第十三話 洞窟
お待たせいたしました。
大きく口を開けたその穴は、まるで自分たちをそのまま飲み込んでしまう様に感じられる。
足を踏み入れると、そこは夜の森の中でも一層暗く、底の見えない深い闇に沈んでいくようで、言い知れぬ恐怖の中にエリスはいた。
――それでも彼女には先に進むだけの理由があった。
洞窟の中は、彼らが想像していたよりも随分と広く、スッキリしていた。
大人の男が四人は横に並べるほどで、ゆっくりと下に向かって傾斜しているが、足元にも壁にも鋭い岩の突起は無く、不意の段差も無かった。それはまるで、設えられた廊下を歩いているようだった。
「……どう、思う?」
そのことを不審に思ったエリスが問いかける。
「……言わなきゃ分からないか?」
表情を変えることなくそれに答えるリチャード。
付き合いの短いエリスにも、彼が今何を言いたいかぐらいは分かる。
――当たり。
つまりはそういうことなのだろう。
偶々自然発生した天然自然のこういう形の洞窟、と考えるよりも、後から誰かしらの手が入っている可能性の方が遥かに高いと感じられる。
偶然発見したこの洞窟だが、奥まで行っても何も無かった、という事態はおそらく避けられそうだ。
ここまで偶然が重なると、リチャードの言葉ではないが、何者かの巨大な掌の上で踊らされているような感覚に陥ってしまう。
あるいはこれが、勇者の血を受け継ぐ者の宿命か……。
とはいえ、その勇者自らが首を突っ込んでいるようなものなので、自業自得と言えなくもない。
「かなりの確率で当たりだと思うが……。やはり行くのか?」
「そうね。二人には悪いけど、付き合ってくれると嬉しいな」
一人でも行くけどね、とエリスは力ない笑みを浮かべて答える。
「アマンダ姉さんの事も考えれば、ね……。生き残りがいるとか、楽観的にはなれないけど、せめて弔うくらいはしてあげたいし。それに――」
そこで言葉を区切ると、少女の纏っている雰囲気が変わる。
「正直、自分の村に手を出されて、はいそうですかって納得できる訳ないしね。どんな理由があるにせよ、一発入れないと気が済まないよ」
松明の揺れる光に照らされたエリスの顔は、怒りと憎しみに彩られていた。
農具一振りで大の男二、三人を軽々と吹き飛ばすエリスの“一発”を受けて、並の人間が無事で済むかと言われると激しく疑問が残るが、リチャードはそれを止めるつもりはない。
自分とクロエ以外の他人がどうなろうと知ったことではない、という本音もあるが、危険因子を放置すべきではない、という建前も“それなり”程度の割合で在る。
「その辺は好きにすれば良い。じゃあ進もう。先行は俺、殿はクロエ。エリスは真ん中で松明を頼む」
森の中を進んだのと同じ隊列を指示する。
長柄の農具を武器として使うエリスは、障害物の多い森の中と同様、洞窟のような閉鎖空間でも相性が悪い。
が、それが分かっているはずの今も、彼女が村から持ってきたのは円匙と熊手だった。
村に所謂武器と呼ばれる物が残っていなかったこともあるが、彼女自身に『戦闘技術』の心得がまるで無いことも理由の大きな部分を占めていた。
彼女の戦法は単純で、農具の頑強さと重さ、自身の並外れた膂力に物を言わせて振り回し、打ち下ろす。良くも悪くもエリスという少女は“ただの村娘”だったのである。
リチャードが先頭を選んだ理由はクロエが先頭向きではないからだ。
クロエの戦術は、絶対回避と急所への必殺の一撃。戦士というより斥候向きの戦い方をする。
個人の戦闘能力では、おそらく三人の中で一番だろうが、味方同士の間隔が狭い状況で先頭を歩くには向かない。
彼女が回避した攻撃が、そのまま後ろを歩く人間に向かうことになってしまうからだ。
消去法で、仕方なく、嫌々ながらも、リチャードが先頭を歩くことになったのはそういう理由である。
「全く……。俺の本領は弓だってのに」
そうぼやく通り、リチャードは剣も人並みに扱うことはできるが、最も得意なのは弓矢を用いた中距離戦だ。
森と洞窟が戦場になることはほぼ確定していたため、ここには持ってきていない。
いつも弓を持つ左手が変に遊んでしまい、微妙に落ち着かない。
(いざとなったら、奥の手を使うしかないな)
一人、心の中で手札を確認する。
三人は奥へと進んでいく。
殆ど一本道で、随分と進んだが横穴は片手で足りるほどしか見ていない。
先頭を歩くリチャードは、横道には目もくれず下に向かう道だけを選んで進んでいく。
比較対象のない洞窟探査は、時間間隔と方向感覚を狂わせる。
それは、冒険者としての訓練を積んだ(積まされた)クロエとリチャードの二人も例外ではない。
加えて、水と食料の問題もある。
腰の水筒にそれぞれ川の水を汲んできてはいるし、干し肉も塊で持ってきてはいるが、安心はできない。
糧食が尽きるまで進めばいい訳ではない。
帰りの分も残しておかなければならないし、万が一迷った時のためにそれ以上の余裕も確保しておかなければいけない。
そう考えるとギリギリである。
――カチャッ……カチャッ……
不意に聞こえる、三人以外の物音。
視界の先、松明の光が照らすより向こうから、金属の擦れあうような音が聞こえてくる。
リチャードは足を止め、身振りで二人に警戒を促す。
これまでの経緯から言って、どう考えても友好的だとは思えない。
――カカチャチャッ……カカチャチャッ……
それも一つではない。
似たような音が、ずれて重なって聞こえてくる。
「――来る」
松明の光の輪の中に、まず足が入ってくる。
土と垢に汚れた、太い男の足だ。
さらに後ろから一人二人と光の届く範囲に入ってくる。
それは男で女で若者で老人だった。
誰も彼も虚ろな目をして、表情無く歩いてくる。足を引き摺るように。
それはまるで歩く死体。
いや、あれが【人傀儡】ならば、事実死体なのだろう。
「――みんな……」
その内の幾人かはエリスの村の者たちだった。
屍となってなお自由を奪われたかつての友の姿に、固く奥歯を噛みしめた。
許せない、という決意と共に、激しい怒りと憎しみが心のうちに湧き上がってきた。
「――まさか……。そんな馬鹿な」
対するリチャードの顔には驚愕が浮かんでいた。
だがすぐに気持ちを切り替え、目の前の脅威を回避する方法を考える。
「後ろはどうだ?」
「…………増援無し」
目の前から来る相手に脅威は感じない。
数はいるようだが、全体的に動きが鈍い。
すぐに踵を返せば逃げ切れるだろう。
「逃げ――」
「ない」
なんでだよ、と力無く呟く。
が、どうせ自分が何を言おうとこの少女は意見を変えないだろうし、そもそも悠長に言い合いをしている場面ではない。
ふぅ、と一つ息を吐くと、目線を正面に向ける。
「俺が道を開く。倒さなくていいからついて来い」
相手の動きを見れば、ついて来れるとは思わない。走り抜けてしまえば良い。
そう思い直して剣を抜き、右手で正面に構える。
左手の指先を剣身に触れさせ、詩文を紡いでいく。
「『狂い踊れ 乱れ舞え 我が意のままに 其が望むままに』【ソードダンス】」
それは“詠唱”と呼ばれる、魔法発動の技術だ。
右手に握られた幅広短めの剣は、詩文が進むと共に薄く淡く白い光を纏い、その光がパッと弾けると、何事も無かったように寸分変わらずそこにあった。
目の前で放たれた魔法に呆気にとられるエリスと、後方の警戒を続けるクロエを余所に、リチャードは人混みへと真っ直ぐ駆けだした。
クロエは、それを見ても呆けたままのエリスの脇腹を小突き、彼の後を追う。
我に返ったエリスも彼らの後ろに続く。
「シッ!ハッ!セイッ!!」
リチャードは足を止めることなく、左右に剣を振るい駆け抜けていく。
その剣筋は、人を殺めるためのものでは無く、押し退け、道を開くものだった。
大柄な男が一人歩いてくる。
「ハッ!」
迷わずに剣で左に払う。
よろめいて倒れる男の背後から女が現れる。体格差で隠れてしまっていたようだ。
剣を払った姿勢のまま右肩を使って押し込む。
女は仰向けに倒れるが、その後ろからさらに二人、若い男女が現れる。
リチャードは剣を二人の間に突き出すと、両手で左右に押し広げる。
二人はどちらも尻餅をついて倒れる。
ここまでで、体勢を崩されて倒れた人間が起き上がってくることは一度も無かった。
「走れッ!!」
人が途切れ、道が出来たタイミングでリチャードが少女たちに声をかける。
それを合図に一斉に走り出す三人。
「右ッ!!」
右の脇道から突然現れた人影にクロエが一際大きな声を上げる。
リチャードは声に反応して左に飛び退く。
他人を意識しすぎる“人見知り”スキルはここでも健在のようだ。
「後ろも!?」
手前が出っ張っていて見難くなっていた十字路で、左右から挟まれてしまう。
先頭で標的のリチャードは勢いをつけて飛び退いた為、まだ空中に留まっている。
それを見て動こうとするエリスをクロエが止める。
リチャードは後ろから現れた女を空中で蹴り倒し、その反動で前に飛び、先に出てきた男を斬り払う。
人が空中で出来る機動ではない。常識で考えれば、だが。
それを目の当たりにしたエリスは呆然と固まっている。
「置いていくぞ?」
その原因となった者が冷たく言い放つ。
エリスはその言葉に言いようもない理不尽を感じたが、そんな場合ではないので言葉を飲み込む。
左右からの追撃も奇襲も、もう無いようだ。
三人は暗い洞窟を走り抜けていく。




