第十四話 再会
「クロエの接近戦技術を見たときもかなり人外だと思っていたけど、リチャードもだったの?」
あんまりな、しかし見る人が見れば全くその通りの感想を漏らすエリス。
「失敬な」
それを聞いたリチャードは、不本意感を露わにしながらも否定はしなかった。
同行者二名から揃って『人外』扱いをされたクロエは頬を膨らませて拗ねてしまった。
「あれ、どうやったか聞いても良いの?」
「……構わないが、後でな」
目を輝かせて食いついてくるエリスに、リチャードは少し引きながらも答える。
別段秘匿するほどの技術ではないのだ。ただ、今の状況が許さないだけで。
「改めて提案するが、今すぐ帰――」
「――らないッ!!」
いい加減しつこいッ、と怒気を乗せて返してくるクロエ。
それを聞いてリチャードは、俯いて深い溜息をもらす。それを受け止めてくれたのは、洞窟の冷たい岩肌だった。
エリスはその様子を見て、ありがたさと申し訳なさとは別に、一人の少年の悲哀に対する同情を感じていた。
リチャードの心の中では、徹頭徹尾、初志貫徹、やはり引き返すべきだと思っている。
エリスには申し訳ないが、命を危険に晒してまでこの件に首を突っ込む必要を感じない。
が、『一人でも行く』とクロエに宣言された以上、彼にとれる選択肢は無い。
出来ることなら、小柄で生意気なあの少女を、全身簀巻きで拘束の上、馬の背に縛り付けて離脱するところだが、残念ながらそれは敵わない。
彼一人でクロエを無傷で捕縛するのはほぼ不可能だからだ。
本気で仕留めるつもりになれば出来ないことも無いが、そもそも仕留めてはいけない。
クロエを傷つけず捕らえるのは、彼らの師でもある父やあの近衛隊副隊長でも不可能なのだから、もはや諦めるしかない。
しかしながら、事ここに至って事態はさらに悪い方向に傾いていた。
「……しかし、まずいな」
「あ、やっぱり?」
リチャードの呟きにエリスが反応する。
「偵察に出てるって考えても、あの人数が一度に、ってのはおかしいよね?やっぱり、こっちの動きがばれてるのかな?」
「あー……。いや、それもあるが……」
しかしエリスの感じた疑問は少々的を外していたようだ。
リチャードは一つ咳払いして説明を始める。もちろん足は奥へと向かって動かしながら。
「あの襲撃の意図が“誘導”か“捕獲”か“撃退”か“殲滅”かは分からないが、術者にこちらの様子が伝わったのは間違いないだろう」
思いつく可能性を口にしながら、後続の少女たちに説明していく。
「尤も、昼間の監視を倒した時点で、俺たちが目をつけられていた可能性はあるんだし。今更、という気もしないでもないがな」
苦笑を浮かべて後ろを振り向くリチャード。
「それより俺が気になったのは、あの数だな」
「数?」
首を傾げるエリス。確かにあの数に驚きはしたけれど、それがそこまで深刻なこととは捉えていなかった。
最後尾のクロエも首を傾げている。
「そもそも傀儡魔法は同時に多数の標的を動かせる魔法じゃないんだ」
「そうなの!?」
エリスは大きく目を開いて驚きを露わにする。
「ああ。というか、そんな便利な魔法なら、もっと使い手が増えているはずだろう」
それはそうだけど、と少し不服そうな反応をエリスは返す。
頑張れば出来そうなものじゃないのか?という感情が透けて見える。
それを見たリチャードは、ふむ、と少し考えて例を一つ挙げてみることにした。
「そうだな。“右手”で『三角』を書きながら“右手”で『四角』を書くようなもの、と言えば分かるか?」
「同じ手じゃん……」
「そうだ。魔法によって使役されていたとしても、そこに意思はない。あくまでも動かしているのは術者で、動かされているのは、人であれ鳥獣であれ、ただの形代にすぎないからな。結果、複数の標的を使役すると、命令に混線がおきて上手くいかなくなるわけだ」
エリスとクロエの顔が曇っていく。
二人も、ここから想定される事態に気付いたようだ。
「もちろんこれは、術者の才能や努力で何とかなることもあるが……」
という言葉に救われた気がしたが、
「あの数は在り得ない」
上げて落とす、はリチャードの常套手段だった。
パッと見で一〇人以上の【人傀儡】を使役するのは、現状一人では無理。
つまり――。
「術者が複数いるか。或いは、術式を改良なり開発なりしたか」
単純な確率だけなら、前者の方がまだ可能性は高い。
(というか、前者であって欲しい……)
リチャードは戦闘中に禁物な『希望的観測』を持ってしまう。
とはいえ、それも無理からぬことだろう。
なにしろ、七〇〇年近くもの間姿を変えることなく、その存在をほぼ忘れられた魔法を、成功させるだけでなく改良を加えられる人間など、須らく『天才』と呼ばれる人種に違いない。
そんな人間が仕官もせず、こんな辺境の地でいったい何をしているというのか。
それならばまだ、傀儡師の集団――を組めるほど自由雇用の傀儡師が残っているかは疑問だが――が、戯れにしろ悪意を持ってにしろ、この地を拠点にして【人傀儡】を量産した、という仮説の方が現実味がある。
それもまあ、この先に進めばわかるだろう、とリチャードは若干の諦念を込めて呟いた。
それからも、右に左に曲がりながら、横穴を警戒しつつ下に向かっていく。
幸いと言って良いのか、あれから襲撃は無かった。
無駄だと判断したのか、それとも何か意図があってのことか、まではリチャードたちには分からなかったが。
三人は壁の縁を流れる水に従って、より低い方へと向かっていく。
それは夜通し降り続いているだろう、外の雨が洞窟の中に入り込んだものだろう。
暗闇の洞窟で揺れる松明を光源としている彼らにとっては、これ以上ない道標になっていた。
「――あれを」
先頭を歩くリチャードが視線の更に先、右に折れた曲がり角から光が漏れているのを見つける。
同時に、少女たちに足を止めるように指示を出すと、エリスから松明を受け取る。
受け取った松明は、燃える頭を外して踏み消す。残ったのは木の持ち手と鉄の籠の部分だ。
それを二、三度振って熱を逃がすと、腰の後ろのベルトに通す。
見えている光の量はそれなりで、少なくとも、松明を手に持つ――三人のうちの誰かが片手を封じられる状況は必要無いように見える。
それから一行は、戦闘の準備を整える。
リチャードとクロエは剣を、エリスは円匙を手に持つ。
熊手は腰布を通して背負っている。武骨な細い三つ又の、しかしその先端は丸みを帯びた鉄製の三本爪が、少女の背中から覗いている。
「……行くぞ」
小声で伝えるリチャードに頷きを返す二人。
流石のリチャードも、今更戻るなどと言うつもりはない。
三人はゆっくりと光の下、曲がり角の先に進んでいく。
そこは広い広間だった。
今まで通路の様に、凹凸の少ないツルンとした岩肌に、正方形の床も、前後左右に広がる壁も、高い天井も晒されている。
光源は広間の四隅に置かれた大きな皿。
それぞれが一抱えもありそうなほど大きく、燃え盛る炎も、洞窟の寒さを忘れさせるほどに大きい。
そして足元の床には、巨大な円を基調にした絵が描かれている。
部屋の床一面に広がる巨大な円環と、四角や三角を組み合わせた幾何学模様。その辺の上には所々に魔法文字と呼ばれる、古い表意文字が白線で書かれている。
「魔方陣……」
リチャードが声を漏らす。
そして同時にここが何かを理解する。
――儀式場。
ここで何らかの大規模魔法が行使されたということだろう。
魔方陣の大きさと術式の規模は必ずしも比例しない。
が、大きければそれだけ多くの情報量を書き込めるため、術式の規模を大きくしやすい、ということも事実だ。
リチャードは足元の円環の一部を踏み消す。
魔方陣はどれほど大きくても、一部が欠ければ意味をなさなくなる。
これでこの魔法陣は発動しないはずだ。
「――おいおい。他人の研究物に何をしてくれるんだい?」
広間の奥。光の届かない反対側の通路の奥から声が聞こえた。
光の中に姿を現したのは酷く痩せた男だった。
年のころは三〇代、としか言えない。
肌も髪も、洞窟と揺れる光源の所為でハッキリとはしないが、どちらも色素は薄そうだ。
不健康そうな肌とぼさぼさの髪、酷い猫背の所為で身長は分からない。
「……お前、一人か?」
既に嫌な予感はしていた。そしてそれは確信へと変わる。
「ああ」
「頭の悪い奴らは嫌いなんだ。だが、私についてこれるような人間は居なくてね。仕方なく一人で研究に勤しんでいる訳さ。ま、それで困ることは無いがね」
(なんだ、この違和感は……)
リチャードは息苦しささえ感じていた。
目の前の男はあまりにも『普通』過ぎる。
だが、こちらの想像通りならば、この男は相当な異常者であるはずだ。
「近くの村、襲ったのはお前か?」
取引としては悪手だ。こちらから手札をさらし続けている。
だが、目の前の男は、そんなことに頓着しないとリチャードは見ている。
「ああ」
またも簡潔な答え。
否定する素振りも言い澱む様子も無い。
「目的は何ッ!?」
耐えきれなくなったエリスが口を開く。
溢れ出す怒気に目もくれず、男は肩をすくめてそれに答える。
「不老不死の研究だ」
「……それは、見捨てられた研究だろう?」
「そう。私はそれを改良するために研究をしていた」
「ここまで話したってことは、俺たちを帰すつもりはないんだろう?」
「そうだな」
男が招くように腕を振ると、奥の通路から人影が現れる。
端々が解れた麻の上下。土に汚れ、ひびが入った革鎧。
光の灯っていない眼をした四〇手前の男。
それに反応したのはエリスだった。
「お父さん!!」




