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遺産相続で妹と縁を切った話  作者: 佐藤柊


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4/11

入院と転移

 翌晩、陽一と由希はピンクのキャリーバッグを携え、芳恵の家を訪問した。キャリーバッグの中身は芳恵の入院準備用品。入院までの間、コロナウィルス感染を完璧に防ぐ為、陽一と由希は2人して準備に走った。病院はコロナ感染防止の為か、あらゆる物のレンタルを停止していた。

 用意したものは、パジャマ5着、下着上下15着、洗面用具、はし、スプーン、フォーク、コップ、ティッシュペーパー、タオル等。

「手術したら1週間で退院なんだって。病院からコロナだからお見舞いに来るなって言われてるから、退院までもつように準備したから」

陽一の説明を

「うん、うん」

と頷きながら芳恵は聞いていた。

「使った下着は捨てていいからな。わざわざ持ち帰らなくていいから。俺達は手術の日と退院の日に行くから」

「お義母さん、開腹手術だからいろいろ考えて前開きのパジャマにしたからね。下着もカップ付きのでブラしなくてもいいやつだから」

陽一と由希は交互に話した。

「あらかわいいパジャマだこと。ありがとう」

そう言って芳恵は微笑んだ。 

 陽一は前日、芳恵に外出しないようきつく言い聞かせていた。芳恵の仕事は、客から化粧品の注文をもらうと、それを親会社に発注して、納品されたら客の下へ届ける仕事だった。在庫がありさえすれば、すぐさま客へ届けに行ってしまう。商売となると、目先の売上のために軽い気持ちで出掛ける可能性が十分あった。そもそも、芳恵は家に居着かない性分で、外出を好む気質だったので、外出は「命にかかわる」ということを認識してもらう必要があった。 

「必要な物は全部揃えたから、買い物に行く必要はないからな。あとは普段使ってる物とか、入れるだけでいいだろ?」

陽一の言葉に芳恵は微笑んだ。 

 その時、家の電話が鳴った。芳恵を見ると顔を歪ませて首を振っている。すぐに留守電に切り替わった。

「芳恵ちゃん!?どうなってるの、ちょっと!千恵に連絡頂戴!ガチャッ!」

威勢のいいこの電話は、芳恵の妹 恵美子、陽一の叔母からだった。恵美子は興奮したようにまくし立て、自分の娘の千恵に電話をくれるよう言い放って電話を切った。芳恵は

「いいの、いいの」

と言って、陽一と由希の話を引き続き聞こうとしている。何故千恵に電話なのかはわからないが、芳恵は恵美子からの電話が面倒な様子だった。

 芳恵は改まって2人に封筒を差し出した。

「準備してもらったし、交通費もかかるだろうし、これからいろいろ世話になるから」

由希は遠慮したが、陽一は芳恵の気持ちを汲んで由希に受け取るよう指示した。封筒の裏には "5万円" と記されていた。

 その晩は入院手続きに必要な書類の記入も行った。問診票のような質問の類も多く、由希が一つ一つ読んで聞かせ、記入していった。芳恵はどこか楽しげだったが、不安の裏返しだったのかも知れない。それとも、息子夫婦に支えられていることが嬉しかったのか。

「なんだかこの辺…おっぱいの下から背中にかけて何となく痛いの。何でかしら?」

芳恵は由希に言った。

「なんだろうねぇ?吐き気のせいで筋肉痛にでもなってるのかしら?気になるようなら入院してから先生に聞いてみたほうがいいかもね」

由希はこう答えつつも、芳恵のこの言葉が引っかかった。

(これから入院して身体の全てを見てもらえるんだから、きっと大丈夫だろう)

本人が病気と立ち向かおうとしてる。今は余計な心配をさせないよう、応援するしかない。

「手術したらきっとご飯食べるの楽になるよ、お義母さん」


 帰り際、芳恵は陽一と由希を見送るために外へ出てきた。

「コロナに罹ったら入院も手術もできねぇんだからな!必要な物があったら届けるから、電話よこせよ!」

陽一は、くれぐれもコロナ感染に注意するよう芳恵に念を押した。

「うん、うん。わかった」

手を振る芳恵に、明後日の朝、迎えに来ることを約束をして、二人は帰宅した。


 土曜日の早朝、陽一は由希と共に芳恵を入院させるべく、車で迎えにやって来た。由希は助手席の背もたれを少し倒し、陽一の隣に芳恵を乗せた。陽一が荷物をトランクへ乗せたあと、由希は後部座席に乗った。

 出発して少ししてから、芳恵は手提げバッグから何やら取りだし、浮足立った声で言った。

「由希ちゃん、これ昨日買ってきたの。使い方教えてくれる?」

「えっ!?」

陽一と由希は同時に声を上げた。

芳恵は真新しいスマートフォンを手にニコニコしている。陽一は咄嗟に大声を上げた。

「どこにも行くなって言っただろ!何で入院する前の日にスマホなんか買ってきたんだよ!コロナに罹ってたらどうすんだよ!」

由希は後部座席で何も言えず、目を丸くしている。

「昨日千恵ちゃんが来て、『オバチャン、何で…』って私の為に泣いてくれて。そうしたら、スマホ買いに連れてってくれるって言うから」

芳恵の悪気のない言い訳のような言葉に、陽一はガッカリした。由希はそれより、千恵の神経を疑った。千恵は以前から、時々芳恵の仕事を手伝っていたのは知っている。その際、ガラケーを使っていた芳恵から、スマートフォンへの機種変更について度々相談されていたのだった。きっと千恵は芳恵が癌だと聞いて、このまま死ぬまで退院できない場合に備えたのだ。そう、もしもの時に、自分に後悔が残らないように機種変更させたのだと直感した。それも入院直前に。今まで芳恵とは電話以外にショートメールでやり取りができていたが、これから入院する芳恵はスマホ操作全般、文字入力さえ出来ない。とりあえず由希は急いで芳恵に電話のかけ方、受け方を教えたが、それ以上は無理だった。

「ぜってぇ病院で昨日携帯買ったなんて言うなよ!絶対だからな!」

陽一はそう強く母に言い聞かせ、怒りを抑えるのが精一杯だった。芳恵は口をすぼめて頷いた。


 国立総合病院4階南病棟。陽一と由希は病室まで芳恵に付き添ってあげることができなかった。コロナウィルス感染防止の為、エレベーターを降りるとすぐに病棟への入口があるのだが、通路のドアは締め切られている。インターホンを押し看護師を呼んだ。

 当時、この病院では患者との面会が禁じられていた。着替えの交換や差し入れは、このインターホンで看護師を呼び、看護師に手渡す。それも14時から16時までと時間制限が設けられていた。

 出てきた看護師に持ってきた荷物の説明をし、陽一と由希は深々と頭を下げた。

「どうぞよろしくお願いします」

そして芳恵の方を向く。

「おっかぁ、大丈夫だからな!迎えに来るから、頑張れよ!」

「お義母さん、頑張って!必ず迎えに来るからね!」

そう言って励ます2人に、芳恵は微笑みながら手を振った。

「気を付けて帰ってね」


 

 陽一はZ県にいる妹 恵に電話した。母 芳恵が入院したことを報告するためだが、同時に従姉妹の千恵の行為を告げるためでもあった。

『私にね、千恵ちゃんから電話きたの。でね、お母さんにスマホ買ってあげたからって。そう言われたから、一応お礼言ったんだけど…』

恵から思わぬ事を聞かされ、陽一は声が大きくなる。

「 "買ってあげった" って、金はお袋が自分で出したんだろ?外出禁止されてんのに連れ出して、メールもできないんだぞ!それなのにお袋は呑気に喜んでるし。ハァ…」

『あ、なんか、お母さんは「車から出さなかったから」って。車に乗せたまま、千恵ちゃんが店で買ってきたんだって。「感染対策はちゃんとしたから」って』

恵が慌てて付け加えたが、陽一の腹立だしさは変わらない。

「千恵が感染したらお袋に移る事だってあるだろ」

『まあ、そうだけど。千恵ちゃんがね、私がZ県にいてお母さんの事出来ないだろうから、「自分が代わりに病院に行って、いろいろしてあげるからね」って言うから、そう言われたら「お願いします」って言うしかないじゃん?』

陽一はますます千恵にイライラした。

「俺は聞いてないし、言われてない。なんでお袋のこと千恵に頼まなきゃないんだよ。意味わかんねぇ」

千恵が自分には何も連絡せずに、恵とやり取りをしてたと思うと腹が立った。

 

 芳恵が入院して3日経った頃、陽一の携帯に病院から着信が入った。昼時にかかってきていたのだが、仕事中で気付かず、客が引いた14時に着信があったことに気付いた。

「お袋になんかあったのかな?ちょっと電話してくる」

由希にそう言うと、病院に電話をかけた。

 病院の電話受付に、病院から着信があった旨を言い、しばらく待つと、病棟の看護師が電話口に出た。また同じように着信があったことを話し、待つ。すると消化器内科のあの若い医師が出た。陽一は医師から直接電話があったことに少し驚いた。医師は挨拶もそこそこに早速報告を始めた。

「芳恵さん、入院されてから背中の痛みを強く訴えるようになりまして、それがなんか私、ちょっと引っかかったもので、追加で検査をしてみたんです。そしたら、背骨に2か所、肋骨に1か所、骨転移が見つかりまして…」

「えっ?えっ?こつ…骨転移?」

陽一は咄嗟に事態を飲み込めなかった。ただ、血の気がサーッと引いていく。

「はい。骨転移してたことによって手術が出来なくなりまして。それで詳しくお話したいんですが、これからこちらに来れませんか?早い方が良いと思うので」

(A市まで今すぐ来いということは、母親が危険だということか!)

そう察した陽一は、まるで今スイッチが入ったかのようにしっかりした口調で答えた。

「わかりました。今すぐそちらに向かいます。16時頃着くと思いますがそれでもよろしいですか?」

医師の了解を得ると電話を切り、陽一はすぐに声を上げた。

「由希!店閉めろ!今から病院行くぞ!」


 車を走らせながら由希に医師からの電話の内容を話していると、陽一はだんだん冷静になっていった。由希は携帯で骨転移についてネット検索している。入院前、芳恵が気にしていた胸の下から背中にかけての違和感はこれだったのか、と、どうしようもない悔しさが込み上げる。しかし、今はそんな事言ってられない。兎に角、事実を確認しなければ。


 2人は病棟の前で息を整えていた。身なりはとりあえず、汗だくだったTシャツは着替えてきた。臭いは…多分大丈夫だろう。時計は予定通りの時刻を差している。

「よし」

陽一は締め切られたドアの脇にあるインターホンを押した。

『ハイ』

「本多芳恵の家族の者ですが」

『ハイ、お待ち下さい』

間もなく看護師がドアを解除し、現れた。

 看護師に誘導されドアを抜けると、すぐ左手にある小部屋で待つよう指示された。パソコンが置かれた机と椅子。これは医師用だろう。壁沿いにぐるっとパイプ椅子が3脚、これでギリギリのごく小さな部屋だった。ドアはコロナ感染防止の為開け放たれ、その代わり衝立で目隠しが施されている。部屋の割に大きい窓からは、外の景色がよく見える。窓の下には大きな公園が広がっていた。

 芳恵が点滴を吊るす支柱を押しながら看護師に連れられやって来た。だが支柱に吊るされていたのは点滴ではなく、下の方に半透明の四角い尿を溜めるバッグがかけられていた。

「オシッコの管入れてるの。1日の尿の量を調べるんだって。今、オムツしてるの」

芳恵は由希に小さな声で恥ずかしそうに言った。

「あ…そうなの」

由希も芳恵に合わせて小さな声で頷いた。

 そうしているうちに医師が現れ、陽一と由希は立ち上がって挨拶した。そして陽一は由希と席を代わり、芳恵の隣に座った。全員が向き合って座ると、膝と膝がぶつかり合いそうだった。

 医師はレントゲン写真を見せながら骨転移の場所を説明した。すぐに陽一は芳恵の方を向き、大きめの声で言った。

「骨に、転移、してるんだって」

芳恵は元々、片方の耳が聞こえにくかったため、陽一に医師の言葉を聞き直していたのだった。事情を知らない医師は驚き、慌てて陽一を制した。

「あ、わ、私から、私からまずお話しますから!」

医師は芳恵と向き合って、優しく、分かりやすく説明した。そして、そこにいる全員に向けて骨転移が見つかった事で手術が出来なくなったことを伝え、今後は腫瘍内科に移ること、そこで抗癌剤と放射線治療になるだろう、ということを説明した。

「胃の摘出手術をしてから抗癌剤と放射線治療はできないんですか?」

陽一は、芳恵の食べる事が辛い今の状況を楽にしてやりたい思いで医師に質問した。しかし、医師の表情は暗い。

「手術をすると体力が奪われて、抗癌剤治療に耐えられる体力が残らない」

医師の答えを聞いた陽一は、息を吐きながら

「あぁ…」

とだけ、小さな声を絞り出した。

「ステージで言うと骨転移があった時点でステージ4になります」

"ステージ4" …この言葉は重かった。その場の3人は凍りつく。テレビや映画でステージ4といえば、"末期" という表現をしている。とても現実の事として受け止められない。

「今日お話した内容は後で文書にしてお渡しします。今後は腫瘍内科で対応となりますので私はここまでということになります。治療の方法はまだいろいろありますので、後で腫瘍内科の方から治療について説明があると思います」

医師は立ち上がって会釈した。陽一と由希も慌てて立ち上がり、頭を下げ礼を言った。

 医師が立ち去ると、看護師が芳恵を迎えに来た。外部からの面会が禁止されているため、今後いつ会えるか分からない。芳恵はゆっくりと立ち上がり、自身に付いてる管を気にして身なりを整えた。陽一と由希は芳恵を気遣いながら看護師に託し、看護師は会釈して芳恵に寄り添い病室へと連れ帰ろうとした時、芳恵はおもむろに振り返り

「帰り、気を付けて帰ってね」

と言って、不安そうな顔をしながら手を振った。

 陽一は胸が痛かった。それは由希も同様であった。





 

 




 



 

 


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