問うと、彼にとってはにわかに信じ難い答えが返って来た。
「貴方はね、輝夜がかつてこの星で共に過ごした最初の人間、竹取の翁の子孫なの。そして同時に輝夜が覚醒するためのなくてはならない要素だから、今死なれるとこれまでの苦労が水の泡になっちゃうのよ」
龍吾は言葉を無くした。
だが自分がおとぎ話に出て来た登場人物の子孫だと言われて、素直に受け止められる者がどこにいるだろうか。
とても信じられる話ではない事実を前に、クロユリはなおも話を続ける。
「貴方が死ねば輝夜も覚醒出来なくなる。そうなれば地球にやって来た天月人が好き放題やって、この星は死の星になるの。
元よりこの星は私たち天月人の燃料供給地として最初に支配していたの。それを勝手に無くされては困るから、私たちは貴方に協力してるのよ?
さて、その話はまた後でするとして、貴方は本当に竹取の翁の子孫なの。こういうのは口で言うより、見た方が早いわね」
そう言うとクロユリはマントの中から鉛筆ほどの長さの装置を取り出して起動させた。
すると周りは奥多摩の山から一瞬で古い都町へと変わった。
そこは先に輝夜の固有結界内で見た古都と酷似しているが、竹取の翁たちが住んでいた都とは若干異なる。
都の中心に佇む厳かで豪華絢爛な寝殿の如き屋敷の前には幾つもの馬車と護衛たちが門前で待機しているが、それらを無視して龍吾たちは屋敷の奥へと向かっていく。
「さあ、貴方もしっかり見ておきなさい。竹取物語の後日談を」
屋敷の奥には三十人ほどの大臣が規律よく座っており、その奥にはいかにも帝が座っている。
しかし帝にはまるで覇気がなく、威厳の欠片もない。声にハリや力が全く込められておらず、まるで魂が半分抜けているかのような状態だ。
輝夜が月に帰って数日。叶わぬ恋に消沈した帝の落ちぶれぶりは都から全国に風の噂として瞬く間に広まった。
折しも戦乱の空気が濃厚になりつつあった昨今、帝と相手国との均衡は帝の消沈で一気に傾き出し、相手国との戦闘は避けられない事態となっていた。
にも関わらず、もはや心ここに在らずと言わんばかりに会合を投げやりに進めていく帝の有様に、大臣たちは隠すことのない落胆と失望を露わにしていた。
会合が終わって帝を見かねた大臣の一人が景気付けの酒宴を即興で開いても半数以上の大臣は辞退し、帰路の途中で他の大臣たちに陰口を叩かれる始末。
残された大臣と帝で酒宴を開かれても、帝の様子から盛り下がる一方で、慰めの言葉を大臣たちがかけてもまるで功を奏さない。
すると酒の回った大臣の一人が、重々しい空気の中で口を開いた。
「ときに帝様。貴方ともあろう方がいつになく落ち込んでおりますが、一体何があったのでしょう?」
大臣が問い質すのも無理はない。
帝は言うまでもないが、輝夜防衛に向かわせた兵たちは天月人の絶対的な力の差と神々しさによって皆精神崩壊を起こしており、ことの顛末を語れる者は誰一人としていなかったからだ。故に大臣たちが帝の消沈した理由なぞ誰も知る由がない。
威厳が失墜して平時よりも親しみやすい空気も相まって、帝に直接聞くのは必然でもあった。
「……輝夜が……月に帰ったのだ」
「……ああ、確か大和国一番の美貌を持つと言われた、あの。それが……月に帰られた……と?」
現代人ですら言われたら信じることの出来ない答えを聞いて、当然ながら大臣たちは呆疑の目を向ける。
反論する気力もない帝は輝夜が去る前に書いた手紙を大臣たちに差し出し、また大きく息を吐いて沈んでしまった。
すると手紙を回し読みし終えた大臣の一人が口を開く。
「私めは、輝夜が帰ってくるように思えます」
帝の瞳に微かな光が灯る。
しかし日本の国と違い宇宙を挟んだ月へと帰った相手が帰ってくると言われても、落ち込んだ帝には気休めの言葉としか思えない。
が、大臣の一人はこう続けた。
「もちろん帰ってくる日というのは私めも分かりませぬ。明日かもしれないし、明後日かもしれない。来週か、あるいは来年。はたまた我々亡き後の更に先、遥か未来やもしれませぬ。
しかし、しかしです。先の五人の公達が求婚に向かい、そのことごとくが課せられた題に破れ、ついぞ思いすら向けることもなかったかの姫君が唯一思いを向けた帝様に宛てたこの文。叶わぬと知りつつその場を繕った言の葉だとは思えぬのです。
今生では、もしかしたら会えぬかもしれません。しかしいつの日にか本当に輝夜が帰られて来た時、誰も迎える者がいないとなれば。それは彼女にとって、酷ではないでしょうか」
その言葉を聞いた帝の眼に失われた光が勢いを増して戻ってくる。
その光はやがて彼の燻っていた思いに過剰なまでの燃料として注ぎ込まれ、活力を取り戻していく代わりに正気を失わせた。
彼は一つの方法を思いつく。だが同時にそれは外道でもあった。
だが、彼はもう意を決した。止めることは誰も出来ない。
帝は大臣に大きな謝辞を述べ、翌朝数人の護衛を引き連れて馬車を走らせ、ある場所へと向かった。
そこは竹取の翁の住まい。
多額の財をつぎ込んで造られ栄華を築いていたかつての屋敷も今や雑草が至る所に生え、装飾が欠けていたり、剥げていたりと栄枯盛衰を如実に表している。
「み……帝様……報せもなく突然……どうしたのですか」
従者に連れられて出迎えに来た翁は足取りが覚束ないこともそうだが、輝夜が去ったことで急激な老化を起こしていた。
元々歳が歳ということもあったが、それでも輝夜がいたときは老いを感じさせない若々しさがあった。しかし今となっては、文字通り骨と皮だけの痩せこけた餓鬼の如き有様に成り果てていた。
「……造よ。妻はどこにいる?」
「……妻は奥で寝ております。ただ……輝夜が去ってから私よりも弱ってしまって……。従者の方々がつきっきりで看ておりますが、明日ともしれぬ状態なのです」
「そうか……。だがいい。造よ、話がある。聞いて欲しい。従者よ、私が来たことは彼女に伝えるな。よろしく頼む」
帝は翁を縁側まで連れて行くと、前置きもなく話を切り出した。
「造よ、帝であるこの私が命ずる。数日の間、我が宮へ来い」
「は、はあ……宮へですか……。それは……一体どうして急に?」
「輝夜の帰りを待つためだ。昨日、私の有志から助言を貰ってな。私は輝夜が宛てた手紙を信じ、輝夜がいつの日か帰って来ると踏んだ。だが、輝夜からすれば思いを寄せているのは、造、御前たちの方だろう。
折りしも近々……戦が起こるやもしれぬことは、御前たちも薄々勘づいているはず。戦に巻き込まれてしまっては待つも何もない。我が宮にて安全を確保し、輝夜の帰りを待つのだ」
帝からの言葉に翁は更に沈んだ面持ちとなった。とても現実的ではない突飛過ぎる内容だったからだ。
「帝様……お気持ちは十二分に有難いのですが……私を見て下さい。こんなにも老いた身です。明日とも知れぬ弱った身には、もう待つ時間など無いに等しいのです」
「知っている。私だって今日明日に彼女が帰ってくるとは思っていない。……しかしそれでも、輝夜は必ず帰ってくると信じている。そのためには待つ者が必要だ。
━━だからこそ、造よ。未来のために子を作れ」




